発見!今週のキラリ☆

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2009年2月 アーカイブ

vol.50 「味オンチの思い出」 by 桜井徹二


2月のテーマ:ビター&スイート


たとえば牡蠣などは、好きな人に言わせると「苦みと甘みが同居しているところが美味しい」ということになるのだろう。でも僕自身はそういう複雑な味があまり好みではない。

いろいろな味や食感がひとまとめになっている食べ物を食べると、口の中での次の展開が予測できず、どうも落ち着かないのだ。クリームコロッケなども、衣がサクッとしながら中がトロッとしていて、おまけに衣は少ししょっぱいのに中が甘かったりして、どうも信用ならないタイプだ。

でも高級な食べ物や珍味などは、往々にして複雑な味であることが多い。だから複雑で繊細な味を楽しめない僕は、「舌が子供」ということになるのだろう。

さらに言えば、僕は食べ物が多少まずかろうと美味しかろうとあまり違いを感じない。飛び切り美味しいものやひどくまずいものは別だが、小さな振れ幅くらいならあまり気にならない(というか、分からない)。毎日のように同じような食べ物を食べても平気だ。要するに、軽度の味オンチといってもいい。

僕がちょっとした味オンチだと知ると、たいていの人は「損してるね」か、「信じられない」か、あるいはその両方の反応をする。でも中には違う反応をする人もいる。知り合いの男性は「味オンチでも悪いことばかりじゃない」と言って、こんな話をしてくれた。


19歳の夏、彼は1ヵ月半に渡りヨーロッパを旅行した。「猿岩石」ブームの前で、日本人の長期旅行者はまだそれほど多くない時期だ。彼はポーランドを経てドイツに入り、ベルリンの街はずれにあるユースホステルにしばらく滞在した。

そのユースホステルには欧米人にまじって、1人の日本人女性が泊まっていた。26~27歳くらいの、どこか気だるい雰囲気を漂わせた女性だ。数少ない日本人ということで、彼とその女性は簡単な挨拶をかわすようになり、やがてユースホステルの食堂の同じテーブルで一緒に夕食をとるのが日課になった。

彼がユースホステルを発つ前日も、彼らは一緒に食堂で夕食をとった。その夜は旅行客が少なく、広い食堂には彼とその女性の2人だけしかいなかった。彼らは静まりかえった食堂で向かい合って座り、ボルシチのようなスープを口に運びながらぽつぽつと会話をしていた。


彼女は食事の間、スープの味に不満をもらした(「ユースホステルの食事ということを差し引いてもひどい味」)。だが味オンチの彼は、とくにまずいとも思わずスープを平らげ、おまけにおかわりまでしていた。

女性は頬杖をつき、感心してるのか眠いのか判然としない目つきで、さして美味しくもないスープを口に運び続ける彼をじっと無言で眺めていた。そしてふとテーブルに前のめりになると、「どんなものでも、美味しそうに食べる人っていいよね」と言った。

彼は何となく落ち着かない気分になったが、といってどうしていいか分からなかったので、適当な返事でやりすごした。やがて夜がふけると、2人は挨拶をしてそれぞれの部屋に戻っていった。翌朝、彼は彼女が寝ているうちにユースを出て、次の目的地のミュンヘンに向かった。


話を終えた彼に、僕が「それだけ?」と聞くと、彼は「そう、それだけ」と答えた。彼が言うには、人から「味オンチ」と言われるたびに、彼はこの出来事を思い出すらしい。そして若かりし頃にベルリンでのユースホステルで味わった、甘いような、苦いようなその時間にふたたび身を浸すのだと。

vol.51 「ビターがスイートに変わった時」 by 藤田奈緒


2月のテーマ:ビター&スイート

困った時の神頼みとは言うけれど、私の場合、幼い頃からここぞという時に願いごとをしてきたのは、母方の祖母だった。祖母は私が生まれる前に亡くなっているので、私は一度も会ったことがない。祖父の家に残されたアルバムの写真の中の顔しか知らないし、声だって聞いたことがないのに(いや、だからこそ、なのかもしれないが)、なぜか私は祖母に絶対の信頼を寄せ、何か強い願いごとをする時は、必ず夜空を見上げて祖母に話しかけてきた。その願いがすべて叶ったかは正直記憶にないのだが、どんなことがあっても祖母は私を見守っていてくれるに違いないと、幼い私は何の根拠もなかったが勝手に信じていたのだ。

残された祖父は7年程前に他界したが、祖父に関しては楽しかった思い出しかない。夏の日に一緒に川で泳いだこと、花火をしたこと、バイオリンを弾いて聴かせてくれたこと、冬には白い息を吐きながら雪合戦をしたこと...などなど。孫と一緒になって大はしゃぎしてくれるオチャメおじいさんだったので、休みのたびに会えるのがとても楽しみだったのを覚えている。

そんなわけで、私にとっては優しくて大好きな祖父だったが、娘である母はちょっと違った印象を持っていたようだ。というのも母の知る祖父は、とにかく亭主関白で、祖母に優しい言葉をかけているところを一度も見たことがなかったというのだ。母にとっては、いつも母親に対して威張った物言いばかりする、ちょっと怖い存在だったのである。

祖母が亡くなってしばらくした頃、母は親戚のおばさんの証言により、祖父が結婚以来、祖母の写真を肌身離さず持っていたことを知った。そしてその時、思い出したという。祖母が息を引き取る直前に会いたがったのは、毎日病院に付き添っていた母ではなく、祖父だったことを。

大人になった今、子供の頃のように神頼みをすることは滅多になくなったが、夜道を歩いていてふと空を見上げ思う。長い間、離れ離れだった2人は、今頃仲よく一緒にいるのだろうかと。そして最近は、どうしても願いごとがしたくなった時には、祖父と祖母の両方に同じだけ話しかけることにしている。