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vol.76 『ガス燈』 by 杉田洋子


2月のテーマ:夜

『ガス燈』は、私が初めてキューバの映画館で観たハリウッド映画だ。留学当時
に滞在していた家から最寄りの映画館"チャールズ・チャップリン"では、古い
ハリウッド映画にスペイン語の字幕を載せたものがよく上映されていた。
日本映画の週やトルコ映画の週など、小規模な映画祭のようなものもよく行われ
る映画館で、適度にすいていて居心地がよい。チケット代は日本円に換算して約
10円。途中キオスクに寄って、やはり10円相当のフルーツジュースを飲み干し、
窓口に並びながら5円相当のピーナッツを買う。部屋にテレビがなかった私は、
これを"20円の娯楽コース"と名付け、暇つぶしとスペイン語の勉強がてら、週
に3日は通っていた。

かの有名な字幕"君の瞳に乾杯"で有名な『カサブランカ』の主演女優、イング
リッド・バーグマンと出会ったのも、恐らくこの時だったと思う。白黒の画面に
映る不安げな表情があまりに美しくて、すっかり見とれてしまった。もちろんあ
とで『カサブランカ』も観たけれど、個人的には『ガス燈』の方が強く印象に残っ
ている。当時29歳のイングリッド・バーグマンが初のアカデミー主演女優賞に輝
いたサスペンス映画だ。


舞台は19世紀のロンドン。母親を亡くした主人公の少女ポーラは、叔母であり大
歌手であるアリス・アルキストとともに暮らしていた。しかし不幸にも自宅で叔
母が何者かに殺されてしまう。傷心をいやすために思い出の家を離れ、叔母のよ
うな歌手になろうと歌のレッスンに励むポーラだったが、レッスンの伴奏を務め
るピアニストのグレゴリー・アントンと急速に恋に落ち結婚することに。ポーラ
の複雑な思いをよそに、2人は悲しい記憶が残る叔母の家で暮らすことになった。

ところが叔母の家に越してからというもの、ポーラの周りに不思議なことが起こ
り始める。夜、夫が作曲のために出かけたあと、室内のガス燈の光がぼうっとか
げり、閉鎖されているはずの天井の物置から物音が聞こえるのだ。さらに夫にプ
レゼントされた首飾りを紛失して以来、"君は忘れっぽくなった、心を病んでい
るんだ"と夫に責められるようになる。かげってゆくガス燈の光と物音に怯える
夜は続き、ポーラの心は次第に衰弱してゆく...。


物語自体の展開はなんとなく読めるけれども、破たんなきストーリーは純粋に面
白く、当時の脚本の完成度の高さを思い知らされる作品の1つだ。
夜毎にかげるガス燈と、不安気にゆがむバーグマンの表情が絡み合い、グっと引
き込まれてしまう。ガス燈の画は、いつまでもいつまでも鮮烈に脳裏にこびりつ
いている。とても個人的で感覚的な感想を言えば、ささいな物音や天井のしみを
見ておびえていた子供の頃の"夜のイメージ"がそこにはある。今の自分の中で
は、夜といえばお酒やライブといった快楽のイメージが圧倒的に優勢だが、夜の
原点はやはり神秘や恐怖だった。だから何となく、私にとってこの作品は、夜を
象徴する映画として胸に刻まれているのだ。

まだ見ていない方は、ぜひこの物語の結末と、儚く美しい人妻を演じるイングリッ
ド・バーグマンの姿を見届けてみてください。


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『ガス燈』
監督:ジョージ・キューカー
出演:シャルル・ボワイエ、イングリッド・バーグマン他
製作年:1944年(※1940年版もあるので注意)
製作国:アメリカ
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