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Mr.DOBASHI no テキサス映画通信

”Houston, we have a problem!(30)

Dobashi Shuichiro 土橋 秀一郎


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観てきました、ダーティー・ハリー。じゃなくてハリー・ポッター。初日夜7時の前売り券を1週間前に家族4人分買って、当日は1時間半前に駆けつけたら前から40人目くらい。楽勝でした。魔法使いの仮装姿および額にイナズマ型の傷痕を描いている人若干名、キャラクターのTシャツ姿、キャップを被っている人多数。30あるスクリーンの内、5つを使って約30分おきに上映していた。前売券が記録的に売れたとのことで、館内は混んでいるのにボックスオフィスはがらがらという不思議な光景。ひょっとしたら「タイタニック」の世界興業記録を塗り替えてしまうような気さえしてきた。家族全員満足して帰ってくると、ヒューストンでは10時半からやっている「JeyLeno」でさっそく映画のパロディーが始まった。ハリーがホグワーツからの手紙を胡散臭そうに見回しながら、「Anthrax(炭疽菌)は大丈夫かなあ」なんて言っている。やっぱりこの国は面白い。という訳で、記念すべき第30回は、「Harry Potter and the Sorcerer'sStone」の特別レヴューだ。

「Harry Potter and the Sorcerer's Stone」 A-

監督 :クリス・コロンバス
脚色 :スティーヴ・クローブス
音楽 :ジョン・ウィリアムズ

(出演)
ハリー :ダニエル・ラドクリフ
ロン :ルパート・グリント
ハーマイオニー :エマ・ワトスン
ダンブルドア :リチャード・ハリス
ハグリッド :ロビー・コルトレーン
スネイプ :アラン・リックマン
マクゴナガル :マギー・スミス
ほとんど首なしニック :ジョン・クリーズ

世界中の子供たちをビデオゲームから引き離して読書に熱中させるという、かつて誰もできなかった偉業を成し遂げたハリー・ポッター・シリーズ。その映画化第1作は楽しくて、エキサイティングで、心暖まり、映画本来の楽しみをべて兼ね揃えた好編に仕上がった。原作を読んでいる人なら誰でもハリー、ロン、ハーマイオニーの3人と一緒に彼らの初めての大冒険を楽しみながら、クイディッチのスピード感、巨大なウィザーズチェスの臨場感、フラッフィーとトロールの迫力に圧倒される。2時間32分という上映時間の長さも、うちの子供たちはまったく苦にならなかったようで、「あっという間に終わっちゃった」と言っていた。これはおそらくこの映画に対する最高の讃辞だろう。すでにシリーズ第2作「Harry Potter and the Chamber of Secrets」の撮影も始まっているというし、大人にも子供にも楽しみなシリーズがひとつ増えたのが嬉しい。

ハリー役のダニエル・ラドクリフは素人っぽくて少しイメージより太目だが、イノセントで正義感の強い感じは良く出ている。ハーマイオニー役のエマ・ワトスンは一番原作に近く頭脳明晰、キュートで小生意気だ。ロンを演じるルパート・グリントは子役の中では断トツで演技力があり、そのためか原作よりも活躍している感じがする。またホグワーツのユニークな教授陣に扮して作品を支えるのはイギリスの名優たちだ。ダンブルドアを演ずるリチャード・ハリス(「許されざる者」、「グラディエーター」)は、「金はあるし、続編のある作品に出て縛られたくない」といって当初は出演を拒否していたが、孫娘に「出演しないと一生口をきかない」と脅されて渋々出演を引き受けたという。
この魔法の達人である校長役には、アンソニー・ホプキンスを除けばハリスが一番の適役と言える。スネイプは原作を読んでいる時からイメージしていたアラン・リックマン(「ダイ・ハード」、「ロビン・フッド」)その人で、ちょっと他には考えられない。原作通り空からオートバイに乗って豪快に登場するロビー・コルトレーンのハグリッド、マギー・スミスのマクゴナガルもはまり役だ。いずれにしても、全体的には誰が観てもそうイメージとの違和感は感じないだろう。

さて、現在第4巻まで出版されているJ・K・ローリングによる原作だが、この手の小説としてはリチャード・アダムズの「ウォーターシップダウンのうさぎたち」、ポール・ギャリコの「本物の魔法使い」や「ジェニー」、あるいは斉藤惇夫の「冒険者たち」と肩を並べる面白さなのだが(これらの作品もぜひ読み比べて欲しい)、世界中で社会現象になるほどの大ヒットとなった最大の理由は、「学園もの」としての魅力だろう。この人は筆が立つだけでなく抜群に頭がいい。魔法使いだけの学校という設定は多彩な人物設定、主人公たちの行動力の飛躍的な広がり、さらにシリーズ化に耐えられるだけの物語の発展性を可能にした。また3人のメインキャラクターがいることにより、子供たちは好みの1人を選びながら感情移入できる(「私はハリーより渋めのロンが好き」とか)。また、ストーリーテリングだけでなく、優れた推理小説的なセンスもローリングの大きな才能だ。例えば本作におけるクイディッチ場面でのスネイプの不審な行動は優れたミスディレクションになっているし、最後にダンブルドアが解き明かす「賢者の石」がハリーの手に渡った理由付けも、説得力があるので読者は「ずるい」とは考えない(アシモフのSFミステリーのようだ)。それゆえこのシリーズは大人の鑑賞にも充分堪えうるレベルになり、同時に子供の頃の友人や小さな冒険を思い出して、ちょっと感傷的になったりもする。

監督のクリス・コロンバス(「ホーム・アローン」、「ミセス・ダウト」)がテレビのインタビューで、「本当に優れた小説には映画はかなわない。だから原作に忠実に映像化することだけを考えた」と語っていた。また彼はラッシュの一部を自分の子供に見せて原作のイメージと違っていないか確かめたという。この「優れた小説に映画はかなわない」というくだりは全く同感で、このひと言ですっかりこの監督を見直した(「ナバロンの要塞」や「マルタの鷹」を引き合いに出すまでもなく、これは真理なのだ)。だから脚色も含めてこの作品全体は原作の忠実な映像的コピーになっている。「映画としてのハートがない」という評価もあるようだが、本作に関しては映画は原作のヴィジュアル面での補完として捉えるべきで、コロンバスのアプローチは正しい。むしろ余計なことをしてくれなくて良かったと言いたい。とりあえずハリー・ポッター・シリーズ第1作は、原作を読み、この映画を観終わった時に初めて完遂する(多分子供たちはもう1回原作を読み直すことだろうが)。何と贅沢な。だからファンはこの贅沢さを楽しまない手はないのである。
(オフィシャルサイト: http://harrypotter.warnerbros.com