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2012年5月 アーカイブ

vol.135 「東京ノイローゼ 2000」 by 杉田洋子


5月のテーマ:緑

普段いわゆる「緑」との関わりが薄い私は、今月のテーマが決まってからしばし
考えあぐねていた。本当は、今ハマりまくっている三国志のドラマのことを書き
たくて仕方ないのだが、どうにもこうにも接点が見出せず、こじつけることすらできそ
うにない。あきらめかけたその時、ふとカメの顔が心に浮かんだ。
私にとって緑といえばカメではないか!!

ちょうど2年前、私は「カメとプレステと私」と題し、愛するカメとの思い出を
このブログでつづった。
一時的にプレステにはまってしまったことにより、愛亀を失ったという苦い思い
出である。そして最後にこう締めくくった。

===

そして上京し、初めての一人暮らしをすることになった私は、
相棒のカメを飼うことにした。
しかし、このカメとの間にさらなる試練が待ち受けいていようとは、
その時はまだ知る由もなく...。

キリがないので、その話はまたいつか別の機会に。

===

と。

その機会がいよいよ巡ってきたのである。

前置きが長くなったが、とにかく私は上京してから早速ミドリガメを飼うことに
した。確かたまプラーザのペットショップだったと思う。

水槽の中にひしめく、小さくてあどけないカメの赤ちゃんたち...。
眺め始めて数分後、水槽の丸みを帯びた角にぴたりと鼻をくっつけて、目をとろ
んとさせたかわい子ちゃんが目に留まった。決まりだ。

ポリ袋に入れてもらい、上機嫌で家へ向かう途中、ふと、尻尾が少し切れたよう
になっていることに気づいた。ケンカでもしてかじられたのかもしれない。

家に着くと早速初めてのエサやりタイムだ。
シラスを1匹、ピンセットでつまんで顔の前に差し出す。
大好物のはずだが、カメはなかなか口を開けようとしない。
しかし私も、だてに7匹のカメを飼ってはいない。
中には慣れるまでなかなか食べない子もいた。
明日にはきっと食べてくれるだろう。

しかし、あくる日も、そのまたあくる日も、カメは口を開けようとしない。
水槽の中に入れておいても食べた形跡がない。
無理やり口をこじ開け、突っ込んでみたりもしたが、それも可哀想だ。
もっと活発な子を選べばよかったかな...などという思いがよぎった。

1週間ほどたったある日のこと。
カメが首を伸ばし、まるで威嚇でもするかのように不自然に口を開けている。
いや、威嚇と言うよりむしろ、気持ち悪くてウエッとなっているように見える。
しかし、栄養不足の方が気になっていた私は、
ここぞとばかりにすかさずシラスとピンセットを取り出し、
開いたカメの口の中にエイッと1匹突っ込んだ。
しかしカメは不本意そうに、ウエッ、ウエッとやっている。
一体どうしたことだろう...。これは本当に病気ではないか...。
私はいよいよ心配になってきた。

翌日、相変わらずカメは口を開けて、苦しそうにしていた。
私は心配で水槽に顔を近づけてみた。
すると何やら水中に細くて白い線のようなものがふよふよしている。
恐る恐る目を凝らしてみてみると...

!!! 

動いている...。
いくつもの白くてとても細い糸ミミズのようなものが浮遊していたのだ!
私は思わず後ずさりした。何なのだ、これは。
わりと小まめに水も替えていたというのに...。
そうか、きっと何らかの虫が水槽の中に卵を産みつけたのだ。そうに違いない。
私は水槽を熱湯消毒して、ピカピカにしてから水を張り再びカメを戻した。
これで一安心だ。

しかしさらに数日後、学校から戻って水槽をのぞいた私は愕然とした。
なんと、早くもあのふよふよが復活していたのだ!
熱湯消毒までしたのだから、さすがに先日の残党ではあるまい。
となると、こやつらはカメ本体から出てきているとしか考えられない。
私はどんよりとした気持ちになった。
ウソであって欲しいと思ったが、二度目の熱湯消毒の後もふよふよは復活した。
もう疑いの余地はない。

私は少しノイローゼ気味になっていた。帰ってきて水槽を確認するのが怖かった。
あまりのふよふよの気持ち悪さに、カメを取り出すのも勇気がいった。
カメは相変わらずエサも食べず、ウエッ、ウエッとやっている。
切れた尻尾から寄生虫でも入ったのか、はたまた口から入ったのか。
ウエッとしながら、寄生虫を吐き出しているのではないか...
さまざまな憶測が頭をよぎる。

一方で、カメがちっともシラスを食べないので、私の食生活はシラスに支配され
ていた。もはや私はシラスノイローゼにもかかりつつあった。

飼い初めて数週間がたったある日、帰宅して水槽に目をやると、
カメはついに動かなくなっていた。
まったく食べていないのだから、覚悟はしていた。
私は、悲しみと同時に、安堵を覚える自分に気づいた。
そしてそれはたちまち激しい罪悪感と自己嫌悪に変わった。
大好きなカメを亡くしてしまったというのに、
ふよふよから解放されたことに一瞬でもホッとした自分に絶望した。
そして、生き物を飼うことの責任の重さを改めて思い知った。

夕方、カメを埋める場所を探そうと近所をうろついたが、アスファルトばかりで
土のある場所が見当たらない。これが東京なのか...。
葬ってやれそうなのは目の前を流れる小さな川だけだ。
そこも周りはコンクリートで固められて掘り起こせるような場所はない。
川は数メートル下を流れていて、亡骸をそっと流すというより、
放り投げるような形になってしまう。
川面に映る無数の鯉の影...。
こんな小さなカメ、あっという間に食べられてしまうだろう。
1人では葬る決心がつかず、友達に相談して付き添ってもらうことにした。
水の中に帰れればカメも本望だよ、という友の言葉にようやく覚悟を決めた私は、
眼下の小川に亡骸を葬り手を合わせた。

それ以来、カメは自分では飼っていない。
実家のカメたちはまだ健在で、飼い始めてからかれこれ16年になる。
東京で飼ったあのカメは、命の重さと、愚かな心境の変化を学ばせてくれた。
とっておきの名前を付けようと考えているうちに、
結局名づけられぬまま死なせてしまった。
呼ぶときは、いつもカメと呼んでいた。
亡くなったのも、ちょうど新緑がまぶしい5月だった。
あの子は一瞬でも幸せだったのだろうか...。
来世や天国があるのなら、そこではおなかいっぱいシラスを食べていてほしい。