不惑のjaponesa(ハポネサ) ~40歳、崖っぷちスペイン留学~

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第7回:震災の真実を伝える映画をスペインで ~その1~
2013年09月20日

【written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)】山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
【最近の私】2020年オリンピック招致で私の予想を裏切ってスペインが敗退してしまった! スペインではマドリード市長Ana Botella氏のIOCでのスピーチのひどさが話題になっているらしい。 スペインへ行く良い口実にしたかったのに...。残念。
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■ありのままの震災を映画で伝えたい

スペインに到着して2か月後の2012年3月、私は以下のようなメールを綴って日本の友人や知人に送信した。
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Date: 2012. 03.05
To: 知人・友人
Subject: スペイン・マドリード、浅野 藤子より
Message:
皆さま
こんにちは。すっかりご無沙汰しております。お元気でしょうか。
スペインに旅立ってから、早2か月が過ぎました。
その間、いろんな方々から励ましのお言葉を頂戴しました。心より感謝申し上げます。

おかげさまで、ようやく新生活に慣れることができました。
地下鉄に乗るにも、銀行口座を開くにも、スーパーで買い物するにも、一つ一つが新鮮で挑戦でもありましたが、スペイン語を除いて、不便さはあまり感じない生活を送ることができています。

住まいは、マドリード市民憩いの場、レティロ公園のすぐ近くで、日本人男性のオーナーとスペイン人女性の3人でピソに住んでいます。
また、プラド美術館など有名美術館へ徒歩20分の近距離!の好条件に位置し、週末のレティロ公園内はマラソンランナーで賑わい、私も来週末にデビューしようと考えています。


1_レティロ公園.jpg
ピソ近くのレティロ公園

大学生活は充実しており、毎日の宿題をこなすのに必死ではあります(この歳で...)。
また生徒よりも教授との方が歳が近いので、教授は私には教えづらいとは思います...。

そして、明後日7日から始まる国際交流基金主催の震災映画特集もお手伝いしています。

「11.3: Japón, en el camino de la superación(3月11日:日本、前進の途上にて)」というタイトルで、いくつかプログラムが分かれています。

2_震災folleto.jpg
「11.3: Japón, en el camino de la superación(3月11日:日本、前進の途上にて)パンフレット

私は 「(1) ドキュメンタリー映画上映:被災地に寄り添って」 を担当いたしました。
以下、上映作品です。

○『相馬看花 奪われた土地の記憶』 監督:松林要樹
○『3.11 A Sense of Home Films』 監督:ビクトル・エリセ、河瀬直美、ジャ・ジャンクー含め21名
○『トーキョードリフター』 監督:松江哲明
○『なみのおと』 監督:濱口竜介、酒井耕
○『雪海』 監督:大竹暁

ゲストには、あの ビクトル・エリセ監督 にもご来場いただく予定です。
「マドリードにはいるようにするよ」とメールで再確認はできたものの、最後まで気は抜けません。

そして、日本からは 『相馬看花』 の 松林要樹監督 をマドリードにお招きします。
スペイン人がどのような眼差しでこれら作品を見てくれるのかドキドキです。

このようにマドリードへ来ても、日本にいる時となんら変わりのない生活を送っています。
お時間がありましたら、みなさんの近況も是非お聞かせください。

それでは、adiós!

浅野藤子
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渡西して新生活にようやく慣れた頃なのに、もう2日後に開催される上映会の告知をしている。映画愛もほどほどに・・・という声が聞こえてきそうだ。懐かしくもあり、恥ずかしくも感じる。でも、どこへ行っても多忙好きなハポネサ(私)なのだ。

もともとこの企画は、渡西前の2011年11月に私が国際交流基金マドリード事務所の所長U氏にメールを書いたことから始まった。それは、これまで長い間映画の上映事業に関わってきた"上映好きの虫"がマドリードでも何かしたいとウズウズしたことから始まった。

加えて、スペインへ行けば、必ず震災について聞かれると思っていた。震災について思うところや知ってほしい情報を伝えるのは口頭でもできるが、「映画の上映」という形で伝え、表現するのも一つだと思っていた。

それは、私がこの仕事(映画祭の企画・運営)に関わってきたのであれば当然の発想であり、私らしい表現方法でもある。稚拙な言葉よりも、震災の現場に足を運んで、現地の人々の話に耳を傾け、カメラにその映像を納めた映画の方が、より観客に訴える力を持ち合わせている。そうした作品に私がそれを選んだ理由を盛り込んで紹介した方が、より強く、深く、広く伝えられると確信していた。

当時は震災から1年も経過しておらず、マスコミが報道する震災のイメージ――押し流された瓦礫の山やおもちゃのように積み上げられた車、白い防護服を身につける人々・・・などが人々の記憶の大半を占めているように感じていた。「震災の現実はそれだけではない」とも伝えたかった。

私のそんな思いにU氏は同意してくださり、スペイン語字幕の費用は財団持ちで進めることになった。その頃、日本で従事していた「東京国際映画祭2011」が終わるとすぐに、上映会の候補作品を集めるつもりでいた。

■'追い求める者'は救われる

留学への準備を進めるべく、私は映画祭をひとつの区切りとし、東京から実家のある山形へと生活の場を移そうとしていた。日中は仕事の残務整理、週末に完全に撤退するための物理的な準備を進めながら、夜は夜でお世話になった人々への挨拶行脚に時間を費やした。映画祭の残務整理と挨拶行脚、引越準備、そして留学の準備・・・。映画祭を終えれば時間ができると勘違いしていたようだ。

それにスペインでの「国際交流基金主催震災映画特集」の下準備が加わる。言い出しっぺは私だ。忙しさに押しつぶされそうになった時は、提案したことを後悔し、自分の心に住む"上映好きの虫"を呪った。

作品の選定作業にはそれまで経験したことがない精神力を要した。今の民生用ビデオカメラは、誰でも気軽に取り扱えるうえに、スクリーン上映に耐えうる映像のクオリティーを持っている。そうしたカメラを携えて、被災地には国内外から震災の映像をおさめようとする人々が集まったのだ。そのため、作品の出来の善し悪しに関係なく、無数の"作品"が生まれた。その中から、一般のメディア上では見られない情景や人々の姿を映し出し、なおかつメッセージがあり、上映に耐え得る作品を探し当てるのは、物理的にも精神的にも容易なことではない。
それでも疲れた心身にムチを打ち、馬車馬のように進もうとする私がいた。それまでに知り合いになった監督やプロデューサーに声をかけ、信頼できる人のネットワークを駆使して作品を集め、選定していった。

そんな私を偶然の神は見捨てなかった。引越の荷物に詰め込もうとしていた未鑑賞作品をおさめたDVDの山、その一番上にあった1本の映画が松林要樹監督の『相馬看花 奪われた土地の記憶』だった。松林監督とは面識があった。東京国際映画祭のパーティーで出会い、挨拶代わりにもらったのはこの作品だ。私は好印象を抱き、映画人の間での作品の評価も高かった。

すぐに作品を観た。灯台下暗しとはこのことか。私がスペインでの上映会に求めていたものはこういう作品だ。この出来事がきっかけとなり、さらに数本の作品を候補に上げることができた。

山形の実家に帰り、まずは近所の温泉へ。雪がちらほら降る中で入る温泉は格別! ふーっと息をつくと、またまた頭に1つのアイデアが閃いた。

(ゲストはエリセ監督がいいんじゃない?! マドリードに住んでいるし、ちょうどいいんじゃねー!)
観客の前で挨拶をする彼の姿を勝手に想像し、湯につかりながら興奮するのであった。

スペイン出身のビクトル・エリセ監督は、『ミツバチのささやき』や『エル・スール』で知られる世界的な映画監督。1968年にデビューして以来、10年に1本のペースでしか映画を製作しない希有な存在で、その作品の全てが高い評価を得ている。日本の河瀬直美監督と親交があることを耳にしていた。河瀬監督が声をかけてエリセ監督も参加したオムニバス作品、『3.11 A Sense of Home Films』も上映しよう!

点と点が繋がって、私の願いと企画が現実のかたちになっていく瞬間だった。