発見!今週のキラリ☆

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2011年6月 アーカイブ

vol.110  「ハーフ&ハーフをめぐる考察」 by 桜井徹二


6月のテーマ:半分

 先日、読んでいた本にこんな一文があった。

「世の中には2種類の人間がいる。かれらはそれぞれ社会の半数を占めているにもかかわらず、根本的に理解しあうことはできない。理解し合っていると思っていても、それは幻想にすぎない。なぜなら、かれらは男と女だからだ」

 なかなか身も蓋もない断言ぶりで、これを書いた人はただ何か個人的な思いを込めているだけじゃないかと疑いたくなるけれど、まあ確かに、と思い当たるところがないわけではない。

 10数年ほど前、男友達とその恋人が半ば同居していた部屋に遊びに行った時のことだ(彼らは4年ほど一緒に住んでいた)。しばらくして宅配ピザを注文することになり、3人でメニューを検討した末にハーフ&ハーフのピザを2枚選んで、その友達の彼女が店に電話をかけて注文した。

 だが届いたピザを開けてみると、注文したはずのピザと違うものが入っていた。ハーフ&ハーフのピザ2枚、つまり4種類ある具のうち、2種類が別の具だったのだ。店が間違えたのかと思ったが、注文した友達の彼女は、「自分が注文時に間違えたのかも」と言った(彼女は以前からそういうことが苦手だった)。

 ところがそう言いながら、彼女はさほど気に留めていない様子でピザをぱくぱくと食べ始めた。男友達はその態度に怒り、「間違えたのかもしれないと思ったならなぜ改めて確認しなかったのか」「そうでなくてもせめて間違ったことを謝るべきだ」と彼女を問い詰めだした。

 だが彼が何を言っても彼女は謝るどころか、「そもそも具の名前がややこしいのがいけない」という(いちおうの)主張を繰り返すだけだった。議論は見事なまでに平行線をたどり、そのあいだ彼は半ばあきれたような、半ば感心したような顔で彼女を見つめていた。

 そしてしばらくあと、このハーフ&ハーフの件がきっかけとなって、彼らは別れることになった(おそらく頭の片隅で、4年以上も付き合った相手と別れるにはいくぶん馬鹿らしい理由だと思っていたはずだ)。

 当時の僕は彼らが別れることになったのは、友達が彼女のいい加減さに嫌気が差したのかと思っていたけれど、今思えば一番の理由は、最初にあげた一文が言うところの「幻想」が打ち砕かれたこともあったのかもとも思う。あの時の友達の感慨深げでさえある表情は、彼がどこかで「現実」に気づいたためだったような気がしてならないのだ。

 もちろん、いくら具の名がややこしくたって、大人ならハーフ&ハーフの注文ぐらいちゃんとできてよさそうなものだと考えるのがまっとうだ(と思う)。けれど、あの一文が言うように、もし男性と女性の間には深い深い川が流れているならば、川を渡るなんて無理はせず、足先をちょびっと浸したくらいですぐにこちら側に引き返すほうが賢明なのかもしれない。さもなければ、あっという間に流れにのみ込まれてしまうことになるのだ。

vol.111  「分かち合えば、悲しみは半分に、喜びは2倍になる」 by 藤田彩乃


6月のテーマ:半分

インターネットが普及して以来、うわさやデマも含め、あらゆる情報が瞬く間に広がるようになった。大昔には「この手紙の内容を友人10人に回さないと不幸になる」という不幸の手紙が話題になったこともあったが、ネットの世界では、さらにいろんな類のチェーンメールが存在する。もちろんくだらないものも多いが、メールに比べてソーシャル・ネットワーキング・サービスでは割とポジティブな内容のものが多いように思う。その中でもひとつ心に残ったものを紹介しよう。出所は分からないが、みんなでシェアした人には幸福が訪れると言われ、結構出回った(らしい)ストーリーだ。

ある病院の1室に、重い病を抱えた2人の男性が入院していた。1人は病室の奥にあるベッドで寝たきり。もう1人は病室に唯一ある窓のそばのベッドで寝ていた。窓際の男性は毎日、昼間の1時間だけ治療のため起き上がることができる。2人は家族、人生、仕事、旅行など、いろんなことを語り合った。

窓際の男性は、ベッドから体を起こすたびに窓から見える外の様子を表現豊かに寝たきりの男性に伝えた。湖で戯れる白鳥、おもちゃのボートで遊ぶ子供たち、腕を組んで楽しそうに歩く恋人たち、色鮮やかな花々、窓から見える空の美しさ・・・。巧みな描写で、目を閉じれば、そこには美しい世界が広がった。まるで実際に外の世界を体験しているような気分になれたのだ。ある日、男性はパレードの様子を話し始めた。寝たきりの男性にはバンドの音は聞こえなかったが、心の中でその情景を描き楽しんだ。

こうして月日が過ぎていったある朝、窓際の男は安らかに息を引き取る。看護師が遺体を移動して、病室内も落ち着いたころ、寝たきりの男性は看護師に頼んで、窓際のベッドに移動させてもらう。そして独りきりになった時、痛みをこらえ、ひじを支えにしながらゆっくりと、窓をのぞきこみ、外の世界を見た・・・

しかし、そこには真っ白な壁しかなかった。

男性は看護師に、なぜ亡くなった男性は自分に、窓の外にはすばらしい景色が広がっていると話し続けたのか聞いた。看護師は、その男性は実は目が見えなかったと話し、そしてこう言った。「きっと、ただあなたを元気づけたかったのよ」と。

このストーリーの最後にはエピローグとして、こんな英文がある。
There is tremendous happiness in making others happy, despite our own situations. Shared grief is half the sorrow, but happiness when shared, is doubled.  If you want to feel rich, just count all the things you have that money can't buy. "Today is a gift. That is why it is called "The Present".


3月に東北を襲った大震災で、自分も含め日本中の多くの人が、今まで当たり前にあった日常が一瞬にして失われる恐怖を実感し、なんの変哲もない日常こそが幸せだったんだと再認識したように思う。震災直後の助け合いの精神に心打たれ、日本も捨てたものじゃないなと思ったのは私だけじゃないはずだ。何かを犠牲にしたり、大げさなことをしなくたって、ささいな何気ない言動で、周りの人を幸せにすることはできる。みんなが、震災直後の気持ちを忘れずに相手を思いやって過ごすことができれば、きっと世の中の多くの問題があっけなく解決してしまう気がする。ただ、人間は忘却の生き物。きっとまた時が経てば忘れてしまうだろう。でも、現状に甘えるという意味ではなく、今ある幸せに感謝して、謙虚に、そして誇り高く、1日1日を大事に過ごしていきたい。