銀幕の彼方に

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2009年2月 アーカイブ

第14回 『ハリーとトント』(1974年)

Text by 村岡宏一(Koichi Muraoka)

映像翻訳本科「実践コース」を2008年3月に終了。在学時は北海道・札幌市から毎週土曜日"飛行機通学"であった。当年とって55歳。映画、特に人生に大きな影響を与えてくれた、60年代終盤から70年代にかけての「アメリカン・ニューシネマ」をこよなく愛す。


【作品解説】 「ハリーとトント」(1974年)――ポール・マザースキー監督によるロードムービーの傑作です。第47回アカデミー賞の主演男優賞はこの映画で主役のハリーを演じたアート・カーニーに贈られました。「トント」は映画の中でハリーが飼っていた猫の名前です。 アート・カーニーをご存知ない方もこの回にノミネートされた錚々たる俳優の名前をご覧いただければ、彼の演技力がどれほどのものかご理解いただけると思います。ダスティン・ホフマン(「レニー・ブルース」)、ジャック・ニコルソン(「チャイナタウン」)、アル・パチーノ(「ゴッドファーザーPARTⅡ」)、アルバート・フィニー(「オリエント急行殺人事件」)らを抑えて、地味な老人役(当時56歳)を演じた彼が受賞したのです。 私たちにはどのような選考過程を経て受賞者が決められるのか知る由もありませんが、オスカーがオスカーたる所以はこのあたりにあるのかもしれません。

物語はハリーが教師の仕事を定年退職したあと、愛猫トントとニューヨークで一人暮らしをしているところから始まります。ところが住んでいるアパートが取り壊され跡地が駐車場になることが決まり、立ち退きを余儀なくされます。ハリーはトントと共に長男の家に引き取られますが、やがて長男の嫁との折り合いが悪くなります。ハリーは長女の住むシカゴに立ち寄り、次男の住むロサンゼルスを目指して旅立つことを決めます。旅の途中でさまざまの人との出会いと別れがあり、やっと次男に巡り会えたのですが・・・



明日への希望がある限り

バラク・H・オバマ氏が、第44代アメリカ合衆国の大統領に就任した。20分弱に及ぶ就任演説草稿に目を通してみると、現在アメリカが抱えている問題が見事に浮き彫りとなっている。100年に一度と言われる不況による倒産、失業、貧富の格差、市場の混乱、環境破壊と地球温暖化、エネルギー問題、イラクやアフガニスタンでの戦闘状態などを取り上げ、それらの解決に向けての大まかな方向性を示している。
その背景にあるのは数多くの困難を克服した先人たちが築き上げたアメリカの歴史であり、過去から連綿と引き継がれているアメリカ国民としてのあり方である。

国内に存する多様性(our patchwork heritage)を強みとし、この日に集った国民に対し、我々は恐れではなく希望を選んだ(we have chosen hope over fear)とその決断を認識させ、立ち上がり、ほこりを掃い、アメリカ再建の仕事に取りかからねばならない(we must pick ourselves up, dust ourselves off, and begin again the work of remaking America.)と強く呼びかけている。
歴代の大統領就任時を見たとき、就任時に世情の混迷が極まっているという点において、オバマ大統領は間違いなく上位にランクされるだろう。

実はこの映画が作られた頃も世界は不況の只中にあった。73年10月には第4次中東戦争が勃発し、OPEC(石油輸出国機構)が原油価格を21%引き揚げ、74年1月にはさらに2倍に引き揚げた。いわゆる第一次オイルショックだ。石油依存度の高かった先進諸国は、瞬く間にインフレーションの荒波に飲み込まれてしまった。

アメリカはベトナム戦争の過剰な戦費の支出で国力が衰退し疲弊しきっていた。
ハリーの住んでいたニューヨーク市は、70年代、恐らく世界の主要都市としては最も悪名高き街であった。治安は最悪で強盗殺人の発生件数は世界トップクラス、今では考えられないがタイムズスクエアでは風俗店が軒を連ね、昼間から営業していた。黒人以外は昼間でも「地下鉄には乗らないように」といわれた時代だった。

時とともに彼の生まれた街、ニューヨークは変わっていった。その変化を目にしつつハリーは老いていった。彼の口ずさむ歌の数々は、第二次大戦前のブロードウェイを飾ったミュージカルナンバーだ。そのメロディーを愛猫のトントに聞かせるとき、彼の目に映る景色は彼だけのニューヨークになる...。亡くなった妻のアニーも、そんな彼に微笑みかけていたに違いない。

しかしハリーは誰よりも知っていたはずだ。自分は今、生きているという事実を。そして生きていることとは苦しみや楽しみを含むあらゆる出来事をそのまま受け止め、しっかりと前を向き、力強く歩み続けることなのだと。

90年代に入ると、ルドルフ・ジュリアーニ市長の登場により、ニューヨークは劇的に変わった。割れ窓理論という言葉をご存知だろうか。建物の窓が壊れているのを放置すると、それは悪い連中に「誰も注意を払っていない」と理解される。すると他の窓も全て壊される。窓が全て破壊されたエリアでは、それが「誰も当該地域に対して関心を払っていない」というサインとなり、犯罪が発生しやすくなる。ジュリアーニはこの理論を用いて犯罪率の減少に努め、マフィアの取り締まりを強化し、警官のモラルを向上させた。
火を噴くタクシーを全て新型車量に交換。タイムズスクエアの再開発により、ディズニー、MTVスタジオ、ABCスタジオなどが同地に移転した。ニューヨークは一躍全米で最も安全な都市と呼ばれるまでに変貌した。
ハリーはどこからか今のニューヨークを眺め、少しは胸を撫で下ろしているのだろうか。それともそんなことは関係ないよとばかりに、愛妻アニーに新しい曲を聞かせて、あの頃のように講釈しているのだろうか。

オバマ氏の大統領就任演説は、以下の言葉で結ばれている。
「我々の子孫に語り継いでもらおう。試練にさらされた時に、我々は旅を終わらせることを拒み、たじろぐことも後戻りすることもしなかったということを。我々は地平線と注がれる神の愛を見つめ、自由という偉大な贈り物を前に送り出し、それを次世代に無事に届けたのだ、ということを」

※「ハリーとトント」のDVDが2009年5月2日に発売されるそうです。