発見!今週のキラリ☆

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vol.52 「手の感触」 by 柳原須美子


3月のテーマ:出会い

私は映像翻訳者。

私の右側には"映像"が、そして左側には"視聴者"が立っている。
でもこうして隣り合って立っていながら、私たちはお互いの顔を見ることができない。
なぜなら私たちは手を握ること以外、何も許されていない関係だから。
今、こうして並んで立っているけれど、お互いの存在を意識しているのは私だけだ。
"映像"も"視聴者"も、私がそこに立っていることを知らない。

私は"映像"に手を伸ばす。そしてゆっくりと、"映像"の手を握る。
すると"映像"が私の手をギュッと握り返してくる。
私は、その手の温度、力加減を体に染み込ませる。しばらく感じ入る。
そして、意を決して"視聴者"の手を握る。
"映像"が伝えてくれた感触を、そのまま"視聴者"に伝えるために精神を集中させる。

両方の手が同じように汗ばんできたら、私たちは歩き出す。
"映像"がその時を終えるまで、共に歩き続ける。
"映像"がその時を終えた時、彼らは私の両側から消える。跡形もなく。

1つの旅が終わる。寂しい。
でもすぐそこに、次の旅が待っている。

私は、両手に染みついた感触に浸りながら、また別の"映像"と"視聴者"の間に立つ。
そして少し感度が上がった手を"映像"に差し伸べ、その手を握り、新たな道を歩き始める。


これが、私が持っている映像翻訳のイメージだ。見ず知らずの人々の間に立ち、見ず知らずの人々に感じ入ること。そして、正確に伝達する。これが一番大切。映像翻訳者を通して両者は繋がる。それぞれの手の感触を認識するために必要なものは、思いやり、経験の蓄積、知識、喜怒哀楽、エトセトラ、エトセトラ...。

映像翻訳って、まるで精神修行だ。

こうして得た感触は、私の中にずっと残っている。"映像"に別れを告げたあともずっと。そして、私はその感触に導かれながら日常を生きている。1つの"映像"との出会いによって、私の人生にちょっとした変化が訪れる。

少し大げさに考えすぎかもしれないが、私は本気でそう思っている。