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2014年3月 アーカイブ

vol.177 「それでも夜は明けるのか?」 by藤田 彩乃


3月のテーマ:音

南部の農園に売られた黒人ソロモン・ノーサップの12年間の奴隷生活を描いた映画『それでも夜は明ける(12 Years a Slave)』が、アカデミー賞作品賞、脚色賞、助演女優賞に輝いた。黒人奴隷制度の残虐さを見せつけた大傑作。各賞を総ナメしているのも頷ける。本作の成功を大勢の人が喜び、その功績を称えたが、監督のスティーヴ・マックィーンは、インタビューでこんな発言をしている。

There have been more Hollywood films made about Roman slavery than American slavery.

『スパルタカス(Spartacus)』や『グラディエーター(Gladiator)』など、古代ローマ時代の奴隷を描いた映画は多い。また、ナチスによるユダヤ人迫害、ホロコーストを扱った映画は、毎年のように製作されている。しかし、400年もの間アフリカ系アメリカ人を苦しめてきたアメリカにおけるホロコースト、つまり黒人奴隷制度、人種隔離政策、人種差別を描いた映画はほとんどない。

『それでも夜は明ける』の前に製作されたメジャーな作品で、黒人奴隷の視点からリアルにアメリカの奴隷制度を描いたものは、恐らく1977年の『ルーツ(Roots)』(映画ではなくテレビのミニシリーズだが)ではなかろうか。35年以上前の作品だ。

これまでも、アメリカの奴隷制度を描いた映画はたくさんあった。2012年には『ジャンゴ 繋がれざる者(Django Unchained)』、『リンカーン (Lincoln)』、2006年には『アメイジング・グレイス(Amazing Grace)』、1997年には『アミスタッド(Amistad)』、1995年には『ある大統領の情事(Jefferson in Paris)』、1989年には『グローリー(Glory)』・・・など、遡ればいろいろある。しかし、上述の作品のどれもが、「善良な白人が、貧しく絶望のどん底にいる黒人奴隷を救う」という白人目線のストーリーだ。

アメリカ西部開拓時代には何百万人ものアメリカ先住民(ネイティブ・アメリカン)が大虐殺されたが、このアメリカのもうひとつのホロコーストの歴史を、しっかり描いたハリウッドメジャー映画にいたっては、恐らく1つしかない。ケビン・コスナー監督・主演の映画『ダンス・ウィズ・ウルブズ(Dances with Wolves)』だ。この作品は1990年のアカデミー賞作品賞を受賞している。

ハリウッドでは「女性が主役の映画はうまくいかない」と言われる。しかし、昨年における、映画のチケット売上の51%は女性によるものだった。そして昨年は、女性を扱った映画、もしくは女性が主人公の映画のほうが、男性が主人公の映画よりも興行収入が高かった。アカデミー賞監督賞受賞の『ゼロ・グラビティ(Gravity)』、主演女優賞受賞の『ブルージャスミン(Blue Jasmin)』は、どちらも女性が主人公の映画だが、興行的にも大きな成功を収めている。しかし、ハリウッドはいまだに男性(特に若い男性)をターゲットにした映画を作り続けている。アカデミー賞の受賞スピーチの中でケイト・ブランシェットも、男社会のハリウッドに対して、チクリとこんなことを言っている。

Those of us in the industry who are still foolishly clinging to the idea that female films with women at the center are niche experiences.They are not. Audiences want to see them. In fact they earn money.

もっと過酷な状態にいるのが、黒人を扱った映画だ。「黒人映画は儲からない」という不名誉なレッテルを貼られ、それがハリウッドの暗黙の了解になっている。実際、『それでも夜は明ける』も、大スターのブラッド・ピットがプロデューサーで入らなければ資金が集まらず映画化は実現しなかった。インターナショナル版のポスターでは、5分しか登場しないブラッド・ピットが全面に出され、その下に小さくキウェテル・イジョフォーが走っている。

※これはアメリカでは問題になった。こちらを参照

本当に黒人映画は儲からないのだろうか? 数字を見る限りは、事実無根だ。今年に入ってから公開されたアイス・キューブ&ケビン・ハート主演のコメディ『Ride Along』は全米の興行収入で首位デビューを果たした。他にも、1986年の映画 『きのうの夜は・・・』 を全員黒人でリメイクした『About Last Night』も初登場1位を飾り、興行収入は白人が主人公の他の映画を上回った。両作品とも今週もトップ10に入っている。

『それでも夜は明ける』の現在の興行収入は全世界で1.4億ドルを超えている。アフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンを描いた映画『42~世界を変えた男~(42)』は1億ドル、7人の大統領に仕えたホワイトハウスの黒人執事を描いた映画『大統領の執事の涙(Lee Daniels' The Butler)』は、1.5億ドル以上をたたき出している。それにも関わらず、「黒人映画は受けない」と、多くのハリウッドのメジャースタジオは製作費を出さない。ハリウッド映画でオリジナルストーリーが減ったのも、スタジオがリスクを一切取らなくなったのが理由だ。友人の映画製作者の話によると、これだけ黒人映画が成功し、アカデミー賞作品賞をはじめ数々の賞レースを制覇したにも関わらず、オスカー後の今も、黒人をテーマにした映画の脚本や企画には耳を貸してもらえないそうだ。

この不公平な固定概念は今後、変わるのだろうか?

Los Angeles Timesの調査によると、アカデミー賞の投票権を持つ約6000人のうち、94%は白人、77%が男性だそうだ。黒人は2%で、ラテン系は2%にも満たないそう。アジア人に至っては0.5%を切っている。平均年齢は63歳。50歳以下のメンバーは14%しかいないとか。今回のオスカーで作品賞を取ったのは、黒人の監督による黒人奴隷の映画だ。白人男性に支配されたアカデミー賞で、この作品が評価されて、本当によかったと思う。しかし、アカデミー賞の監督賞を取った黒人はいまだに存在しない。

昨年6月、1965年投票権法第4編に連邦最高裁の違憲判決が出た。1965年投票権法とは、マイノリティーへの差別ができないように州による選挙法制定を制限するもので、アメリカ史上もっとも成功した公民権法と言われる。それが廃止されることになった。この判決にオバマ大統領も「失望した」とコメントしたが、この判決の背景として強調されているのが、皮肉なことにオバマ大統領の存在。「黒人も大統領になれる時代。人種差別はもう過去のもので、特別措置は不要だ」という判決だった。

現代でも確実に存在する人種による差別と格差。この一連の出来事は、新しい時代の足音なのだろうか? 今回の『それでも夜は明ける』のオスカー受賞が、保守的なハリウッドに新しい風を吹きこむことになるのだろうか? すべての人の平等、差別のない社会の実現を願うばかりだ。

◆『それでも夜は明ける』は、本日3月7日(金)に日本公開です。
公式サイト http://yo-akeru.gaga.ne.jp/

vol.178 「表現者は"音"を追求しなくてはいけない」 by丸山雄一郎


3月のテーマ:音

日本語の"音"というものを意識したのはいつからだろう。編集者という仕事を選んでからは、原稿の"音"をかなり意識してきた。特に作家さんの原稿をチェックする時や、ちょっと笑えるような原稿を書かなくてはいけない時にはこの"音"を重視してきた。
"音"とは、リズムだ。どんなに内容がよい原稿でも、リズムが悪いと読者は読むのがつらくなる。プロ作家とアマチュア作家の原稿の差を「巧みなストーリー」や「表現の差」だと考える人は多いと思うが、実はこのリズムの差もかなり大きい。

表現者は言葉のリズムを重視している。俳人や詩人、映画やドラマの脚本家、TVのディレクター、CM監督、作詞家、新聞記者、編集者といった言葉を生業にしている人たち全てがそうしていると言っていい。彼らは自分が表現したい中味に徹底的にこだわりを持つ一方で、それを多くの人に伝える手段として言葉のリズムも重視しているのだ。だからこそ、私たちの心に残るような詞や映画が生まれ、CMのキャッチフレーズやドラマのセリフが世間の話題となる。ちょっと古くて恐縮だが(笑)、「じぇじぇじぇ」も「倍返しだ」もリズムがいいからこそ流行語になったと言える。

翻訳者さんの原稿も同じだ。僕が翻訳者さんから頂いた原稿のちょっとした点を直すのは、内容がどうのこうのというよりも、リズムの悪さを矯正するために直していることのほうが圧倒的に多い。

だからこのコラムを読んでくださった翻訳者さんや、翻訳者を目指している皆さんにはぜひ日本語のリズムを意識して欲しい。それはいい本や映画の字幕をたくさん自分の中に吸収することで、きっと培われてくるはずだ(ただし、じっくり読み、しっかり見るように。赤線を引く、メモを取るくらいのことが最低限必要だ)。

ちなみに僕が初めて"音"を意識したのは幼稚園の時だ。僕の年子の弟は「尚」(たかし)という。丸山家では代々男子に「雄」という文字を使う(僕もそうだ)のに、弟は尚。どうしてなのかと母に問いただしたところ、母は「音がいいと思ったから」と教えてくれた。「雄一郎」より「尚」のほうが確かに"音"がいい気がする。幼心にそう思った。僕が"音"にこだわるのはこんな経験があるからなのかもしれない。