発見!今週のキラリ☆

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2009年10月 アーカイブ

vol.67 「ホノルルセンチュリーライド2009 with 愛車」 by 潮地愛子


10月のテーマ:クセ

去年の夏ぐらいから、ロードバイクで通勤をしている。
知り合いの「やせるよ」という言葉にのせられて、しかも普通のママチャリの進化系みたいな自転車を買うつもりだったのが、店頭でひとめぼれしてドロップハンドルを買ってしまったのだ。最初はうまく乗ることができず後悔の念にちょっぴり駆られたりしたが、
夜中に通勤ルートの走行練習を何度かくりかえしたりして、何とか自転車で通勤できるようになった。
子供の頃から滑り台のテッペンから落下したり、リフトから落下したりと、平衡感覚に乏しいので不安だったのだが、山登りにはまっている友人が、感覚が研ぎ澄まされていくから大丈夫と自分の体験をもとに励ましてくれた。今、それを実感している。

長距離を走りこんでいるわけではないが自転車が面白くなってきたので、9月の末にハワイのホノルルで行われるセンチュリーライドに参加した。レースではなく自分のペースで走るイベントで、私が登録したのは100マイルコース(160キロ)。25マイル、50マイル、75マイルもあるが、途中リタイアも可なのでとりあえず、100マイルにした。

行くことに決めたはいいが自転車を現地に持ち込まなければいけないので、荷造りはてんやわんやだった。まず入れ物をゲットしなければいけないのだが、飛行機に対応する輪行バッグは聞く店聞く店で見つからず、「あ~、今日売れちゃいました。センチュリーライドですか?初心者だと自転車をバラして持っていくのは大変ですよ、といっても、在庫の輪行袋は売れちゃいましたけどね、あはは」などと店員に不安をあおられるだけで終わったり。ネットでゲットしようにも、連休明けに出発なのに「連休明けの発送になります」というものばかりで、シルバーウィークをうらめしく思ったり。やっと電話がつながった親切な大阪のネット通販の店に一度は断られながらも泣きついて無理を言って送ってもらい、ようやく輪行用のハコをゲットした。乗用車には乗らない巨大なハコを親切なタクシー運転手さんの協力で自転車店まで運び、親切なお兄さんに自転車の梱包&配送手続きをしてもらい、なんとかかんとか自転車を空港まで持っていくことができた。
(本当にみなさんありがとうございました。)

現地では自転車を自分で組み立てなければならない。持ち込んだマニュアル本ととっくみながら組み立てた。ホテルのかべに立てかけた自転車を見たら何とも言えない気持ちになった。通勤している愛車と一緒にハワイにやってきたなんて、感無量だ。自転車の組み立ても、覚えてみると案外簡単なものである。もう、これでどこにでも輪行にいける!ふふふ。

センチュリーライド当日は4時前に起き、まだ暗いうちに会場へ向かった。ようやくスターとしたのは太陽の光がさしてきた6時半ごろ。
結構なアップダウンもあるし、完走は無理だろうから、ハワイの景色を楽しもうなどと思っていたのだが...。走り出したら、すっかり本気モードにスイッチが入ってしまった。よくランナーズハイとか聞くが、まさにその状態である。エンドルフィンだかアドレナリンだかがでまくっている感じ。何と戦っているのか分からないが、急な坂道も足をつくことなく上りきり、時速50キロぐらいのスピードで坂を下り、ハワイの風を感じながら海沿いの道を走り...。途中のエイドステーションで休憩をはさみつつ、午後3時すぎぐらいには、ゴールにたどりつくことができた。100マイル走りきったことで「結構いけるじゃん、私」という自信もついた。自転車は、面白い。すっかり癖になってしまった。というわけで、次に目指すは美ら海、沖縄だ!

vol.68 「わからないと思うけど」 by 桜井徹二


10月のテーマ:クセ

匂いと旅の記憶が結びつくことがあるように、しばしば、ある人の印象とその人の癖とが分かちがたく結びついてしまうことがある。

中学校の同級生に、「わからないと思うけど」というのが口癖の女の子がいた。1年生の途中で転校してきた子で、何か言うたび、文章の最後に句点をつけるみたいに「わからないと思うけどね」と付け足した。はっきりそう言わない時でも、彼女の言葉には常に(あなたにはわからないと思うけど)と括弧書きが加わっているかのような響きがあった。

その口癖に加えて、彼女にはどこか挑戦的な態度を取る面があり、クラスでの評判は芳しくなかった。僕自身、何かといえば「わからないと思うけど」と見下されるようなことを言われるのを煙たく感じて距離を置いていた。そのせいで、中学ではずっと同じクラスだったにも関わらず、彼女とはほとんど口を利くこともなく過ごした。

ところが偶然同じ塾に通っていたこともあってか、中学3年のなかばを過ぎた頃には僕はいつのまにか彼女と言葉をかわすようになっていた。きちんと話してみると、彼女はちょっと気が強いだけで他の子とそう変わるところのない、ごくまっとうな子だった。

それに彼女にはだいぶ年上の兄弟がいたせいで、ほかの同級生よりもずっと進んだ音楽や映画の知識を身につけていた。その点で、彼女の話には、ほかの同級生との会話とは違う楽しみを見出すことができた(彼女から教わったアルバムのいくつかは、いまだに愛聴している)。

だが中学を卒業して高校に進学すると、彼女とは顔を合わせることもなくなった。時々は彼女のことを思い出しもしたが、だからといってこちらから連絡を取るなんて考えもしなかった。そもそもまともに会話を始めて半年も経っておらず、「友達」というほど仲良くもなかったし、住む世界が変わるとともに交流が途絶えるというのは、何も珍しいことではない。

そして大学生になったころ、たまたま会った同級生から彼女の消息を聞いた。それによれば、彼女は高校に入って間もなく両親ともを病気で亡くし、田舎の親戚のもとに引き取られたという。しかも両親は長らく不和で、以前から家庭内別居が続いていたということだった。なんだかテレビドラマの話みたいだなと思ったが、実際、彼女が住んでいた家にはすでに別人の表札がかかっていた。

その話を聞いて僕は、彼女の「わからないと思うけど」という口癖を思い出した。彼女は繰り返し繰り返し、「わからないと思うけど」と言った(本当に何度も繰り返していたのだ)。だがそれは意味のない口癖でもなければ人を見下すためのセリフでもなく、まさしくその言葉通りの意味だったのだろう。彼女は、僕のような平凡な中学生にはとうてい理解できない人生を歩んでいたのだ。

今でもふと、もし彼女と知り合った中学1年の僕が彼女の「わからないと思うけど」という口癖の本当の意味を知っていたなら、あるいは、少なくとも「確かに僕にはわからないかもしれない」と考えるくらいの寛容さを持ち合わせていたなら、と考えることがある。僕は彼女ともっと早く言葉を交わすようになっていたかもしれないし、もしかすると僕たちは友人になれていたかもしれない。

それ以来、僕は何か新しい人物や出来事を見知った時、伝聞や印象だけで判断せず、「自分にはわからないことがあるかもしれない」と考えるのを自分の中でのルールとしている。もちろんこのルールがうまく機能していないことも数多くあるけれど、それでもできるだけ決めつけを避けるように日々努めている。それがいわば僕の癖となったのだ。