日本映像翻訳アカデミー

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日本の映像文化に注がれる世界の視線
?日英映像翻訳ヨーロッパ出張レポート?
11月25日から27日、オーストリアのウィーン大学にて日本の映像作品をテーマにした学会、Kinema Club ConferencesXI が開催されました。Kinema Clubとは、日本映画の研究者によるネットワークで、そのメンバーは全世界に現在約900名。年に一回行われるカンファレンスには、日本、アメリカ、ヨーロッパ各国からの研究者が集まります。また、学者だけでなく映画批評家や、ライター、学生など、日本映画を研究するあらゆる人たちが参加できるのも特徴です。今年のテーマは、"Japanese Cinema Spaces And Film Environments"。日本映画の鑑賞だけでなく、昔の映画館や映画街の様子など、ユニークな視点の発表が行われたこのカンファレンスを、JVTAの日英映像翻訳コースの監修を務める、ウィーン大学東アジア研究所准教授ローランド・ドメーニグ氏がオーガナイズしました。今回はこのカンファレンスに出席したJVTAのプロデューサー、浅川奈美が現地の様子をレポートします。

★世界最古の映画館がある街


11月25日(金)1日目

大阪にある劇場PLANET+1の活動や若手映画作家、俳優の養成などについてのスピーチがありました。この劇場は洋画・邦画の35mmアーカイブを豊富に持っていることから、山下敦弘監督や熊切 和嘉監督など世界でも評価の高い映像作家がかつて大阪芸術大学在学中に同劇場に通い続けていたそうです。他に、名古屋におけるフィルムスクリーンングと個人アーカイブについての発表もありました。

その後は、ローランド氏セレクトの映画『七間町 オリオン座の恋人』(2010年 荒木太郎監督)を鑑賞。これは、映画館シリーズという映画館を舞台に繰り広げられるシリーズものピンク映画です。

11月26日(土)2日目

この日は、Breitenseer Lichtspieleという映画館に集合。1905年にオープンしたこの映画館は、実際にオペレーションされている中では、世界最古と言われています。76歳の女性オーナー、Anna Nitch-Fitsさんと、映写技師の男性が迎えてくれました。お二人の好意で、映写室も見学させていただき、まるで“ニューシネマパラダイスの世界”を体験することができました。

木製の椅子には、陶器でできた座席番号がついています。あまりにも状態がいいので途中で改修したのかを尋ねると、「はい。1907年に替えました」とのこと。この国ならではの歴史感覚に感銘を受けました。今自分が座っている座席で、100以上の間、多くの人が同じように映画を観て一喜一憂していたのだと思うと感慨深いものがありました。


この映画館でThe Tingler (William Castle監督, 1959年)を鑑賞。この作品は、公開当時ギミック上映(映画館内で観客を脅かす仕掛けをする)されたホラー映画です。劇場の観客の反応がまた恐怖を演出していくという効果を狙ったもの。今回のカンファレンスのテーマの“Film Environments” にもつながる作品でした。

※館内や映写室の様子はこの後の写真でもお楽しみください!

その後は、ウィーン大学へ戻り、プレゼンへ。1923年の神田、浅草の映画館についての発表は特に興味深いものでした。映画館のある街として、賑わっていた神田。当時の写真や劇場見取り図などと共に、現在JVTAのある場所の過去の姿を改めて知ることができて良かったです。

※写真は最古の映画館の映写室です。

この日は他にも無声映画時代の浅草六区の映画館とその上映状況や、1920年代の小唄映画に関する考察、1920年から30年代のサウンドエフェクトの進化など、古き良き日本の映像文化についてのお話を聴けました。なかでも、1920年代以降、トーキー映画の普及に伴い弁士の需要が減少したこと、それに対し弁士による立てこもり事件やストライキがあったというエピソードは映画文化の移り変わりを象徴する印象的なエピソードでした。

★映画の過去と未来を考えるディスカッション


11月27日(日)3日目

この日の午前中のプログラムの進行を浅川が担当しました。プレゼンターの経歴やプレゼンの内容を紹介し、ディスカッションを回すという重要な役どころ。ローランド・ドメーニグ氏より、JVTAについても紹介して頂きました。

この日は、ローランド氏のプレゼンがありました。テーマは1940年代から50年代初頭にかけての浅草、神田、有楽町、新宿、池袋におけるストリップ劇場といわゆる“ヌード映画”およびその上映環境について。JVTAが、したまちコメディ映画祭の立ち上げ当初からサポートを続けている旨を浅川からご紹介すると、皆さんは非常に興味を持った様子でした。

※写真は最古の映画館のオーナー、Anna Nitch-Fitsさんとローランド氏です。

また、1960年代のATG(日本アートシアターギルド)作品についての熱いプレゼンもありました。海外でも人気が高いこれらの作品が作られた当時の政治的背景や若者に与えた影響力などを考慮すると、これほどパッションにあふれた作品群や映像作家は、世界でも他に類を見ないそうです。

そして最後に、Kinema Clubの代表、Abe Mark Nornes氏による、1950年代から始まる国際映画祭サーキットについての考察がありました。Mark氏は、Cinema Babel - Translating Global Cinemaという著書を発表しており、個人的にもずっとお会いしたかった方です。国際映画製作者連盟(FIAPF)公認、ランク付された映画祭とはどれだけ意味があるのか?という疑問を問いかけ、「今あるランク付されているほとんどの映画祭は作品自体の発展や広がりというより、ビジネス、お金を重視しているものである」と語るMark氏。「映画祭は作品にとって、Heat , Sparks, sometimes fire.」という言葉がとても印象的でした。

※写真は世界最古の映画館の映写室にて撮影。

Kinema Club Conferencesに参加して非常に興味深かったのは、“日本映画を真に研究していくには、日本語は欠かせない”と、多くの海外の研究者たちが認識しているという点でした。カンファレンス自体は全て英語で行われますが、皆さん日本語をよく理解しています。ちなみに10?20年前の海外の研究者たちは、ほとんど日本語を話せなかったようです。日本語というハイコンテクストな文化、言語を理解するには、自分でその言語を習得していくしかないとのことなのでしょう。持参した書籍『はじめての映像翻訳』を紹介する度に非常に大きな興味を示した各国の研究者たち。高い日本語能力を持つ彼らだからこそ、より質の高い英語字幕の必要性を感じ、映像翻訳に大きな関心を寄せているのだと思います。日本の映像文化に対する海外での評価と期待を目の当たりにした貴重な経験となりました。
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