今週の1本

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2009年1月 アーカイブ

vol.49 『太陽を盗んだ男』~はじめてのジュリー~ by 浅川奈美


1月のテーマ:はじめての○○

「ママは、お化粧した男なんて大キライ」
私がまた幼かった頃。
母親の好みにより、彼が我が家のTVに映ることはほとんどなかった。

濃すぎる化粧、長い髪、奇想天外な衣装、あごを突き出して歌う妖艶な姿。
その独自のスタイルと歌唱力で人気を博していたジュリーこと沢田研二。
ビジュアル系の元祖。
女の衣装を美しく着こなし、日本人の憧れである青い瞳をカラーコンタクトで簡単にやってのけ、まぶたに真っ青なアイシャドウを乗せた歌手。当時、目の周りを青くしている男といえば、幼い私の知る限りでは、歌舞伎役者と、進研ゼミのキャラクター・ブッチ(確か左目だけ)ぐらいなものだったな。


たまの土曜夜、『8時だョ!全員集合』が、私とジュリーとの唯一の接点であった
(我が家は「全員集合」OKの家庭だったのだ)。

渋谷公会堂の舞台の上で、持ち前の"アンニュイフェロモン"と正反対な、体を張ったおばかコントを志村けんと絶妙な間合いで繰り広げていた。躊躇するどころか、それを満喫しているかのように生き生きと演ずるジュリー。番組後半、ステージ転換で現れた彼は体中に電飾をちりばめ、なんとパラシュート背負って「TOKIO」を熱唱...。

それは衣装なのか、セットなのか。

顔の作りなんか当時の私の好みには全然合わなかったし、やることとか佇まいも現実離れしていて、ちょっとつかみどころがない。でも、この人、気になる。母の手前、無関心を装いながら、こそっとみていた。

GSからピンになり、脱アイドル路線を突き進むジュリーは、歌手としてだけでなく、役者としても多くの作品に登場していた。が、彼の出演作には、男女のきわどいからみのシーンが多かったため、うちのブラウン管からジュリーは、さらに遠ざかっていったのだ。

俳優・沢田研二を始めてちゃんと見たのは私がすっかり大人になってから。


伝説のTVドラマ『悪魔のようなあいつ』(1975)
1968年12月に発生した3億円強奪事件をモチーフとした青春劇。犯人の可門良(沢田研二)は、高級クラブ「日蝕」で歌手として働いているが実は脳腫瘍に冒されており、余命いくばくもない身体であった...。
暴力シーン、挑戦的な演出、性描写。熱狂的な人気を博したようだが、いかんせんこのジュリーはやばい、やばすぎる。周囲の人物や風景の見え方は、まあその時代相応なのだが、ジュリーは不思議と全く時代を感じさせない姿。流行廃りもない、永久保存版の魅力ってこういうことなんだなと実感する。
美しいものは、なにやっても美しく切り撮られる(樹木希林?)。鼻血をだらだらと出すシーンを見た後、彼の魅力が完全なものなんだなー、なんて確信した人は少なくないのではないか。この作品はいまだにファンが多い。


さて。ようやく今週の1本はコレ。
70年代邦画の傑作、『太陽を盗んだ男』。

しがない中学教師(沢田研二)がアパートの一室で作った原爆をエサに、国家相手に喧嘩を売る荒唐無稽な話。
退廃的なジュリーの魅力、CGナシのアクション、社会問題の投影、そしてストーリーに散りばめられた完全な「ヒーロー」たち(「ウルトラマンレオ」「鉄腕アトム」「王、長嶋」「ストーン」などなど)。
これらのエッセンスの中を、「生きる証」に向かって、それぞれがまっしぐらに突き進む姿。画面から炸裂させる作品のパワーが本当にすばらしい。
公開当時、沢田研二31歳。46歳の菅原文太。
文太も負けてない。若すぎる。かっこよすぎる。銭形警部さながらの文太の不死身っぷり。CGナシの映像なのにそれってすごくないか?

デジタル技術を駆使した昨今の映像と比較したり、時代の流れ、技術の進歩、そんな細かいところをあげていけば突っ込みどころも満載だが、それを差し引いたとしても、見応え充分の秀作!

サッカーの日本代表戦すらスポンサーがつかなくて、LIVE放映が危ぶまれる、2009年不況時代。
だからこそ、この1本を観てもらいたいなと思う。このパワーは、もはやファンタジーなのか...。


是非、「はじめてのジュリー」はまずはこの作品から。
正統な選択。今週の1本はこれで。

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『太陽を盗んだ男』(1979)
147分/日本
監督:長谷川和彦
出演:沢田研二 菅原文太 池上希実子
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vol.50 『プロジェクトA』 by 石井清猛


1月のテーマ:はじめての○○

恐らく皆さんも経験があるのではないかと思うのですが、アメリカのアクション映画を見ていると、たまにふと"香港映画的瞬間"に出会うことがあります。
余りにもスタンダード化が進んだため、最近はそれが"香港映画的"であることさえ思い出すのが難しくなってしまっているかもしれない、そんな"瞬間"です。

それらは時に格闘シーンに導入されるカンフーの要素であったり、銃撃戦のカット処理であったり、ワイヤーアクションの活用であったりするのですが、どの瞬間にも共通しているのは、運良く「これって香港映画っぽいかも」と気づいた時に体中に広がるあの不思議な高揚感でしょう。

そして私たちの"香港映画的瞬間"の記憶において、ひときわ輝いている存在が、今回紹介する『プロジェクトA』の監督・脚本・主演であるジャッキー・チェンです。

ある世代の映画ファンに特別な感慨を抱かせつつ昨年11月に休刊となった「ロードショー」誌の「好きな俳優ランキング」男優部門で1980年代に6年連続で第1位に選ばれ、読者に圧倒的な支持を得ていたこの香港出身の俳優/監督は、言葉の真の意味で、映画が生んだ偉大なアクションスターと言えます。

1984年に公開された『プロジェクトA』はジャッキー・チェンの監督・主演第4作として製作されました。
ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポーの3人が主演スターとして初めて共演した作品であり、何を隠そう、当時中学生だった私が、学区内で初めて開店したビデオレンタル店で、初めて借りた作品です(確か1泊2日で700円。1週間レンタルというシステムは存在していなかった)。

多くのファンが躊躇なく彼のベスト1に推すこの作品が、そのオリジナリティとクオリティにおいて"ジャッキー・アクション"の集大成的な傑作であることは間違いないのですが、『プロジェクトA』は同時に、ジャッキー・チェンのフィルモグラフィの中でも突出したある特徴を持っています。つまり全編にちりばめられた直接、間接の映画的引用です。

有名な時計塔からの落下シーンには『ロイドの要心無用』でハロルド・ロイドがぶら下がったデパートの大時計が、海上警察と陸上警察が酒場で繰り広げる大喧嘩には『東京流れ者』で渡哲也が巻き込まれるストリップクラブでの乱闘シーンが、それぞれ直接的に引用されています。
また警察と海賊の両方から追われる身のジャッキー・チェンが、『北北西に進路を取れ』のケーリー・グラントばりに三すくみの状況を切り抜けたと思うと、上司の娘の手を引きつつキートンのように斜面をすべり降り、自転車と一緒にテラスから落下しそうになりながらもチャップリンのようにギリギリのところで持ちこたえる...。

アジア諸国やカンフー映画マニアの間ですでに絶大な人気を誇っていたジャッキー・チェンは、1987年にニューヨーク映画祭で『ポリス・ストーリー/香港国際警察』が特別上映されて以降、アメリカの映画関係者のあいだで評価を高めていきます。
この特別上映のきっかけを作ったのが他ならぬバート・レイノルズとクリント・イーストウッドだったのですが、彼らが初めて見て衝撃を受けたというジャッキー・チェンの作品は、映画祭で上映された『ポリス・ストーリー』と、『プロジェクトA』だったのです。

ブルース・ウィリスが命綱の消防用ホースを腰に巻き、ロサンゼルスの超高層ビルの屋上から飛び降りた『ダイハード』。
またマット・デイモンが白壁の建物がひしめき合うタンジールの街で屋根から屋根へ、そしてベランダへと飛び移った『ボーン・アルティメイタム』。
あるいはダニエル・クレイグがシエナの改装中の礼拝堂で敵ともみ合い、作業用の足場からロープで宙吊りになった『007/慰めの報酬』。

こうした作品の中で、私は幾度も"ジャッキー・チェン的瞬間"と出会い、高揚感に包まれます。
そしてその瞬間の記憶をたどる時、そこにはいつも『プロジェクトA』という作品があるのです。

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●『プロジェクトA』
出演:ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポー 他
監督・脚本:ジャッキー・チェン
製作:レナード・ホー
製作年:1984年
製作国:香港
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