人は死ぬとき21gだけ軽くなるという。つまりそれは魂の重さということだ。人が絶望した時に捕われる、「喪失」、「妄執」、「救済」、「憎悪」の念。胸のうちに渦巻くこれらの感情によって、魂はどのように彩られて行くのか、この映画は問いかけてくる。
「21g(原題「21 Grams」」の見所は2つある。1つは、映画の枠を飛び越えてしまったかのようなそのリアリティーだ。まるでフィクションとドキュメンタリーの中間で彷徨っているような、何とも言えない不安感が漂う。もう1つは‘遅咲きのスター3人組’の、極上の演技を見比べる喜びだ。それは「この作品で開花した」としか喩えようがない、見事なものである。
ストーリーは暗く、重い。
重度の心臓疾患で死を待つだけの大学教授ポール(ショーン・ペン)――彼の妻が子供を欲しがるのは、夫を愛するが故ではなく、やがて訪れる孤独を紛らわすためだけであることを、彼は見抜いている。
中流家庭の幸せな妻クリスティーナ(ナオミ・ワッツ)――彼女は現在の幸福の先にどのような落とし穴が待ち構えているのか、まだ知らない。
神の声を聞いて改心したという前科者ジャック(ベニチオ・デル・トロ)――彼はやがてその神自身によって裏切られることを、想像する術もない。
この3人の人生がある事故によって交錯したとき、悲劇が悲劇を呼び、彼らに絡みついた見えない糸は断ち切れないものになっていく。「アモーレス・ペロス(原題「Amores
Perros」99年作品)」で名を知らしめたメキシコ人監督のアルハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥは、カミソリの刃を敷き並べたようなカットバックと、ハンディ・カメラによる視覚効果を駆使し、徹底的にリアリティーを追及した。これによって観る者は「何が起こっているのか」という興味と息つく間もない緊迫感を、最後まで持続せざるを得ない。
俳優陣の演技は圧巻だ。絶望ゆえに堕ちて行くクリスティーナを演じるナオミ・ワッツは、これまでの作品の印象とは異なり、まるで美しく撮られることを拒否するかのような凄絶な演技を見せる。ラブ・シーンでさえ痛々しく、ただ哀しさだけが募るのだ。ベニチオ・デル・トロは神によって再生し、神によって裁かれる哀れな犯罪者の姿を見事に体現した。「トラフィック(原題「Traffic」2000年作品)」の頃より、役者としてもひと回り大きくなって戻ってきた感がある。うつろな目でさすらうその姿は、観る者をただただ圧倒する。
そしてショーン・ペン。現在のペン無くしてアメリカ映画は語れない。トム・ハンクス、ロバート・デ・ニーロ、エドワード・ノートン――名立たる名優をもってしても、心臓疾患で死にかけている主人公の生き様を、ペン以上に演じられるとは思えないのだ。演技の上手さや器用さだけではなく、鬼気迫るリアリティーの表出とでも言おうか、そのレベルが決定的に違う。
10年に及ぶ下積みを経験したナオミ・ワッツ、「マイアミ・バイス(原題「Miami
Vice」/84〜86年の人気TVドラマ)」のチョイ役からスタートしたベニチオ・デル・トロ、ハリウッドでは不当とも言える過小評価を受け続けてきたショーン・ペン。彼ら‘遅咲きのスター3人組’が揃って今年度のアカデミー賞のノミネートを受けたことを、心から祝福したい。(註:ペンは本作品ではなく「ミスティック・リバー(原題「Mystic
River」03年作品)」で主演男優賞にノミネートされている)
21gは絶望の重さなのか、希望の重さなのか。それを決めるのは観る者の感性次第だろう。
いずれにしても、本作を観終わったとき、貴方の‘21g’が揺すぶられることだけは
間違いない。(了)
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米国・ヒューストン在住の映画コラムニスト・土橋秀一郎氏の「テキサス映画通信は、http://www.jvtacademy.com/dobashi/
で読むことができます。日本公開前の話題作をいち早く紹介し、評論しています。
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