発見!今週のキラリ☆

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2011年9月 アーカイブ

vol.117 「Triumph by Fire」 by 浅野一郎


9月のテーマ:炎

修了生から次のような言葉を聞いた。"ここの日本語の意味が分かりません"という問いかけに対する答えだ。

「たしかに流れは悪いと思ったのですが、でも、原文にはそう書いてありますから...」

たしかに、原文にはそのように書いてある。しかし、その原文に書いてあるという情報は、視聴者にとって本当に必要な情報だろうか?
私たち、映像翻訳者の仕事とは何であるかを考えてほしい。≪外国語で作られたコンテンツを、その国の視聴者に分かりやすい形にする≫ことが、映像翻訳者の本分であるはずだ。

(たまたま、上の話をした素材のソース言語が英語だったため、言語を"英語"に特定をするが)決して、英文でこう言っているということを知らしめることではないはずだ。

ソース言語を正しく理解(正しい読解)し、そのウラに含まれている真意を読み取った(正確な解釈)上で、ローカライズをする国の文化や風俗、宗教観などに合わせて、当該国仕様にしていくことが映像翻訳だ。

つまり、映像翻訳者は「日本語版の脚本家」と言っていい。

映像翻訳者たる者、もちろん、これから映像翻訳を学ぶ方、これからトライアルにチャレンジする方は、このことを心に刻み付けてもらいたい。映像翻訳者は、英語という"炎"に対峙し、服従させ、自分の中に取り込むことができる勇気を持たねばならない。
怖くても眼を逸らしてはならないのだ。少しでも逃げるような素振りを見せた瞬間に炎は襲い掛かってきて、映像翻訳者に大打撃を与えるから。

カート・ラッセル主演の、映画「バックドラフト」を覚えているだろうか? 炎は意思を持っている。炎は美しいが、少しでも気を許すと飲み込まれて大ケガをする... 炎の虜になってしまう者もいる。しかし、炎がどのような動き方をして、どんな意思を持っているかを理解するれば、屈服させることができるのだ。

最初は小さなボヤ程度のものでも、英語という炎には油断をすべからず。気を許すと、業火にもなりかねないものだ。しかし、ひとたび炎を操る術を身に付けた者は、今度は、それを武器にできる。

単なるたとえと思わず、真剣に考えてみよう。

vol.118 「「炎のコマ」からはじまる考察の旅」 by 浅川奈美


9月のテーマ:炎

「今月のコラムテーマは"炎"でお願いします。」と聞いて一番に思い浮かんだ単語が、「炎のコマ」(※)であったことに、少々びっくり (゚д゚)!すると共に、自分の属性とスペを再認識した今日この頃。そのワールドへぶっちぎることも考えたが、自分にとっての新世界への考察も視野に入れ、慌てて思考を膨らませてみた。
 (※マンガ「ゲームセンターあらし」にでてくる必殺技。念のため)

タイトルや固有名詞につけられたり、物事や感情の状態などを表すのによく登場する日本語、「炎」。「気体が燃焼したときの、熱と光を発している部分」(大辞泉)の意味だが、「火(ほ)の穂」とも書く。その燃えている様が「穂」のようであることからであろうこの表記。なんともハイコンテクストではないか! 農耕民族である日本人の思考にスッと入り込む、何かが激しい状態だぞというイメージがわきやすい言葉である。「火」に比べると相当使いやすそうだ。色んなところで重宝がられるのも実に納得。

「炎 + ほにゃらら」については、ちょっと思い出しただけでもこんな感じか。
『炎のランナー』(1981年 英国。第54回アカデミー賞作品賞受賞作品。オープニングが素晴らしい)
『ロッキー4/炎の友情』(アポロが死んでしまうという衝撃以外にはあまり記憶にない)
『ハリーポッターと炎のゴブレット』(未見。でもタイトルの"ゴブレット"という語感がすき)
『炎の闘球児 ドッジ弾平』(もう、久しぶりに口にしたこの単語。ちょっと嬉しい)
『聖闘士星矢 第22話 「炎の復活! 不死身の一輝」』(いかん、こっち路線への磁気が・・・)
『炎神戦隊ゴーオンジャー』(←「ほのお」っていう呼び方じゃないけど)
「炎のたからもの」(「ルパン三世 カリオストロの城」の主題歌およびストーリー全体のテーマソング。この歌はいい仕事をしている。聞けば、わかるだろう)

映画『突然炎のごとく』(1961仏)の原題はJules and Jim。「火」のカケラもない原題から、この邦題。ガッツリいったなーと思うがコレはコレでいい気がする。カトリーヌ役のジャンヌ・モローの美しさが炎のように炸裂して青年をとりこにしちゃったこととか、ラスト、カトリーヌを突き動かす「炎のごとく」の感情のこととか。唐突感がなくてしっくりいったタイトルだなーと思う。しかし、自分のコラムにおけるこの話題自体(61年の仏映画)が唐突で、笑える。

「炎・火(ほ)の穂」には、こういう意味もある。

―― ねたみ・怒り・恋情など、心中に燃え立つ激しい感情をたとえていう語。ほむら。「嫉妬(しっと)の―に狂う」(大辞泉)

あれ?「ほむら」?
テレビアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の登場人物"暁美ほむら"の「ほむら」には、こんな意味があったのか!!と、思いもかけない気づきに感動してしまった。2011年も後半に入って大分経つが未だに「まど☆マギ」推しである。作品のオフィシャル評論本『成熟という檻 『魔法少女まどか☆マギカ』論』(山川賢一・著)の発売、そして、おめでとう「第16回アニメーション神戸賞受賞」http://www.anime-kobe.jp/anime-kobe/ ということで、'やっぱり'のテイストで今回のコラムも仕上がったのだった。

日本語特有のこのハイコンテクストぶりを英語化するという日英翻訳の世界は、いつだってチャレンジであり、刺激的だ。「おもしろそう!」と思う人も「なんかよくわかんない」という人も、一度体験レッスンに来ていただくと分かる。日本語への気づきと英語脳フル回転を実感できるはず。

【日英】映像翻訳講座 基礎コース 「無料体験レッスン+オリエンテーション」
http://www.jvtacademy.com/seminar/

vol.119 「「種火」を絶やさない人」 by 新楽直樹


9月のテーマ:炎

人が新たな職能を手にして歩み出す瞬間を見守る仕事に携わってから二十年になる。

スクールに入る前の人からよくこんな質問をされる。「どんなタイプの人が成功するのですか?」。そう尋ねたい気持ちはわかるが、難問である。「真面目に取り組んでスキルを習得した人」と言いたいところだが、必ずしもそうではないことも知っている。それだけでは何かが、しかも決定的な何かが足りない。

その「何か」だが、私なりの自論はある。胸の内に「種火を絶やさない人」と「種火がない人」。一見すると見分けがつかないが決定的な差だ。心に種火が灯っている人は、教育や助言、発見、新たな出会いを発火材として自ら燃え上がる素養を秘めている。一方、種火のない人は、様々なものに接しても、暖を取ることはできるが自らは決して燃え上がらない。燃えたつもりでも、もらっただけの炎は一夜で鎮火する。

どこに行っても、何をやってもそれなりに楽しみ、何かを得、自分の居場所を見つけ出す人がいる。種火があるからだ。そんな人は自らの火の色を気にしない。青くても赤くても、燃え上がることそのものに喜びと生きる実感を感じ取り、笑顔でさらに燃え上がろうとする。その美しさに惹かれ、よき人やよき言葉、そしてよき機会は向こうからやってくる。それを糧としてさらに燃え上がる。つまり成功者となる。

種火を持たない人も、同じようにはする。今の自分に満足できず、何かを変えたいと願う。それには新たな出会いや言葉が必要だとも感じている。そこで、発火材や燃焼材を呼び込むためにと、自分を魅力的に変える行為にエネルギーを費やし始める。見た目を整え、心を整えるために必要な情報を集め、お金や時間を投資する。

しかし、肝心要の種火がないから、決して炎には発展しない。あらゆる努力は浪費かひまつぶしで終わる。「自分探し」という耳に心地よい言葉を頼りに、ゆらゆらと彷徨う人であり続ける。ドラッカー博士の箴言を熟読しても、成功者に擦り寄って仲間になったつもりでも、一瞬帯びた熱の源が自らの炎ではないことに気づかない。冷めればまた振り出しに戻る。

では、種火を宿すにはどうすればいいのか?

その答えは「今」にある。逆説的であるが「この先を夢想するな」とアドバイスしたい。今、目の前にある訓練や仕事、人間関係の構築に集中する。自分に合わないとか、目標と違うとか、他にいいチャンスがあるとか、そんな言い訳を考える時間を惜しみ、目の前のことに死力を尽くすのだ。その濃密な空間と時間の中で生まれた粒子たちは交差し、摩擦し合い、熱を帯びていく。その熱が臨界に達した瞬間、「ボッ」という小さな音とともに炎が生まれる。それがあなたの種火だ。

そうなれば、その場に止まろうと、旅立とうと、成功を引き寄せることができる。こうした過程にある人を見ると(ああ、この人は大丈夫だな)と思える。

この見方は、成功者から真の教訓を得るコツにもつながる。燃え上がる炎の色や大きさに目を奪われてはいけない。その人が本物の成功者であれば、炎の根っこの部分に自らの意思と努力で灯した種火が揺らめいているはずだ。少なくとも私はその景色に魅力を感じる。今、種火を生む過程の人であってもその行為は美しい。だから応援したいと思うのだ。