Tipping Point

« 2010年12月 | Tipping Point トップへ | 2011年12月 »

2011年7月 アーカイブ

ポケットに'mission'を忍ばせて

節電の夏がやってきた。

この国がかつて経験したことがない緊急事態に、多くの人が戸惑いながらも様々な工
夫や努力を行っている。

その行動自体はとても美しいと思う。何に対してもこじつけの反論や皮肉の言葉が心
に浮かんでは消える癖がある私でも、「節電しなければ電気が止まる」と言われた
ら、なんとかできないかと思う。

ただ、少しだけ考えたい。節電は目的ではなく手段である。多くの人がその事実を忘
れがちなことが気になる。

日本に暮らす私たちは「道」が大好きだ。「みち」ではなく「どう」と読む。柔道や
剣道、合気道に茶道。そうした伝統あるものとは関係のない営みにも、「道」をつけ
て不思議な何かに仕立て上げる習慣がある。野球道や営業道、パチンコ道に整理整頓
道(断捨離道)、数え上げたらきりがない。

「道」とはプロセスである。その先には目標、つまりゴールが待っているはずだ。散
歩や運動を除けば、道を歩くことそのものを目的にしている人はいないだろう。『ち
い散歩』でさえ、ぶらりと立ち寄るお店や施設にはスタッフが事前に話をつけている
(と、番組で立ち寄られたお店の人から聞きました)。

だが、道半ばにある人の少なからずが、道を歩む行為そのものに美徳や価値をこじつ
けようとし、ゴールテープから目を背ける傾向がある。この国の人々は特にそうだ。
個々の資質の問題ではない。そうした空気がこの社会では支配的なのだ。受験道で力
尽き、せっかく念願の学校に入ったにもかかわらず、その後抜け殻のような日々を過
ごす一部の若者がその典型的な例だろう。

さて、節電の話だ。節電は私たちのゴールではない。節電によって暮らしを守り、本
来あるゴールに達すること。それが、自分のため、社会のため、ひいては次代を担う
子供たちのためになることを忘れてはならない。節電に夢中になりすぎて消耗し、委
縮し、歩みを緩めることなど、私に言わせれば本末転倒、言語道断である。

仕事で責任ある業務を担ったことがある人ならわかるだろう。目的に達するプロセス
には、必ずと言っていいほど予測不能かつ想定外の障壁が現れる。そこで心が折れる
か、言い訳を考え始めるか、あるいは(やっぱりな)とニヤリと笑って突破を試みる
か----。そのパフォーマンスによって、できない人か、できる人かが決まる。

『もしドラ』の大ブームについて、古くからのドラッカー信者の私としては多少の異
論がある。しかし、高校球児が砂をかみ、日々理不尽なしごきに耐え、全国から精鋭
を集めた強豪校に敗北覚悟の戦いを挑んでいくというこの国では当たり前の事象(高
校野球道)に対して、同書は「高校野球の目的はファンや母校を応援する人々を感動
させることだ」という明確な目標を設定し、多くの大人をハッとさせた。それはド
ラッカーの教えの中核であり、秀逸なアイデアだと思った。

ともすれば「道」に没入しただけの青春をすごしがちな若者たちに、「社会的行為
(この場合高校野球)には共通の目標が必要であり、それに向かって一心不乱に歩む
ことこそが美しい」という、その後の長い人生を生き抜くうえで、最も重要な教訓の
1つを同書は諭している。

道に没入しすぎるとmissionを見失う。あるいは、missionを抱きながら歩むことを苦
にし、歩みを止める都合のいい'言い訳'として、道に心身を投じる自分に酔おうと
する。そんな人が少なくない。このように、道そのものを目標にすり替える悪習は、
その人の心の弱さの現れでもある。

歴史上、社会ぐるみでそんな風に振る舞うことで、私たちはどれだけ大きな失敗を繰
り返してきただろう。先の大戦も然り、原発事故も然りだ。

あなたの(私の)、そしてこの社会のゴールは何か。今一度それを確認し直そう。節
電の努力は必要だろう。しかし、それによってポケットからmissionを放り出しては
ならない。「これで身軽になった」と、自分を騙してはならない。一度手放した
missionは、二度とその手には戻らないからだ。

グローバル化は増々加速する一方だ。私たちの目の前に現れたこの程度の障壁に同情
し、待ってくれるほど世界は甘くない。

水平化に向かう世界は、コミュニケーションを担うプロを必要とする。そうなった世
界で活き活きと活動したいと願う人は、この夏こそこれまで以上のエネルギーを注ぎ
込み、自らのmissionに突き進んでほしい。

そのために電気が必要なら思う存分使うといい。少なくとも私は支持する。

なぜなら実りある未来は、そうして育ち、開花した人材を必要としているからであ
る。(了)

"生きる鏡"と暮らす

人の心は「言葉にできない感情」で埋め尽くされている。感情は目には見えないから、それは確かに存在するはずなのに再現できない。再現できないからその感情を人と共有できない。だからストレスが溜まる、苦しい。

裏を返せばその感情を言葉で表現し、他者と共有できるようになった時の喜びは測り知れないほど大きい。最近そのことをあらためて実感した。

犬と暮らして15年ほどになる。実家で暮らしていた期間を加えれば25年ほどだろうか。飼い犬への想いは強い。しかし愛犬家かと問われればうつむいてしまう。映画やテレビ、小説、ネットにあふれるペットへの愛情物語や献身的な施しを見て、いつも軽い自己嫌悪に陥っている。自分はその何分の1もしていないからだ。

それでも、自分なりの想いがある。それが言葉にならない時期が、ずいぶん長く続いていた。飼い犬についての、私の"自分で自分の考えがわからない具合"は、恥を承知で言えば、こんな感じだ。

私には子供がいない。(もし子供がいたら、その想いは目の前の犬に抱くものに近いのだろうか)などと考えたくなる気持ちを、一方で強烈に抑制する自分がいる。所詮、犬は犬だ。「うちの子」ではない。そんなことを頭に描くこと自体、子供を大切に育てている人に失礼だ、人と犬との区別もつかないペット馬鹿に成り下がるのはゴメンだと、もう一人の自分が叱っている。

だからいつも自分にこう言い聞かせてきた。(飼い犬を家族であるかのように語るべからず。友人やご近所の方々が子供の話で盛り上がっていても、絶対に同じテンションで犬の話を持ち出してはならない。たとえ「犬も子供と同じだね」などという甘いささやきに遭遇しても(そう切り出す人は案外多い)、「犬は犬だから。子供ではないよ」とクールに応えるべし)。事実そのようにしてきた。

これまでに2匹の犬との別れを経験した。その喪失感は今でも私の身体から抜けきっていない。目の前の犬たちとも、必ずそんな日がやってくるのだろう。その時、自分がどれだけ打ちのめされるかは容易に想像できるが、そうであっても、どんなに人から慰められても、その時はこう応えると決めていた。「犬は犬だから。人の死とは違う」。

それが正しいと思っていた。でも、なぜか苦しかった。

最近、ある企業の広報誌の依頼で「せつない本」をテーマに選書と書評を行った。
軽い気持ちで引き受けたものの、それから約1ヶ月、「『せつなさ』とは何か」という大命題と格闘することになるのだが、その話は別の機会に譲ろう。1冊の本に出会った。『ある小さなスズメの記録 〜人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯〜』というタイトルだ。

第二次大戦初期から戦後にかけての12年間を1羽のスズメと過ごした老婦人の実話である。1950年代に欧米でベストセラーになった。昨年末、日本で発行された新装翻訳版でその存在を知り、今回のテーマに沿った1冊として取り上げた。

話を戻そう。飼い犬への私の想いに1つの答えを示してくれた一節は、意外にも物語の中にではなく「訳者のあとがき」にあった。

12年に及ぶ老婦人とスズメの生活に、身も心も入り込んだであろう翻訳者は、その苦労や行間の分析に加え、自身の言葉でこう書き記している。

「もの言わぬ動物を、人生の『同伴者』として共に過ごすことは、自分自身の内側に棲む、生きている鏡と会話を続けるようなものだ。だからこそその喪失は、人間の友を亡くすつらさとは種類の違う、自分自身の内側の、部分的な喪失とも等しい」。

これだと思った。私の心に居座っていた「言葉にできない感情」の正体に、ついに出会うことができた。しかも、かくも美しく気高い文章によって。

自分の心の問題に1つの決着をつけてくれた翻訳家に、感謝してもしきれない気持ちになった。この一節に出会うのに必要であれば、貯金のすべてをはたいてもいいとさえ思った。(実際には千円札2枚でおつりが来ました)

翻訳を手掛けたのは、小説『西の魔女が死んだ』などの創作でも知られる梨木香歩さんだ。彼女は『ある小さなスズメの記録』を翻訳中に、長年連れ添った愛犬を失ったという。その犬から与えられた多くのものが、本書の翻訳に生きたとも綴っている。

今日も、私はもの言わぬ同伴者に向き合い、こう語りかける。(君たちは所詮犬で、人間である僕を理解できない。もちろん僕も君たちを理解できない。世の定義に従えば、君たちは僕の家族とは言えない。でも、君たちはどうやら僕の内側に棲んでいる、僕自身の一部を映し出す鏡らしい。ならば、生きる限り、楽しくやっていこう----)。

言葉を紡ぐことを生業に選んだ人、選ぼうとする人は、言葉にはこんなに偉大で人を救う力があるということを、ぜひ知っていてほしい。 (了)

2011年2月25日 初出