第7回 : 愛に溺れた老作曲家の運命
マーラーの交響曲第五番第4楽章の旋律と共に映画は始まる。タイトルロールの背景には夜の闇に沈む、凪いだ海が映っている。時と共に、その色は夜明け前独特のくすんだピンクに変化していき、その上を滑るように進む一艘の客船が現れる。
そこには初老のドイツ人作曲家、グスタフ・アッシェンバッハ教授(ダーク・ボガード)が乗船している。
彼は持病と作曲・公演活動によって疲弊しきった心身を癒すために、夏のベニスにやってきたのだが…
この冒頭のシーンを目にした瞬間から私たちは監督の術中に陥る。
私たちの目に染み込んでくる、色とそのトーン、明と暗。それらの量と配置がスクリーン上で絶妙のバランスを保っている。1910年代のベニスとはおそらくこういう世界だったのだろう。
特にホテルの宿泊客である貴族たちがアペリティフ(食前酒)を楽しんでいるシーンは圧巻である。花瓶と花、電気スタンドの傘、家具、色鮮やかな女性のドレスと帽子、女性たちを引き立てるために存在するがごとき男たちの黒い燕尾服。食事の度の完璧な正装。全くため息しか出てこない。
■ 禁断の愛に没入する姿は、美しいか?醜いか?
老教授は、ポーランド貴族の少年タジオ(ビョルン・アンドレセン)と出会い一目で心を奪われて愛してしまう。ここから懊悩と煩悶の日々が始まる。
教授はタジオを目で追い、それに飽き足らず尾行めいたことまでする。だがそれ以上のことはしない。一定の距離を置き、存在を誇示することもなく話しかけることもない。
タジオもまた微妙な態度をとる。あたかも教授の気持ちを見透かしているかのように、時折無表情な視線を投げかける。
互いの存在を目だけで確認する日々。
ある夜、タジオは初めて教授にほんの微かにだがほほ笑んだ。教授は当惑し、心の中で叫ぶ。
「そんなほほ笑みを他人に見せてはいけない。君を愛している」
教授は特別な人間ではなかった。むしろ、自己を律することができる、地位も名誉もある紳士だった。しかし、恋に落ちた人間の行動は、古今東西、老若男女を問わず、悲しく滑稽で純粋、そのうえ傲慢で浅はかである。
ベニスの町ではひとつの恐ろしい事実が静かに進行していた。コレラの蔓延である。しかし、教授はタジオの姿を求めて、ベニスの町を徘徊する。
海水浴場で友人たちと戯れるタジオ。
折りたたみ椅子に座り、それを眺めている教授。
ただし、タジオに愛されようと若作りをし、化粧まで施した惨めな“紳士”の姿で。病気による大量の汗のために化粧は崩れ、口紅ははげ落ち、髪の染料が汗で溶け出して一筋の黒い線となり頬まで流れ出ている。タジオはそんな教授に気づいている。
そして…。
この作品のラストシーンを、「美しい」という人もいれば、「醜悪」という人もいる。何も感じないという人もいるかもしれない。
ただひとつ言えるのは、この作品が単に同性愛を賛美するものではなく、人生の酸いも甘いも知り尽くした威厳ある老人ですら一瞬のうちに恋に落ちることがあること。そして、愛の対象がたまたま少年であっても、なんの不思議もないという真実だ。
ビスコンティが描き出したのは、愛それ自体が持つ多様な側面の一部に過ぎない。しかしその表現手法は、おそろしく丁寧かつ繊細で優美である。『ベニスに死す』が巻き起こす波動は、時代を超えて観る者の胸に届くはずだ。
| 参考資料: |
光文社古典新訳文庫 |
「ヴェネツィアに死す」原作 トーマス・マン 翻訳 岸 美光 |
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DVD |
「ベニスに死す」(1971年 イタリア/フランス) |
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「マーラー」(1974年 イギリス 監督ケン・ラッセル) |
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