気ままに映画評

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『デス・プルーフ in グラインドハウス』by 藤田庸司(翻訳センタースタッフ)

DJ・タランティーノのスピード感覚


クエンティン・タランティーノの映画について考えるとき、僕はいつもクラブDJを連想する。自分の好きな曲を愛情とスキルでつなぎ合わせ、独自のグルーヴを生み出し、オーディエンスを楽しませるクラブDJ。タランティーノは映画界という巨大なクラブのDJだと思う。
「レザボア・ドッグス」、「パルプ・フィクション」、「キル・ビル」、彼は幼少の頃より見続けてきた愛すべき名画のエッセンスを巧みにミックスし、ジョーク、セックス、バイオレンスなどで味付けすることで、クールでスタイリッシュな作品を作り上げる。その名人技は3年ぶりの新作「デス・プルーフinグラインドハウス」でも健在であった。さらに今回は"スピード"という、これまでのタランティーノ映画にはなかった要素が盛り込まれ、進化さえ感じるほどだ。
作品名にある"グラインドハウス"とは70年代にアメリカで流行った、B級映画を3本立てなどで上映していた映画館のこと。劇中のファッション、音楽、セリフ、カメラワーク、役者(カート・ラッセルファンの方、スミマセン...)など、至るところに"B"へのこだわりが感じられ、その徹底振りたるやあっぱれだ。これぞ「A級の輝きを放つ、究極のB級映画」である。とはいえ、字幕翻訳者という立場からして気になった点が一つ。タランティーノ映画ではおなじみの、ダラダラとくだらない会話が続く例のシーン。流れを作るものが"会話"なだけあって、シーンを生かすも殺すも字幕翻訳者の腕にかかる。今回はイマイチ。やはり、クールに決められるのは、今のところN・T氏しかいない。