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vol.32 『ピクニック』 by 石井清猛


5月のテーマ:休日

柔らかな午後の陽射しを照り返す池の水面に揺れるカキツバタの影を眺めながらしばらく遊歩道を上っていくと周囲は徐々に暗くなっていき、気づくとそこはクヌギやコナラなどが生い茂る武蔵野の原生林。やがて私は池に向かって軽く傾斜する地面に腰を下ろし、ひんやりとした土の温度を感じつつ、木々の梢から時おり洩れてくる陽射しに目を細める...。

私の地元練馬区の石神井公園で過ごす、そんな休日は恐らくただの白昼夢(笑)。"あったかもしれない"あるいは"あったらいいなあ"という、まあ、たぶん過去にも未来にもない、言ってみれば"幻の休日"です。
そして、私がたまにこんな白昼夢を見るようになった理由を探すとすれば、それは紛れもなくこの映画を見たせいでしょう。

休日を過ごすために田舎町を訪れたある家族の1日を描いた40分足らずの中編、ジャン・ルノワールの『ピクニック』。
こぼれ落ちてくる陽光、さざめく草木、川面を滑る手漕ぎボート、立ち並ぶオリーブ、じゃれあう母娘、おどける地元の若者、そして突然の雷雨が、次々とまるで夢のような生々しさで映し出されるこの作品は、見る者をここではないどこかで過ごす"幻の休日"へと誘うのです。

『ピクニック』は1936年に撮影されある事情で中断されたままになっていたところを、1946年にプロデューサーのピエール・ブロンベルジェの指示により、撮影済みのフィルムを編集したのちに補足説明を加えられて今見られる形となりました。
制作途中で監督の手を離れてしまった経緯から"未完"とされているものの、その底知れない映画的豊かさゆえに「ルノワールの最高傑作」に推す批評家も少なくありません。

夏のある日曜日にパリの金物商デュフールは家族を連れ、田舎へピクニックに出かける。デュフールと娘の許婚アナトールが釣りに興じる一方、妻と娘アンリエットは地元の青年2人に誘われ舟遊びへ。青年アンリは船を岸へ着けアンリエットを森へと誘う。やがて嵐の訪れと共に終わる夏の休日。そして数年後の日曜日、アンリは思い出の河畔で偶然アンリエットと再会するのだが...。

ジャン・ルノワールが『ピクニック』のロケ地としてパリ南郊の村マルロットにほど近いロワン川の畔を選んだのは、子供の頃によく別荘で遊び「そこのすべてを知りつくしていた」からだと言います。
その言葉どおり、映画ではロケーションの魅力を存分に捉えながら、加えて母と娘の間で交わされるアリを巡るやり取りなど、コミカルなディテールにも不思議なリアリティが宿っています。

とはいえ、この作品のハイライトは間違いなく娘のアンリエットを演じるシルヴィア・バタイユでしょう。洗練と野生が危うくバランスを取っているその強烈な存在感に、観客は彼女から目を離すことはできません。

そしてクライマックスは映画序盤に唐突に訪れます。
青年がレストランの鎧扉を開け放ち画面に光が満ちる瞬間と、その光に導かれるように映し出されるブランコに乗って揺れるアンリエット。
先日まで都内で催されていた展覧会のポスターにもなっていた、あのショットです。
ちなみに私はここ数ヵ月、駅でシルヴィア・バタイユを見かけるたびにその前で最低1秒は立ち止まってました。たぶん意識が飛んでたんだと思います(笑)。

『ピクニック』では映画評論家の山田宏一さんが字幕の監修をしているのですが、映画の終盤に出てくる「月曜日のように悲しい日曜日が過ぎて1年後...」という説明の字幕が美しく、深い印象を残します。

この映画で描かれた"月曜日のように悲しい日曜日"ほど、ドラマチックな思い出を持つ人は実際には少ないかもしれません。
それでもこの物語が見る者の心に迫ってくるのは、誰もがやり切れない思いを残した休日を抱えているからなのでしょうか。
ちょうど子供の頃に経験した"夏休み最後の日"のせつない記憶が、色褪せながらも消えることのないように。

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『ピクニック』
出演: シルヴィア・バタイユ、ジャーヌ・マルカン他
監督、脚本: ジャン・ルノワール
撮影:クロード・ルノワール
製作年: 1936年
製作国: フランス
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