発見!今週のキラリ☆

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vol.22 「野蛮人のように年末を歩こう」 by 石井清猛


12月のテーマ:クリスマス

さすがに今年で36回目ともなると、かろうじて1、2回は礼拝に顔を出したことがあるし、確か聖歌隊のキャロルも聴いたこともある。ちゃんと飾りつけたツリーを囲んでパーティーをしたことだってあるし、エッグノッグだって飲んだ。サンタが来てくれないと困るから、いい子にしてなくちゃと信じていたことがあったかどうかは記憶があやふやだけど、プレゼントに何がもらえるか、人並みにいつも楽しみにしていた...。
なのに、いまだにどこか板につかない感じで少しぎこちない。それが私にとってのクリスマスです。"ええ。私も祝ってます。"と大っぴらには言いにくいような、何となく便乗してるみたいで後ろめたいような。

とは言うものの毎年12月に入ると、やはり「Little Saint Nick」、「Let It Snow」、「Happy Xmas」なんかのメロディが絶えず頭の中を駆け巡り、それらのクリスマスソングが絶えず流れる街を浮ついた表情でぶらつき、点滅するイルミネーションを見かけては足を止め、ふと思いついてポインセチアの鉢を買って帰り、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』や『バッドサンタ』のDVDを、もう一回見るか、なんてレンタルしてしまったりするわけですね。
実は大好きなんですよ。クリスマスが。

ただ、後ろめたいとか言いながらこれだけ盛り上がれるのは、節操がないからでも隠れマニアだからでもなく、私が単に"年末好き"だからです。
12月のあわただしさは仕事や雑事の忙しさによるものだけではなく、そこには1年が終わり始まること、新しい年の幕開けが近づくこと、そのこと自体が呼び起こす不思議な高揚感があります。

一人ひとりにとってどんな年であっても、大晦日が来ればとりあえず終わり。明日からは次の年だし、新しい何かが起きるかもしれない。いや、起きるに決まってる。
そうやって、連続する時の流れを"切断"しながら、私たちは年を越すのですね。
端的に言えば"リセット(したことにする)"ということですが、ある意味で私たちは毎年、大晦日に死んで、元旦に生まれているのでしょう。

考えてみれば、暦というものは元々そういう役割を負っていたのかもしれません。
時を体系化し計測する基準となるだけでなく、昔から人の精神の動きにその時々でリズムを与えてきたわけです。
世紀末に大きな社会的な変動が起きやすいということは知られていますが、年末に感じるあのザワザワした感じは、世紀末の感覚の縮小版とも言えます。つまり何かが"リセット"される瞬間を待つ、祝祭的な気分です。

キリストの本当の誕生日がいつか、諸説があるようですが、少なくとも私はクリスマスが年末だったことを感謝したい気持ちでいっぱいです(...誰に?!)。
ツリーやリースのない年末は物足りないし、クリスマスソングの流れない年末は味気ない。イルミネーションの瞬かない年末は、想像すらできない。
少し野蛮な言い方になりますが、クリスマス的風物は年末の祝祭的風景の一部であり、それが私にとってのクリスマスなのでしょう。

『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のジャックは"サンディ・クローズ"を誘拐した時、1年中がクリスマスという、クリスマス・タウンの底知れない楽しさに心を奪われていました。そこでジャックが発見したのは、歴史も制約もない、お祭りそのものとしてのクリスマスです。
そんなクリスマスを求めるのは野蛮な精神のなせる業なのでしょうが、そんなクリスマスなら、きっと後ろめたさを感じることもないのかもしれません。