発見!今週のキラリ☆

vol.128 「心を決める」 by 浅川奈美


2月のテーマ:ハート

どんな極限状態であろうとも、腹を決めた人は強い。明確なゴールのイメージを持つものは、いかに困難な状況にあろうとも、次の一歩を出すことができる。

1952年7月4日の早朝。フローレンス・チャドウィック(Florence May Chadwic)、34歳。彼女は、アメリカLA沖にあるカタリナ島からカリフォルニア州沿岸を目指し泳いでいた。氷水のように冷たい水。伴走するボートすら見えないほどあたり一面に広がる深い霧。サメの生息地でもある海域。それでもフローレンスは泳ぎ続けた。1スクロール、1スクロール、わずかだが確実に進んでいた。スタートしてから15時間近くが経過。限界はもうすでに彼女の目の前にやってきていた。伴走するボートからトレーナーと母親は繰り返し声をかけ続ける。

「あきらめるな!」
「対岸までもうすぐだ」

彼女の戦う姿はテレビ中継され、何百万人もの人々が見守っていた。
当時、既にイギリス海峡を両岸から泳ぎきった世界で最初の女性としての記録をもっていたフローレンス。一度やり始めたことを途中であきらめることはなかった。
今回も、必ず......。

しかし、岸に着くことなく、彼女はボートに引き上げられた。無念の途中リタイア。深い霧の先にあるゴールまで、残りわずか1キロあまりであったことをボートの上で知ったのだった。数時間後、記者会見で彼女はこう語った。

「言いわけするつもりはありませんが、
対岸が見えてさえいたら、泳ぎきることができたかもしれません」


2ヵ月後。フローレンスは再びチャレンジする。前回と同じように立ち込める深い霧。凍てつくような海水。ひとつ大きく違っていたもの。それは、目で捉えることができずとも、ゴールのある対岸のイメージを明確に頭の中に描き続けたこと。霧の向こうに必ず岸がある。そう信じ続けた。
結果はいうまでもない。フローレンス・チャドウィックはカタリナ海峡を泳いで渡った世界初の女性となった。そしてその記録は当時男性が持つものを2時間も縮めたものだったという。

自分が今どこに向かっているのか、分からなくなることがある。
さらに目標が立派過ぎると、それはあまりにも遠くて大きくて、いくら頑張ってもちっとも近づかない気がしてしまうこともある。今進んでいる道の先にはゴールはあるのかどうか...。

大きな目標であればあるほど、達成するまでの課題は山積みとなる。
言うまでもない。まずは明確な目標、ゴールのイメージをいかに持ち続けていくかが大切だ。そして自分の今の能力、筋力を分析し見極める。弱点や克服すべきところ一つ一つを明確にゴールと定め、攻略していくこと。今自分がどこに立っているのか、今いる道はどのゴールに向かっているのか。このゴールの先の、次のゴールはどこに設定するのか。

一見、遠回りなようで実は一番の近道のような気がする。
失敗すらも、自己分析の要素だ。
腹さえ決まっていれば。何度だってチャレンジしていけばいいのだ。

vol.127 「必死になってますか?」 by 浅野一郎


1月のテーマ:リセット

日に日に気温も下がってきて、暑がりの私には本当にすごしやすい
日が続く。嬉しい限りだ。できれば、ずっと冬が続けばいいと思う
今日この頃だ。

さて、この3年間、私は正月を心待ちにしてきた。ただでさえ、
心躍る正月だが、ここ数年は「箱根駅伝」にて我が母校が破竹の
勢いで力を伸ばし、有力校を押しのけて大活躍しているからだ。

しかし、昨年の駅伝は主力選手の不調ということもあり、惜しくも
2位... 後輩たちが悔し涙に暮れているのを、テレビの前で私も一緒
になって泣いてしまった。
そこで後輩たちは駅伝が終わったその日から、「1秒を削りだせ」を
合言葉に猛練習を始めた。
トップの学校に21秒差で負けてしまい、10区に及ぶ各区間で、選手
一人一人があと3秒早く襷を渡していたら... という考えに基づき、
必死にトレーニングに励んだそうだ。
その甲斐あって、2012年の今年は、大会新記録という大きなお年玉
付きで、見事優勝を飾った。

そのときに思ったのは、いま当校で勉強をしている受講生、いま
トライアルに必死にチャレンジしている修了生、いま仕事を受けて
もらっている翻訳者のことだ。
よく、"どうやったら、映像翻訳者としてスキルが伸びるのか?
トライアルに受かるのか?"という質問をいただく。
そんなときは必ず、"とにかくたくさん映像素材を見ること"と答
えている。もちろん、これはこれで非常に有効なトレーニング方法
なのだが、もう一点、今年からは付け加えたいと思う。

「必死になってください」

受講生、修了生、翻訳者、どんな立場の人にも当てはまることだと
思うが、"もっと知りたい!"という気持ち、必死に物事を理解し
ようという気持ちを持ってもらいたいのだ。
映像翻訳は生半可な知識や覚悟でできるものではない。

映像翻訳者は、海外の素材はローカライズ(あるいはグローバライズ)
し、不特定多数の視聴者に、素材の内容を伝えることが使命だ。
その素材を見た人は知識を得て、さらに複数の人に口伝などの手段を
持って、自分の知識を共有していく。いわば映像翻訳者は文化の担い
手だ。

だから、"これはどういうこと?"などと聞かれたときに、"ちょっ
と、そのあたりは調べが付かなくて..."や、"聞かれると思ったんで
すよね..."という答えを返さざるをえないような、いい加減な仕事は
やめよう。必死に、その素材のことを調べ愛情を注ぎ、専門家になっ
てもらいたい。
そんな必死の想いを素材は絶対に受け入れてくれる。必死になって原
文を読み、必死になって調べ物をしてほしい。自ずと答えが返ってく
るから。

vol.126 「リセットできる翻訳者」 by 藤田庸司


1月のテーマ:リセット

皆様、新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

2012年が始まった。例年、年が明ける瞬間はテレビの前で、アナウンサーや番組司会者が行うカウントダウンで気分を盛り上げつつ迎えることが多い。12月31日の23時59分59秒から、元旦の0時0分0秒に変わった瞬間というものは過去や自分の気持ちがリセットされるような爽快感が味わえ、何度迎えても気持ちがいいものだ。
2011年を振り返ると、個人的には映像翻訳ディレクターとして実に様々な案件を担当した充実した年だったと言える。かいつまんで挙げてみると、

・スポーツ素材(選手やチームを題材にしたドキュメンタリー、試合レビュー、現地レポートなど)
・音楽素材(ロック、ポップス、ジャズ、R&Bなど)
・エンタメ(海外ドラマ、アワードもの、EPKなど)
・企業VP(IT系、医療系など)
・映画祭(東京国際レズビアン&ゲイ映画祭)
・広告(テレビCM、CM制作企画書)
・書籍・脚本
・ブログ
・オンサイト翻訳(派遣翻訳)
・その他(英語・日本語スクリプト聞き起こし、通訳派遣)

案件のバラエティたるや年々確実に広がっている。また案件だけでなく字幕入り映像が流れる媒体も10年前では考えられないほどバラエティ豊かで、それら媒体で流すことを前提として制作されるコンテンツも少なくない。そうなってくると、映像翻訳者も進化し続けるメディアや、そこで流すための素材に柔軟に対応していかなければならない。

スクールに通い、映像翻訳を学ばれている方のなかには劇場公開映画に字幕をつけたい、大好きな海外ドラマに字幕をつけたいと考えられる方もいると思う。ただ、それだけに固執すると自分の才能を生かす場を狭めてしまう可能性がある。それはそれで一つの目標として素晴らしいが、"字幕=お茶の間のテレビ、映画館のスクリーンで流れるもの"と考えていては業界の流れ、時代の波に乗り遅れること必至だ。そして大切なのが乗り方である。スクールでは徹底的に基礎を習うが、どんな業界にも共通することで、プロの現場では基礎を踏まえつつ、その都度シチュエーションに合わせて臨機応変に対応しなければならない。

例えば企業VPのストリーミング映像では、文字数設定を一般的な1秒4文字、16文字×2行ではなく、1秒7文字、22文字×2行に設定したりする。読むのは少々忙しいが、何度も繰り返し視聴できることを考慮したうえで、より多くの情報を提供したいという意向だ。また、携帯電話やスマートフォンで視聴することを目的とした映画の予告編や俳優インタビューなどでは、提供する情報量よりも読みやすさや視聴者の理解度を重視し、最重要情報、大意のみで訳文を構成したりする。他にも目立つところでは電車内のモニターで流すための番組、イベント会場の大スクリーンで流すコンテンツなどがあるが、いずれにせよ1秒4文字、16文字×2行が基本とは言い難くなってきている。世の中の流れを考えると、そうした傾向は益々強くなっていくだろう。

とはいえ基本からの逸脱には勇気がいる。初めて担当するタイプの素材であれば、その素材のテーマや構成を分析し、お手本や参考となるものを探してみるといい。カメレオンのように素材に溶け込んで、納品し終えたらリセット、また次なる素材の色を模索する。毎回素材ごとに頭の中をリセットして求められているニーズを熟考し、作業アプローチを考えてみよう。視聴者の目線、ファンの気持ち、コンテンツ制作者の意図、彼らの伝えたいメッセージ、それらを的確に掴めば、いかなる素材でも大筋から外れることはないと思う。上手な翻訳者は自分のカラーを保ちつつそれができる。

去年の暮れに雑誌のインタビューを受けた。"映像翻訳ディレクターが考える、プロとして成功する映像翻訳者の資質は?"という質問に、"柔軟な発想・姿勢とガッツ"と答えた。今年の仕事におけるテーマにしようと思う。

vol.125 「その贈り物は誰のため?」 by 杉田洋子


12月のテーマ:プレゼント

早いもので2011年もあと10日を切りました。
これが今年最後のキラリです。

週末にはクリスマスを控え、誰かに贈り物をしたり、もらったりする機会も増えることでしょう。
私はといえば贈り物を選ぶのが下手で、いつも悩みに悩み抜いています。
でも贈り物をするのもされるのも、相手との絆を深める素敵なものだと思っています。

贈り物を選ぶ時は誰もが、"あの人は何をもらったらうれしいだろう"、と考えるはずです。
もちろん、予算とか、時間とかの制約もありますが、その中で精一杯の可能性を考えます。
一方もらう側に立った時、"私のことを考えて私だけのために選んでくれたんだ、作ってくれたんだ"、と思ったらそれはそれはうれしいものです。

女性なら誰でも好きだろうと思って大盤振る舞いの大粒のダイヤをもらうより、
高価じゃなくても一生懸命心を込めて相手本位に選んでくれたプレゼントの方が、私は心に響きます。
もちろん、受け手が本当に宝石が好きだからとか、一世一代のプロポーズだからという場合は別ですが、要は、送る側が"自分本位"だったか"相手本位"だったかということです。

そう考えてみると、贈り物を選ぶというのは、日常生活の中で自然としてきた極めて相手本位の行為だと言えるでしょう。ある意味、翻訳ととても近い行為かもしれません。
翻訳をする際は、とにかく相手(視聴者)本位の原稿を作る姿勢が求められます。
言い分けつきの、エゴ混じりの翻訳ではなく、あくまでも受け手に正しく分かりやすく伝えることを一番に考えることを念頭に置くこと。急いで適当に訳す(選ぶ)というやっつけ仕事はNG。
そして納期(当日)に間に合えば言うことなしです(もちろん、翻訳の場合はこれは必須です)。

様々な制約の中で、相手のために一生懸命選んだプレゼントが相手の心に届くのと同じように、相手のために誠意をもって紡いだ言葉は、相手の頭にしっかりと届くはず。
何事も、ついつい独りよがりになりがちですが、"思い上がり"ではなく、"思いやり"をモットーに行動したいものです。

今年も関わることができたすべての皆さんに感謝の気持ちを込めて...
素敵なクリスマスをお過ごしください!!

vol.124 「嘘の共有」 by 相原拓


12月のテーマ:プレゼント

僕はいまだにサンタクロースを信じている。正確にいうと、サンタクロースという名の嘘を信じている。もちろん、ぽっちゃり体型の髭おじさんが、フィンランドで自ら大量生産している手作りおもちゃを、12月24日の夜にトナカイが引く空飛ぶソリに乗って世界中の子供たちにプレゼントする、なんていう物理的に不可能な設定を信じているわけではない。それでも信じるというのは、嘘でありながらも世界中の人々を楽しませるエンターテイナーとしては、サンタは紛れもなくリアルだからだ。

初めてサンタにもらったプレゼントは当時大流行したファミコンだった。その数年後、サンタの実態を知り、早くも夢は壊れる。プレゼントをもらうたびに「いつまで続けるのかなあ、このウソ」と、親を小馬鹿にするように心の中でつぶやくクリスマスが続いた。しかし高校生になったころにサンタは僕の中で再び蘇る。今思えば当然だが、親はそもそも本気だったわけではない。サンタからのプレゼントは、単にクリスマスを盛り上げて子供を喜ばせるための親なりの演出、親なりの努力だった。その事実を受け入れた瞬間、「ウソだけど楽しいならいいじゃん」と思うようになり、サンタは親と共有できる嘘、つまりエンターテインメントとして蘇ったのだ。

季節にちなんでサンタクロースを例に挙げたが、エンターテインメントと呼ばれるものはすべてそういった「嘘の共有」から生まれる。僕が尊敬する芸人のダイノジ大谷ノブ彦さんはそう言う。とあるお笑いイベントで大谷さんはアイドルのすごさにについてこう語っている。

「つまりアイドルっていうのは、ここの舞台に立っている芸人も一緒ですよ、要するにウソなんですよね、ウソの共有なんです、例えば面白ければいいわけでしょ?みんなも話が、それがホントであろうがウソであろうが、笑えたらいいわけじゃないですか、その笑えた瞬間、みんなは生きていけるわけでしょ?次の日も」

なるほど、嘘でもいいのか。むしろ嘘だからいいのか。サンタと同じだ。それまでアイドルというものを毛嫌いしてきた僕にとって衝撃の言葉だった。それからというもの、アイドルだけでなく、エンタメ全般に対して考え方が大きく変わった。

映画やドラマ、漫才、落語、どれをとっても作り手と受け手が嘘を共有できるから成り立っている。作り話だと承知のうえで我々はその架空の世界に引き込まれ、映画を観て感動したり、漫才を聞いて笑ったりするのだ。すばらしいことだと思う。映像翻訳者というのは、こういった嘘の共有を可能にする。だから僕はこの仕事が好きだし、いい歳してサンタクロースを信じていると言える理由はそこにある。究極の嘘が生みだす究極のエンターテインメントからだ。

※余談だが、アメリカではクリスマスプレゼントを返品する風習があることを皆さんはご存じだろうか。日本の年賀状に似たような義理が伴うため、季節になると親戚や友人、同僚のために大量のプレゼントを買い求める。相手が何が欲しいかなど考える余裕もないほどの大ラッシュになるので、気に入らなければ返品できるよう、プレゼントはレシート付きで贈られることが多い。事実、クリスマスの翌日には全国のモールに行列ができるほど大量のプレゼント(サンタからのも含め)が返品されるのだ。非常に合理的ではあるが、全くもって夢のないこの風習はいかがなものかと思う(笑)。

vol.123 「スーパースター」 by 野口博美


11月のテーマ:仕事

世の中には、それはそれは多くの職種が存在する。どの仕事にも大変な面があるだろうが、知れば知るほど、その過酷さに感銘を受けるのが、私が愛してやまないアメリカのプロレス団体、WWEのスーパースター(レスラーのこと)という職業だ。

私が彼らの番組を初めて見た時の第一印象は、きらびやかなライトや花火と共に華々しく登場し、数分闘って退場する、それだけで大金をもらえるなんて楽な仕事だなといった感じだった。K-1とかの格闘技に比べたら、ちっとも痛くなさそうじゃん、とも思っていた。

しかし番組を見続けていくうち、彼らは1年のうち300日以上をアメリカだけでなく世界中を飛び回って公演を行っていることを知った。WWEはプロレスではなく、台本がある"スポーツ・エンターテインメント"なので、試合がどう展開するかも前もって決まっている。でも、地上数メートルのところに設置された金網の上から床に飛び降りたり、バカでかいハシゴでぶん殴られたりするのは、まぎれもなく生身の人間。スターたちは、命懸けで闘っているのだ。

若くして亡くなるスターも少なくない。エディ・ゲレロという皆に愛されたラテン系スター(字幕での彼の一人称は"オイラ"。珍しいですね)も38歳という若さでこの世を去った。早世するスターが多いのは、ステロイドを使用しているせいとも言われているが、厳しいスケジュールの中で体を酷使していることも関係しているのかもしれない。

最近では私のお気に入りだった長いアゴを持つカナダ出身のイケメンスター、エッジが引退してしまった。ずいぶん前に首を痛めたことが原因で、長年、体にしびれを感じていたらしい。「これ以上続けたら、歩けなくなる」と医師に宣告され、やむなく引退を決意したそうだ。体がボロボロなのに闘い続け、つらい様子などみじんも見せずに観客を楽しませてくれた彼に拍手を送りたい。彼の勇姿がもう見られないのは悲しいことだが、別の道で活躍してくれることを願っている。

何だか自分の趣味を紹介するだけになってしまったが、何と来週、WWEが日本にやってくる! しっかりチケットをゲットした私は、彼らの激闘を生で観戦するのを心待ちにしている。

vol.122 「Occupy Movement」 by 藤田彩乃


11月のテーマ:仕事

史上最大とも言われる世界恐慌の真っ只中、アメリカにはとにかく仕事がない。アップル社の創業者スティーブ・ジョブズが亡くなった直後は、こんなフレーズがささやかれたほどだ。
10 years ago we had Steve Jobs, Bob Hope and Johnny Cash - Now we have no Jobs, no Hope and no Cash.

そんな中、世界各地で巻き起こっているのがOccupy Movementだ。格差社会に反発した若者たちが起こしたこの運動。 9月にNew York Cityで大規模なデモがあったのをきっかけに世界各都市に飛び火した。その数、実に82カ国95都市という。全米のメディアを賑わせ、今も様々な議論を巻き起こしているが、その中でも特に大きな問題となっているのが、学生ローンと大学の授業料の高騰だ。ご存じの方も多いと思うが、アメリカの学生の実情からご説明しよう。

現在、全米の学生ローンの借入総額は、なんと1兆ドル。全米のクレジットカードによる借金の総額をはるかに超えている。また、授業料の高騰も尋常ではない。2000年から現在までの10年で、アメリカの大学の授業料は510%も上昇している。この5年だけで考えても2倍以上だ。しかし、ここ十数年、大学進学者数はうなぎのぼり。比較的安価な短大のコースなどは満席ばかりにもかかわらず、州政府の大学機関への助成金は25%減少している。

ところで、アメリカの大学ランキングは何を基に決められているかご存知だろうか。研究成果や卒業生の進路と信じたいところだが、ランキングを左右するのは、なんと寄付金の総額。もっと言うと、大学の持っている基金残高「のみ」で決まるらしい。あのハーバード大学の基金残高は3兆5000億円だそうだ。そのため各大学の財務部門は資産運用に力をいれていて年10%以上の運用利益を上げている。

アメリカの大学卒業者の66%は平均で2万5000ドルの学生ローンを抱える。専攻や大学によっては卒業するまでに5万ドルから10万ドルの借金を抱えることも少なくない。そして、その学生ローンは、本人の就業状況に関わらず、卒業後6ヶ月以内に返済し始めなければいけない。報道ではアメリカの失業率は9%と言われているが、実際には20%を超えていると言われている。大学を卒業したばかりの若者にできるような仕事がないのだ。そこで、返済を逃れるために多くの大卒者は、大学に戻ることを余儀なくされ、さらなる学生ローンを組む。こうして、多くの学生が、一生完済できない借金地獄の波に飲まれていくのだ。

そして、もうひとつ驚きの事実が。クレジットカードの返済や住宅ローンは、破産申請をすれば、その記録を最終的には消すことができる。つまり破産してしまえば返済を免れる。しかし学生ローンはそうはいかない。学生ローンは、個人が抱える借金で唯一、破産後も取り消しできないのだ。そう法律で決められている。いったん学生ローンを抱えると、卒業できなくても何でも、一生かけて返済しなければならない。貸す側から見れば、ノーリスクで返済が保証されているようなもの。貸したもの勝ちだ。だから信用の有無にかかわらず誰にでも貸す。どこか、サブプライムローンを彷彿とさせるスキームだ。

これらの問題は言わば氷山の一角。根本的に若者が訴えているのは、世代格差だ。 世代間で豊かさに史上最大のギャップが出てきている。

アメリカ国勢調査局(US Census Bureau)の調査によると、現在65歳のアメリカ人は、現在35歳のアメリカ人の47倍も資産があるらしい。これはアメリカ史上最高の格差。具体的に言うと、現在65歳の平均個人純資産(資産総額から負債総額を差し引いた金額)は17万ドル。1984年から42%も増加している。一方、35歳の平均個人純資産はわずか3700ドル。1984年から68%も減少している。全米平均給与も、事実上この10年で横ばい。むしろ減っているくらいだ。世論調査でも半数以上の若者が、「親世代ほど経済的に豊かになれない」と答えている。「親より貧しい世代」の登場は成長を続けてきたアメリカでは初めてのことだ。

2008年以降、高級車や持ち家のために巨額のローンを組んだものの、購入時よりもその価値は下がり、途方にくれている人がごまんといる。アメリカンドリームを夢見て、いつかは自分も分け前をもらおうと必死にもがくが、結局1%の富める者の仲間入りはできない。好景気の時には、その「1%の富める者が99%の富を得る」という資本主義の構造に疑問を持たなかったが、景気低迷をきっかけに多くの若者たちがその矛盾に気づき始めたとも言えよう。

「We are the 99%」というスローガンをかかげ、世界各地に広がるOccupy Movement。格差是正を訴える若者たちの行動が世界を変えるかもしれない。いや、変わると信じたい。今後の展開に期待している。

vol.121 「あなたの泳ぎ方に憧れていました」 by 桜井徹二


10月のテーマ:憧れ

何年か前、ジムのプールで泳いでいた時、以前からたびたび見かけていた白人男性が隣のレーンから声をかけてきた。彼はつたない日本語で「あなたの泳ぎ方に憧れていました」と言った。

そう言われてかなり面食らったが、おそらくは「そんなふうに泳げるようになりたい」くらいの意味だったのだと思う。僕はスピードは度外視して、なるべくきれいに泳ぐことを念頭に置いて泳いでいたので、そう思われたのかもしれない。

彼は外国人で、おまけに体格もよいせいで顔を覚えられやすく、他の利用者にしょっちゅう声をかけられるらしかった。日本に住んでいる外国人はたいてい同じような経験をするらしいが、彼自身はかなりの人見知りなので実は声をかけられるのが苦痛だと言った。

「じゃあ、なぜ僕に声をかけたんですか?」と聞くと、「泳ぎ方を見て、この人なら話しかけても大丈夫かなと思ったからです」と彼は答えた(もちろん、実際はもっとつたない日本語で)。

「プール通いを始めて、泳ぎ方にはその人の性格が現れることに気づきました。泳ぎ方を見ればどんな人かだいたいわかります。少なくとも傾向くらいはわかります。うるさい人は泳ぎ方もうるさいし、真面目な人は泳ぎ方も真面目です。さびしい人は泳ぎ方もさびしいです」と彼は笑いながら言った。

そんな話をしてから、僕はプールで彼に会うとあいさつを交わすようになった。時々は会話も交わした。彼の話を聞いたあとだったので、僕は彼の泳ぎ方も観察してみた。白熊を思わせる見事な体格をした彼の泳ぎ方は、ぎこちなさもあったが、一生懸命で、どこか心打つひたむきさを感じさせる泳ぎ方だった。

しばらくして僕は別の街に引っ越すとともにジムも鞍替えし、彼のこともすっかり忘れてしまっていた。だが先日、いつも通っているジムが短期休業している間に出かけた公営プールで彼を見かけた。

レーンを行き来する外国人スイマーを見て「あんなふうに泳げたら気持ちいいだろうな」と思っていたら、泳ぎ終えてさっとプールサイドに上がったのが彼だったのだ。向こうは僕に気づかなかったようで、そのまま引き上げていった。

かつて彼の泳ぎを見て感じたひたむきさは、あながち間違いではなかったのだろう。この数年の間に彼はこつこつと腕を磨き、今では誰が見ても憧れるようなすばらしい泳ぎ手になっていた。もしまた彼に会うことがあったら、「あなたの泳ぎ方に憧れていました」と声をかけたいと思っている。

vol.120 「遥かなる(文字の)影」 by 石井清猛


10月のテーマ:憧れ

曲りなりにも翻訳の仕事に携わって丸5年を数え、言葉を扱う者の端くれとして日頃から文字について思いを巡らせる機会も少なくないとはいえ、自分がテロップに対してある意味フェティッシュな関心を寄せていると自覚することなど、ごく最近までは想像だにしなかったことでした。

ある時はナレーションの代わりとして。ある時は画面デザインの一部として。ある時は情報を補足するため。またある時はメッセージを届けるため。
映像をさえぎりながら画面に挿入されるそれらのテキストは、特定の意図を背景に、特定のタイミングと、特定の大きさや色や形で私たちの視界に現れます。

映画やテレビである種のテキストが映像にオーバーラップ/カットインする瞬間に、気分が高揚したり心臓の鼓動が速まるのを感じたことがあるのは私だけではないという前提で話を続けますが、テロップに喚起されるこういった感情の変化には、言葉が持つ魔力について考えるためのヒントが隠されているという気がしてなりません。

カリグラフィーやタイポグラフィーといった、文字の形状や意匠そのものに図像性や象徴性を読み取る表現方法があるように、メディア(媒介)としての文字が持つ影響力が"情報の伝達"の範囲を超えていることは明らかで、誰かがどこかでふと「言霊」という言葉を思いついたとしてもそれほど的外れな発想ではないことはすぐに納得できるでしょう。

ただ私がテロップに寄せている(ある意味フェティッシュな)関心は、そのような文字の図像性に対してというよりは、どちらかというと映像に文字が差し挟まれること自体の「快感」に向けられているようです。
文字=言葉が意味やデザイン性を帯びながら一定のタイミングで画面に現れ、そして消える時、「言葉の魔力」は私たちに何を見せようとしているのでしょうか。

チャールズ・チャップリンのサイレント映画の画面いっぱいに広がったフレームつきの字幕や、ジャン=リュック・ゴダールがスクリーン上に点滅させる原色のアルファベット、ボブ・ディランが曲に合わせて1枚ずつめくっていく画用紙に書かれた文字、あるいは松江哲明がカット替わりの激しい画面に幾度となく挿入するテロップ。

画面に現れては消えるそれらのテロップ=文字が持つ不思議な力に触れることで、映像と言葉の世界に対する私の憧れは生まれ、大きくなっていったのかもしれません。

まったく、私にとって映像翻訳が「映像の翻訳」であるだけでなく、同時に「翻訳(=文字)の映像」でもあることに思い当たることなど、ごく最近までは想像だにしなかったことでしたよ。

※FOX bs238で放映されている「アメリカズ・ネクスト・トップ・モデル シーズン8」のデコレーション字幕は、文字の図像性と字幕を結びつけた、驚きの"翻訳エンターテイメント"です。必見!

vol.119 「「種火」を絶やさない人」 by 新楽直樹


9月のテーマ:炎

人が新たな職能を手にして歩み出す瞬間を見守る仕事に携わってから二十年になる。

スクールに入る前の人からよくこんな質問をされる。「どんなタイプの人が成功するのですか?」。そう尋ねたい気持ちはわかるが、難問である。「真面目に取り組んでスキルを習得した人」と言いたいところだが、必ずしもそうではないことも知っている。それだけでは何かが、しかも決定的な何かが足りない。

その「何か」だが、私なりの自論はある。胸の内に「種火を絶やさない人」と「種火がない人」。一見すると見分けがつかないが決定的な差だ。心に種火が灯っている人は、教育や助言、発見、新たな出会いを発火材として自ら燃え上がる素養を秘めている。一方、種火のない人は、様々なものに接しても、暖を取ることはできるが自らは決して燃え上がらない。燃えたつもりでも、もらっただけの炎は一夜で鎮火する。

どこに行っても、何をやってもそれなりに楽しみ、何かを得、自分の居場所を見つけ出す人がいる。種火があるからだ。そんな人は自らの火の色を気にしない。青くても赤くても、燃え上がることそのものに喜びと生きる実感を感じ取り、笑顔でさらに燃え上がろうとする。その美しさに惹かれ、よき人やよき言葉、そしてよき機会は向こうからやってくる。それを糧としてさらに燃え上がる。つまり成功者となる。

種火を持たない人も、同じようにはする。今の自分に満足できず、何かを変えたいと願う。それには新たな出会いや言葉が必要だとも感じている。そこで、発火材や燃焼材を呼び込むためにと、自分を魅力的に変える行為にエネルギーを費やし始める。見た目を整え、心を整えるために必要な情報を集め、お金や時間を投資する。

しかし、肝心要の種火がないから、決して炎には発展しない。あらゆる努力は浪費かひまつぶしで終わる。「自分探し」という耳に心地よい言葉を頼りに、ゆらゆらと彷徨う人であり続ける。ドラッカー博士の箴言を熟読しても、成功者に擦り寄って仲間になったつもりでも、一瞬帯びた熱の源が自らの炎ではないことに気づかない。冷めればまた振り出しに戻る。

では、種火を宿すにはどうすればいいのか?

その答えは「今」にある。逆説的であるが「この先を夢想するな」とアドバイスしたい。今、目の前にある訓練や仕事、人間関係の構築に集中する。自分に合わないとか、目標と違うとか、他にいいチャンスがあるとか、そんな言い訳を考える時間を惜しみ、目の前のことに死力を尽くすのだ。その濃密な空間と時間の中で生まれた粒子たちは交差し、摩擦し合い、熱を帯びていく。その熱が臨界に達した瞬間、「ボッ」という小さな音とともに炎が生まれる。それがあなたの種火だ。

そうなれば、その場に止まろうと、旅立とうと、成功を引き寄せることができる。こうした過程にある人を見ると(ああ、この人は大丈夫だな)と思える。

この見方は、成功者から真の教訓を得るコツにもつながる。燃え上がる炎の色や大きさに目を奪われてはいけない。その人が本物の成功者であれば、炎の根っこの部分に自らの意思と努力で灯した種火が揺らめいているはずだ。少なくとも私はその景色に魅力を感じる。今、種火を生む過程の人であってもその行為は美しい。だから応援したいと思うのだ。

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