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■第1回 日本男子バレー 現在・過去・未来 |
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日本の女子バレーは昨年あたりからみるみる脚光を浴びるようになり、世間の注目を集めています。それは昨年の夏、2大会ぶりのオリンピック出場権を獲得し、アテネに行った効果が大きいようです。アテネ五輪では残念ながらメダルを逃したものの、全日本女子は着実に力を付け、世界ランキングの階段をのぼっています。その後、テレビでも女子バレーは扱われることが多くなり、この夏開催された国際試合「ワールドグランプリ2005」も民放テレビのゴールデンタイムに連日放送されました。女子バレーは面白い、強い、そしてきれい!という印象を持った方も多いのではないでしょうか?柳本監督によって蘇った女子バレーのナショナルチームにとっては、3年後の北京では、もはや「オリンピックに出る」ことが目的ではなく「メダルをねらう」ことが目標として一層現実味を帯びてきました。
では、男子バレーの調子はどうでしょうか?昨年、アテネ行きを逃し、とうとう3大会連続でオリンピックに行けなかった全日本男子バレーボール・チーム。2005年1月15日現在では世界ランキングは17位。そう聞くとそれほど下でないような気がしてきますが、国際試合の結果で与えられた獲得ポイントから見ると上位チームとは圧倒的な差があります。日本は23.5ポイントですが、1位のブラジルは252ポイント、2位のイタリアは206ポイント、3位のセルビア・モンテネグロは151.5ポイント、、、。歴然たる差です。
巷の人にバレーボールのことを話題にしても「そういえば女子ってすごいよね」という反応が圧倒的。男子のことは忘れられているようです。では、日本の男子バレーはもともとそんなに忘れられてしまうほど弱かったのでしょうか?とんでもない!昔はものすごく強かったんです。では、簡単に日本男子バレーの歴史を振り返ってみましょう。オリンピックにバレーボールが競技種目として加えられたのは、1964年の東京オリンピックからでした。そしてこの記念すべきホームでの大会で、日本(男子)は3位、銅メダルを獲得したのです。以降、日本バレーは常に世界の上位に君臨します。そして、栄(は)えある金メダルは1972年のミュンヘン・オリンピックで獲得しました。
名将、松平康隆氏(全日本男子コーチとして東京五輪で銅メダルを獲得後、監督に就任。「8年計画」をうち立て、ミュンヘン五輪で予告通りに金メダルを獲得)が1970年代に書いた「バレーボール」という本を読むと、黄金時代の当時の日本の様子がよくわかります。そこからは、当時の世界をリードしている立場の国である日本が高みから世界各国のバレーを見下ろしている感じがしました。しかし、1980年代の半ばくらいから段々と国際大会においてメダルから遠のいていきます。
そして現在。
今年の夏開催された、賞金総額1,340万ドルをかけて戦われた男子バレーの国際大会、「ワールドリーグ2005」。今年で第16回を迎えるこの大会には、日本を含め世界のトップチームが参加しました。ゲームはホーム・アンド・アウェイ方式で、世界中で行なわれます。全日本男子メンバーも、毎週のように日本とヨーロッパや南米各国を行ったり来たりしながら、強豪相手に試合を繰り広げました。そして、試合結果は12戦中、日本の白星はたったの2つ。昨年のワールドリーグでは全敗していたため、オリンピック予選後再編成された全日本男子チームそして新たに男子バレーの復活請負人として就任した植田辰哉監督にとって、この夏念願の初勝利だったわけです。
昨年アテネ行きを逃して以来、男子バレーファンにとってはもどかしい結果ばかりが続いていました。私は東京で行なわれる国際試合は生で観戦し、それ以外はほぼ全戦をケーブルテレビ等で録画して観戦してきましたが、応援している彼らが負け続けると、こちらもその度に落ち込み、どっと疲れました。それだけに、新たな全日本男子チームの2年目での初勝利の瞬間には、こみあげてくるものがありました。記念すべき勝利を飾ったのは、奇しくも東京で行なわれた大会最後のポルトガルとの2試合。全日本男子の本領がようやく発揮され、若手もベテランも一体感が出てきたところに、3年後の北京に向けてやっとひとすじの希望の光が見えてきたのです。
次回は、そんな全日本男子チーム・メンバーの横顔に迫りつつ、バレーボールのリーグ Vリーグについてご紹介します。
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