発見!今週のキラリ☆

vol.77 「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 」 by 浅川奈美


3月のテーマ: におい


「おいしい食事には、使わない!」

あれは、社会人になってまだ間もない私が、会社の先輩たちに連れられ、一見さんお断りの高級レストランに行った時のこと。運ばれてきた美しい一皿に、感嘆の声を上げた。「わー美味しそう。いいにおい。」思わず私の口をついて出てしまった「におい」という言葉に対し、シニアソムリエの資格を有する先輩は、するどい眼光と共に私を一喝した。馴染みのギャルソンの手前、その一喝の声量こそ大きくはなかったが、私はとんでもない失敗をしてしまったのではないかという恥ずかしさと、無知な後輩のせいで先輩の面子をつぶしてしまったのではという恐怖で、全身の毛穴が一気に引き締まった。
あの日から、「におい」の使用に関して、かなりビビリになってしまった。五感のうち嗅覚で感じ取ったものに対し表現する際、必ず一呼吸置いているのである。

「プルースト現象」という言葉を知っているだろうか。
ある特定の匂いがそれにまつわる記憶を誘発する現象のことである。上述の思い出とは、ちょっとちがうが...。
嗅覚の神経は五感の中で唯一、大脳新皮質を経由せずに記憶に関係する「海馬」や、情動に関係する「扁桃体」に繋がっているとか。
また、脳神経学からの報告では、思い出の香水を嗅ぐと脳の扁桃体の部分も活性化するのに対し、初めて嗅ぐ香水では活性化しない、といったものがある。
さらに。
「脳内で記憶や情動、感情を司る部位と嗅覚を司る部位が非常に近いので、ニオイが記憶を刺激しやすいともいわれていますが、詳しいメカニズムはわかっていません。ちなみに、実験結果から、嗅覚の記憶は視覚や触覚の記憶よりも、より感情をともなう記憶、当時のドキドキやワクワクなどまで思い出すことが多いようです」と雑誌のインタビュー記事で語るのは、筑波大学准教授の綾部早穂先生。

さて、この「プルースト現象」は、フランスの文豪マルセル・プルーストの名にちなんでいる。プルーストの代表作「失われた時を求めて」(À la recherche du temps perdu)の文中、主人公がマドレーヌを紅茶に浸し、その香りをきっかけとして幼年時代を思い出す、という描写が元だ。
今日も日々研究が重ねられる脳神経学の分野で、己の名前が現象の名称に使われるとは、プルーストさんも夢にも思っていなかったであろう。
マドレーヌと紅茶の香り。なんとも素敵な話ではないか。


今日もまた私の話は、ナイル川のように蛇行していくのだが、もう少しお付き合いいただきたい。今回のタイトル。


東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
(『拾遺和歌集』)


北野天満宮の菅原道真公が大宰府に左遷される時に歌ったものだ。菅原 道真とは、ご存じ、平安時代の学者・詩人・政治家。

泣ける、泣けるよ。この季節ピッタリ。
こういう時はさ、やっぱ「にほひ」だよねー、道真さん。ほら、いい香りのときも使うんですよ。「におい」ってやつを。
昨年の春、私は「桜」に関してのコラムを書いたのだが、そのときには在原さんに。そして今年は菅原さんに。花の季節、古の歌人に思いを馳せ、季節をめでる。いいものである。

発見!今週のキラリ vol.54 「花は桜木」 (2009年4月 3日)


「におい」「臭い」「匂い」「ニオイ」
あー。もう本当に日本語ってめんどくさいっ!じゃなくて、素晴らしい!
ひとつの言葉でも、これだけの文字表現があり、それぞれあたえる印象が、こんなに違う。
文字の情報を発信する側としては、確信犯的に、その効果を狙うことができる。つくづく日本語というものは、奥が深いと思い知らされる。
海外のコンテンツを翻訳するにあたり、本国アプルーバルのため、時に行われるトランスレーションバック...。
果たして、日本語の持つこの奥行きを、分かっていただいているのか、甚だ疑問である今日この頃だ。

vol.76 「夜の闇、夜の光」 by 桜井徹二


2月のテーマ:夜

東京で生活していると思い出すこともあまりないが、初めて訪れた街や旅先で暗い夜道を歩いていると、ふと甦ってくる思い出がある。

10年近く前のことになるけれど、西アフリカのある国を旅行していた時のことだ。日に1本しかない国境越えのバスに乗るため、夜明け前に宿を出てバス停に向かって歩いていた。

日の出までそれほど時間はないはずだったが、空はまだ暗く、周囲はほとんど完全な暗闇だった。土がむき出しの道路沿いには人家も街灯も玄関ポーチの灯りもなく、月明かりだけが頼りだった。

宿を出てしばらく歩いていると、少し先に人影が見えた。そう思った次の瞬間、僕は数人の男に囲まれていた。そして1人が手に持っていた小さなナイフを僕の腹にそっと押しあて、金を要求した。彼らは背負っていたザックとポケットの中のお金を奪うと、あっという間に暗闇の中に消えた。

所持品はすべて奪われたものの、幸いなことに腹巻き状の貴重品入れに入れていたパスポートと大部分のお金は無事だった。結局、悩んだ末に僕は手ぶらで国境を越え、そのまま旅を続けることにした。

だがその後も夜に対する恐怖心はなかなか拭えなかった。1人で観光中、日が傾き出すとあわてて宿に戻った。複数でも夜の外出はできるだけ避けた。旅を続けるつれて恐怖心は徐々に薄れていったが、それでも完全に消えることはなかった。

その数カ月後、僕は東南アジアのある国にいて、トラックを改造したバスに乗って夜の山道を移動していた。後ろを振り返くと、道が猛スピードで後ろに過ぎ去っていく。ほかには1台の車も走っておらず、バスが通り過ぎた後の道は完全に真っ暗だった。

だがしばらくすると、真っ暗なはずの道の両脇の茂みに無数の蛍がいるのに気がついた。見たこともないくらいの数の蛍だ。バスが過ぎ去ると、蛍は安堵の息をもらすかのように柔らかな光を放ち、その光の列は途切れることなく続いていた。

今でも折にふれてこの2つの出来事を思い出す。そしてそのたびに、つくづく夜のもつ底知れなさ、奥深さに感嘆するのだ。

vol.75 「明けない夜はない」 by 浅野一郎


2月のテーマ:夜

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僕は今の仕事を心底気に入っている。「映像翻訳」の世界の真っただ中で生きていることに充足感をおぼえている。

何となく流されるままフラフラと生きてきて、人に導かるまま、この職に就いたような気がするが、落ち着いて考えてみると、芯はブレていなかったようだ。その芯とは、"どんな形でもいい、映像翻訳に関わっていたい"という思いだ。それが、僕の気持ちを支え、岐路に差し掛かった時に正しい道を選択させてくれたのだと思う。

昨夜、修了生対象オープントライアルの説明会があり、不安に満ちた顔をたくさん見た。当然だろう。僕もそうだった。そもそも、僕の時代は、現在のメディア・トランスレーション・センターのような受け皿機関はなく、将来はまったくの闇だった。
スキルは得た、しかし、それをどう活かしたらよいのか? そもそも活かすことなど出来るのだろうか、このまま続けて果たして芽が出るのかと、講義が終わって帰宅してから、夜の闇に向かって延々と問いかけていたものだ。
実はフリーランスで映像翻訳の仕事を始めた当初、規定年収に達していないという理由で、マンションの賃貸契約を断られたことがある。この時ばかりは、映像翻訳の世界から足を洗って、定期収入が得られる仕事に転職をしようと思ったものだ。

しかし、それでも映像翻訳を続けたのは、海外素材が好きでたまらず、映像翻訳というものを心から愛していたからだ。
だから、僕は映像翻訳をやめなかった。いや、正確に言えば"あきらめなかった"と言うほうが正しいだろう。

皆さんにも様々な事情があるだろう。だから、軽々しいことは決して言えないが、迷いや不安が生じた時、映像翻訳の世界に飛び込もうと思ったきっかけを思い出してほしい。なぜ映像翻訳者を志し、どれだけ映像翻訳の世界に飛び込むことを熱望しているかを、しっかり考えてほしい。もう少しだけ、前に進む勇気が湧いてくるはずだ。

大丈夫。明けない夜はないから。

vol.74 「未知の自分を信じて」 by 藤田庸司


1月のテーマ:未知

元々MTCスタッフ1名で担当していたOJTだが、去年の暮れから4人体制となり、僕も4分の1を担うこととなった。トライアルに合格しプロデビューを目前に控えた翻訳者さんたちとやり取りしていると、彼らからは、あたかも花が開花する直前のような勢いや情熱が感じられ、こちらも身の引き締まる思いがする。その情熱と培った技術で、今後の映像翻訳業界をグイグイ引っ張っていってほしい。

一方、トライアル合格に今一歩届かない方から、未来に対する不安や勉強に関する悩みを相談されることも多い。悩みの多くが「自分の力が伸びているのかどうか分からない」、「何度もトライアルを受けているが、どうしても受からない」、「自分は他のみんなと比べて、何が欠けているのか知りたい」といった内容だ。それらに個々のライフスタイルや、将来の展望などがからむと、悩みは実に様々だ。

しかし、多種多様な悩みの中にも決まって感じられることがある。それは"焦り"だ。ほとんどの人が「とにかく早く仕事を!!」、「とにかく早くトライアル合格を!!」と口にする。僕も受講生だった頃、「この先どうなるのかな...」といった不安を何度も感じたことがあるので、はやる気持ちは痛いほど分かるが、そういう時こそ"冷静に"自身の力を分析してほしい。周囲を気にするのではなく自分の内面に目を向け、講義や面談で何度となく繰り返し言われる映像翻訳者に必要な基礎力がきちんと備わっているかを、まず見直してほしい。以下に3つの見直しポイントをあげる。

まずは翻訳の基盤となる英語力。
受講中はさておき、プロの映像翻訳者としてやっていくには、TOEICスコア860点は必要とされている。もちろん、700点でも、800点でも翻訳はできるが、英語力の低さは、訳出スピードに影響及ぼすうえ、解釈ミスや誤訳の原因となる。逆に英語力が上がり訳出スピードが上がれば、生まれた余裕を日本語表現の練り直しや調べ物へ当てられるなど、俄然有利となる。英語力はあるに越したことはない。現在860点ならば、900点、900点ならば950点と、常に上を目指して努力したい。

2つ目は日本語表現力。
よく「どうすれば日本語が上手になりますか?」という相談を受けるが、僕は決まって「日本語を読んでますか?書いてますか?」と返す。「日本語が上手くなりたいな~」と思うだけでは上手くならない。思う前にとにかく読んだり、書いたりすること。ただし本を読むにしても、読んで"楽しかった"で終わるのではなく、感想文を書いたり、うまい表現があればそれを使用して日記を書いたりしよう。とあるプロ翻訳者さんは、修行と称して放送されるドキュメンタリー番組の字幕を写経すると言っていた。自分の文章が正しいかどうか分からない場合は、人に読んでもらうのもいい。受講生ならば、クラスメートとの原稿の交換は効果的だ。

最後にリサーチ力(調べ物)。
特に映像翻訳では、スクリプトにない重要な情報が映像や番組テーマの文化的背景に込められていることが多いので、誤訳や解釈ミス防止のためにも素材に関する徹底的なリサーチが必要だ。ただし、闇雲に調べればいいというわけではない。リサーチに時間を費やすあまり、訳出作業に当てる時間がなくなっては本末転倒。必要な情報を最小限の時間で入手する方法を身につけたい。

MTCトライアルでは、上記のうちどれか一つが欠けても合格できないように設定されている。合格に至らない人は、いずれかが弱いわけで、自分のウィークポイントを洗い出し改善しなければ、何度トライアルを受けても同じ結果を繰り返すだけである。また、もののはずみで合格しても、その後のOJTで苦労したり、プロとして仕事をするようになっても、いい仕事が出来ず、受注量を減らさざるを得なくなる。結局は未知の自分を信じて焦る気持ちを抑え、地道に基本スキルを磨くことが、自身のレベルを上げる一番の近道となるのだ。

MTCは今年も、一人でも多くの方の夢を叶えるべく全力を尽くす所存です。
みなさんにとって飛躍の年となりますよう、今年も共にがんばりましょう!

vol.73 「映像翻訳者は未知の河を渡る」 by 石井清猛


1月のテーマ:未知

大晦日のカウントダウンの針が"ゼロ"を打つ瞬間に私たちの胸に沸き起こる感慨はそれこそ千差万別でしょう。明るいものから暗いものまで、軽いものから重いものまで、明晰なものから混乱したものまで様々だと思うのですが、1つ共通しているのは、それら有形無形の感慨が、どれも皆やがて祈りに似た何かに変わっていくということです。

新しい年を迎える時、たとえ拝んだり跪いたりしなくても、私たちは大抵いつも祈るような気持ちで、これから目の前にゆっくりと姿を現そうとしている未知なる時間=(1年分の)未来に思いを馳せている気がします。

何しろ仕事で忙しくて祈るなんて悠長なことは言ってられなかった、という皆さんもいらっしゃることを、もちろん忘れてるわけではありません。
特にそれが私たちの方でお願いしたお仕事のためであればなおのこと。無視するなんてできるわけがないではありませんか!
なので、ここでお話ししているのはあくまで一般論であることをご了承ください...。

さて、徐々にその姿を現しつつあるとは言え、やはり「一瞬先は闇」なのが未来というもの。そこには最も精密な統計データをもってしても分類することも理解することもかなわない不透明な部分が横たわっていて、いつまでも決して解消されることはありません。
となれば忙しい人も忙しくない人も、持つ人も持たざる人も、うまくやっている人もしくじっている人も、西洋の人も東洋の人も、結局、誰もが祈るのもそこそこに、目の前の暗闇の中へ飛び込んでいくしかないというのが、苦くとも否定しがたい現実なのではないでしょうか。

つまり"深くて暗い川がある"のは何も男と女の間に限ったことではないということです。未来と現在の間、そして未知と既知の間にも同じように深くて暗くて急な川が流れている。
そして今を生きる私たちは、一人残らず、それぞれのやり方でその川を渡っているわけです。それがどんな川だったのか、清流だったのか泥水だったのか、あるいは何本渡ったのかすら判然としないまま、夕べも今日も今この瞬間も。

「無知の知」という言葉があって、これは"私は何も知らないということを知っている"という、謙虚な姿勢とも詭弁ともつかない(笑)ある種の宣言なのですが、自分が渡った川のことをよく知らないという私たちの状況は、どちらかというと、"私は知っているということを知らない"というものに近い気がします。

だから私は、これまでに自分が渡ってきたはずのそれらの無数の川のことを思い出したくてたまりません。
見たはずなのに知らない映像のことを、聴いたはずなのに知らない音楽のことを、読んだはずなのに知らない言葉のことを、会ったはずなのに知らない人のことを、私は思い出さなくてはならない。

何だそんなことか、中学生じゃあるまいし。と思われる向きもあるでしょうが、言ってみればこれが私の新年の祈りです。
そして私にとっての映像翻訳とは、毎日の仕事の中でそんな自分の小さな"祈り"と向き合うための場に他なりません。

例えばいかにもシンプルでありふれた単語を訳出するだけなのに、ひとたびそれが具体的な映像と音声を伴った瞬間、私たちは一気に暗闇=川の中へ放り込まれてしまいます。
単語が特定の文脈の中で不透明性を帯び、翻訳者は言葉に詰まって適切な訳語を求めてさまようという事態に直面するわけです。

その時、目の前の深くて暗い川を渡り切るために新しく知らなければならないことがあったとするなら、その1つひとつは、きっと、かつて自分が渡った川のことを思い出すヒントにもなっている気がするのです。

中学校時代に英語の授業で「アンネの日記」を読んだ時、"longing"という言葉に初めて出会い、その訳語に違和感を感じたことを今もよく覚えています。
もちろん、自然な日本語の流れとかワードチョイスに問題があったといった理由からではなく、単に"long=長い"という初歩の単語と同じ綴りのくせに複雑で高尚な概念を表すことができるのは解せないといった程度のレベルの低い違和感だったのですが(笑)、今でも、あの違和感にはある種の愛着があることは確かです。

あの日記の中でアンネ・フランクが"long"していたのは、自由であり平和であり人との出会いでした。
それはまさに彼女の祈りそのものと言えます。
果たしてそんな単語を、辞書どおりに"焦がれる"とか"切に願う"とか"憧れる"といった言葉をあてることで十分に訳出できていたのか、今でもたまに考えることがあるのです。
本当にたまに、ですけどね。

vol.72 「雪、雪、雪。思考止まらず」 by 浅川奈美


12月のテーマ:「雪」

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あっという間にまた自分の番に回ってきた!さらに、本日、12月18日。
超特急で過ぎ去っていった、「2009年」というに日々に驚愕している。

さて。このコラム。
好きなことを書いていいといっても、テーマは決まっているわけで。さらに、このテーマが、実に直球過ぎて日頃スルー必須の定番アイテムだけに、それについてなにか書くとなると...(汗)。
案外、難儀。なのだが、その一方、おかげで思考もほどよく活性化されて、刺激的。日常、普通に起こる出来事や、当たり前と思いがちなことの前に立ち止まり、もう一度「う"、ぅぅ...」と考えなおしてみるこの機会。哲学的だ。いいみたいだ。

東京生まれ、東京育ちの私。寒さには、極度に弱い。でも、雪は好き。都会のご都合主義、代表選手である。
そんな私にとって「雪」のことを思うと絶対に頭に浮かんで離れない風景というのがある。
それはニセコの山林だ。

ハイクアップして、やっとたどり着いたポイント。そこから傾斜に沿ってそっと加重するあの瞬間。
あるのは、空と、森と、雪。
聞こえるのは自分の呼吸と雪上を滑る音だけ。
目の前の景色に溶けこんでいくような感覚。
パノラマに広がる幻想的過ぎる風景。
それらに全てを奪われても、「ゆるーす」と一瞬錯覚させてしまう......。(TдT)

道具一式、ニセコの友人宅にシーズン中置かせてもらい、毎冬スノーボードに明け暮れていたあの頃。ムチャもしたし、それなりの恐怖と危険も体験したこともあった。
あ"―。泣けてくるほどなつかしい。

「雪」から想起させるものとなるととめどなく出てきてしまう。
またはじまった...(´-`).
「森雪」。
またスクリーンにこの人の姿を観ることが出来るとはっ!
自滅したヤマトは、さながらフェニックスのように2009年冬、蘇った。
「慎太郎さん、ありがとう」と、敗戦コンプレックスからいまだ抜け切れない昭和のお父さん達の声が聞こえてくるようだ。今後の課題としては実写版「森雪=黒木メイサ」をどう受け入れていいものか、というところか。

もうひとつ。強烈に雪の風景を思い起こさせる言葉がある。
それは、「カムチャッカ」。

カムチャッカというと、浅川のことだから、「博光丸」の話でも熱くするのではないか。と思われるかもしれない。数年前からブームが再燃。新装丁で書店に並び、マンガや映画にもされたあのプロレタリア文学の代表作!「蟹工船」!!

ではなく。

「カムチャッカの若者」のこと。
「お、あれね」と思う人は少なくないだろう。教科書にも載っていた。
谷川俊太郎の名作。そう、あれだ。
教室で始めて出会ったときから、私はあの詩が大好きだ。

冒頭の一言、これにやられた。つづく「きりんの夢」。
想像する舞台は、完全に白銀の世界だ。
雪の中にひっそりと佇む家のベッドの上。若者は何て素敵な夢をみているのだろうか。

その後、メキシコだとかニューヨークだとか出てきても、開始直後カウンターに受けた衝撃は、強い余韻を残している。
そして最後。
目に浮かぶのは、新しい日の産声があがるその直前まで、全ての音をも吸い込んでしまう、雪の世界。その中、輝きながら昇っていく太陽。
今日に照らされる真っ白な雪。

ため息が出てしまうような素晴らしい世界観だ。

東京では、殆ど積もることはないけれど。
もしこの冬も、雪が降ったら、この詩を思い浮かべていたい。

知っているよ、という人も、是非。いま一度。↓↓

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「朝のリレー」    谷川俊太郎

カムチャッカの若者がきりんの夢をみているとき
メキシコの娘は朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女がほほえみながら寝返りをうつとき
ローマの少年は柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球ではいつもどこかで朝がはじまっている

ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳を済ますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴ってる

それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
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vol.71 「あったかい雪の思い出」 by 藤田彩乃


12月のテーマ:「雪」

朝晩は冷え込むものの、昼間は快晴、ぽかぽか陽気で雪とは無縁のロサンゼルス。まったく年の暮れという気がしません。寒いのは好きではないですが、新雪を歩いたり太陽の光に反射して輝く雪を見たりするのは大好き。やはり雪を見ないと冬という感じがしないのは、雪国出身だからでしょうか。

私の出身の北陸富山は豪雪地帯。毎年冬は雪が降ります。幼少期は九州に住んでいたので、富山に引っ越した当初は雪の上を歩けず、すぐに転んでは笑われていたようですが、いつも間にやら立派に雪国っ子になりました。アノラックにスノトレで登校し、スタッドレスタイヤに履き替える大人たちを見て育ちました(雪国以外では聞きなれないカタカナ用語かもしれません)。

北陸は湿気が多いので北海道のようなさらさらした粉雪と違い、ずっしり重く雪かきは重労働になります。はらはらと雪が舞うなどというロマンチックな状況ではなく、傘なんて生易しいものでは太刀打ちできない吹雪に立ち向かうこともしばしばでした。

そんな故郷での雪の思い出をひとつ。中学の頃は部活動の朝練習で早朝6時半には家を出て、30分かけて歩いて登校していました。大通りは歩道が狭く危ないのと遠回りなので、民家の前の路地や小道などを通っていたのですが、大通りと違って除雪車が入ったり融雪装置がついていたりはしません。

でも毎朝、雪が積もった日には通学路の雪がどけてありました。特に車が出て行った跡もないので、家の前を通るであろう誰かのために凍える寒さの中、わざわざ外に出て雪かきをしてくださったのでしょう。一度もお礼を言う機会はありませんでしたが、子供ながらにありがたいなあと思ったのを今でも覚えています。

見知らぬ人のために行動するって、簡単なようで普段なかなかできないことです。すっとドアを開けてくれたり、落とした物を拾ってくれたり、そんな些細なことでも親切にされると嬉しくなるもの。忙しさにかまけて助け合いの精神も忘れがちですが、多くの人の心に光を灯せるよう、心にゆとりをもって暮らしたいなあと思います。

2009年も残りわずか。2000年からお馴染みになっている「00」部分をメガネにしたお祭り気分満載の西暦メガネを見ることもないんだなあと、相変わらずのんきなことを考えていますが、今年も健康に楽しく暮らせたことに感謝感謝です。

vol.70 「スポーツを訳す!」 by 藤田庸司


11月のテーマ:スポーツ

MTCには現在9名のディレクターがいて、厳密ではないにしても、ある程度ジャンルによって担当が決まっていたりする。ドラマ、ドキュメンタリー、音楽、エンタメ、日英...。僕は比較的スポーツ素材を担当することが多い。今回は"スポーツを訳す!"と題して、映像翻訳を必要とするスポーツ素材の傾向や、翻訳作業における特徴などについて書いてみたいと思う。
では、まず素材を見てみよう。

①王道系
野球、バスケ、アメフト、サッカー、ゴルフ、テニスなど。これらはスポーツファンならずとも、新聞のスポーツ欄やニュース番組のスポーツコーナーなどを通じて、ある程度のルールを知っていたり、選手名が一人くらいは言えたりする。いわば王道的素材であり、スポーツ素材と聞いて真っ先に頭に浮かぶ人も多いと思う。

②アート系
エクストリームスポーツ(Ⅹスポーツ)という言葉を耳にしたことがあるだろうか。サーフィン、スケートボード、スノーボード、マウンテンバイク、ストリートバスケなど、①に対するカウンターカルチャーとでもいうべきスポーツ。選手の年齢層は比較的若く、そのファッションや言動が芸能人並に世間の若者に影響を与えたりする。率直にスピードや得点を競う①とは異なり、人間業とは思えない技の美しさや、華麗さで勝負することが多い。

③乗り物系
F1、エアレース、自転車レース、ヨットレースなど。人間が乗り物を利用して、スピードや重力の限界を見極めようとする時、そこには常に"死"の影がちらつく。一見華やかで、優雅なスポーツに思えるかもしれないが、危険度は群を抜いて高い。

④格闘技系
ボクシング、プロレスなど。弱肉強食の世界には人間ドラマがつきものだ。特にプロレスなどは、勝負よりも選手同士の駆け引きや、試合までのストーリーがファンを盛り上げる。

⑤歴史系
有名選手の経歴や、大会の歴史などのドキュメンタリー。オリンピック、サッカーW杯、世界陸上など、一大イベントに伴い特番が放映されたり、DVDが発売されたりする。

以上、大きく5つのカテゴリーに分けてみたが、この他にもフィギアスケート、釣り、ハングライダー、フリークライミング、カヌー、変わり種では水球や乗馬など、ありとあらゆるスポーツが翻訳を必要としている。

では、次に訳出形式だ。

①VO(ボイスオーバー)
実況解説やナレーションなどはVOとなることが多いが、一般的なドキュメンタリー素材などのVOとは異なり、原音が消去されることもある。その場合、ナレーターや声優は原音尺に捕らわれず、映像のカットなどに合わせて、のびのびと原稿を読む。

②字幕
試合中の実況や解説はボイスオーバーで、選手インタビュー、勝利者インタビューなどを字幕にするというパターンが多く見られる。歴史系の素材は字幕が多い。

③ベタ訳
選手インタビューや、試合レポートなど、取材テープの情報を漏らさぬよう翻訳する。納品した翻訳原稿を基に、番組制作局で使用個所を吟味したうえで字幕を制作したり、ナレーション原稿に仕上げたりする。

一瞬で勝負が決まるスポーツの世界。画面上、目で追うべきは球や選手の動きであって、字幕を必死に読むあまり、歴史をも塗り替えるゴールを見逃したとあっては元も子もない。試合に集中できるボイスオーバーが重宝される理由の一つだ。字幕の場合も、クライアントからは極力文字数オーバーを避けてほしいとの要望が強い。流れをよく考え、必要な情報をよりシンプルに字幕に反映させるスキルが求められる。

では、最後に翻訳者に求められる素養を挙げてみよう。

①リスニング力
スポーツに筋書きはない。故にスクリプトが無い場合が多い。聞き起し作業を経てスクリプトを用意することもあるが、作業時間、予算の都合上、聞き起しをかけてスクリプトを用意することは少ない。

②表現力
"雪辱を果たす""追従を許さない"など、スポーツの世界特有の、それっぽい、カッコイイ言い回しが求められる。また技や道具、ルールに関する単語を知っていなければ、訳すことが出来ないうえ、誤訳の種となる。

③リサーチ力
競技や試合以外での、選手の行動などにも注意が必要。解説者が不意に話題に出したり、ジョークのネタにすることが多々ある。またシーズンがある競技では、選手やチームの成績をインプットすることで、話の流れがつかみ易くなり、訳出スピードが格段にアップする。

"好きこそ物の上手なれ"とはよく言ったもので、常日頃から番組を見ていると、自ずとリサーチしていることになるし、解説者やアナウンサーが使うカッコイイ言い回しなども自然と刷り込まれていく。また、選手名やルールを知っていると、未知のジャンルを聞くよりも聞き取りやすい。スポーツに限らず、結局はその素材をどこまで愛せるかが成功の秘訣ではないだろうか。人類が滅亡しない限り、この世からスポーツが無くなることはないだろう。スポーツが無くならない限り翻訳は必要とされる。また、一旦制定されたルールはほぼ不変。毎年ころころ変わることはない。その道のスペシャリストとなれば、安定した仕事量を確保できるのも、フリー翻訳者としては魅力的だ。

vol.69 「負けず嫌いのその後」 by 藤田奈緒


11月のテーマ:スポーツ

何年も前のこと、アカデミーがまだ代々木八幡にあった頃の実践クラスでの出来事。突然、イチローについての英字新聞の記事が配られ、10分程度でベタ訳するように講師から言われた。うーん... 悩むこと10分。周りのクラスメートたちがペンをさらさらと進める中、とうとう一筆も進まないまま時間が過ぎてしまった。実は私、お恥ずかしなからスポーツ全般、中でも取り分け野球に関する知識が皆無といってよいほどないのだ。打率という言葉一つとっても何のことやら、頭の中が真っ白とはまさにこのことである。

お願いだから当てないでくれと、講師と目を合わさないよう机の上の真っ白な紙を見続ける。しかし残念ながら、窮地に陥っている時こそ運命は味方してくれないもの。名簿の名前に目を通していた講師は、まっすぐに私を見つめ言い放った。
「では藤田さん、声に出して読んでみてください」
どうしよう... 何ひとつ発表できる訳など用意できていない。
追いつめられた私は、あり得ない一言を口にしてしまった。
「すみません、スポーツがどうしても苦手で...。今回は勘弁してください」
その瞬間、教室の中が一気にシーンと静まり返ったのは言うまでもない。その後、そのクラス内ではそんなことは二度と起きなかったし、講師として授業に入る現在も、そんな大胆な発言をする受講生には出会っていない。

小学生の時の体育の成績は運が良い時は5、ピンチヒッターで陸上部のレースに出たこともあったし、中学高校を通して、体育祭のリレーに出なかった年はない。自分は運動が割と得意なのだろうと思っていた。まあ足がそこそこ速いことと、スポーツに詳しいことが必ずしもイコールではないことは分かるのだが、大昔の中途半端な栄光が忘れられない私にとって、この日のクラスでの失態はとてもショックだった。

実践コースが終わって数ヵ月過ぎた頃、トライアルが実施された。その頃は今のように毎月実施されていたわけではなく、数ヵ月に1度、複数ジャンルのトライアルが同時実施されていた。それを逃すと次のチャンスはいつ来るか分からないということで、自分も含め、周囲の友人たちの気合いの入れようは半端ではなかった。トライアルのジャンルは4つ。ドキュメンタリー、EPK、情報番組、そしてスポーツ。一瞬、あの日の嫌な記憶が蘇ったが、躊躇している余裕はない。思いきって4ジャンルすべてに応募した。

数週間後、結果が発表された。結局、私は4ジャンルのうち、かろうじてドキュメンタリーにのみひっかかり、その後仕事をもらえるようになった。そして1年後、縁あって現MTCのスタッフとして働くことになったわけだが、今でも当時を知るスタッフには時折ネタにされる。あのスポーツトライアルの奈緒さんの原稿はとにかく笑えるほどひどいものだった、と。自分なりに全力で徹夜で仕上げたものだったが、自分で見返してもつくづくひどいなあと思う。

だがそんな私も、MTCに入ってからは来る仕事を拒むわけもいかず、それなりにスポーツものを担当してきた。ヨットレース、ヨガ、ゴルフ、ピラティス、バレエ。こうして列挙してみると、神の計らいか割とマイルドなものが多いようにも思えるが、一度足を踏み入れてみればそれぞれの世界は深く、時にハマりながら楽しくやっている。翻訳者の皆さん、どうぞご心配なく!

vol.68 「わからないと思うけど」 by 桜井徹二


10月のテーマ:クセ

匂いと旅の記憶が結びつくことがあるように、しばしば、ある人の印象とその人の癖とが分かちがたく結びついてしまうことがある。

中学校の同級生に、「わからないと思うけど」というのが口癖の女の子がいた。1年生の途中で転校してきた子で、何か言うたび、文章の最後に句点をつけるみたいに「わからないと思うけどね」と付け足した。はっきりそう言わない時でも、彼女の言葉には常に(あなたにはわからないと思うけど)と括弧書きが加わっているかのような響きがあった。

その口癖に加えて、彼女にはどこか挑戦的な態度を取る面があり、クラスでの評判は芳しくなかった。僕自身、何かといえば「わからないと思うけど」と見下されるようなことを言われるのを煙たく感じて距離を置いていた。そのせいで、中学ではずっと同じクラスだったにも関わらず、彼女とはほとんど口を利くこともなく過ごした。

ところが偶然同じ塾に通っていたこともあってか、中学3年のなかばを過ぎた頃には僕はいつのまにか彼女と言葉をかわすようになっていた。きちんと話してみると、彼女はちょっと気が強いだけで他の子とそう変わるところのない、ごくまっとうな子だった。

それに彼女にはだいぶ年上の兄弟がいたせいで、ほかの同級生よりもずっと進んだ音楽や映画の知識を身につけていた。その点で、彼女の話には、ほかの同級生との会話とは違う楽しみを見出すことができた(彼女から教わったアルバムのいくつかは、いまだに愛聴している)。

だが中学を卒業して高校に進学すると、彼女とは顔を合わせることもなくなった。時々は彼女のことを思い出しもしたが、だからといってこちらから連絡を取るなんて考えもしなかった。そもそもまともに会話を始めて半年も経っておらず、「友達」というほど仲良くもなかったし、住む世界が変わるとともに交流が途絶えるというのは、何も珍しいことではない。

そして大学生になったころ、たまたま会った同級生から彼女の消息を聞いた。それによれば、彼女は高校に入って間もなく両親ともを病気で亡くし、田舎の親戚のもとに引き取られたという。しかも両親は長らく不和で、以前から家庭内別居が続いていたということだった。なんだかテレビドラマの話みたいだなと思ったが、実際、彼女が住んでいた家にはすでに別人の表札がかかっていた。

その話を聞いて僕は、彼女の「わからないと思うけど」という口癖を思い出した。彼女は繰り返し繰り返し、「わからないと思うけど」と言った(本当に何度も繰り返していたのだ)。だがそれは意味のない口癖でもなければ人を見下すためのセリフでもなく、まさしくその言葉通りの意味だったのだろう。彼女は、僕のような平凡な中学生にはとうてい理解できない人生を歩んでいたのだ。

今でもふと、もし彼女と知り合った中学1年の僕が彼女の「わからないと思うけど」という口癖の本当の意味を知っていたなら、あるいは、少なくとも「確かに僕にはわからないかもしれない」と考えるくらいの寛容さを持ち合わせていたなら、と考えることがある。僕は彼女ともっと早く言葉を交わすようになっていたかもしれないし、もしかすると僕たちは友人になれていたかもしれない。

それ以来、僕は何か新しい人物や出来事を見知った時、伝聞や印象だけで判断せず、「自分にはわからないことがあるかもしれない」と考えるのを自分の中でのルールとしている。もちろんこのルールがうまく機能していないことも数多くあるけれど、それでもできるだけ決めつけを避けるように日々努めている。それがいわば僕の癖となったのだ。

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