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「24」を24倍楽しむ法

「秋の夜長、ちょっと夜更かしてDVDをもう1本!」、という人も多いのでは。私の場合、最近は「24」の第4シーズンにハマっています。午前7時に全米を揺るがすテロ事件が勃発。翌日の同時刻までにアッと驚くような出来事やどんでん返しが津波のように押し寄せる。どこにでもいそうな市民から米国大統領までが、その場その場の主役となって、国の行方を左右する決断を迫られる...。世界中で大ヒットしているのも納得がいく娯楽作です。

とはいえ、「少し観たけどなんかペースに乗れない。まどろっこしいストーリーがダルい」という声があるのも事実。私が聞いてみた範囲では、むしろそうした人の方が多いような気さえします。作品の良し悪しではなく、肌に合わないものを無理に好きになる必要はありません。私にも薦められても観る気になれない、観たとしても個人的には心にヒットしない作品は沢山あります。

でも、これだけの話題作ですから、気になる人も多いでしょう。そこで、私の観方を紹介します。もしかしたら、「フツーに観るのはイマイチ」という人でも興味が湧く観方かもしれません。従来のファンや観ている人には新しい発見があれば幸いです。


●「24」のもう一つの観方、その1...「字幕と吹替え、両方を同時に視聴する」

私はもっぱらこの方法です。映画とはセリフ量が異なる連続ドラマ、しかもスピ-ディに展開し、なおかつ独特の固有名詞(機関の名称、コンピュータ・通信用語、戦争関連用語など)が飛び交うこうした作品では、多くの場面で字幕と吹替えの表現法が異なっています。単なる文字数制限や省略箇所の問題ではない、根本的な違いです。

例えば、銃撃戦で一斉射撃を止める時に指揮官が叫ぶセリフ。字幕では(確か)「射撃中止」ですが吹替えでは「撃ちかた止めーっ!」。この違い、どう感じますか?

字幕では、「あの」「その」など指示代名詞や省略で処理されている部分、または「彼」「彼女」などとしている部分があります。しかし吹替えでははっきりと固有名詞に。「彼が向かったわ」と「ジャックは墜落地点に向かってる」。良し悪しとは別に、何か視聴者に伝わるものが違っていると思いませんか?

そして決定的なのはキャラクター付けです。字幕では、AとBの人間関係が例えば上司と部下なら、ほぼ徹底的にBはAに対して「~です。~ます」調で語りかけます。そうしないと視聴者が混乱するからです。しかし吹替えでは、周囲の目を気にしつつ敬語を使う場合もあれば、ちょっと気を許した時には「~だ。~さ」としたり、切羽詰った状況ではさらにタメ口になったりと、自在に変化を付けています。

 字幕の制約と苦労、吹替えの自由さと言葉の選択の難しさが、この観方だとよーくわかるのです。DVDって便利ですよね。ビデオの時代には不可能だったこんな楽しみ方ができるんですから。

映像翻訳にはまったく素人の私の家族も、始めは「どっちかにしてよ!」と怒っていましたが、そのうちに「今、字幕だとコレを説明しなかったね」か、「今の字幕、上手いね」などと言って楽しむようになりました。


●「24」のもう一つの観方、その2...「アクション部分をまったく無視し、昼メロだと信じて観る」

 この作品が決定的に普通のアクションものと違うのは、国家の行方を左右するような緊急事態においても、登場人物たちが家族や恋人、仕事仲間との人間関係に振り回されていることです。

「それはよくある」と思うかもしれませんが、家族愛とか友情とか裏切りとか、「ハルマゲドン」的な、そんな格好のいいもんじゃない。この登場人物たちは「親バカ」で「恋愛下手」で「移り気」で「浮気性」で「人見知り」で「覗き見、立ち聞き好き」。あと1時間で米国市民の何百万人が死ぬかという時でさえ、CTU(主役たちが勤務する機関)のトップはフラれた恋人の目線を気にしてうじうじしたりしています。 命を賭けたテロリストですらも、一番大事な時に彼女からケータイに電話が入って「アンタ、どこで浮気してんのよ!」とまくし立てられ、しどろもどろになったりしています・泣

これはもはや「渡る世間」状態、でなければコテコテの昼メロ。もし次回シリーズに日本人が抜擢されるなら小沢真珠がお薦め。フラれて、イビられてオロオロしているCTUの連中に向かって、「こんな大事な時にトボケたこと考えてんじゃないのよっ!このブタ野郎どもめっ!!」と怒鳴りつけてほしい(ウソ)。

アクションシーンや国家の危機に関わるシーンはどんどん飛ばして、仕事はできるのに親子関係、恋愛関係はまったくダメという男女の喜劇を笑い飛ばそう!

いかがでしょうか? ファンからは反論が殺到しそうですがお手柔らかに・笑皆さんもお薦めの作品や楽しみ方があったら教えて下さい!(了)

      

マギー司郎が教えてくれた、自分の弱みを認める強さ

NHKで放映中の「課外授業 ようこそ先輩」。
各界で活躍する著名人が母校の小学校を訪ねて、今の子どもたちを相手に独自の授業を行う番組です。欠かさず観ているわけではありませんが、注目している人が先生になったり、ユニークなテーマだったりすると観ることがあります。料理研究家の平野レミさんは、あのハイテンションで子どもたちに創作料理を手ほどきし、生真面目で知られる元プロ野球選手の村田兆治さんは、野球になんの興味もなさそうな子どもに向かって、豪快な'まさかり投法'で速球を投げ込んでました(笑)。子どもたちにとってはもちろん、教壇に立つ'先生'たちにも大きな発見と感動があって、終わりにはさわやかな気持ちにさせてくれる番組です。

再放送でしたが、ベテラン・マジシャンのマギー司郎さんが先生を務める回を観ました。マギー司郎さんと言えば、今では弟子であるマギー審司さんの方が有名になってしまって、「ちょっとパンチに欠けるなー」という印象です。
授業のテーマはもちろん「手品」。先生は、「手品を披露することで、人を楽しませる喜び」を子供たちに体験してほしいと考えています。もっと言えば、手品のテクニックは重要ではなく、「どうしたら多くの人に笑ってもらえるのか」を教えたいらしいのです。先生のウリである茨城弁のまったりしたトークを真似しろというわけではありません。翌日には全員が隣のクラスにたった独りで乗り込んで、マジックを披露して笑わせろというのです。
「こりゃー、けっこうキビシい要求だな」と思いました。でも「まぁ最後はいつものごとく、課題を克服した子どもたちが先生に感謝して、さわやかな別れってことで」――。
そんなシーンを想像していた私は、大きなショックを受けました。

先生は、笑わせるコツが見つからない子供たちに「確実に笑いを取れる方法」として、こんな風に教えたのです。「手品に関係なくていいからね。自分のダメなところ、弱いところを見つけて正直に話すんだよ。そうするとお客さんはきっと笑ってくれるよ」。
一瞬、我が耳を疑いました。だって、自分の弱みやコンプレックスを他人に話して笑われるんですよ。そんなことをフツーにできる人は、大人にだってめったにいないじゃないですか。

当然、子供たちは悩みました。そりゃそうですよ。皆さんも自分が小学生の頃を思い起こして下さい。「寝ぐせがついているよ」なんて言われただけで傷ついたり泣いたりするのが子どもです。「ボクは勉強ができないんですよー、アハハッ」とか、「ワタシは人と話しをするのが苦手なんです」なんて自ら打ち明けること、ましてや隣のクラスの同級生全員から笑い者にされるなんて...。
「これまで観たシリーズの中で、子どもたちに最大の試練がやってきた!」と思いました。なかなか自分の弱みと向き合えずに苦しむ子供たちを見て、チャンネルを変えようかなとさえ思いました。

シーンは翌日――。一人の男の子が隣のクラスでヘタなマジックを披露しています。そして一生懸命に話しかけているんです。「ぼくはですねー。ダメなやつなんですよー。家にいる時と学校にいる時の態度が違うんですねー。学校だとカッコつけてちゃんとしてるけどぉ、家の人にはぁ、お母さんとかにはぁ、意地悪しちゃうんですねー」。
同級生たちから自然な笑い声が湧き起こっています。その様子をマギー司郎先生はじっと見つめていました。男の子はマジックが終わって、「うまくいって嬉しかった」。

自分の弱みと向き合う苦悩。そしてそれから逃げずに他人に打ち明けて笑われる喜び。子どもたちがたどった道程は、マギー司郎さんの人生そのものだったのです。様々な体験を乗り越えて、ある境地に達した人間の大らかさと厳しさ。マギー司郎さんの堂々とした姿を前にして、私はしばし言葉を失いました。

それと同時に、「たとえ相手が子どもであっても'教える'という行為に妥協や誤魔化しは通用しないんだよ。自分が正しいと信じることを真っ直ぐに伝えることが、相手への礼儀であり筋というものなんだよ」――マギー司郎さんのそんな声なき声が、確かに聴こえました。

彼が多くの弟子から愛されている理由が、わかったような気がしました。

(追記:この番組(NHK「ようこそ先輩!~マギー司郎さん編~」)は、このコラムを執筆した後に、教育番組国際コンクール「2004年日本賞」の東京都知事賞を受賞しています)(了)