銀幕の彼方に

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2008年5月 アーカイブ

第9回 『冷血』(1967年)と『カポーティ』(2005年)


Text by 村岡宏一(Koichi Muraoka)

映像翻訳本科「実践コース」を2008年3月に終了。在学時は北海道・札幌市から毎週土曜日"飛行機通学"であった。当年とって54歳。映画、特に人生に大きな影響を与えてくれた、60年代終盤から70年代にかけての「アメリカン・ニューシネマ」をこよなく愛す。


【作品解説】 「冷血」」(1967年)は「ティファニーで朝食を」の著者としても知られる小説家トルーマン・カポーティによる同タイトルの小説を映画化したものです。小説自体も1959年11月15日カンザス州ホルコムで起きた一家4人の惨殺事件を丹念にレポートし、"ノンフィクション・ノベル"と呼ばれる新しいジャンルを切り拓いた記念碑的作品です。
1967年のアカデミー賞では監督賞をはじめ4部門にノミネートされました。 「カポーティ」(2005年)は、その殺人事件の発生から小説「冷血」を上梓するまでを描いたカポーティの自伝的映画です。主役を演じたフィリップ・シーモア・ホフマンは2005年度アカデミー賞の主演男優賞を獲得、その他4部門にもノミネートされました。今回の執筆にあたり、DVD「カポーティ&冷血マスターピースコレクション<初回限定生産>」(2007/03/16発売:ソニーピクチャーズ)を参考にしました。
鑑賞順序は、「冷血」→「カポーティ」→小説「冷血」がお勧めです。共通する登場人物の演技などを比較番組が流れている。政治、経済をはじめとしていくつかの話題がコンパクトにまとめらするとより楽しめます。特に実在の犯人ペリー・スミスを演じた2人の男優に注目して下さい。


殺人者の心の闇に、踏み込んだ男


仕事を終えてマンションの我が家に帰ると、まずリモコンでテレビのスイッチを入れる。主電源の赤が緑に変わると、ブラウン管テレビの本体から返事のような「チャッ、プッ」というかすかな音がする。

四角い枠の中に映像がふっと現れ、同時に左右の小さいスピーカーから申し訳程度にステレオ式で音声が供給される。(オツカレサマー)と心の中でつぶやきながら、部屋着に着替え、お茶の用意をしてテレビの前に陣取る。気持ちの張りが少しほどける。

NHKの夜9時からのニュースれ、手際よく紹介される。

それが殺人事件であっても、だ。確認された事実が淡々と放送される。動機、経過、容疑者と被害者の関係、そして現場付近の映像、容疑者の顔写真などである。視聴者に大まかな事実を確認させ、概ね納得したであろうあたりの絶妙なタイミングで、ニュースは次の話題に移る。

こうしてほとんどの殺人事件は、「人の命が奪われる」という被害者やその関係者にとってはこれ以上ない重大な出来事にもかかわらず、いとも簡単に忘れ去られてく。

加害者はどうか。

同じように忘却できる鬼畜のごとき人間か、それとも償いの人生しか残らないことをわかっていて、人を殺すのか。真に理解したいのなら自分が殺人犯になるしかないが、それは無理な話である。

しかし今から40年ほど前、小説を通じて殺人者の心をリアルに追体験させることに成功した作家がいた。トルーマン・カポーティである。

1955年11月15日、カンザス州ホルコムの銃撃による一家4人惨殺事件を新聞で目にした瞬間、カポーティは「それまで誰も書き得なかった小説」のインスピレーションを得た。彼はホルコムに飛び、事件の関係者に対して綿密に、丹念に、悪く言えば執拗な取材を始める。

やがて犯人が逮捕された。二人組であった。裁判で二人は死刑評決を受けるが上告する。その過程でカポーティは賄賂まで使って犯人との面会許可を得ている。

人を殺す人間とはいったいどのような人間なのか、なぜ殺す気持ちになったのか、引き金を引く瞬間犯人は何を考えたのか。冷静に、あらゆる角度から犯人だけの心のうちにある真実を暴いていく。すると、カポーティと犯人の一人であるペリー・スミスと間に、奇妙な友情が芽生え始める......。

フィクションにせよノンフィクションにせよ、"傑作"と呼ばれる作品には既成の概念や方法論を打ち破る何かがある。カポーティにとってのそれは、ペリー・スミスとの信頼関係の構築であった。

殺人現場にいたのは6人であり、4人は撃たれて死に、一人は単なる共犯であった。この猟奇的殺人事件の実行犯は世界中でペリー・スミスただ一人なのである。彼がすべてであった。

こうして、武器を持たない二人の心理戦が始まった。カポーティは己の作品のために、ペリー・スミスは自分の命を一日でも長く延ばすために。

カポーティは小説「冷血」を書き上げることに文字通り心血を注ぎこむ。前述したように、法を犯すことも辞さないほど、その仕事に彼は人生を賭した。

真の作家とは、作品の完成と引き換えに悪魔に自分の魂を売ることさえも厭わない人間なのだ。

事件発生から5年を経た1965年、ついに上梓され「冷血」は世界を震撼させた。彼の名声は一気に高まり、その前途は洋洋としているかに見えた。

しかしカポーティはこの「冷血」以降、未完成の「叶えられた祈り」を除き、長編小説を発表していない。

ジョージ・プリンプトンの著書「トルーマン・カポーティ」(野中邦子訳)のなかで、作家ジョン・ノウルズはこう語っている。「あの(「冷血」の)あと、彼は情熱を失ってしまったんだと思う。それまでの彼はとても努力家だった。私の会った中でも最も勤勉な作家だった。しかし、あれ以後、張りつめていた緊張が切れてしまった。突き動かすものが消えてしまった。こうして、崩れていったんだ」。

1984年8月25日、カポーティはドラッグやアルコールの依存症が原因とされる心臓発作により、L.A.の友人宅でこの世を去った。

ペリー・スミスはどうか。「冷血」が上梓された1965年、最高裁は上告を棄却して死刑が確定した。カポーティは彼の処刑に立ち会っている。

彼の目前でペリーは絶命した。絞首刑であった。

今日もまた、テレビのニュースが殺人事件を伝えている。しかし、私たちが茶の間で目撃する事件は、あくまで四角形に切り取られた偽りの世界である。

容疑者の顔写真がアップで映し出された。その表情の裏には、想像を絶するような深い闇の世界が存在することを忘れるな――。「カポーティ」は、そう語りかけてくる作品である。