銀幕の彼方に

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第13回 『猿の惑星』(1968年)

Text by 村岡宏一(Koichi Muraoka)

映像翻訳本科「実践コース」を2008年3月に終了。在学時は北海道・札幌市から毎週土曜日"飛行機通学"であった。当年とって55歳。映画、特に人生に大きな影響を与えてくれた、60年代終盤から70年代にかけての「アメリカン・ニューシネマ」をこよなく愛す。

     


【作品解説】 本年4月5日に83歳で亡くなった俳優チャールトン・へストン主演のSF娯楽大作です。今となっては信じ難いことなのですが、当時SF映画は映画のジャンルの中で一段低く見られており、大物俳優のヘストンがSF映画に出演すること自体が話題に上るほどでした。この映画を実際にご覧になっていなくても「タイトルだけは知っている」という方は多いのではないでしょうか。大胆な展開とユニークな内容で日本でも当時大ヒットし、この後シリーズ化され第5作まで製作されましたが、やはり、第1作が抜きん出ているように思われます。
第41回アカデミー賞では、見事な類人猿のメイクアップに対して、担当したジョン・チェンバースに名誉賞が授与されています。他に作曲賞と衣装デザイン賞にもノミネートされました。
映画は、地球へ帰還の途についている宇宙船の操縦席に座り、眼前に広がる漆黒の宇宙空間を見つめているテイラー船長(チャールトン・へストン)の独白から始まります。彼は半年前に旅立った地球へと思いを馳せます。船内の人間にとっては半年間でも、相対性理論により、地球上では700年の時が経過しているのです。
やや感傷的なモノローグの後、彼も他の乗組員と同様に人工冬眠状態に入ります。そして船内時間でさらに半年が経過したとき、宇宙船は自動操縦装置の故障により、ある惑星に不時着しました。そこで彼らが目にしたのは、馬に乗り、銃を操り、そして言葉を話す猿の群れだったのです。


国民的アイドルのコンサートと「猿の惑星」

「村岡さん、3日の夜ヒマ?」

休憩室で食事を取っていると、同僚のTさんが話しかけてきた。
私よりかなり若いバイタリティあふれる女性である。

「札幌ドームのコンサートなんだけど一人ドタキャンなのよ。
半額でいいからさ」

そのコンサートってまさか...。
Tさんは自他共に認めるあの国民的グループの熱狂的かつ筋金入りのファンなのである。私も本人から話を聞いているし、最近ちょくちょく仕事を休んでいたのも、名古屋を除く全国のドーム球場にオッカケで行っていたからだ。
念のため聞くと

「そうよ、2008年のSMAPファイナル。『FNS歌謡祭』の中継が入るかもしれない」

「アイドルのコンサートに、私の年齢で行くのも...」と、一瞬たじろぐ。

「大丈夫よ、80過ぎのおじいちゃんも来てるから...」、そうか、と妙に納得。

「たまにはこういうのもいいんじゃない?楽しいわよ」

今をときめくスーパーアイドルのコンサートとはいかなるものか、
野次馬根性が頭をもたげてきた。

「わかりました。18時半からですね、行きますよ」そう言って、チケットを預かった。


そして、コンサート当日、地下鉄さっぽろ駅から札幌ドームのある東豊線福住(ふくずみ)駅に向かった。さっぽろ駅からすでに大混雑だ。東京の朝じゃあるまいし、車内で身動きが取れないなんて普段では考えられない。福住手前の各駅で止まるごとに「すいません!降ります!(道を)空けてください!」と大声が上がり、何人かがぱらぱらと降りる。それでもほぼすし詰め状態のところに、今度はそれを上回る人間が各入口から後ろ向きで強引に乗り込む。外にはじき出されないよう両手をドアの上部に引っ掛け踏ん張っていると、その鼻先をかすめるようにしてドアが閉まる。乗り切れない人がまだずらっとホームに並んで次の電車を待っている。

終着の福住駅に着いた。電車からどっと人が吐き出され一つの方向に自然と流れていく。駅員が拡声器で、事前に帰りの切符を購入するようにと喚いている。通路の両側には「チケット買います」、もしくは「売ります」と書いた紙を持って人の流れに注視している人たち(ほとんど女性)がずらっと並んでいる。今ドームへ歩いている人たちを含め、あらゆる方向からそれぞれのアクセス手段で、定刻18:30に集結しようとしている人間たち、その数、約5万人である。そのエネルギーが会場でどう発散されるのか。徐々に気分が高揚してきた......。

今、時刻は22時30分。正直かなり疲れた。

SMAPの5人は、定刻どおりにステージに現れ、4時間ものパフォーマンスを演じきった。30近い曲数を歌い、踊り、楽器を演奏し、走り回り、その間クレーンに乗り、テレビ中継をこなし、聴衆と対話したのである。その体力と集中力には驚かされる。
彼らを引き立てるためのミュージシャン、ダンサー、音響、照明、演出、マルチスクリーンの映像など、恐らく今日では最高のステージ技術の集大成を、私たち観客が目にしたのは間違いない。しかもそれらが綿密にタイムテーブルに乗せられて、寸分違わぬタイミングで矢継ぎ早に展開されたのだ。「サプライズとイリュージョンが巧みに絡み合うミュージカルパフォーマンス」と言えるかもしれない。そしてそのパフォーマンスを、聴衆がSMAPと一体になることでさらに盛り上げていく。ペンライトは必需品のようだ。最近の製品はライトの部分が大きくなっており、色が青とピンクと交互に変化する。数万個のそれがドーム全体の闇の中で音楽に合わせ揺れる様子は圧巻である。

コンサートステージへの印象というものは、人によってまちまちであろう。私にとってこの4時間は、現在の大型ステージの演出とその効果がどのようなものであるかを知るという点で、大いに参考になった。ステージ上で繰り広げられるのは、聴衆を引きつけ続けるための刺激とサプライズの連続であり、5人それぞれの人となりと個性にそれらがちりばめられていた。

技術はパフォーマンスをバックアップするスパイス役である――。
スパイスは決して前に出すぎてはいけない――。

今よりスパイス(技術)の種類も限られ、品質も劣っていた40年前に作られたのが本作「猿の惑星」である。コンピューターによる映像処理技術はまだまだ拙劣で、パソコンなども当然なかった。予算も少なく、当初「猿の文明は人間より発達していた」という設定だったが、未来都市を組み上げる建設費がなく、時代感覚が希薄で造作しやすい設定にしたそうである。

それが理由でこの映画の面白さや価値が減ぜられたかといえば、否だ。原作の面白さを十分に汲み取った脚本と俳優陣の確かな演技力、それにスタッフ陣の創意と工夫(特にメイク・アップ)が結実し、見事な異世界空間とドラマを創り上げた。

適度な間とテンポと静寂があり、視聴者は想像を働かせながら見ることができる。テンポ感は近頃の映画に比べればかなりゆっくりだが、映画の本質とは関係がないから今の私たちでも受け止められる。きちんと人間の表現ができていて、ストーリーにリアリティーが含まれているから、テンポなど関係ない。自ずと後世に残っていくであろう、名作であることに間違いはない。
映画と生きる人間とは、かくも滑稽である。ファンならずとも垂涎のチケットを手にし、国民的アイドルのコンサートに身を置いても、こんなことを考えずにはいられないのだ。


●第19回よみうりほっと茶論(サロン)

11月17日札幌市の読売北海道ビルで「映画が面白い」をテーマに、「第19回よみうりほっと茶論(サロン)」が開かれた。
札幌市の市民出資型ミニシアター、「シアターキノ」代表、中島洋さん、苫小牧市の「シネマトーラス」代表、堀岡勇さんが今の日本映画への思いを語るとともに、コミュニティーシネマ活動の現状を紹介した。
12月3日付の「読売新聞北海道特集」に記事が組まれ、その中に、シアターキノが誕生して16年の間に上映された作品の中から、観客が選んだ「ベスト16」が載っていたので紹介しよう。紛れもなく良質で、作り手の思いがあふれている映画ばかりである。機会があれば是非ご覧いただきたい。
中島さんは「自分と異なる価値観を味わったほうが楽しい」とおっしゃり、堀岡さんが大切にしているのは「見た人の満足度」だと言う。私も同感である。ちなみに私はこのなかで6本鑑賞している。その感想などはまた別の機会に...。

1. 誰も知らない (2004年 日本)
2. かもめ食堂 (2006年 日本)
3. ゆれる (2006年 日本)
4. アメリ (2001年 フランス)
5. フラガール (2006年 日本)
6. 善き人のためのソナタ (2006年 ドイツ)
7. キサラギ (2007年 日本)
8. バッファロー'66 (1998年 米国)
9. 花様年華 (2000年 香港)
10. 麦の穂をゆらす風 (2006年 アイルランド・英国ほか)
11. 八月のクリスマス (1998年 韓国)
12. 輝ける青春 (2003年 イタリア)
13. トーク・トゥ・ハー (2002年 スペイン)
14. ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ (1999年 ドイツ・米国・フランス・キューバ)
15. ワンダフルライフ (1999年 日本)
16. オール・アバウト・マイ・マザー (1999年 スペイン)