発見!今週のキラリ☆

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2009年5月 アーカイブ

vol.56 「旅的テンションの考察」 by 杉田洋子


5月のテーマ:旅

たぶん、このブログの読者(=主に修了生・受講生さん)には、旅が好きで経験も豊富な方が多いだろう。ハードルの高いテーマだ。旅のセオリーは人の数だけあるだろうし、旅によっても千差万別だと思う。思い出話を上げればきりがないし、その時のポリシーも手段もその時だから通用したこと。悶々としながらも、敢えて直球勝負の"海外旅行"に絞って今回は書くことにする。

数少ない経験を振り返ってみても、旅にはすごい魔力みたいなものがある。仮にそれを"旅的テンション"と呼ぶとしよう。たとえば外国にいるというだけで舞い上がって、普段は正常に作動するアンテナが、危険信号を傍受できなかったりすることがある。この人が日本人だったら絶対ときめかないのに、いいかもって気になったり。渋谷で声を掛けられたら"怪しいやつ"、と足早に過ぎ去るのに、旅先で話しかけられた途端、地元住民との交流という立派なコミュニケーションと認識し、笑顔の受け答えを選択してしまったり。結果痛い目を見ることもしばしばある。

この旅的テンションの考察というのをしてみたいのだけれど、私はいわゆる先進国とカテゴライズされるところに行ったことがない。バックパック背負って愛する中南米を巡る貧乏旅行ばかり。だから、感じる衝撃の類や心に留まるポイントにもそれなりの偏りがあることをご容赦いただきたい。

【考察1】セキュリティレベルの反転
スリや市場での交渉には日本以上に気をつけていると思うが、対人セキュリティレベルは往々にして低下し、オープンになりがち。その理由の1つは、旅に時空的な限界があることだと思う。ちょっとくらい相手と面倒があっても、この旅が終わればそうそう顔を合わせることもない。後腐れなくとことん付き合える。数日後に引き払う宿泊先を知られるのと、住み続ける自宅の住所を教えるのとではわけが違う。良い絆は時空を超えても維持できるし、面倒なものは時空で断ち切ってしまえばいい。そう思うと楽な気持ちでいろんな人の懐に突っ込んでいける。日本にいるときとは守る範囲が大逆転。サイフはガッチリ握っていても、心は解放的なのだ。

【考察2】旅場の馬鹿力
どんな貧乏旅行でも、やっぱり時間もお金もかかる。この日に照準を合わせて働いてきたのだ。そんな思いで臨む1年に1~2度のビッグイベントだから、悔いを残さずフルに使いたい。何か吸収して帰りたい。単なるレジャーと違い、語学の実践から文化遺産、グルメ、知識拡大、友達作り、旅にはあくなき+@を求めてしまう。疲れていても早起きできるし、普段はカメラなんか持ち歩かない人も、日記も家計簿もつけない人も、ここぞとばかりのマメさを発揮。アイドル並みのハードスケジュールを敢行し、名所に近隣諸国までを制覇する。この根本にあるのは、なんとなく、元取れ根性に近い気がする。かけた金額と時間以上の経験と成長をして日本に帰ってやろう、と。アインシュタインに教えてあげたい。

【考察3】バランス感覚の崩壊
1と2と重なる部分もあるけれど、旅先ではちょっとしたことにすごい感動できるし(たとえば現地のバスで目的地に行けたとか)、ちょっとしたことは気にしなくなる(たとえばトイレの惨状とか、あるだけマシとか)。すごく繊細で、すごく大胆になれるのだ。それは旅の醍醐味でもある。ハプニングだって生きながらえれば乙なもの。何でも都合よく捉えられるように、人間の頭はなかなか便利にできてる。どんな薄味も、どんなまずいものも、たちまち美味しく変えてしまう。旅行中の感覚崩壊は、まさに魔法のスパイスだ。


こうしてみると、私の旅は、"後腐れない解放感と、元取れ根性と、都合のいい錯覚"で構成されたとても腹黒い代物のようである。でも、実際に旅の計画を立ててる時や、旅の最中は、もっと純粋にワクワクした気持ちでいます、本当。こんな機会もなかなかないから、ちょっとヘソ曲がりな角度から考察してみたかっただけ。でもでも、こんなものだと思う部分もありません?旅って。(オチなしでごめんなさい)

口直しに、私が巡った国の、おすすめローカルスナックを紹介します。

●サルテーニャ(鶏肉や牛肉餡の包み焼きみたいなもの)
ジューシーで焼きたてでほっこりする旨さ。ボリビアに行ったらぜひ食べてみてください。私はこれでストをしのぎました。

●アンティクーチョ(牛のハツの串焼き)
かなりデカいです。ペルーに行ったらぜひ食べてみてください。特にクスコ。メニューはこれだけ、という硬派な店がおいしい。地元の人から情報を仕入れるべし。

●トルタ(メキシコ版サンドイッチ)
タコスもいいけど、メキシコシティーに行ったらぜひ食べてみてください。フレーバーごとの命名が安易で笑えます(チキンはケンタッキーとか)。私はこれでテロをしのぎました。

●バティード(フレッシュフルーツシェイク)
果物と粉ミルクを使って、その場でミキサーで仕上げてくれるシェイク状のドリンク。パパイヤ、グァバ、マンゴーなど。一番人気はマメイという柿っぽい優しい甘さの果物。キューバに行ったらぜひ飲んでみてください。濃くて甘~いキューバンコーヒーも忘れずに!

いろいろ言ったけど、人・食・音楽と現地のビールがあれば、私は満足!

vol.57 「ラクダハコフグ」 by 潮地愛子


5月のテーマ:旅

高校の教科書に載っていたエッセイか何かだったと思う。「旅はひとり旅にかぎる。誰かと一緒でも、心はひとり旅であるべきだ。」という一節が心に残っている。
その影響があるのかわからないが、私はひとり旅が好きだ。思い立ったら旅に出る。行き先だけ決めて計画などたてずに、あてずっぽうに歩き回ってアクシデント的な出来事を楽しむのが好きなのだ。まあそれは、計画性がないのと極度の方向音痴であることの言い訳だったりもするのだけれど。旅先でふらりと入ったカフェでお茶することでさえ新鮮に感じられるのは、旅に出ることで日常から開放されるからなのだろう。

初めてひとり旅をしたのは二十歳の頃だ。当時大学生だった私は、学校の勉強も毎日の生活もつまらなくて、自分のいる場所はこんなところじゃないとうつうつとした毎日を過ごしていた。そんな時、北海道の大学の文学部で編入試験があることを知った。福島でしか暮らしたことのない私にとって北海道はひどく遠いところに思えたし、合格できるのは1名だけという難関だったが、私はただただ日常を壊したくてバイトで貯めたお金で飛行機のチケットを買い、北海道へ向かった。

12月の北海道は雪が多少積もっていたけれど、想像していたほどには寒くなかった。
あてずっぽうに街を歩いてみた。さすが札幌は大きな街だった。自分が住んでいる街に比べておしゃれなお店もたくさんあるし、きれいで活気もある。だが、この街で暮らすことになったらと想像してみると何とも言えない思いにかられた。その時点では、それがどういう感情なのか自分でもいまいち分からなかった。

翌日は試験だった。筆記試験と「何を研究したいか」という題の小論文を書き終えたあと、本がそこかしこに積み重ねられた研究室で教授から面接を受けた。シルバーグレーのこぎれいに身なりを整えている教授はソファに深く腰かけると言った。「小論文を読んで思ったけれど、君はねえ、このまま社会学を続けたほうがいいと思う。」その時点で、自分が合格することはないと確信したが、私はその教授の言葉になぜかとても満たされた。いやだいやだと感じていたけれど、自分が身を置いている場所が自分に向いていないわけじゃないんだ、という気がしたのだ。そして、研究室を出てキャンパスを歩く私の胸には、前日に街を歩いていた時と同じような感情がこみあげてきた。それは、さみしさなのかもしれないと思った。その思いは学食に入った時に確信に変わった。きれいで巨大な食堂にはたくさんの学生がいたが、当然ながら知っている人は誰もいない。自分の通っている大学の洗練さのかけらもないオレンジ色の食堂は、行けば誰かしら友達がいる。なんだか、いやだと思っていた場所に帰りたくなった。

旅程の最後の日、水族館に行った。その時、円柱型の水槽の中で泳ぐラクダハコフグに
心を奪われた。ちょっとかくばった形をしているからハコフグなんだろうか?背中に突起があるからラクダなんて名前をつけられちゃったんだろうなあ。こいつ、何考えてんだろう?私のことなどおかまいなしに、ラクダハコフグは愛嬌のある顔でぷくぷく泳ぎ続けている。この水槽から出たいとか思っているんだろうか?果たして何を考えているんだろう?水槽にかじりつく私に、しかしフグの気持ちははかりしれず、一方フグはといえば、相変わらずぷくぷく泳ぎ続けるばかりだ。しばらく眺めているうち、勝手ながら、円柱の水槽の中でラクダハコフグは満足しているんじゃないかと思えてきた。そして満足げな様子を見ていたら面接のあとのように満たされた気持ちになった。帰ろう、と思った。

札幌から戻って、何も日常は変わらないのに少しだけ毎日が楽しくなった。人生の中で不合格通知をあんなに満足した気持ちで受け取ったことは先にもあとにもあの時しかない。今自分がいる場所で何かやってみよう。そんなふうに感じていた。

あの旅のことを思い出すたび、円柱の水槽の中でぷくぷく泳ぎ続けるラクダハコフグが頭に浮かぶ。そして今でもちょっと満たされた気持ちになるのだ。

vol.58 「"旅"をテーマに告白します...。」 by 浅野一郎


5月のテーマ:旅

出し抜けだが、今月のテーマには、ほとほと困り果てている。
なぜなら、僕は本格的な旅をしたことがないからだ。もちろん、2泊3日の旅行程度ならばあるが、人が"旅"と聞いて連想するような旅をしたことがなく、したがって旅にまつわる体験が何もない。
たとえば、ベルリンのユースホステルで見知らぬ人と食事を共にしたり、砂漠の真ん中でバイカーに拾ってもらったりというような、いかにもな"旅"に関するエピソードがないのだ...。

というわけで、苦悶しながら考えていたところ、"旅"に出る理由として割合多いのが、「現実逃避」というテーマがあることに思い当った。ならば、僕にも"旅"と呼べるものがあった!

多分にカミングアウト的な要素を含み、自分が理想としているイメージからは程遠いので、今まで誰にも言ったことがなかったが、この際仕方がない...。

「僕はディズニー・シーが大好きだ!」
(あえてランドではなく、シー限定)

で? どこが"旅"と関係があるの? と思われるかもしれないが、"夢の国"に一歩入った瞬間に、俗世のことは完全に僕の頭から離れ、古き良きアメリカからベネチアの旅、海底探検や地底火山探検、果てはジョーンズ博士との旅に出発することができる。
旅を定義するものの一つとして「現実逃避」を挙げるのならば、シーに行くことは、立派な"旅"と言えるだろう。

シーにいる人々のウキウキ感あふれる顔を見ているのも好きだ。さすがに夜のパレードを見るために場所取りまではしないが、火山をバックにキラリ☆と花火が打ちあがる様は、まるで宇宙にいるのかと錯覚するくらい、我を忘れて見入ってしまう。閉園時間という無粋なものがなければ住み着きたいくらい、この現実感を欠いた"旅"に惹かれて止まない。
自宅から電車で40分、電車賃700円程度しかかからない、割安な"旅"だが、僕にとって、ロシアに行くよりも、月に行くよりも心躍る旅だ。

さて、ここまで書いてふと思ったが、僕が旅をしないのは、ただ単にものぐさだとかお金がないとかいうことだけが理由ではないようだ。ひとたび、現実を離れてしまうと、糸の切れた凧のように、二度と戻ってくることができないかもしれないということが、自分でもよく分かっているからなのかもしれない。