Tipping Point

「やり直さない」生き方

2011年が終わる。皆さんにとってはどのような年だっただろうか。

人は過去を振り返るとき、まずは失敗したことや間違ったこと、悔いが残ることから考えてしまう傾向がある。きっとそういう仕組みなのだろう。それはそれで変えようがないし、反省する姿勢が美徳であることに間違いはない。しかし、私を含めた多くの人の反省の仕方について、私はこんな疑問と改善提案を抱いている。

より良き今とこれからを築くための反省とは、「胸を痛めてやり直す」ことではない。過去の行いを認めたうえで、「直す(修正する、改善する、活かす)」ことこそが真の反省であり、正しい。

過去は財産だ。お金をいくら積んでも買い取ることができない宝である。過去の経験があるから今があり、未来がある。あの出来事やあの体験は、良いものも悪いものも含めて、その人だけが手にした生きた証でもある。違う言い方をすれば、過去の経験や手にした知識はすべて、今とこれからの自分の振る舞いに宿るべきものだ。それが「大人がさらに成長する」という言葉の意味だと信じている。

それはそうだ、当たり前だよと感じただろうか。でも、私の目には少なからずの人が過去を軽視し、あるいは間違った反省の対象とし、できるだけ忘れてやり直すことが未来を切り開くことにつながると信じているように映る。'リセット感覚'や'自分探し'というような言葉が流行り、社会から肯定的に受け入れられる状況を見るにつけ、(どうして自分の中の過去を、そんなに簡単に切り捨てられるの?)と悲しくなる。

いい例がある。成功者や目的を達成して尊敬を集める人が「成功の秘訣は?」という質問に、「いつの間にか今の位置にたどり着いた」「絶対に諦めなかった」と答えるシーンをよく目にする。

それを私流に翻訳すると、「私は成功も失敗も、善行も悪事も、すべてを自分が生み出したものとして積み上げることをやめなかった。その結果、当初に描いたものとは見た目は異なるが、人に誇れるような今の自分が出来上がった」となる。過去を必要とし、活かし、決してやり直さなかった人たちだけが発する言葉だ。

過去だけの話ではない。今の世の中、「興味や関心事、すべきことがたくさんあって、どれもが中途半端になりがち」という声をよく耳にする。これももったいない話だ。そういう人は、「頭を切り替える」という言葉を美徳と勘違いしているのだろう。1つひとつに割く時間や労力が少なくなれば、より集中して取り組む人を決して上回ることはできない。やることが沢山あるのであれば、打つ手は1つ。1つに取り組んで得た経験や知識は、何としても異なる取組みにも活かす――。これしかない。

経験したこと、見聞きしたことは自然に身体に残るはずだなどと、何の根拠もないことを言う人がいる。残念だがそれは絶対に、ない。過去の経験や知識は、「留めて活かすぞ!」と強く願い、そう努力する人だけに宿るからだ。忘れてやり直すことを美徳と考える人には決して宿らない。

つらい経験や悲しい出来事、人の期待に応えられなかったこと、人を傷つけたこと、怠けたこと、失敗したことを心に留めるなんてゴメンだという人もいるだろう。

それでも捨て去ってはいけない。私なら他人のそんな過去を、できることなら買い取りたいくらいだ。きっと、それが今とこれからの自分の成長の糧となり、自分を強くしてくれると思うからだ。悲しんでいてもしょうがない。それらを活かすことが迷惑をかけた相手に対する唯一の償いになると、自分に都合がいいように考えたい。究極の正しい自己愛、自己中心主義だ。

少なくとも私は(過去を含めた)自分を愛せないような人とは仕事を共にしたくない。何より信用できない。風呂上りのような顔で「今日から新しい自分が始まります!」などと言われたら、気持ち悪くて卒倒してしまうだろう。そのセリフは生まれたばかりの赤ん坊だけに許されたものだ。(赤ちゃんはしゃべれないが) 私たちは力強く過去を抱いて生きる大人として振る舞い、社会に活かされる存在となりたいのだ。

このメッセージを、未曾有の災害を乗り越え、良き職業人としての目標に向かうエールとして受け取ってもらえれば嬉しい。

さぁ、今年一年を恐れずに振り返ろう。そしてその宝の山を来年のさらなる成長に役立てよう。私もそのようにして、決してやり直さず、まだまだ未熟な自分を直していきたいと思う。(了)

"生きる鏡"と暮らす

人の心は「言葉にできない感情」で埋め尽くされている。感情は目には見えないから、それは確かに存在するはずなのに再現できない。再現できないからその感情を人と共有できない。だからストレスが溜まる、苦しい。

裏を返せばその感情を言葉で表現し、他者と共有できるようになった時の喜びは測り知れないほど大きい。最近そのことをあらためて実感した。

犬と暮らして15年ほどになる。実家で暮らしていた期間を加えれば25年ほどだろうか。飼い犬への想いは強い。しかし愛犬家かと問われればうつむいてしまう。映画やテレビ、小説、ネットにあふれるペットへの愛情物語や献身的な施しを見て、いつも軽い自己嫌悪に陥っている。自分はその何分の1もしていないからだ。

それでも、自分なりの想いがある。それが言葉にならない時期が、ずいぶん長く続いていた。飼い犬についての、私の"自分で自分の考えがわからない具合"は、恥を承知で言えば、こんな感じだ。

私には子供がいない。(もし子供がいたら、その想いは目の前の犬に抱くものに近いのだろうか)などと考えたくなる気持ちを、一方で強烈に抑制する自分がいる。所詮、犬は犬だ。「うちの子」ではない。そんなことを頭に描くこと自体、子供を大切に育てている人に失礼だ、人と犬との区別もつかないペット馬鹿に成り下がるのはゴメンだと、もう一人の自分が叱っている。

だからいつも自分にこう言い聞かせてきた。(飼い犬を家族であるかのように語るべからず。友人やご近所の方々が子供の話で盛り上がっていても、絶対に同じテンションで犬の話を持ち出してはならない。たとえ「犬も子供と同じだね」などという甘いささやきに遭遇しても(そう切り出す人は案外多い)、「犬は犬だから。子供ではないよ」とクールに応えるべし)。事実そのようにしてきた。

これまでに2匹の犬との別れを経験した。その喪失感は今でも私の身体から抜けきっていない。目の前の犬たちとも、必ずそんな日がやってくるのだろう。その時、自分がどれだけ打ちのめされるかは容易に想像できるが、そうであっても、どんなに人から慰められても、その時はこう応えると決めていた。「犬は犬だから。人の死とは違う」。

それが正しいと思っていた。でも、なぜか苦しかった。

最近、ある企業の広報誌の依頼で「せつない本」をテーマに選書と書評を行った。
軽い気持ちで引き受けたものの、それから約1ヶ月、「『せつなさ』とは何か」という大命題と格闘することになるのだが、その話は別の機会に譲ろう。1冊の本に出会った。『ある小さなスズメの記録 〜人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯〜』というタイトルだ。

第二次大戦初期から戦後にかけての12年間を1羽のスズメと過ごした老婦人の実話である。1950年代に欧米でベストセラーになった。昨年末、日本で発行された新装翻訳版でその存在を知り、今回のテーマに沿った1冊として取り上げた。

話を戻そう。飼い犬への私の想いに1つの答えを示してくれた一節は、意外にも物語の中にではなく「訳者のあとがき」にあった。

12年に及ぶ老婦人とスズメの生活に、身も心も入り込んだであろう翻訳者は、その苦労や行間の分析に加え、自身の言葉でこう書き記している。

「もの言わぬ動物を、人生の『同伴者』として共に過ごすことは、自分自身の内側に棲む、生きている鏡と会話を続けるようなものだ。だからこそその喪失は、人間の友を亡くすつらさとは種類の違う、自分自身の内側の、部分的な喪失とも等しい」。

これだと思った。私の心に居座っていた「言葉にできない感情」の正体に、ついに出会うことができた。しかも、かくも美しく気高い文章によって。

自分の心の問題に1つの決着をつけてくれた翻訳家に、感謝してもしきれない気持ちになった。この一節に出会うのに必要であれば、貯金のすべてをはたいてもいいとさえ思った。(実際には千円札2枚でおつりが来ました)

翻訳を手掛けたのは、小説『西の魔女が死んだ』などの創作でも知られる梨木香歩さんだ。彼女は『ある小さなスズメの記録』を翻訳中に、長年連れ添った愛犬を失ったという。その犬から与えられた多くのものが、本書の翻訳に生きたとも綴っている。

今日も、私はもの言わぬ同伴者に向き合い、こう語りかける。(君たちは所詮犬で、人間である僕を理解できない。もちろん僕も君たちを理解できない。世の定義に従えば、君たちは僕の家族とは言えない。でも、君たちはどうやら僕の内側に棲んでいる、僕自身の一部を映し出す鏡らしい。ならば、生きる限り、楽しくやっていこう----)。

言葉を紡ぐことを生業に選んだ人、選ぼうとする人は、言葉にはこんなに偉大で人を救う力があるということを、ぜひ知っていてほしい。 (了)

2011年2月25日 初出

ポケットに'mission'を忍ばせて

節電の夏がやってきた。

この国がかつて経験したことがない緊急事態に、多くの人が戸惑いながらも様々な工
夫や努力を行っている。

その行動自体はとても美しいと思う。何に対してもこじつけの反論や皮肉の言葉が心
に浮かんでは消える癖がある私でも、「節電しなければ電気が止まる」と言われた
ら、なんとかできないかと思う。

ただ、少しだけ考えたい。節電は目的ではなく手段である。多くの人がその事実を忘
れがちなことが気になる。

日本に暮らす私たちは「道」が大好きだ。「みち」ではなく「どう」と読む。柔道や
剣道、合気道に茶道。そうした伝統あるものとは関係のない営みにも、「道」をつけ
て不思議な何かに仕立て上げる習慣がある。野球道や営業道、パチンコ道に整理整頓
道(断捨離道)、数え上げたらきりがない。

「道」とはプロセスである。その先には目標、つまりゴールが待っているはずだ。散
歩や運動を除けば、道を歩くことそのものを目的にしている人はいないだろう。『ち
い散歩』でさえ、ぶらりと立ち寄るお店や施設にはスタッフが事前に話をつけている
(と、番組で立ち寄られたお店の人から聞きました)。

だが、道半ばにある人の少なからずが、道を歩む行為そのものに美徳や価値をこじつ
けようとし、ゴールテープから目を背ける傾向がある。この国の人々は特にそうだ。
個々の資質の問題ではない。そうした空気がこの社会では支配的なのだ。受験道で力
尽き、せっかく念願の学校に入ったにもかかわらず、その後抜け殻のような日々を過
ごす一部の若者がその典型的な例だろう。

さて、節電の話だ。節電は私たちのゴールではない。節電によって暮らしを守り、本
来あるゴールに達すること。それが、自分のため、社会のため、ひいては次代を担う
子供たちのためになることを忘れてはならない。節電に夢中になりすぎて消耗し、委
縮し、歩みを緩めることなど、私に言わせれば本末転倒、言語道断である。

仕事で責任ある業務を担ったことがある人ならわかるだろう。目的に達するプロセス
には、必ずと言っていいほど予測不能かつ想定外の障壁が現れる。そこで心が折れる
か、言い訳を考え始めるか、あるいは(やっぱりな)とニヤリと笑って突破を試みる
か----。そのパフォーマンスによって、できない人か、できる人かが決まる。

『もしドラ』の大ブームについて、古くからのドラッカー信者の私としては多少の異
論がある。しかし、高校球児が砂をかみ、日々理不尽なしごきに耐え、全国から精鋭
を集めた強豪校に敗北覚悟の戦いを挑んでいくというこの国では当たり前の事象(高
校野球道)に対して、同書は「高校野球の目的はファンや母校を応援する人々を感動
させることだ」という明確な目標を設定し、多くの大人をハッとさせた。それはド
ラッカーの教えの中核であり、秀逸なアイデアだと思った。

ともすれば「道」に没入しただけの青春をすごしがちな若者たちに、「社会的行為
(この場合高校野球)には共通の目標が必要であり、それに向かって一心不乱に歩む
ことこそが美しい」という、その後の長い人生を生き抜くうえで、最も重要な教訓の
1つを同書は諭している。

道に没入しすぎるとmissionを見失う。あるいは、missionを抱きながら歩むことを苦
にし、歩みを止める都合のいい'言い訳'として、道に心身を投じる自分に酔おうと
する。そんな人が少なくない。このように、道そのものを目標にすり替える悪習は、
その人の心の弱さの現れでもある。

歴史上、社会ぐるみでそんな風に振る舞うことで、私たちはどれだけ大きな失敗を繰
り返してきただろう。先の大戦も然り、原発事故も然りだ。

あなたの(私の)、そしてこの社会のゴールは何か。今一度それを確認し直そう。節
電の努力は必要だろう。しかし、それによってポケットからmissionを放り出しては
ならない。「これで身軽になった」と、自分を騙してはならない。一度手放した
missionは、二度とその手には戻らないからだ。

グローバル化は増々加速する一方だ。私たちの目の前に現れたこの程度の障壁に同情
し、待ってくれるほど世界は甘くない。

水平化に向かう世界は、コミュニケーションを担うプロを必要とする。そうなった世
界で活き活きと活動したいと願う人は、この夏こそこれまで以上のエネルギーを注ぎ
込み、自らのmissionに突き進んでほしい。

そのために電気が必要なら思う存分使うといい。少なくとも私は支持する。

なぜなら実りある未来は、そうして育ち、開花した人材を必要としているからであ
る。(了)

黄金色の絨毯 〜1989年、ジャパンカップの記憶〜

冬に向かう静かな日曜日。突き抜けるような青空を見上げていると、ふと湧き上がってくる、そんな記憶の一つや二つは誰にでもあるはずだ。

1989年初冬、バブル経済の宴の熱がまだ冷めやらぬこの国に、ニュージーランドから一頭の牝馬がやって来た。名を、Horlicks(ホーリックス)という。
 
彼女は東京、府中市の東京競馬場で開催される、国際招待馬と日本代表馬が凌ぎを削る一大レース、「第9回ジャパンカップ」に出場予定であった。

ジャパンカップは、日本のホースマンたちがフランスの凱旋門賞や米国のブリーダーズカップといった世界最高水準のレースをこの国でも実現しようと創設したレースである。しかし、欧州や北米の、その時点で活躍する一流馬が集まっていたかと言えば、必ずしもそうとは言えなかった。東の果ての日本。繊細なサラブレッドにとってその地は遠く、輸送を強いるにはあまりにも過酷な距離が介在していた。

しかし、「世界中の富が日本に吸い取られるのではないか」といわれた時代である。海外のホースマンにとって、当時の日本には今の中国と同じようにマネーの香りが充満していた。多少の無理は承知で、参戦する意味があったのだ。中でも89年は特別な年になった。世界の超主役級が一堂に会したのだ。

米国からは芝2,400メートルというジャパンカップと同じ距離で、 当時の世界レコードを保持していたホークスターが参戦。「一度逃げたら何者にもその影を踏ませない」と恐れられたターフ(芝コース)の超特急だ。英国からは、 500キロを超す巨体を重戦車のように震わせながら他馬を蹴散らし、欧州の主要レースで連勝を重ねていたイブンベイが来日した。その鋼のような筋肉に、日本の競馬ファンは言葉を失った。

それでも真打は別にいた。競馬界で最も権威あるレース、この年の凱旋門賞を勝ったキャロルハウスが参戦したのだ。凱旋門賞馬、日本のターフに立つ----。その事実だけでも、'衝撃的な事件'であった。

その他の招待馬も第一線級の猛者ばかりだった。ただ一頭、南半球からやって来たホーリックスを除いては----。


迎え撃つ日本陣営も、天皇賞(春・秋)を勝ったスーパークリークやイナリワンら、現役最強馬を送り出した。その中には、日本競馬史上最も多くのファンを獲得したことで知られるオグリキャップも名を連ねていた。日本で地球最速の馬が決まる。そう言っても過言ではなかった。

ホーリックスと共に来日したのは、調教師のデビッド・オサリバン、彼の長男で調教助手のポール、その弟で騎手を務めるランス。ニュージーランドの競馬一家である。そしてもう一人、まだ19歳の女性厩務員(競争馬の世話をする係)、バネッサ・バリーがいた。

彼らはこのジャパンカップに賭けていた。サラブレッドを愛し、育てることでは誰にも負けないという自負があるのに、常に欧州や米国の後塵を拝してきた南半球、オセアニアのホースマンの力を世界に知らしめる機会は今をおいてない----。ホーリックスにはその資格があると信じていた。

しかし、下馬評に耳を傾けるまでもなく、彼女はあくまでも'脇役'の扱いだった。

今でこそ「強い牝馬」が多数出現しているが、当時は牝馬と牡馬の間には絶対的な力の差があると信じられていた。ましてや競走馬のピークは4〜6歳というのが定説だ。7歳の彼女は、既に下り坂だという評価がほとんどだった。きら星の如く居並ぶスターの中にあって、ダークホースといえば聞こえがいいが、要するにファンや専門家、マスコミにとってのホーリックスは「眼中にない馬」だったのである。

ジャパンカップ当日、東京競馬場には歴史的瞬間を見届けようと14万人を超える観衆が集まった。その場にいた誰もが、当時の様子を「一種異様な雰囲気だった」と振り返る。

ゲートが開いた。始まったレースのあまりにも壮絶な展開に、14万の観衆とテレビの前のファンは息を飲んだ。

ホークスターに先頭を譲らずイブンベイが逃げる、逃げる、逃げる。競馬史上例のないハイペース。なんと、1,800メートルまでのラップタイムが、その距離の日本レコードを上回っていたのだ。「マラソン選手の10キロ地点のラップタイムが、トラック競技1万メートルの新記録だった」と言えば、そのスピードの異常さがわかるだろう。

スーパークリークに騎乗し、中段で追走していた天才ジョッキー、武豊でさえ「このままでは馬が壊れると恐ろしくなった」と後に語っている。武と同じように、そこで半数以上の馬と騎手の心は折れていた。さすがの凱旋門賞馬も、見せ場もなく沈んでいった。

ホーリックスとランス・オサリバン騎手は、そんな殺人的、否、殺馬的なペースの中にあって、絶好の3番手で折り合っていた。そして、じっと最後の直線を待っていた。

彼女をそうさせたのは、ランスの手綱さばきだけではないだろう。サラブレッドを愛するオセアニアの人々が託した想いが、(ホーリックスよ、耐えよ)と励ましていたに違いない。

彼女は最終コーナーを過ぎるとホークスターとイブンベイを並ぶ間もなくかわし、先頭に立つ。そして、冬枯れで黄金色に輝く府中の直線走路を風の如く疾走した。その姿はまるで、オスカー像を抱くことを確信し、自信に満ちた面持ちで授賞式場への赤い絨毯を歩む女優のようでもあった。

残り200メートル。 しかし、ホーリックスと鞍上のランスはまだ、勝利を確信するには至らなかった。

彼女を猛然と追う馬が一頭だけいたのだ。オグリキャップである。「オグリはレース前にホーリックスに一目惚れしていたのだ」という逸話は今でも大真面目に語り継がれているが、真偽は定かではない。

ただ、オグリもまた、エリート街道とはほど遠い、雑草の地から這い上がってきた馬である。そんな彼を特別な想いで見守るファンに背中を押され、神がかリともいえる脚力でホーリックスに迫る。

二頭はほぼ同時に2,400メートルを駆け抜けた。その走破時計は、2分22秒2。世界のどの競馬場でも表示されたことがない4つの「2」に、東京競馬場はどよめき、誰もがその目を疑った。驚異の世界レコードである。

ホーリックスはオグリの猛追をクビの差退け、悲願のジャパンカップを手にした。

その時、14万人、テレビを含めれば数百万人の眼差しは、ようやく南半球からやって来た'女優'に向けられた。「彼女こそが真の主役であったのだ」と、誰もが認めた瞬間である。

オサリバン一家は涙でホーリックスを称えた。バネッサもまた、涙でくしゃくしゃになった顔でホーリックスを見上げ、その喉をやさしく撫でた----。

馬は孤独を嫌う。ホーリックスは特に寂しがり屋だったという。南半球からの長距離輸送、季節の逆転、見慣れぬ景色・・・。しかも、日本では検疫上の理由から、オセアニアの馬を隔離して管理しなければならないという、厳しく辛い規制があった。

レースの日まで、バネッサはホーリックスに尽くした。昼夜を問わず彼女に寄り添い、心と身体の状態に注意を払った。それでも寂しそうにしていると、祖国から運んできた大きな鏡を彼女の前に置き、「ここに友達がいるよ」と声をかけた。

凱旋門賞馬が、世界レコードホルダーがどれだけのものなのだ。私のホーリックスが必ず一番にゴールする----。怖いもの知らずと言えばそれまでだが、バネッサはきっと、そんな光景を信じて疑わなかったに違いない。

私の手元に一枚の写真がある。

レースの直前、東京競馬場のパドック(これから走る馬を観客に披露するために周回させる円形の馬道)を歩むホーリックスと、その手綱を引いて歩くバネッサが写っている。

2人にとっては晴れの舞台であるはずなのに、背景の観衆たちは誰ひとりとしてホーリックスを見ていない。きっと彼らの目線の先には、お目当てのスーパーホースたちがいるのだろう。

バネッサはホーリックスを見つめている。(大丈夫、私はいつもあなたと一緒だよ)と話しかけているように見える。(あなたの力のすべてをこのレースで出し切りなさい。必ず勝てる)と叱咤しているようにも見える。

「競馬なんてスポーツじゃないよ」と言う人は少なくない。私には今、それに反論し得る明確な言葉がない。この先も、見つからないかもしれない。

ただ、1989年の初冬にニュージーランドからやって来た彼女たちのことを想うとき、「命を賭けて走るサラブレッドとそれを支える人たちに、自分の人生を重ねてみるのも悪くないよ」と、小さな声で囁きたい気持ちになる。

           --・--・--・--・--

オグリは今年、惜しまれつつ天寿を全うした。ホーリックスは今もなお、ニュージーランドの地で余生を送っているという。

冬に向かう空を見上げていると、凍えかけた心に小さな火を灯してくれる一つの記憶が、私にはある。(了)

重力に抗う

地球の重力に心まで引かれた者と解放された者。人間をそんなふうに2つに分けた世界観を『機動戦士ガンダム』シリーズで示したのは、アニメ原作者の富野由悠季だ。未来に起きる壮絶な戦闘は、国や肌の色、貧富や政治思想の差異ではなく、"心のありどころ"の違いが要因で生じるという衝撃的な内容である。

真の同志は表面上の敵軍にいるかもしれないし、自軍の中にほんとうの敵がいるのかもしれない。さらに話を複雑にしているのは、登場人物それぞれが自らの"心のありどころ"について、明確な自覚がないという設定である。

「重力」は人間の負の部分を誘発する。進化を嫌い、未来から目を背け、今がそこそこよければそれでいいと思う心を誘う。地面にへばりつきながらも、もうこれ以上"落ちる"ことはないだろうと考える。足元に地表がなければ、重力に引かれてどこまでも落ちていくということにすら気づかなくなる。

一方、重力から解放された者は、人間はなすがままにしていれば自滅に向かうと気づく。そして空を見上げ、無限に広がる宇宙に次代のありようを見出そうとする。その最も進化した姿を、原作者の富野は「ニュータイプ」と名付けた。日本のアニメーション・クリエーターがもつ想像力と創造力には、ただただ感服するばかりだ。

それは確かにSFの世界の話かもしれない。でも、「重力に心まで引かれた人」と「重力に抗う人」という人間の在り方は、実は富野の目に映った今の社会の実相ではないかと私は見ている。

誤解を恐れずに言えば、私は自分が出会った人やメディアを通じて知った人を2つに分ける習慣がある。空を見上げて手を伸ばしている人と、そうでない人だ。社会的地位や評価はそれなりに意味があるだろう。しかし、その差異は、小さな山の上や高層ビルの最上階に鎮座しているか、運動場で肩車をされているか程度の違いでしかない。問題は、その人が今この瞬間、空を、自分の未来を、より良き世界を見つめて手を伸ばしているか、である。
 
俗に言う「上昇志向」とは似て非なるものだ。人より高い位置に居座ったところで、重力の呪縛から逃れたことにはならない。私が美しいと思い憧れるのは、現状に満足せず、社会に自分が生かされる理想の在り方を常に求めて、重力に抗い、空へと向かおうとしている人の姿だ。そんな人は、高台から世間を見下ろして満足顔をしている人の何倍も輝いて見える。

世直しの話ではない。ビジネスパーソンとして日々活動している誰にとっても関係のある話だ。私たちは日々ままならない出来事の中で、「それなりにやっていれば何とかなる。自分は自分なりに努力している」と自分自身を慰めがちだ。しかし、それはまさに「重力」にズルズルと引かれ始めた瞬間である。

私たちは常に目に見えない「下へ下へ」という力に支配されている。いつものことをいつも通りにやっているつもりでも、現状に止まることすらできない。鳥は羽ばたいているからこそ水平飛行を保つことができるのに、それに気づかず心の中でこうつぶやく。----どうして自分だけ恵まれてないんだろう?

しかし、今の立ち位置(年齢?学歴?肩書き?収入?財産?国籍?人間関係?)などどうでもいいではないか。そんなちっぽけなハンデなど、重力という人間すべてに平等に課せられた足枷に比べれば、取るに足らないものだ。「あなたは、重力に抗うか?身を任せるか?」----まずはこのシンプルな問いかけに、答えを出すことが大切なのだと思う。

私は自他共に認める楽観主義者である。しかしそれには根拠がないわけではない。私の立ち位置などは社会のものさしからすれば地面どころか地下2階の駐車場かもしれない。が、それでもなお、上を見上げれば、スクールで出会った志の高い人たちと歩んでいる未来の自分が、プラネタリウムのように視界に広がる。重力に抗う気力だけは失いたくないし、失わない。

それでも時々、もう重力に身を任せてしまいたいよと下を向きたくなることがある。私を含めてそんなふうに見える人がいたら、「上を向こうよ!」と叱咤してほしい。重力に抗おうと努める者にとって、そんな言葉は心地よい風、上昇気流になるからだ。(了)

コトバはヒカリ

2008年1月20日の日曜日、一つの映画祭が催されました。
「CityLights(シティ・ライツ)映画祭」。目の不自由な方々と一緒に映画を鑑賞する映画祭です。

「映画が見たいけれど鑑賞がままならない」という視覚障害者の方々のために、すべてのシーンを音声で解説した原稿を作成し、ナレーターが朗読する----。テレビ番組の副音声でこうした試みが時々なされていることは知っていましたが、映画、それも多くの観客が同居する劇場で、それを実現しようと努力している団体があったことを、恥ずかしながら、私は知りませんでした。

運営にあたっているのは、「いつでも誰でも当たり前に立ち寄れる『バリアフリー映画館』の建設」を目指す団体シティ・ライツと、多くのボランティアの皆さんです。そのなかに、当校の修了生で、現在は編集者・ライターとして活躍されている方がおり、その活動について教えて下さったのです。事後報告になりますが、当校はその活動主旨に賛同し、「第1回 CityLights(シティ・ライツ)映画祭」に協賛することを決めました。協賛といっても、とても小さな第一歩です。実質的に運営の役に立つ規模の応援ではありません。まずは実際の様子を拝見して、今後私たちに何ができるかを考えようと、私は会場に足を運びました。「音声解説の制作には、映像翻訳者の作業に通じ、役立つヒントがある」とも思ったらです。

会場は、多くの人々で賑わっていました。目の不自由な方々もそうでない人も、この映画祭を心から楽しみにしていたことがすぐにわかりました。スタッフやボランティアの方々の誘導や運営管理も整然とスマートにとり行われていて、例えば行き来がしやすいようにゆったりと取られた座席前や通路には、盲導犬がちょこんと座っていたりなど、居心地がよい心配りがなされていました。

上映作品は、いずれも欧州の秀作『ミルコのひかり』と『善き人のためのソナタ』の吹替え版。私はドイツ映画で2007年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞した『善き人のためのソナタ』と、幕間に企画されたパネルディスカッション「音声ガイドの舞台裏」を楽しませて頂きました。会場ではFMラジオを貸し出していて、これで周波数を合わせると音声ガイドを聞けるのです。イヤホンを付けな ければ、普通に吹替え版を楽しむことができます。

私は持参した小型ラジオで音声ガイドを聞きながら鑑賞しました。
そして鑑賞後----。私の心に焼きついたのは、「コトバはヒカリ」であるという真実です。

音声ガイドの制作には、実に多くの人が関わっています。まずは原稿を作る人たち。何人ものボランティアの方々が、直接集まって議論を繰り返しながら原稿を仕上げていきます。映像翻訳に関わる、関わったことのある皆さんなら、1本の作品のシーンをコトバで説明するということが、どれほどの繊細さと忍耐力を必要とするか想像がつくと思います。そうしてできた原稿を監修する人がいます。概ね、元の原稿は「情報量が多過ぎる」そうです。監修には実際に目の不自由な方があたることが多いようで、作品の流れを壊さず、それでいて観客に必要な情報や感動を伝えるコトバを適格に残していきます。

パネルディスカッションではひとりの監修者が、「映画は見るためのものであって、コトバですべてを伝えることなんてまず不可能ですよ」と、堂々と語っておられたのが印象的でした。それを言ったら元も子もないし、何より視覚障害者の方々ががっかりするだろうって? 冗談じゃない。事実は事実。映像翻訳の原点だって、そこにあるじゃないですか。私はこの団体で音声ガイドを作る人たちが、それが形態としてはボランティアであれ何であれ、逞しく信頼にたるプロとしての気概に満ちていると感じました。

そしてその原稿を読むナレーター、それらを映像に組み込む作業を行う人・・・。一つひとつの音声ガイドを、字幕やリップシンクの吹き替えと同じように尺を合わせ、フレーム単位で気を配りながら挿入していくのです。これはもう、「もう一つの"映像翻訳"」と呼ぶにふさわしい作業だと感動しました。それぞれ作業は異なっても、関わる人すべてに「映画が大好き!」という思いが共通していることにも胸を打たれました。

外国語がわからない人のための映像翻訳者、視力に障害のある人のための音声ガイド制作者。コトバでヒカリを与えるという共通点をもつ両者は、良き友であり、良きライバルであるべきだと思いました。そして、良きライバルがもっている技術、ハート、ミッションから、我々が学ぶべきことはたくさんあると、心を新たにしました。

同団体やそれを支援する方々とは、少しずつよい関係を築いていければと思っています。また、皆さんのなかに音声ガイドの制作を通じて自分を磨きたいと思う方がいらっしゃれば、ぜひシティ・ライツさんの活動に興味を持って下さい。(了)

※このコラムは2008年1月の「Tipping Point vol.101」に加筆修正を加えたものです。

忙しい人たちへ

映像翻訳の技術の習得や英語力の向上を心に誓ったものの、今の仕事が忙し過ぎてなかなか集中できない...。そんな不安の声を、少なからぬ受講生・修了生から耳にします。

その気持ちはとてもよくわかります。課題に全力を注げなかったり、時間的にどうしても講義に出席できなかったりすると悔しいですし、めげそうになりますよね。私も同じような気持ちになった経験が何度もあります。

でも、「今の職場でよく働いている人や仕事を任されている人ほど独立起業に向いている」という法則があるのも、一つの事実です。

そこで、近い将来、本気で独立を考える人にぜひこんなアドバイスをしたいと思います。

目の前の仕事に専念する日々の中にあっても、「常に新しい職能について考えている、イメージしている」ということを心掛けて下さい。

継続こそ力なのです。それは、本業に支障があるほど強く、大胆である必要もなく、かといって、気晴らしや現実逃避ではなく、頭の一部分ででもいいのでゆっくりと、ロジカルに、自分を信じて、根気強く継続するのがコツです。決して無理をしたり、今の境遇にストレスを感じてはいけません。

そのようにして映像翻訳という職能に向き合い、学校との関わりを保ち続けてくれた修了生がデビューしていく姿を見ると、私はこの仕事を選んでほんとうによかったと思えるのです。

忙しい人、応援します。(了)

※このコラムは、2003年9月の「Tipping Point'Vol.9」に加筆修正を加えたものです。

「24」を24倍楽しむ法

「秋の夜長、ちょっと夜更かしてDVDをもう1本!」、という人も多いのでは。私の場合、最近は「24」の第4シーズンにハマっています。午前7時に全米を揺るがすテロ事件が勃発。翌日の同時刻までにアッと驚くような出来事やどんでん返しが津波のように押し寄せる。どこにでもいそうな市民から米国大統領までが、その場その場の主役となって、国の行方を左右する決断を迫られる...。世界中で大ヒットしているのも納得がいく娯楽作です。

とはいえ、「少し観たけどなんかペースに乗れない。まどろっこしいストーリーがダルい」という声があるのも事実。私が聞いてみた範囲では、むしろそうした人の方が多いような気さえします。作品の良し悪しではなく、肌に合わないものを無理に好きになる必要はありません。私にも薦められても観る気になれない、観たとしても個人的には心にヒットしない作品は沢山あります。

でも、これだけの話題作ですから、気になる人も多いでしょう。そこで、私の観方を紹介します。もしかしたら、「フツーに観るのはイマイチ」という人でも興味が湧く観方かもしれません。従来のファンや観ている人には新しい発見があれば幸いです。


●「24」のもう一つの観方、その1...「字幕と吹替え、両方を同時に視聴する」

私はもっぱらこの方法です。映画とはセリフ量が異なる連続ドラマ、しかもスピ-ディに展開し、なおかつ独特の固有名詞(機関の名称、コンピュータ・通信用語、戦争関連用語など)が飛び交うこうした作品では、多くの場面で字幕と吹替えの表現法が異なっています。単なる文字数制限や省略箇所の問題ではない、根本的な違いです。

例えば、銃撃戦で一斉射撃を止める時に指揮官が叫ぶセリフ。字幕では(確か)「射撃中止」ですが吹替えでは「撃ちかた止めーっ!」。この違い、どう感じますか?

字幕では、「あの」「その」など指示代名詞や省略で処理されている部分、または「彼」「彼女」などとしている部分があります。しかし吹替えでははっきりと固有名詞に。「彼が向かったわ」と「ジャックは墜落地点に向かってる」。良し悪しとは別に、何か視聴者に伝わるものが違っていると思いませんか?

そして決定的なのはキャラクター付けです。字幕では、AとBの人間関係が例えば上司と部下なら、ほぼ徹底的にBはAに対して「~です。~ます」調で語りかけます。そうしないと視聴者が混乱するからです。しかし吹替えでは、周囲の目を気にしつつ敬語を使う場合もあれば、ちょっと気を許した時には「~だ。~さ」としたり、切羽詰った状況ではさらにタメ口になったりと、自在に変化を付けています。

 字幕の制約と苦労、吹替えの自由さと言葉の選択の難しさが、この観方だとよーくわかるのです。DVDって便利ですよね。ビデオの時代には不可能だったこんな楽しみ方ができるんですから。

映像翻訳にはまったく素人の私の家族も、始めは「どっちかにしてよ!」と怒っていましたが、そのうちに「今、字幕だとコレを説明しなかったね」か、「今の字幕、上手いね」などと言って楽しむようになりました。


●「24」のもう一つの観方、その2...「アクション部分をまったく無視し、昼メロだと信じて観る」

 この作品が決定的に普通のアクションものと違うのは、国家の行方を左右するような緊急事態においても、登場人物たちが家族や恋人、仕事仲間との人間関係に振り回されていることです。

「それはよくある」と思うかもしれませんが、家族愛とか友情とか裏切りとか、「ハルマゲドン」的な、そんな格好のいいもんじゃない。この登場人物たちは「親バカ」で「恋愛下手」で「移り気」で「浮気性」で「人見知り」で「覗き見、立ち聞き好き」。あと1時間で米国市民の何百万人が死ぬかという時でさえ、CTU(主役たちが勤務する機関)のトップはフラれた恋人の目線を気にしてうじうじしたりしています。 命を賭けたテロリストですらも、一番大事な時に彼女からケータイに電話が入って「アンタ、どこで浮気してんのよ!」とまくし立てられ、しどろもどろになったりしています・泣

これはもはや「渡る世間」状態、でなければコテコテの昼メロ。もし次回シリーズに日本人が抜擢されるなら小沢真珠がお薦め。フラれて、イビられてオロオロしているCTUの連中に向かって、「こんな大事な時にトボケたこと考えてんじゃないのよっ!このブタ野郎どもめっ!!」と怒鳴りつけてほしい(ウソ)。

アクションシーンや国家の危機に関わるシーンはどんどん飛ばして、仕事はできるのに親子関係、恋愛関係はまったくダメという男女の喜劇を笑い飛ばそう!

いかがでしょうか? ファンからは反論が殺到しそうですがお手柔らかに・笑皆さんもお薦めの作品や楽しみ方があったら教えて下さい!(了)

ジャン・スティーブンソンの涙 ~スポーツを巡る選手と観客の関係~

アテネ五輪は日本人選手の大活躍の余韻を残したまま終演を迎えました。様々な話題がありましたが、今回は特に「選手と観客の関係」がよく見えた大会だった気がします。自国を応援する大歓声、その反対のブーイング、不当な判定に怒り狂う選手の家族(レスリング日本チームの、あの親子です)、路上に飛び出してマラソンランナーに抱きついてしまった人...。一つ一つの出来事に、観客の数だけの喜びと落胆、選手への尊敬や怒りが現れていました。

スポーツ・イベントを政治的な論争にすり替えてナショナリズムを煽ったり、国民性の優劣の問題に置き換えて語るのが大好きな人たちがいます。私はそんな考え方に大反対です。グラウンド、スタジアム、リング...自らの技を極限まで磨き上げ、自らの力だけを頼りに闘いの場に立つ選手たち。彼らの営みは、観る側の身勝手な解釈を超越したところで、素晴らしい輝きを放っているのだと思うのです。しかし、観る側の身勝手さは、時としてスポーツを卑しめ、選手の心に大きな傷を残すことさえあります。

米国の女子プロゴルフ・ツアーを中心に長らく活躍しているジャン・スティーブンソン(豪州)というベテラン選手がいます。数々の実績を残している大物ゴルファーです。しかし最近、米国のプロ・ツアーで台湾や韓国などアジア圏の選手が活躍している状況に対して、「アジアの選手が米国ツアーに参加するのは歓迎できない。なぜならマナーがなっていないし、ツアーに良い影響を与えていない」といった主旨の発言をして、各方面から「人種差別的だ」と弾劾されています。日本でもその発言は報道され、ネット上などでは「とんでもない発言」、「白人優位主義者だ」などとバッシングされていました。
しかし、私は彼女への批判を素直に受け入れられないのです。

その理由は、20年以上前に遡ります。1980年代前半、私は高校、大学時代を通じて、テレビでゴルフ中継を観戦するのが好きでした。他のプロスポーツに比べて、世界の一流選手が日本のツアーに参戦することが多かったからです。日本経済がバブル前夜の好景気にあり、賞金額が高騰していたことなどが理由だったようですが、それはともかく、世界トップレベルのプレーを生中継で味わえること、そしてその中に岡本綾子(現在は解説者兼プレーヤー)という日本人選手が、世界のトップと肩を並べて活躍していたことに、静かな興奮と感動を覚えていました。

1981年、私が高校3年生の春、ジャン・スティーブンソンは日本女子ツアーのあるトーナメントに参戦し、見事なプレーを披露していました。彼女は世界のトッププロらしく、冷静なプレーを続けて日本人選手に競り勝とうとしていました。しかし、最終ホールでウイニング・パットを決めた瞬間、ギャラリー(観衆)たちから、「あ~あ」という落胆の声が上がったのです。そしてまばらな拍手...。ジャンは気丈に優勝トロフィーを受け取っていましたが、テレビのインタビューでマイクを向けられた時、目頭を押さえながらこう答えました。

「私はこうして優勝したけれども、日本の皆さんに喜んでもらえなくて、悲しいです」

王者にふさわしい喜びの表情はそこにはなく、ジャンの頬をつたったのは、悲しみと失望の涙でした。ジャンの素晴らしいプレーとそれに立ち向かう日本人プレーヤーのチャレンジにただただ感動していた私の心に、その光景は小さな傷を残しました。

その3年後の1984年の秋。広島で行われたマツダクラシックは、全米女子ツアーの公式戦に指定されており、岡本綾子、再び来日したジャン・スティーブンソン、ベッツィ・キングの三つ巴の賞金女王争いに決着がつくという、世界のゴルフファンが注目する大会となりました。日本のマスコミ、いやスポーツに関心のあるすべての人が、岡本の快挙達成に大きな期待を抱いていました。会場にはギャラリーが溢れ、日本のゴルフ史上にかつてない、一種異様な雰囲気だったといいます。
最終日、勝負を分ける重要なホールのグリーン上で、ジャンがパー・パットを外しました。その時です。岡本を応援する一人のギャラリーが、ジャンに向かってこう叫びました。

「ナイスボギー!」

紳士淑女のスポーツといわれるゴルフ競技で、この一言がいかに情けなくひどいものか、そして選手の心をずたずたに引き裂く言葉であるか、想像がつくでしょうか。ジャンは怒りの表情をあらわにして、声の主の方に歩み寄りかけましたが、それより早く反応したのは岡本でした。岡本は目に涙を浮かべながらギャラリーに向かって、「何でそんなことをいうんですか!私たちは一生懸命プレーしているんです。そんなこと言われたらやってる意味がない...」と叫びました。そしてグリーン上でしゃくりあげて泣き出したのです。その時岡本は、(なんで私はこんなところでゴルフをやらなければならないのだろう)と思ったそうです。
もちろん、一番悔しかったのはジャンであったはずですが、涙と怒りでプレーを続けられないでいる岡本にそっと歩み寄って、やさしく肩に手をかけながら「時間をかけていいから、落ち着いてゆっくりやりなよ」と語りかけたそうです。岡本は、(私と同じ日本人が傷つけたオーストラリア人に、私がこうして慰められている)と感じたと後に語っています。
この出来事で、ジャンや岡本と同様に、私の心の傷も少し広がりました。

私はジャンに対する日本人の観衆の行為を「日本人はマナーがなってなくて、しょうがない...」などという、単純で薄っぺらな論旨に置き換えるつもりはありません。これは人種や国民性なんて関係ない、アスリートとそれを観る人の間だけに生じる'特別な関係'に関わる問題だと思うからです。
中国で先ごろ開催されたサッカーのアジアカップでは、地元観衆の日本チームに対するバッシングが問題になりました。確かに悲しく腹立たしい出来事です。しかし、つい20年前、ジャン・スティーブンソンに対して日本のギャラリーがとった行為と、何が違うのでしょうか。この中国での出来事に対してテレビのインタビューに、「未開の民のやることは...」などと答えた政治家がいます。こうした軽率で無知な発言こそが、スポーツの崇高な美しさと、良き観客が育つ風土を台無しにしているのだと、なぜ気がつかないのでしょうか。

自分が傷ついた瞬間にも、ライバルの日本人選手、岡本綾子にやさしく声をかけたジャン・スティーブンソン。彼女が'アジア・アレルギー'にかかっているとしたら、そうなるきっかけは何だったのか。ただひたむきに最高のプレーを披露しようと努めるアスリートたちの行為を卑しめてしまう'観客'とは何者なのか。

極論すれば、最高のアスリートの最高のパフォーマンスとは、観られることや応援されることとは無縁の世界にあるのだと、私は思います。観客には、それらのパフォーマンスから感動や喜びを与えてもらう権利はあるでしょう。しかし、それらを卑しめる権利があるとは、私にはどうしても思えないのです。

ジャンや岡本が流したような涙を、私たちは二度と見たくない。好きな選手、自国の選手を応援するのは素晴らしいことですが、対戦相手や敗者に対する尊敬も、同じくらいに大切なものではないでしょうか。
私は、たとえそれがテレビ観戦であっても、心のどこかで「観る者の責任」を意識しようと努めています。(了)

参照:毎日新聞朝刊:連載記事「ゴルフが好き」(1998年)

「ピーコのファッション・チェック」に備えてる?


――そう聞かれて「ハイ」と応えるのにはかなり勇気がいりますよね。「自意識過剰だよ」なんて言われて笑われそうで...。でも私の経験上、フリーエージェントの世界でバリバリやている人たちにこう聞くと、「ちょっと急いでるんでって言って、サックリ逃げるね」とか、「ピーコとガチンコ勝負ッ!ケチをつけられたらテレビに向かって「アンタのセンスって最低!」って怒鳴ってやる」とか、即座に愉快な答えが返ってきます。
本気で備えているわけじゃないだろうけど、私もそうなんですが、普段から「もしこんな場面に遭遇したらこうしよう」という風に空想するのが大好きなんだと思います。
もし雑誌の編集者なら「ワタシがもし自分の信念だけで雑誌を創刊するなら...」とか、映像翻訳者であれば「ハリウッドの映画界は、恋愛映画の翻訳ならワタシに全部任せればいいのに...」とか。一つ間違えたら妄想癖のある人(笑)。想像が現実的だろうとなかろうと、少なくとも私はそんな話を聞くと幸せな気分になります。

将来の仕事の可能性を話している時に、「ワタシには縁がないから」、「ワタシの力じゃまだまだ語る資格がなくて...」なんてすぐに言う人がいる。謙遜なのかもしれないけれど、ちょっとがっかりです。「そりゃアンタ、そうかもしれないけどね。自分の未来に対してそんなに無防備でいいの?もし明日にチャンスが訪れたら最善の対応ができるの?そんなことじゃ、ピーコの思うツボだよ!」。

仕事でもスポーツでも、何かの道を極めた人がテレビや雑誌のインタビューに応えて「無我夢中でやっていたら、いつの間にかここまでたどり着いただけです」とか、「私はまだまだです。師の教えに忠実に従ったら上手くいっただけです」なんて発言するのをよく目にします。でもそれ、はっきり言って本音じゃないですよ。本人にはウソをついているという自覚はないのかもしれません。でも周りの人への気遣いを優先したそんな社交辞令は、「あなたが成功したほんとうの理由を知りたいんです!参考にしたいんです!」と願う人にとって、何の役にも立たない。

2004年のアテネ・オリンピックで活躍した日本人選手たちのインタビューを聞きましたか?「絶対にメダルを取る!表彰台に上る!それだけを考えて今日まで頑張ってきた!」。堂々とそう言ってはばからないじゃないですか。自分が至るべき結果をどの選手もが明確に口にし、それをイメージすることからスタートしたと言います。
卓球ではベスト16で敗れた福原愛選手が、記者会見でこう聞かれていました。「この負けは次へのいいステップになりますね」。なんてありがちで意味のない質問...とガッカリしていたその時、あの'泣き虫愛ちゃん'が「そんなきれい事じゃありません!」と声を荒げたのです。。福原愛選手の世界ランキングは当時20位にも達していませんでした。それでも表彰台に上がるぞというイメージを明確に持って試合に臨んでいたんですね。カッコイイです。
日本人選手のメダルラッシュの秘密は、選手たちのそんな意思の力、イメージの力によるところも大きいと思いました。

NHKの番組(2004年現在)「難問解決!ご近所の底力」って知ってますか。「何でそんな番組観てるの?」なんてつっこまれそうですが(笑)。ある日の特集は、「オレオレ詐欺(振り込め詐欺)や悪徳商法に引っかからない法」でした。騙されやすい人は、「まさか自分のところに来るわけがない。来たとしてもワタシは騙されるような人間じゃない」と思い込んでいるんだそうです。今電話がかかってきたら、'受け応えをしている自分のイメージ'が頭の中にまるでないから引っかかる。推奨する対策は、「ほんとうの息子なら、生年月日を言いなさい!」、「そんな商品はいりません。帰って下さい!」など、普段から役者の稽古さながらに、声に出して練習しておくことだそうです。

映像翻訳に関わる人も同じだと思いました。メジャーな作品、憧れの素材、目標としている仕事を横目で眺めながら、「まだまだワタシには縁がないんだ」なんて思っている人がいたら、そんな思考停止そのものが望む仕事を遠ざけ、進歩の足枷になっていることに気づいてほしいのです。映画が大好きな映像翻訳者であれば、「ワタシが監督になって、潤沢な予算を与えてくれたら、こんな映画を創ってやる!」なんて普段から考え、熱く語ってくれるような人が頼もしいですね。
ハードルを高くしたところにあるイメージは、明日の仕事の備えであるとともに、向上心や知識欲を駆り立ててくれます。道を歩いている時でも、就寝前のちょっとした時間でもこなせる'仕事'の一部だと考えてみてはどうでしょうか。勉強中の人はもちろん、すでにプロとして活動している皆さんもぜひ実践して下さい。
まずはピーコへの反撃でも考えておきましょうか(笑)。

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