不惑のjaponesa(ハポネサ) ~40歳、崖っぷちスペイン留学~

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第6回:「ONCE(オンセ)」
2013年08月30日

【written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)】山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
【最近の私】前回登場した国際交流基金のSさんと、今は旦那様になってしまったJさんと出張先の沖縄で偶然にも再会!オリオンビールで乾杯しました。
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これまでのエピソードでたびたび登場するホアン先生。
1か月の集中語学研修で出会った私の大好きなスペイン人だ。

マドリード市で生まれ育ち、同市にある国立コンプルテンセ大学を卒業、今もマドリード在住。生まれも育ちも大学も、果ては住む所も同じ地というのは、スペイン人の典型的な生き方でもある。長年、雑誌や書籍の編集に携わり、またポルトガル語の翻訳者でもある彼は、これまでに何冊かの本を出版している。スペイン語を教え始めてから出会った生徒たちとの交流を綴った「Gente con clase(クラスの人たち)」も著作の1つだ。

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「Gente con clase」の表紙

見た目は細くて小さく(160cmくらい)、髪・まゆげ・瞳が黒い。どれもスペイン男子の特徴だ。いつもちょっとシリアスな顔つきをしている。でも、そんな表面的な印象とは違い、ジョークを交えたユーモア溢れる彼の授業は、生徒には大人気。私もファンの一人で、たった1か月でさよならするのは、ちょっと物足りない気がしていた。もっとお近づきになりた~いという不純な(?)動機がなかったと言えば嘘になるだろう。2月から5月までの春学期、彼のクラス「スペイン現代社会」を受講することに決めた。

■優しいはずのホアン先生・・・全然違うじゃない

1か月の研修の時とは違い、「スペイン現代社会」の講義はカリキュラムを見る限り結構ハードな内容だ。まずは毎回テーマに沿った記事を読み、それについて簡単な質問に答える。うん、これはできる。

しかし、6ページ以上のレポートを2回提出するのは簡単ではない。課題は「スペインと自国(私の場合は日本)の社会状況を比較し、数字やインタビュー、アンケートなどを盛り込んだ内容にすること」。フォーカスするポイントは公共交通、税金、教育、労働などから自分で決める。

えー、スペイン人にインタビューするなんてまだ会話もままならないのに...。こんな課題を当然のことのように出題するなんて、あの優しいホアン(以下、親しみを込めて「先生」は略)が違う人に見え始めた。

それでも、何歳(いくつ)になったって恋のトキメキは物事を前に進める起動力になる。なんとかホアンに褒められたい。40歳過ぎたハポネサ(日本人女性=私)は、けなげにもトピックを懸命に探し始めた。

そして頭に浮かんだのが、街のあちこちで見かける背の高い茶色のボックスと、そこに掲げられた「ONCE」の文字だった。あれは何だろう?と疑問に思っていたのだ。

■ボックスの正体は? 「ONCE」って?

マドリードでまず目に付いたのは、メトロの入り口や駅の中、デパートや広場の近くにある公衆電話のような茶色のボックスだった。ひと一人がようやく入れる茶そのボックスの上部には「ONCE」と書かれた看板が設置されていて、そのすぐ下に小さな窓がある。その窓には所狭しと小さな紙がベタベタと貼られている。

ボックスの中にいる人を見ると、男女を問わず年齢層は20~60代と幅広い。大抵の人はサングラスをかけている。時にはボックスの外へ出て、何か言いながら、「カラン、カラン」と手に持った大きなベルを鳴らす。

通行人の一人が立ち寄り、小さな窓から中の人に何かを渡し、そして何かを受け取っている。(パチンコの景品所?)とも思ったが、スペインにパチンコ店は無い。

ボックスの正体は「宝くじ売り場」だった。

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街中で見かける宝くじ売り場

■宝くじ売り場と「ONCE」

「ONCE(オンセ)」とは、Organización Nacional de Ciegos Españoles(国立スペイン視覚障害者協会)の略称で、視覚障害者による視覚障害者のための組織だ。1938年に設立され、今年で35周年を迎える。もともと彼らは、路上で物乞いをしたり、音楽を演奏して生計を立てていたが、自立のための近代的な仕組みを確立しようという機運のもと、南部にあるアンダルシア州やバルセロナ市のあるカタルーニャ州などの支援もあって設立された。

ONCEは約7万人(2010年現在)の会員で構成され、その会員は、リハビリ、教育、雇用促進、文化、スポーツ、最新技術の利用などの社会サービスを受けることができる。組織は年々成長を遂げ、1988年にはONCE基金を、1993年にはONCE法人を設立するグループ組織に至った。グループ全体の雇用数は13万1千人、うち視覚障害者もしくは何らかの障害を抱えている者が81.5%を占め、うち女性は42.4%である。

ONCEの収益の多くは行政からの補助金、寄付、そして宝くじの販売から成り立っている。その宝くじはあのボックスで販売され、それも販売員のほとんどは視覚障害者自身だ。私が目撃した鐘を鳴らしていた人たちは、懸命に宝くじをさばいていたのだろう。そんな彼らの姿から、自分たちの暮らしを自分の手で作り上げている力強さを感じた。

予断ではあるが、『カルメン』や『フラメンコ』などで有名なカウロス・サウラ監督のデビュー作『Los golfos (ならず者)』(1960)では、路上で宝くじを売る目の不自由な老女が売上金を強奪されるシーンが描かれている。映画にも登場するくらい、スペインでは日常的に見られる光景なのだ。

初めは宝くじボックスに興味を抱いたものの、ホームページでいろいろ調べているうちに、いつの間にかONCEの存在に強く惹かれる自分がいた。しかし、この程度の情報だけでは、ホアンが求めるレポートには足りない。実際にどんな人たちがどのような思いで組織を支えているのか、その活動内容や現状についてもっと知りたくなった。

■えいっや!と門をたたく

人見知りで勇気のない私は、文明の利器である電子メールの力を借りてONCE広報部に連絡を取ってみた。私が何者であるのかや調査の理由など、長文ではあったがスペイン語で私の思いを綴ってみた。

しかし、待てど暮らせど連絡はナシ。日本での社会人経験が10年以上ある私は、連絡が来たら3日以内に返事をするのがマナーだと教わったし、そのようにしている。もう3日目だ。でも、ここはスペイン。そんな常識が通用しないのかもしれない。これ以上待っていても時間のみが過ぎていくだけでレポートの提出が遅れてしまう。ホアンにがっかりされたら悲しいなぁなどと尽きない妄想が頭のなかをグルグルと駆け巡る・・・。

本部は学校から徒歩10分程度のところにある。せめて資料用の写真を撮っておこうと思い立った。その日の授業を終え、住所をたよりにONCE本部を目指した。すると見覚えのある「ONCE」のロゴが目に止まる。ロゴ入りのパンフレットを持った人が建物を出入りしているからここに間違いない。本部のわりには門構えが地味だ。外観の写真撮影が目的だったが、とにかく中に入ってみよう――。

内部を覗いて、恐る恐る透明の自動ドアに向かう。しかしドアが開くと180度向きを変えて来た道を戻ってしまった。意気地無しの私は、無意識に家路につこうとしていた。

だがその時、もう一人の私がこう囁いた。
(これでいいの? ここまで来たのに)
「えっ、でも今日は写真撮りに来ただけだし」
(ここまで来たのだから挨拶だけでもしたら? メールを送ったハポネサです、ってね)
「そうねー。挨拶だけでもしておけば、メールの返事が早くなるかもね・・・」
もう一人の自分に説得されてしまった。覚悟を決めて、再び自動ドアへ向かう。

■アポなし突撃取材

自動ドアが開くと、受付兼ガードマンのおじさんがいた。用件を伝えると「"Un momento"(少々お待ちを)」と言われる。待つこと10分。スペインの「少々」は長いな-などと考えつつ、そもそも意思が伝わっているのか不安であったが、とにかく待つことにした。

ようやく現れたのは二人のスペイン人男性だった。黒いサングラスをかけ、黒い盲導犬をつれたスペイン人男性がホセさん、もう一人は健常者の職員だった。
「お待たせしてすいませんでした。あなたのメールを確認していました。メールを書くよりも、直接お話した方が早いと思い、会議室を用意しました。私は会議があるので、ホセがあなたの質問にお答えします」

二人は広報部門の担当者だった。私は恐縮しながらも、心の中で「ラッキー!」と叫んだ。彼ら+盲導犬に会議室へと案内される。部屋に入るとホセさんの相棒が立ち去り、私とホセさん、そして盲導犬が残った。これまで視覚障害を持つ方とじっくり接したことがなかったので、少しドキドキした。

まずはホセさんと握手。すると彼の手が私の手首から肘へ、さらにその上の方にと移動してくる。すぐに確認のためだとわかったが「このままどんどん上まできてオッパイを触られたらどうしよう~」などど、一瞬いらぬ心配をしてしまった自分が恥ずかしい。大きいテーブルの隅の方に二人で座り、私はインタビューを始めた。

ホセさんは生まれた時から目が見えず、6歳にはONCEの会員になっていた。高校まではONCEの経営する学校に通い、大学は健常者の学生も通う学校で学ぶ。宿題を助けてくれたり、教科書の内容をテープレコーダーに録音してくれたり、奨学金をもらうなど、ONCEはいつも彼を助けてくれる存在だったという。

マドリードには、横断歩道を渡る際の歩行誘導の音や点字ブロック、メトロに転落防止柵が無いことに驚いていた私はそのことについて聞いてみた。(転落防止柵は日本でもまだまだだが) 彼は一語一句ゆっくりと明確な発音で、私の質問に答えてくれた。

つい最近もメトロで転落事故があったという。対策は必要だがONCEだけの努力ではどうにもならないとも付け加えた。スペインではエリアによってメトロの構造や利用システムが違うそうだ。障害を抱える全ての人が満足するシステム作りは難しいが、大事なことは今ある環境にまず適応して、何かあれば助けを求められる環境を作ることだと丁寧に話してくれた。

ただ、最近の、特に若者は、携帯電話やメールに忙しかったりヘッドホンの音楽に夢中だったりで、なかなか気づいてもらえないのが残念だよとも。

ホセさんは、私のつたないスペイン語に耳を傾け、インタビューに1時間強も付き合ってくれた。その間、ホセさんの盲導犬は彼の横に座り大きい目で、じーと私を見上げていた。

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ホセさんと愛犬

ホセさんの生い立ちからONCEの現状までを十分に聞けた満足のいくインタビューだった。それをもとに、私は10日間かけて丁寧にレポートを仕上げた。ホアンに褒められたいと始めた取材活動だったが、その頃にはただONCEという組織に興味が湧き、夢中になった。

レポートの提出日は大学最終日だった。残念ながらホアンから直接評価を聞くチャンスは無かったが、後日、ホアンと仲の良い先生がこう教えてくれた。

「"Me ha dicho que te felicita por tu trabajo"(ホアンがあなたのレポートを喜んでいたわよ)」

えー、直接言ってくれないと嬉しくないー。彼とのつれなさに寂しい思いをするのだった。