発見!今週のキラリ☆

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2010年2月 アーカイブ

vol.75 「明けない夜はない」 by 浅野一郎


2月のテーマ:夜

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僕は今の仕事を心底気に入っている。「映像翻訳」の世界の真っただ中で生きていることに充足感をおぼえている。

何となく流されるままフラフラと生きてきて、人に導かるまま、この職に就いたような気がするが、落ち着いて考えてみると、芯はブレていなかったようだ。その芯とは、"どんな形でもいい、映像翻訳に関わっていたい"という思いだ。それが、僕の気持ちを支え、岐路に差し掛かった時に正しい道を選択させてくれたのだと思う。

昨夜、修了生対象オープントライアルの説明会があり、不安に満ちた顔をたくさん見た。当然だろう。僕もそうだった。そもそも、僕の時代は、現在のメディア・トランスレーション・センターのような受け皿機関はなく、将来はまったくの闇だった。
スキルは得た、しかし、それをどう活かしたらよいのか? そもそも活かすことなど出来るのだろうか、このまま続けて果たして芽が出るのかと、講義が終わって帰宅してから、夜の闇に向かって延々と問いかけていたものだ。
実はフリーランスで映像翻訳の仕事を始めた当初、規定年収に達していないという理由で、マンションの賃貸契約を断られたことがある。この時ばかりは、映像翻訳の世界から足を洗って、定期収入が得られる仕事に転職をしようと思ったものだ。

しかし、それでも映像翻訳を続けたのは、海外素材が好きでたまらず、映像翻訳というものを心から愛していたからだ。
だから、僕は映像翻訳をやめなかった。いや、正確に言えば"あきらめなかった"と言うほうが正しいだろう。

皆さんにも様々な事情があるだろう。だから、軽々しいことは決して言えないが、迷いや不安が生じた時、映像翻訳の世界に飛び込もうと思ったきっかけを思い出してほしい。なぜ映像翻訳者を志し、どれだけ映像翻訳の世界に飛び込むことを熱望しているかを、しっかり考えてほしい。もう少しだけ、前に進む勇気が湧いてくるはずだ。

大丈夫。明けない夜はないから。

vol.76 「夜の闇、夜の光」 by 桜井徹二


2月のテーマ:夜

東京で生活していると思い出すこともあまりないが、初めて訪れた街や旅先で暗い夜道を歩いていると、ふと甦ってくる思い出がある。

10年近く前のことになるけれど、西アフリカのある国を旅行していた時のことだ。日に1本しかない国境越えのバスに乗るため、夜明け前に宿を出てバス停に向かって歩いていた。

日の出までそれほど時間はないはずだったが、空はまだ暗く、周囲はほとんど完全な暗闇だった。土がむき出しの道路沿いには人家も街灯も玄関ポーチの灯りもなく、月明かりだけが頼りだった。

宿を出てしばらく歩いていると、少し先に人影が見えた。そう思った次の瞬間、僕は数人の男に囲まれていた。そして1人が手に持っていた小さなナイフを僕の腹にそっと押しあて、金を要求した。彼らは背負っていたザックとポケットの中のお金を奪うと、あっという間に暗闇の中に消えた。

所持品はすべて奪われたものの、幸いなことに腹巻き状の貴重品入れに入れていたパスポートと大部分のお金は無事だった。結局、悩んだ末に僕は手ぶらで国境を越え、そのまま旅を続けることにした。

だがその後も夜に対する恐怖心はなかなか拭えなかった。1人で観光中、日が傾き出すとあわてて宿に戻った。複数でも夜の外出はできるだけ避けた。旅を続けるつれて恐怖心は徐々に薄れていったが、それでも完全に消えることはなかった。

その数カ月後、僕は東南アジアのある国にいて、トラックを改造したバスに乗って夜の山道を移動していた。後ろを振り返くと、道が猛スピードで後ろに過ぎ去っていく。ほかには1台の車も走っておらず、バスが通り過ぎた後の道は完全に真っ暗だった。

だがしばらくすると、真っ暗なはずの道の両脇の茂みに無数の蛍がいるのに気がついた。見たこともないくらいの数の蛍だ。バスが過ぎ去ると、蛍は安堵の息をもらすかのように柔らかな光を放ち、その光の列は途切れることなく続いていた。

今でも折にふれてこの2つの出来事を思い出す。そしてそのたびに、つくづく夜のもつ底知れなさ、奥深さに感嘆するのだ。