発見!今週のキラリ☆

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2012年6月 アーカイブ

vol.136 「雨男ですみません」 by 藤田庸司


6月のテーマ:雨

何か大きなイベントがあると、かなりの率で雨に遭遇する僕は、友人の間では"雨男"で通っている。「また雨降らせた~~~!」という非難めいた声に、かつては罪でも犯したような後ろめたさに苛まれ、イベント前日の天気予報で傘マークを見た日には、みんなの憂鬱な顔が目に浮かび気分が沈んだものだ。だからといって、自分ではどうこう出来るものでもなく、最近は開き直って「雨男ですみません」と率先して断りを入れるようにしている。
そんな雨男体質は、実は遺伝という見方もある。僕の父は親戚中でも一二を争う雨男で、若い頃通った飲み屋の女将には、お店を訪れると必ず雨が降るので"雨夫"というニックネームをつけられていたそうだ。
「雨男なんて迷信だよ」と思われるかもしれない。僕も昔はそう思っていたが、ある出来事をきっかけに「もしや...」と思い始めた。十年ほど前に友人とアメリカを自由旅行していたときの話だ。砂漠の中の街、ラスベガスから次の目的地へ飛ぼうとした際、過去にない記録的な大雨が降り空港が閉鎖、丸二日足止めを食らった。「砂漠に雨を降らせてしまった!」。これは偶然や迷信では片付けられないと感じ、事の重大さと込み上げる罪悪感から友人に「雨男って信じる?実は...」と告白したところ、「じゃあ、アフリカとか、雨を必要としている地域にいけば、神になれるじゃん。」とからかわれた。
たしかに雨乞いの儀式に参加すれば重宝がられるかもしれない。また傘メーカーに売り込めば"雨男長者"になれるかも。
嫌われ者の雨だが、基本的にインドア派の僕は、雨は嫌いではない。

vol.137 「雨やどり」 by 藤田彩乃


6月のテーマ:雨

雨といえば思い出す曲がある。さだまさしの「雨やどり」だ。雨やどりをしている時に出会った男性に恋をしてしまった女性が、後に彼と再会しプロポーズに至るまでのストーリーを描いた曲だ。コメディタッチの歌詞が面白くしっかりオチもあって聞いてると心温まる。そもそも「雨やどり」という日本語も美しい響きで、不思議な魅力を持った言葉のように思う。

私は、世代は全く違うのだが、さだまさしが好きだ。新年は、NHKの「年の初めはさだまさし」で迎えると決めている。番組特有の手作り感あふれるまったりした雰囲気が好きで、毎年楽しみにしている。特にさださんの淡々としたトークが気に入っており、歌を歌わないで、ずっとしゃべっててほしいくらいだ(実際よくしゃべるのだが)。

さださんの奏でる曲は、あたたかい家族愛や小さな幸せを描いた歌詞が多い。ふざけた内容に見えても、実は深みがあって、どの曲にも素朴な魅力がある。「案山子」は、私の父がカラオケでよく歌うからか、聞いてると涙が出そうになる。

「関白宣言」と「関白失脚」に代表されるように、続編を作るのはさだまさしの定番だが、この歌にも同じメロディーで歌詞が違う「もうひとつの雨やどり」というバージョンもある。
本家「雨やどり」の歌詞とは少しトーンが違い、引っ込み思案で内気な女性の素直な気持ちが描かれていて、切なくてかわいい。

私自身は、いずれの歌詞に描かれているような愛らしい女性でもないし、正直共感する部分は少ないのだが、なんだかとても気に入っている。出逢いとは、無数の偶然が重なって生まれる奇跡だと実感する。その時その時の決断が今の自分につながっていて、今私の周りにいる人とをつないでいる。普段は忘れがちだけど、すべての出逢いに感謝して、そして大切にしていきたい。

vol.138 「ダメージを最小限に食い止めたいので...。」 by 浅川奈美


6月のテーマ:雨

東京はただいま梅雨。春の終わりにやってきて、その後訪れる本格的な夏のプロローグであるこの季節、私は本気でカメハメハ大王がうらやましくなる。

♪ 風が吹いたら遅刻してぇ~
雨が降ったらお休みでぇ~
の世界だ。

どんよりと空を覆う灰色の雲。週間天気予報とにらめっこしながら決める洗濯日。通常の3倍ぐらいの重さで漂う湿気まんまんの空気。じっとり汗ばむ身体をいやおうなしに冷やす室内の冷房。はー。この季節特有のあらゆることが、これでもかというくらい私の心身にダメージを与える。ライフ回復はまだまだ先。なぜなら梅雨明けと同時に、この国は夏に突入していくのだ。容赦のないうだるような暑さが大体9月下旬まで続く。長い。「ちょっとタイム」とか、安らぎの「オアシスステージ」などといった選択はない。自然は甘くないのである。
日本人が、「しょうがない」という落としどころで怒りやイライラをうまく交わす術を知らずに身につけていたり、世界の人々が賞賛する辛抱強さを兼ね備えていたりするのもうなずける。

そんなわけでこのところずっと天候に比例し私の内側も暗雲が立ち込めっぱなしなわけで、選ぶ服、履く靴さえも、雨染みを懸念しディフェンスに染まる。
コレではいかんのではないか。いやいかん。数年前読んだ本のひとコマをふと思い出した。

「心をキレイなもので満たすということは、外見のキレイにも大いに影響がある」

エッセイ本『美人画報』(講談社)で安野モヨコはこんな感じのことを言っていた。
「キレイな人は美しいことで心が満たされている」面白いことばかり考えている自分はおのずと、面白い人、面白い外見になっているのではないか。
激しく開眼させられたのを覚えている。私の脳内もたいてい面白いことを探し、考え、楽しんでいる。それに加え、この季節、天気というものにめっきり左右されて、ネガティブがち。もはや「キレイ」とは無縁。そろそろ身体の表面にカビでも生えそうな勢い。もう女性としてというか「人」として救いようがない方向にまっしぐらなのである。

実に危険だ。探さなければ、ほら、「キレイ」なもの。鮮やかな柄のレインコートをまとって颯爽と歩く女性とか(他力本願な私)、子供たちがさすコレでもかというくらいのまぶしい原色傘とか...。

......。ダメだ。
ここは神田、三越前。スーツのジャケットを脱いだだけというおじさんたちがマジョリティを占めるクールビズ発展途上区域。まったく色がない。
そんなグレイな世界で一躍スターダムにのぼりつめた存在。それは、紫陽花。
は?アジサイ?
いやいや、これがどうして。本当にいい仕事をしてくれているのだ。鮮やかな青。濃淡のバリエーション豊富なピンク。無垢な黄緑がかった白(テッパンカラーだな)。無条件に「キレイ」で心をいっぱいに満たしてくれる。通勤途中、紫陽花を目で追い見つけては、しつこいくらいに愛でる、写メる、いろんな人に送りつける、英語では、hydrangea《植物》/Hydrangea macrophylla《植物》〔学名〕って言うんだよな、とか思い出す、などなど、毎日激しくお世話になっている。

すっかり忘れていたのだが、昨年は紫陽花に思いを馳せるあまり、有給休暇をとってまで鎌倉に行っていた。懐かしいなぁ。あの日は平日でしかも雨が降っていたのに、長谷寺は観光バスが乗り付けて、めちゃくちゃ混んでいたよなぁ。とか思いながら、「鎌倉★季節情報館」をネットで見ていたら衝撃的な文言が。

「今週末であじさいは見納めとなります」

え゛―――――。

鹿児島地方気象台は、本日29日、奄美地方が梅雨明けしたと発表した。東京の梅雨明けはまだまだ先。カビを生やさないように残りの梅雨を乗らなければ...。
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