発見!今週のキラリ☆

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vol.108  「自転車漕ぎと記憶力」 by 藤田奈緒


5月のテーマ:自転車

桜が咲き始めた頃、自転車に乗る機会があった。私は自転車を持っていないので、乗るのは随分と久しぶりだ。正確に言うと、小学校3年生の時にスピードの出しすぎで顔面を強打するという大惨事に見舞われて以来だから、実に20数年のブランクを経て自転車を漕ぐことになったわけである。

ふいに訪れたチャンスを前に、私は内心ちょっぴり不安だった。いい年をした大人が、バランスを崩して無様な格好をさらす羽目になるのは避けたい。期待を込めてぐいっとひと漕ぎ。すると自転車は何事もなくスムーズに前に進み出した。予想外にあっけない。どこか釈然としない気持ちのまま、公園の自転車コースを2周ほどし、休日の一大イベントは静かに幕を閉じた。

物事を記憶するには、「方法記憶」「知識記憶」「経験記憶」の3つの方法があると言う。中でも「方法記憶」(いわゆる体で覚える記憶)が一番忘れにくく、自転車はそのいい例だそうだ。体を使って習得したものは、どんなにブランクがあっても無意識に覚えていてできるものだと言われると、確かに納得がいく。そういえば数年ぶりのスキーも問題なく滑れたし、普段は車に乗っていなくても、実家に帰れば難なく車を運転できる。

ところで、最近仕事をしていて、自分の記憶力のなさにつくづく呆れることがある。辞書を引くクセがついたせいか、引いても引いてもその単語の意味が覚えられない。特定分野のシリーズ番組のチェックをしていても、気づけば毎回のように同じ調べ物をしている。シリーズなのだから、過去の調べ物を生かせそうなものだけど、すんなりと目的のページにたどり着くことができず、あっちに行ったり、こっちに行ったり、新たなルートで探し当てる羽目に陥ることがあまりに多いのだ。これらは頭で覚える「知識記憶」に当たるのだから仕方がないと、自分を納得させるしかない。

それにしても、自転車が「方法記憶」で本当に良かった。これが翻訳作業のように「知識記憶」だったら、カーブを曲がりきれずに壁に激突したり、突然チェーンががしゃんと外れたり、前に漕ぐつもりがバックしたりと、20年ぶりのサイクリングを終えた私は、顔面強打どころか全身打撲で青アザだらけになっていたに違いない。