発見!今週のキラリ☆

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2009年6月 アーカイブ

vol.59 「憂鬱にならない方法」 by 桜井徹二


6月のテーマ:憂鬱

我ながら能天気な発言だとは思うけれど、僕には「憂鬱で憂鬱で仕方がない」と思う出来事がほとんどない。多少は思い当たることもあるにはあるが、どれも強いて言えば、という程度のものにすぎない。

おそらく僕が憂鬱を感じない原因の1つは「人付き合いの少なさ」にある。平たく言ってしまえば、知人・友人が少ないということだ。いきなり恥部をさらすような話になってしまうが、「憂鬱にならない理由」ということに限って言えば、これはかなり大きなポイントだと思う。

人付き合いが多くなると、どうしても色々なしがらみが出てくる。僕はとくに儀礼的なことが大の苦手なので、例えば披露宴とかパーティーとか、そういうものは正直あまり気が進まない。といってきっぱり断るほどの度胸もないので、仕方なく重い足取りで出向くことになる。だが知り合いの数が少ないおかげで、こういったしがらみに遭遇する可能性も比較的少ない。つまり気が進まないことが減るので、憂鬱に陥らずに済むというわけだ。

そして、もう1つの理由として挙げられるのが「記憶力の悪さ」だ。大げさでも何でもなく、僕は見たこと・聞いたこと・話したことが片っ端から記憶から抜け落ちていく。栓のない風呂釜のように、記憶がどぼどぼと音を立てて流れ出していく。

そのせいで、もし憂鬱に思える出来事があっても、あっという間に忘れてしまって長く引きずることがない。長く覚えていてもせいぜいその日じゅうで、寝て起きるときれいさっぱり忘れて、「今日はいい天気だな」などとのんきに思っている。憂鬱を長引かせないためには「忘れる」のが1番手っ取り早い方法なのかもしれない。

ただし、もちろんこの2つの"長所"も、日々を滞りなく暮らしていくという点においてはマイナスばかりなのは言うまでもない。友人が少ないなんて、そもそもおおっぴらに言うことでさえない。

また記憶力が悪いことに関して言えば、僕は誰かに「○○って言ってたよね?」などと正面切って言われると、「言ったっけ?」と思いながらも反論できず、やりきれない思いを抱くことがしょっちゅうある。そもそもそのこと自体をよく覚えていないので、絶対に言ったとも言ってないとも言い切れず、いつも相手の言うことに押し切られてしまうのだ。見ず知らずの女性が小さな子供の手を引いて現れて、「桜井くん、責任取ってくれるって言ったよね?」などと言われたらと考えると、ちょっと恐ろしい。

さらに記憶力が悪い・プラス・友達も少ないとなると、どう考えても老後に不安を抱かざるを得ない。体も衰えて頭はどんどんぼんやりしていくのに、支えてくれる人はどこにもいない。なかなか胸ふたがれる状況だと言える。

結局のところ、今はそれなりに楽しく過ごせているとしても、僕はただ憂鬱を先延ばしにしているに過ぎないのかもしれない。

vol.60 「君のこころ、安らかに」 by 藤田奈緒


6月のテーマ:憂鬱

前回の桜井さんじゃないが、どちらかというと日頃から"憂鬱"という言葉とは無縁のタイプだ。もちろんちょっとしたことで気が滅入ることはあるが、その気持ちが長続きしない。簡単に言えばノー天気ということだろうか。今回のテーマに関しても、昨夜寝る前までは「憂鬱って言ったって滅多にならないし困っちゃったわ」なんて余裕でいたのだが、朝起きたら衝撃のニュースが待っていた。

キング・オブ・ポップ、マイケル・ジャクソン死亡...。

ウソでしょ!? 心臓を冷たい手でつかまれたような感覚。
呆然としたまま家を出て、駅に向かい、電車に乗り、会社の席に着いて静かにパソコンを立ち上げてみた。言葉に出さなきゃ本当にならないかもなんて逃げてみたけど、友人から続々とメール。同僚たちも出勤するやいなや話題にしている。どうやら現実のことみたいだ...。

仕方がない、自らマイケルの思い出の中に飛び込んでしまえ。
ずいぶん前にちらっと告白したことがあるが、実は私にはマイケルの熱狂的ファンだった時期がある。ベストアルバムを聴きながら、そんな青春時代にしばし思いを馳せてみた。

マイケルを初めて見たのは恐らく1987年の初来日。テレビのニュースで取り上げられていたマイケルの姿は、小学生だった私の記憶にはぼんやりとしか残っていない。そして数年後、グラミー賞で目にしたスーパースターはすっかり顔が変わっていたが、そこで見た過去のパフォーマンス映像に私は心を奪われてしまった。そこから私と親友のマイケル漬けの日々が始まったのだった。

今のようにインターネットが普及している時代ではないから、情報収集は結構大変だった。マイナーなビデオを東京のビデオ屋さんから取り寄せたり、マイケルの記事が載っている海外の雑誌を買い漁ったり。辞書を引き引きマイケルネタを仕入れ、とにかく英語力がなくては!と意気込み、親友への手紙もなぜかすべて英語で書き続けた日々。(思春期の少女たちの例に漏れず、学校で毎日会う親友と交換日記ならぬ手紙交換をしていた) 歌詞カードの"She don't care..."という文を見て、なぜ"She doesn't care..."でないのかと英語の先生に尋ねた頃が懐かしい。

ここまで思い返してみて気づいたが、今の映像翻訳者としての自分があるのは、マイケルのおかげかもしれない。マイケルのことを知りたい一心で英語の勉強を始め、アメリカのドラマや映画に興味を持ち、翻訳の仕事をしたいと思うに至ったのだから。

キング・オブ・ポップはこの世から消えてしまったけど、消えてない。なーんだ。しばらくは喪に服す期間が続くかと思ってたけど、そう思ったらあっさりと喪は明けてしまった。

マイケル・ジャクソンの大ファンの1人として、彼の冥福を心から祈り、セブ島の囚人による素晴らしいパフォーマンスを捧げます。