映像翻訳|海外のテレビ番組や映画の映像翻訳を仕事にするための学校です。多くの修了生、受講生がドラマ、アニメーション、ドキュメンタリー番組など多方面で活躍しています。



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Vol.11
「ミスティック・リバー」
大人の分岐点――“闘う”か?それとも“逃げる”か?

by 中山美奈子

監督という肩書きがすっかり板についてきたクリント・イーストウッド。これまでのベスト作品と言えば、「許されざる者」(‘92)だろう。家族に幸せをもたらすため、二度としないと誓った殺しに手を染める男の話だ。イーストウッド自身が演じる悲しみを背負う主人公の姿が実にカッコイイ。人を殺す空しさを思いながらも、大切な人を守るために闘う男の怒りと心の葛藤を実に鮮やかに描き、アカデミー作品賞、監督賞に輝いた名作だ。
イーストウッドの最新作「ミスティック・リバー」。この作品でも同様に、“十字架を背負いつつも仲間のために闘う人間の強さ”が描かれている。主人公ジミーを演じるショーン・ペンと、その妻アナベスを演じるローラ・リニーが素晴らしい演技でそれを表現している。
しかし、もう一つの人間像が編み込まれているのが本作品の特徴だ。‘闘い守る生き方’の対極にある姿と言ってもいい。それは“十字架を背負うことから逃げ続ける人間の弱さ”であり、その果てに待ち受ける不幸な結末である。光と影、二つの異なる業に導かれた人間の生き様。本作が「許されざる者」を凌いで「イーストウッドの最高作」と評されるに至った理由の一つは、それを描き切った力量にある。

 ある日、ボストンの郊外で遊ぶ少年3人に、警官を装った誘拐犯が近寄って来る。いたずらを責め立てられ萎縮する少年たち。デイヴはその恐怖に耐え切れず、偽警官に命じられるがままに歩み出て、車に乗せられてしまう。それから4日間、デイヴは監禁され虐待を受け続けた・・・。
大人になった彼らが「車に乗ったのがもし自分だったら(自分でなかったら)・・・」と回想するシーンがある。確かにデイヴの‘運の無さ’に同情した観客は多いだろう。
しかし、それは必然だったとは考えられないだろうか。
幼いながらも直感的に危険を察知して踏みとどまったジミーとショーン。恐怖に負けて一歩足を踏み出してしまったデイヴ。大人になったデイヴ(ティム・ロビンス)は家族を持つようになっても、自我を確立することができない。妻セレステ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)も、類は友を呼ぶの言葉通り、常に目の前のトラブルを避け、恐れ続けている女性だ。前科者の烙印を押されながらも家族を守ろうと結束するジミーとその妻とは、あまりにも対照的である。

デイヴとセレステの心の闇。それがスクリーン上に浮かび上がってくる。常に何かに怯えたような2人の顔。それはモノクロームのスリラー映画で死の恐怖におののく主人公の歪んだ表情のようでもある。夫婦の恐怖心はやがて猜疑心となり、捻じ曲がった妄想となって、取り返しのつかない悲劇を招く。そんな緊迫感あふれる心象が、見事なまでに映像化されている。「許されざる者」で主席照明技師を務め、本作では撮影監督として指揮を取ったトム・スターンの功績であろう。
あまりにも息苦しく切ない彼らの生き様。それをイーストウッド本人の作曲によるテーマ曲がやさしく包み込む。この映像とBGMの妙に浸る感覚は、何事にも変え難い。それを求めて、公開から1週間が経たない間に2度も劇場に足を運んでしまったほどだ。ベストセラーとなった原作とは異なる、映画ならではの、否、イーストウッド作品ならではの魅力がそこにある。

犯人探しのミステリーとしても楽しめるが、ここでは善悪という価値観がまったく意味を持たない。“闘う”か“逃げる”か――。
すべての登場人物に、そして観る者にまで、この二者択一が突きつけられる。逃げることを選んだ人間を待ち受ける悲劇と、闘うことを選んだ人間が背負わなければならない十字架。それこそがこの映画の見どころだ。
いろいろな出来事からつい逃げがちになってしまう自分を戒めてくれるジミーの強さもいい。しかし、デイヴの惨めな生き様が深く静かなカタルシスをもたらしてくれることも、忘れてはならない。





小野暢子 Nobuko Ono

日本映像翻訳アカデミー 基礎コース修了生。現在は派遣社員。近い将来、実践コースに進学意向。
一介の映画好き。ライバル:おすぎ