発見!今週のキラリ☆

« 2013年4月 | 発見!今週のキラリ☆ トップへ | 2013年6月 »

2013年5月 アーカイブ

vol.159 「寄り道のススメ」 by 相原拓


5月のテーマ:寄り道

これまでの人生、寄り道ばかりしてきた。大概ろくな目にあわないと分かっていながらも、いざとなると目的地とは逆方向の道を選んでしまう自分がいる。

小学生の頃は、学校帰りの小さな寄り道が何よりの楽しみだった。親の注意はそっちのけにして、近所の広場でカマキリを捕まえたり、友達の家に寄ってみたり、毎日のように道草を食いながら帰宅していた。中学生にもなれば、そんなことを続ける子はあまりいないのだろうが、僕は相変わらず寄り道グセが直らず、とうとう親の注意を長年無視してきたバチが当たった。ある日、いつものように友達とふざけながらフラフラと遠回りして帰っていると、部活用にレンタルしていたヴィオラを途中で失くしてしまったのだ。どこで落したんだろう・・・先生になんて説明しよう・・・弁償金はいくらだろう・・・親に殺される・・・。そんな思いが一通り脳裏をよぎると、頭の中が真っ白になり、その場で泣き崩れたのを今でも鮮明に覚えている。尋常じゃない泣き方だったのだろう、一緒にいた友達は本気で引いていた。

小さな寄り道は、迷子や遅刻の原因にもなるのでいい大人がすることではないと思うが、経験上、人生の寄り道と呼べるような思い切った決断となると、その向こうには必ず新たな発見が待っている。現にこうして映像翻訳の仕事をさせてもらっているのも、思えば大きな寄り道から始まった。少なくとも、大学を卒業してアメリカから帰国すると決めた時点ではそのつもりだった。あれから早9年、しばらくは帰国後も寄り道に寄り道を重ねて転々としていたが、映像翻訳に出会ってからは、アメリカに戻って永住するというそれまでの長期プランはご破算になり、ようやく軌道修正できて今は進むべき道が見えている。

ちなみに例のヴィオラはというと、あの後、立ち直れずひたすら号泣している僕を見かねた友達が慌てて辺りを探してくれて、思いのほかすぐに出てきた。逆に申し訳ないぐらい呆気ない結末。それでも他の仲間の前ではこのエピソードについて一切触れないでいてくれた友達には感謝の気持ちでいっぱいだ。

vol.160 「寄道のプロ」 by 杉田洋子


5月のテーマ:寄り道

大学在学中、1年ほどキューバに留学した。日本人の数は、それほど多くなかったけれど、その間、いろんな目的や事情で来ている日本人に出会った。音楽の修行に来ている人、恋人や旦那さんがキューバ人という人。それから、世界中を旅してまわっているバックパッカー。あるバッグパッカーの青年は、キューバは初めてでスペイン語もできないけれど、このイレギュラーだらけの国でもすぐにコツをつかんで、交渉やヒッチハイクをこなしていた。そんな青年を見て、何度もキューバに来ていたある日本人の男性は、私にこんなことを言った。

「世界中いろんなところに行って、旅慣れていることより
この国を深く知っていることの方が価値がある」

いろんなところに行って、旅慣れているわけではない私はこの言葉に励まされながらも、疑問を覚えた。

「そうだろうか?」

そもそもどちらが優れているとかいう問題ではない。いわば旅のプロと、キューバのプロ。どちらにも、それぞれの価値があるし、完全に切り離すことはできないはずだ。旅をするための方法と、どこかに特化した知識。どちらも備われば百人力だ。

映像翻訳を世界に見立ててみれば、同じような問題に突き当たる。映像翻訳のプロというのは、概して例えるなら「旅のプロ」に近い。方法を知っているということは、適応能力があるということだ。専門外のことが来ても、どうすればベストか、判断し実行できる。もちろん、専門性があまりに高い場合は、お手上げのものもあるだろう。その道のプロに任せるのが得策という場合もある。とはいえ、汎用性や柔軟さは、翻訳者として欠かせない要素であることは間違いない。その上で、詳しいと言える分野がいくつかでもあれば、深い海溝を持つ大海原のように、おっきな翻訳者になれる。

受講生や修了生の皆さんのプロフィールを見る度に、ここにたどり着くまでに、実に様々な経験をされているなと感じる。職歴であったり、趣味であったり、子育てであったり、家族の都合であったり...。いろんなところに寄り道(そんな気軽に呼ぶレベルのものではないとしても)をしてきたことが、翻訳者としての付加価値を与えてくれる。実際に仕事が始まれば、新しい案件に出会うたびに、新たな世界の扉を開くことになる。でも、プロの寄り道は本気の寄り道。納期までに全身全霊で、今向き合っている案件に没頭し、突き詰めることができるかどうか。

そうやって、プロとして活躍している修了生の皆さんを、私は心から尊敬している。なかなか直接言える機会はないけれど、ここで改めて感謝の気持ちを表したい。

いつも、本当にありがとうございます。