花と果実のある暮らし in Chiang Mai

Chewing over TOP » 花と果実のある暮らし in Chiang Mai » 「2013年4月」一覧

第2回:チェンマイで見つけた小さな日常美
2013年04月25日

【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】Coming Soon...
----------------------------------------------------------------------------------------
tai.jpg私の住む村は、チェンマイ市内から車で約20分離れたところにあります。
近年開発がされてきてはいるものの、まだ昔ながらの生活が所々でなされています。チーク材で作られた高床式の家々と畑が広がる風景。私たちもこうした高床式の古民家で最初の3年間過ごしました。朝になれば隣の家から、コンコンコンコンと、石臼をたたく音が聞こえ、鶏やさまざまな鳥の鳴き声で包まれます。近所には商店があり、村人が育てた野菜やハーブ、近所のおばさんが作ったお惣菜などがおいてあります。たまにしなびて賞味期限切れの野菜を見かけては"大丈夫かなあ。"と思ってしまうことも多々ありますが、冷蔵庫を使っていないので、エコといえばエコなのです。



ほとんどの家にはハーブや野菜、果物の木が植えてあります。買い物に向かう途中で目に留まったハーブを摘み取り、足りないものだけを買い物で補う人もいます。うちの古民家にも、たまに近所のおばさんが、"これカレーにいれるから、ちょっとちょうだい"といってハーブを摘みにきたものです。季節によっては、朝早くから湯気が立ち込めるドラム缶でゆでられた、収穫ほやほやのとうもろこしが売られたりします。夕方になればバイクに沢山の野菜やおかずを載せて売りにくるおばさんがやってきて、バイクの周りに村の女性たちが集まってぺちゃくちゃ井戸端会議をしながら夕食の買い物をするのです。そして仕事帰りの男たちは、お酒を売る店の軒先で立ち飲みを始めます。そんなふうに、小さな生活が小さな村のサイクルで成り立っているのです。

■魅力的な村のおばあさん。

タイ_夕焼け.jpgしかし、都会育ちの私がそんな暮らしに馴染むまでにはしばらく時間がかかりました。
英語も通じず、外国人はゼロ、街やインフラが整備された環境でもなく、近くにきれいなお店があるわけでもなし......。"なんだかなぁ"と、ふさぎこんだ私の興味を駆り立ててくれたのは、村のおばあさんたちでした。

特に斜め前の家に住んでいるおばあさんはちょっと変わった風貌。厚くて丸いビン底めがねをかけて、葉巻のような昔ながらのタバコをいつもスパスパ。禁煙ブームなんて関係ないと言わんばかりに、くわえタバコで堂々としているのです。昔ながらのサロン(タイ式巻きスカート)をまとい、時には裸足で道路を闊歩しています。

犬を放し飼いにしているのに門はいつも開けたまま。犬がご近所で悪さでもしようものなら人目もきにせずお尻をバンバンたたいてお仕置きします。お仕置きの時の犬の鳴き声を初めて聞いた時は、虐待じゃないかと、思わず見に行ったものです。そんなおばあさんですが、特別なお参りのためにお寺に詣でる時は、真っ白な衣に身を包み、家に咲いた採れたての花を耳元に飾り付けて出かけていくのです。それはそれは、なんだかいい感じ。

Sep 28 09 529.jpgこうして日々のおばあさんの暮らしを垣間見、また小さな日常にいろいろな想いを積み重ねながら、私は徐々にチェンマイの暮らしに引き込まれていくのです。チェンマイという地におばあさんたちの暮らしが溶け込んでいる。あたりまえのようだけれど、何か惹きつける魅力がある日常美。特別な種を買ってきて花壇に撒いて咲いた花ではなく、風にのってやってきた種が落ちて、自然と地面から顔を出して咲いた花のように、自然の流れに調和している感じ。そこには、昔からのチェンマイ暮らしがあり、普通のことが普通とされている小さな暮らしが残っていたのです。ゆるくて、ゆっくり、ゆったりとした豊かな日常が。

第1回:プロローグ ~チェンマイ・ライフ スタート~
2013年04月17日

【written by 馬場容子(ばば・ようこ)】東京生まれ。米国大学でコミュニケーション学専攻。タイ、チェンマイに移住し、現在は郊外にある鉄工房でものづくりをするタイ人パートナーと犬と暮らす。日本映像翻訳アカデミー代々木八幡・渋谷校時代の修了生。
【最近の私】タイ・ハーブ育成中。育ったバジルでパッガパオムー(豚肉とバジル炒め)&ミントで自家製MOJITOをエンジョイ中。いつかご紹介できる日を目指して。
----------------------------------------------------------------------------------------
■きっかけは、いろいろ。

黄色花.jpgタイに移り住んで今年でちょうど7年目。都会生まれの私にとって、チェンマイ郊外の村での生活は、別世界に入り込んだかのようでした。違う時間の流れ方、違う価値観の人々、違う環境、違う言葉。 様々なことに遭遇し、おどろいたり、戸惑ったりすることもあるけれど、ここにあるおおらかに伸びる木々、まぶしい光、カラフルな花、たわわに実る果実、通り抜ける風、そして素朴な人々に出会い、私はこの地に居つくことになるのです。

2001年秋。私はHIV感染孤児施設の短期ボランティアとして、初めてチェンマイを訪れました。 その頃私は、大恋愛の末期。恋に迷い、仕事に迷い、人生に迷い、どうにか一人になる時間と場所がほしかったのです。また、ちょうどその時期、"こどもの居場所とはなんだろう?新しい社会への寄与のあり方とはなんだろう?"というような疑問をぼんやりと描いていたことも後押しし、南アジアにあるチェンマイという、私にとっての未開の地に足を踏み入れたのです。その時はまだこの地に居つくことになるとは思ってもいませんでした。

帰国後、再び東京で仕事をし、結婚。夫の仕事の事情でバンコクに移住することに。そして2007年の離婚を機に、私は愛犬と共にチェンマイの地に向かいます。東京でもなく、バンコクでもなく、チェンマイへ―。

ツボ.jpgチェンマイでは、縁あって、再びHIV感染孤児施設の仕事に戻りましたこの施設ではHIVに感染したこどもたち30人が暮らしており、寄付だけに頼るのではなく、自立した施設にするために施設内でものづくりをし、販売し、収益を得て、施設に還元しています。ここで、ものづくりに関わったことは私のチェンマイ・ライフに大きな影響を与えます。縫製や織りをしてくれるおばさんたちとのやり取り、市場での交渉、山岳民族の村との関わりなど、タイ語も分からぬままとにかく忙しく時が過ぎていきました。そんなある時、現在のタイ人パートナーであるナリンと出会い、そしてその後二人で小さなアトリエをはじめることになるのです。これをきっかけに、本格的な私のチェンマイ・ライフがスタートするのです。