不惑のjaponesa(ハポネサ) ~40歳、崖っぷちスペイン留学~

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第13回:マドリード、映画あれこれ その2
2014年03月20日

【written by 浅野藤子(あさの・ふじこ)】山形県山形市出身。高校3年時にカナダへ、大学時にアメリカへ留学。帰国後は、山形国際ドキュメンタリー映画祭や東京国際映画祭で約13年にわたり事務局スタッフとして活動する。ドキュメンタリー映画や日本映画の作品選考・上映に多く携わる。大学留学時代に出会ったスペイン語を続けたいという思いとスペイン映画をより深く知りたいという思いから、2011年1月から7月までスペイン・マドリード市に滞在した。現在は、古巣である国際交流団体に所属し、被災地の子供たちや高校生・大学生の留学をサポートしている。
【最近の私】ペ最近忘れ物が多い。高速バスの乗車時に預けていたスーツケースを取り忘れたり、電車の網棚にパソコンが入った手提げ袋を忘れたり。それでも私の手元に100%の姿で戻ってくるとは。あ~、日本は何て良い国なんだろう。滝川クリステルさんが明言していたことは本当だと実感。
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■あれは確か・・・
高校3年生のときの話。男女共学校に進み、毎日が楽しいだろうと期待していたのだが、予想に反して勉強漬けの日々が待ち受けていた。その生活は刺激がなく、単調でつまらなかった。子どもの頃から平凡に生きることが苦手だった私は、腹痛をおこしたフリをしては学校をさぼり、映画館で古今東西の映画を観まくっていた。 そして・・・そう、あれは、確か平日の午後。地元の単館系映画館の50席ほどの劇場で、私の頭は何か新しいものに出会ったときに得られる刺激を過剰摂取したような状態になった。ペドロ・アルモドバル監督の映画『神経衰弱ぎりぎりの女たち(Mujeres al borde de un ataque de nervios)』 を観てしまったからだ。

映画は、主人公のペパが何年も付き合っていたアマンテ(愛人)から別れの言葉を突然に切り出されたシーンから始まる。妊娠の心配も重なり、ペパの苛立ちは極限まで達していた。愛人の新しい彼女、愛人の本妻、ペパの女友だちと、愛に狂った女たちをブラック・ユーモア満載で描き出した作品だ。

スクリーン全体にこれでもかと広がる主張の強い色たち。ドラッグ、セックス、ロックの快楽と退廃に満ち溢れたアルモドバル映画に私はショックを受け、そして夢中になった。それまでは、ハリウッドのクラシック映画やオードリー・ヘップバーンがお気に入りだったのだが、人間の欲望を恥じらいもなく素直に描いているアルモドバル映画にそれまで体感したことがない「カッコよさ」を感じた。あれは映画であり特別な世界、というのはわかっていたが、それでも舞台となったスペインという国に興味を持つきっかけとしては十分すぎるほどだった。

■La movida madrileña(モビーダ・マドリレーニャ)
アルモドバル監督が映画監督としてデビューしたのは、1980年代の前半だ。1975年にフランコ政権が崩壊し、転換期にあった80年代のマドリードで「La movida madrileña(モビーダ・マドリレーニャ)」という文化運動がおきる。体制時代に抑圧されていた、あらゆる表現や欲望が吹き出した社会現象であったと歴史的にも評価されている。マドリードの夜は若者たちで溢れ、革新的な活動は映画だけでなく、音楽、写真、絵画、文学の領域で盛んになった。「アンダーグラウンド」、「カウンターカルチャー」といった性格をもつこの運動は、スペイン国内に広がりをみせていった。

アルモドバル監督は、この運動のアイコンの一人とされている。デビュー作である『ペピ、ルシ、ボム、その他大勢の女の子たち』(1982)は、その流れのなかから生まれたアングラ的要素が強い映画であり、多くの若者の支持を集めた。既存の評論家たちは、当初見向きもしなかったが、次々に発表されるアルモドバル作品の人気は一層の高まりをみせ、無視することができない状態にまで発展していく。そして、あの『神経衰弱ぎりぎりの女たち』が登場する。

■ごヒイキではないが好きな映画館
映画関係者ウケが決して良いとは言えなかったアルモドバル監督のデビュー作を初めて上映したのは「Golem(ゴーレム)[当時は「Aphaville (アルファービレ)」]という映画館だった。マドリードの中心地から北西に離れたスペイン広場や大学などが隣接するエリアの近くにある単館系の劇場だ。「モビーダ・マドリレーニャ」が学生や若者を中心とした文化運動であったため、この立地には納得がいく。

周辺にはシネコン(私がスペインで映画鑑賞デビューをした映画館もその一つ。連載第10回:「アモール、アモール!」を参照)や、映画書を取り扱う専門書店「8 1/2(オーチョ・イ・メディオ)」がある。国営映画館「Cine Doré(シネ・ドレ)」(連載第12回参照)があるちょっと怪しい地区とは違い、文化の匂いがプンプンする。治安も比較的安全なところだ。「Golem(ゴーレム)」は、'ハリウッド系以外'の外国映画をスペイン語字幕で上映するため、これまたコアな映画ファンが通う映画館になっている。

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映画館「Golem(ゴーレム)


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映画書を取り扱う専門書店 「8 1/2(オーチョ・イ・メディオ)」

スペイン映画の研究をしていた私には、外国映画を上映するこの映画館を訪れる機会はあまりなかった。しかし、是枝裕和監督の『奇跡』を上映すると耳にしたらそうはいかない。是枝監督作品のほとんどを観ていたこともあり、ようやく「Golem(ゴーレム)」を訪れる理由が見つかったわけだ。すでに公開3週目だったこともあって、観客は10人程度だったが、このような日本映画をスペインの映画ファンに届けてくれる映画館があるのだと思うと、感慨深いものがあった。

アルモドバル監督の映画をきっかけに私がスペインを訪れたように、是枝作品にふれたことを機に、日本を訪れるスペイン人がいるかもしれないから――。