不惑のjaponesa(ハポネサ) ~40歳、崖っぷちスペイン留学~

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第4回 :「スペイン式 ピソ狂騒曲」 ~その3~
2013年06月21日

【written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)】山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
【最近の私】東京も梅雨入り。念願の「野鳥の会」の長靴をインターネットにて購入。しかし、サイズが大きいので返品することに。その翌日に雨が降るとは。トホホ。ついてない。
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■捨てる神あれば・・・

マドリードの夜道。街灯が少なく薄暗い。スーツケース2つを引きずり、肩を落としてトボトボと歩く。

40歳を過ぎてこの様か...。高校、大学時代の留学でもこんな惨事(所持金は盗まれ、家主と喧嘩して家を出るなんて事態)は起きなかったと、自分の未熟さと準備の悪さを責め立てる。アルモドバルの映画に憧れていたからといって、スペインに来たのは間違いだったのか...。

(こんな思いまでして、残り5か月間過ごせるのかなー?)
「帰国」の二文字が頭をよぎり、長年の夢に近づき得られたはずの高揚感を払いのける。

bar.JPG近所の犬が私に向かって吠え立てた。小心者の私は何にでもすぐにビクつくが、この時ばかりは驚きすぎて声も出なかった。そしてキョロキョロと不審者がいないか辺りを見渡す。誰もいないが、不安にかられ早足で大通りまでたどり着く。バルの明るい店内で楽しそうに飲んでいる老若男女の姿が見えた。

じっと見ていたらますます悲しくなってきた。

タクシーを止める。(ドライバーが変な人だったら嫌だな)と、不安で不安で、何もかもに疑心暗鬼になっている私。

大荷物を抱えた私を見た初老のドライバーは、タクシーから降り、不自由な足を引きずりながらスーツケースをトランクに詰めてくれた。レディとして扱われたことで、打ちひしがれていた心が少し軽くなった。

知人のウリオルが予約してくれたオステルの近くにあるマドリード市の中心広場プエルタ・デル・ソルまで行ってくださいと伝え、若干気を良くしていた私は、日本からきた留学生であることをドライバーに勝手に話始めた。人が恋しかったのか、まともな会話を求めていたのか、下手なスペイン語で自ら声をかけた自分の行動に驚きながら、彼のタクシー歴などを尋ねてみた。

すると彼はタバコの吸い過ぎでつぶれたようなハスキー声で、40年にわたるタクシー人生をやさしく語って聞かせてくれた。スペイン生まれ。若い頃はイギリスやドイツなど、ヨーロッパ各国でタクシー業を営んでいたという。そうするなかで奧さんと出会い、マドリードに戻ったそうだ。今は子供が2人がいることも教えてくれた。

「一番運転しやすい街はどこ?」

「それはもちろんマドリードさ。Esta ciudad es maravillosa!(この都市は最高だよ!)」

metropolis.JPGそう告げられた瞬間、タクシーのヘッドライトが観光名所の記念碑「プエルタ・デ・トレード」を照らし出した。光り輝くそれは、まるで夢の国のメリーゴーランドのように見えた。

(「maravillosa=最高な」は、こんな景色を指して使うんだー、女性形容詞なんだなー)などと冷静に文法を確認しつつ、この言葉が持つ真の意味を理解できたという満足感がこみ上げてきた。

もしかしたら、意気消沈した自分を少しでも元気づけるために、もう一人の私が自作自演したのかもしれない。それでもよかった。氷のように固まりかけていた心が穏やかに溶けていく気がした。

20分ほどおじさんとの心和む会話を楽しんだ。

目的地に着いてタクシーから降りかかった時、「スリには気をつけて」と、おじさんは人差し指を目の下にあてた。日本でいうアッカンベーの、舌の「ベー」がないジェスチャーだ。これはスペインで「要注意」の意味。これもまた、その日の午前中に大学の授業でホアン先生から学んだばかりだった。

「あー、ホアン、あなたの教えは、私のマドリード生活ですぐに実践できるモノばかりだよ!Gracias! (ありがとう!)」

■何てステキなの!

広場には木曜の夜にも関わらず、観光客や騒がしい若者たち、パントマイマー、労働集会、そして見回りの警官たちでぐちゃぐちゃになっていた。

「プエルタ・デル・ソル」は、サッカーのワールドカップやヨーロッパカップでスペインが優勝した時に選手が訪れ、凱旋集会が開かれることで有名だ。そのほかにも政治集会やデモなどにも利用されている。一方で、不法移民がスリのチャンスを狙い、酒やドラッグの違法な売買も横行している危険な場所でもある。

そこから再びスーツケースを引きずり、ウリオルが予約してくれたホステルへ向かった。

マドリードは東京と違い、簡単に徒歩で移動できる。歌舞伎町のような風俗店とショッピング街、バルが軒を連ねる通りを抜け、チュエカ地区にある「Hostel Dolcevita」、日本語で言うなら「ホテル 甘い生活」を目指した。フェデリコ・フェリーニ監督によるイタリア映画の名作『甘い生活』にちなんだのかな、と思う。

赤いネオンサイン。ベルを鳴らし、滞在客であることを告げる。ドアの鍵が自動で解除された。えっちらおっちらと、5階にある受付へ向かった。

なんとそこにはウリオルがいるではないか!

ようやく知り合いに会えた安堵感が沸き上がる。彼も私を見つけ、喜び、そしてすぐに謝罪の言葉を口にした。
「パパから借りた携帯のバッテリーが切れて、連絡が出来なくてごめんね。大丈夫だった?」

一瞬、なんてタイミングの悪い人だろうとイラッとしたが、私はチェックインすることも忘れて堰を切ったかのように狂女との戦いについて話し出した。

「その人、頭がおかしいんじゃないか。ペドロ・アルモドバル映画に出てくる女みたいだ」

アルモドバル監督作品には狂女の登場が付き物だが、そんな女性がその辺にもよくいるよというわけではないらしい。ウリオルはこう続けた。
「藤子、ごめんね。君の話をゆっくり聞いてあげたいけど、これからクラスメートと打ち上げがあるんだ。僕は明日、日本に帰るからね。そうだ、良かったら君も来るかい?」

携帯電話の不通に続いて、またもやタイミングが悪さを感じる。疲労困憊した今の私に、これ以上スペイン語漬けの環境は毒だと思い、丁寧に断った。よって、ここでウリオルともお別れだ。若干の間の悪さは続いたものの、彼の存在が私を勇気づけてくれたことには間違いない。

そんな私たちの会話の一部始終を黙って聞いていた男性スタッフがチェックインを促した。背が高く、ブロンドの短髪、清潔感のある容姿だ。赤いパスポートを出して見せると彼は、

「Qué bonito! (なんて素敵なの!このパスポート)」

と、満面の笑顔で褒めてくれた。しかも、お姉口調で。

一瞬彼の意外な言葉、というか人となりに驚いたが、心の氷がほぼ解けて潤いとなり、今度は心が温まっていくのを感じた。片言のスペイン語で話しをすると、私の一言一言に反応してくれる。ちょっと過剰気味に。

「あなた、今日はお疲れのようね。だから静かなお部屋を用意したワ」

私とウリオリの会話を聞いていたのね。
姉さんの気遣いにジーンときてしまった。

部屋に入ると、赤、緑、黄色のど派手な3色でコーディネートされた内装にクラっとする。なんだかここもアルモドバルっぽいなぁ。小さなスペースだがベッドとソファ、机があり、私ひとりには十分だ。

夜明け.JPG部屋が小さくても、外のネオンがゲイの方々の好みっぽくても、受付のお兄さんがゲイでも、このホステルを選んで良かったと心底思った。華やかで賑やかな色たちに包まれて、その日に起きたどんより暗い出来事を振り返りながら深い眠りについた。

それでも待望のスペイン留学の出鼻をくじかれたことに変りはない。
そして、次の日の朝を迎える・・・。