気ままに映画評

ジェームズ・ボンド映画の新たな幕開けとなる『007 スカイフォール』

Text by 鈴木純一

007.JPG2012年は、ジェームズ・ボンドの映画『007』シリーズ50周年となる"ボンド・イヤー"。その50周年を記念する最新作『スカイフォール』を一足早く、ジャパン・プレミアで観てきました。これまでのシリーズ作同様、見どころ満載ですが、今回はその中から僕が注目するポイントを3つ挙げてみました。

◆ポイントその1:ボンドを人間として描くリアルなドラマに
今回の『007』では、イギリスの諜報機関MI6に所属するスパイのリストが盗まれてしまう。そのリストを取り返そうとするボンドだが、奪還作戦は失敗に終わる。ボンドと上司のM(ジュディ・デンチ)はその責任を負うこととなり、「現代にスパイが存在する理由があるのか?」という問いを突き付けられるのだ。ボンドやMの苦悩する姿を描く人間ドラマとして、深みのある物語となっている。

◆ポイントその2:今回の敵は元MI6のスパイ!
本作でボンドと対決するシルヴァは、かつてMI6に所属していた優秀なスパイだった。しかし悪の道に堕ち、Mにスパイとしての存在を抹消されてしまう。Mへの復讐に燃えるシルヴァを演じるのは、『ノーカントリー』でアカデミー主演男優賞を受賞したハビエル・バルデム。スパイからテロリストに変貌した男を、狂気を漂わす演技で見事に演じています。

◆ポイントその3:原点への復帰、そして新たなる展開へ
本作はトルコや中国、マカオがロケ地となっているが、主な舞台はイギリスだ。これにより、ボンドの本拠地であり、原点でもあるイギリス色が強く打ち出されることになった。また、ロケ地だけではなく、他にも『007』の原点に戻ろうとする様子が感じられる。まず、かつてのボンド映画には登場していた秘密兵器担当のQが、グレイグ版ボンドでもついに姿を見せる。これまではデズモンド・リュウェリンやジョン・クリーズなど、年配の俳優が演じてきた役柄だが、今回のQは若手俳優ベン・ウィショー。他にもボンド映画でおなじみのキャラが出てくるが、それは観てのお楽しみ!そして『007/ゴールドフィンガー』などに出てきたボンドカー、アストン・マーチンDB5も再び登場するなど、シリーズファンにはうれしい見どころとなるだろう。

『スカイフォール』はボンド映画への原点に戻り、そして新たなシリーズの幕開けとなる作品になった。次回作は2014年に公開予定というが、早くも続きが観たくなってくる。

シリーズの中継ぎ!? でもやっぱり面白い!『バイオハザードⅤ:リトリビューション』

Text by 鈴木純一

バイオハザード.JPG今作『バイオハザードⅤ:リトリビューション』は、大ヒットゲームを映画化した『バイオハザード』の第5作目となる作品。2002年に第1作目が公開されてから10年間で5本が製作されているとこのシリーズは全作観ているので、今回は最新作の紹介とともにシリーズの魅力についても考えてみた。

バイオの魅力はまず作品毎のストーリーの変化だろう。ⅠとⅡでは都市を舞台にアンデッド(ゾンビ)との戦いが繰り広げられたが、Ⅲでは砂漠を舞台に『マッドマックス』のような世紀末感を出している。さらにⅣは、シリーズ初の3Dで製作され、刑務所を舞台に『プリズン・ブレイク』のような展開にするなど、常に新しいテイストを加えている。

次は何といってもアリスを演じるミラ・ジョヴォヴィッチの存在感だ。ミラ本人もゲームの「バイオハザード」の大ファンで、第1作が製作されると聞き、自ら出演に名乗り上げたほどだから、全裸に布をまとっただけのセクシーでショッキング姿を披露したり、ほとんどのアクションも自分で演じているなど、とにかくそののめり込み方というかアリスを演じることへのエネルギーが見ているこちらにも伝わってくる。そんなミラの情熱的な演技やアクションを観るだけでも価値はある。

もう一点、このシリーズが人気なのは、その"楽しさ"だろう。アクションとホラーを適度にちりばめており、『ダークナイト ライジング』のように重厚さ大作ではないが、まるで遊園地のアトラクションに乗っているようなワクワク感がある。終わった後には何も残らないが(褒めてます・笑)、とにかく楽しいのだ。シリーズのほとんどは上映時間が90分台で、鑑賞には適度な長さだ。「アクションでも観ようかな」と思う時にはおすすめである。昔、CMで「おせちもいいけど、カレーもね」というのがあったが、それと同じ。「『ダークナイト』もいいけど『バイオ』もね」である。

さて、最新作の『リトリビューション』だが、ホラー色は薄まって、激しい銃撃戦と爆発の連続で戦争映画のようになっている。冒頭から終わりまでアクションのつるべ打ちだ。加えて、第1作目のレイン(ミシェル・ロドリゲス)、Ⅱのジル・バレンタイン(シエンナ・ギロリー)といった名キャラクターたちも再登場するのもファンにはうれしいところだろう。そして全作同様、3D映画となっており、スクリーンに向かって投げられる武器や、弾丸が飛んでくるシーンにビクッとさせられる。Ⅳでは雨が降ったり、水しぶきを立てて戦うなど、"水"が印象的だったが、本作では雪の中でアリスとジルが『キル・ビル Vol.1』ラストのユマ・サーマンVSルーシー・リューのような迫力ある肉弾戦を繰り広げる。『バイオハザード』は次作で完結といわれている。『リトリビューション』は終わりに向けての中継ぎ映画の感はあるが、アクション映画として健闘している。完結編に期待したい。

ミステリーからラブ・ストーリーに昇華する『ドラゴン・タトゥーの女』

                                                 Text by 鈴木純一

ドラゴンタトゥー.JPGデヴィッド・フィンチャー監督の『ドラゴン・タトゥーの女』予告編を観て、「世界的ベストセラー三部作、完全映画化!」のテロップで「もう映画化されているよ!」と思ったのは自分だけではあるまい。

スウェーデンの作家スティーグ・ラーソンが書いたミステリー小説『ミレニアム』3部作は、2009年の『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』を始めとする映画三部作としてすでに製作されている。『ドラゴン・タトゥーの女』はリメイクなのだ。自分は原作の小説を読んでいないが、オリジナル版の映画を観て、それほど面白く感じなかった。これは長い原作をすべて描ききれていないのが原因かもしれないが。というわけでフィンチャーは好きな監督だが、一抹の不安を持って観た。その結果、リメイク版は期待を(いい意味で)裏切る面白さでした。

まずオープニング・タイトル。黒い人影がうごめく不気味な映像と、レッド・ツェッペリンの曲「移民の歌」のカバーがうまく交わっている。フィンチャーはミュージック・ビデオの監督出身なので、音楽と映像を組み合わせるのは得意だ。このオープニングで観客の心をグッと掴みます。

40年前に富豪一族の娘が失踪した事件を追うというストーリーは、それほど目新しい設定ではない。しかし事件を捜査するジャーナリストと天才ハッカーを演じる2人の俳優が素晴らしい。まずは挫折したジャーナリスト、ミカエル演じているダニエル・クレイグ。ダニエルはジェームス・ボンドに扮して強いヒーローの印象がある。本作では挫折して枯れた雰囲気で、なかなかいい味を出しています。そして最も魅力を発しているのが天才ハッカーのリスベット役のルーニー・マーラだ。つらい過去を背負い、他人との触れ合いを拒絶する孤独なリスベットを見事に演じている。ルーニーのリスベットは、オリジナル版を超えていると言っても過言ではない。ルーニーは本作でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたのも納得だ。

オリジナル版とフィンチャー版を比べると、フィンチャー版ではいくつかのエピソードを刈り込んでおり、スッキリした感じがする。フィンチャー版で印象に残ったのは、ミカエルが拷問を受けるシーンで流れる曲がエンヤの「オリノコ・フロウ」という点。癒し系といわれるエンヤの曲を残酷な場面で流すフィンチャーの皮肉な演出で、不謹慎ながら笑いそうになった。

あと、終盤の展開だが、フィンチャー版はオリジナル版とはで大きく異なっている。富豪一族で起こった事件を解き明かすミステリーは、恋の物語として終わるのだ。このエンディングも含めて、深い余韻を残すフィンチャー版の方が好きです。原作を読んだ人もそうでない人も、映画館で観ていただきたい作品である。

挫折した異端者の抵抗が
やがて大きな変化を起こす映画『マネーボール』

                                               Text by 鈴木純一    

マネーボール01.jpg『マネーボール』というタイトルから「ビジネスと野球を結びつけた映画なの?野球も詳しくないし、『もし高校野球のマネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』も読んでないし」と思った人、安心してください!ビジネスに疎くても『もしドラ』を読んでなくても『マネーボール』は楽しめます。

主人公のビリー・ビーン(ブラッド・ピット)は野球チーム、アスレチックスのゼネラルマネージャーを務めている。ところが、アスレチックスは予算が少ないため、成績が良い選手を雇いたくても、お金を持っているチームに高いお金で先に契約されてしまう。そこで「お金の無いチームでも勝てるチームを作る」ために彼が考えたのが「マネーボール理論」だ。これは、ホームランを打てる年俸の高い選手を雇う代わりに、年俸は高くないが出走率の高い選手をスカウトするというもの。そして過去の打率などの詳細な数字上のデータを基に選手をトレードして強固なチームに変えていく、という理論だ。
イエール大学卒業のピーター(ジョナ・ヒル)をアシスタントにし、「マネーボール理論」を元に次々とチーム改革を行っていくビリー。誰の目から見ても無謀な彼の戦略は「数字や理論だけで野球に勝てるものか!」とチームのスタッフや監督から反発を買うが、そんな中アスレチックスに少しずつ変化が起こってくる...。

ビリーはかつて将来を約束され、大金でメジャーリーグにスカウトされた選手だった。しかし周囲から期待される重圧に勝てず、好成績を残せずに挫折してしまう。過去の経験から「大切なことはお金で判断しない」を自分に課してチームを育てるビリーを、ブラッド・ピットが好演している。


マネーボール02.jpg『マネーボール』は実話を基にした映画。脚本を手がけたのは『ソーシャル・ネットワーク』のアーロン・ソーキンと、『シンドラーのリスト』のスティーヴ・ザイリアン。どちらも実在の人物を主人公にした映画だ。そして本作の監督ベネット・ミラーも『カポーティ』で実在の作家トゥルーマン・カポーティを描いていた。3人の共通点は、実在の人物を描くことに長けていることだ。『カポーティ』でアカデミー主演男優賞を受賞したフィリップ・シーモア・ホフマンが『マネーボール』ではアスレチックスの監督役で登場している。せっかくアカデミー賞俳優を出演させているのに、彼は常に腕を組んで唸っている役なので、もったいない感じもするが。

『マネーボール』は、挫折した異端者が独自のアイディアを持ってメジャーリーグ界に大きな変化をもたらす人間ドラマとして、野球が詳しくなくても見応えのある作品となっている。ビリーが行ったチーム改革の結果はどうなったのか?その結末は映画館で観てください。

『トーキョードリフター』 トークショー潜入レポート&映画レビュー

                                                  
2011年5月、過ぎ去った東京の姿。
『トーキョードリフター』

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第22回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」作品賞を受賞した『ライブテープ』を制作した松江哲明監督と主演の前野健太のコンビが帰って来た。今回、2人が引っ提げてきた作品は『トーキョードリフター』。3月11日の東日本大震災から2ヵ月たった後の「ネオンの消えた東京」をテーマにした作品だ。
この映画を今年の10月22日(土)~10月30日にかけて行われた第24回東京国際映画祭の上映会に日本映像翻訳アカデミーの修了生が潜入。
映画を観ての感想をここでレビューする。

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                                                text by好中由起恵

トーキョドリフタ.jpg3月11日の東日本大震災から7ヵ月が過ぎた。その爪跡はまだ残るものの、東京や関東近辺の人々の多くは日常を取り戻しつつある。しかし、震災直後はこうではなかった。きっと皆さんも覚えているだろう、ネオンが消えて暗くなった東京の街を。

『トーキョードリフター』で描かれているのは、まさにその「傷ついた東京の姿」だ。震災から約2ヵ月がたった5月の東京の街で、陽が落ちてから昇るまでの約10時間、アーティストの前野健太がバイクで移動を続けながら歌い歩く。そんな前野さんの姿を追い72分間の映像にまとめ上げたドキュメンタリーだ。ただし、そこにセリフは一切ない。あるのは前野さんの歌と傷ついた東京の姿。その2つだけだ。

なぜ、「傷ついた東京」と「前野さん」なのか。一見ミスマッチに思えるこの2つを組み合わせた監督の意図は何なのだろうか。前野さんが歌う歌詞も震災そのものとは関係なく、"この街が好き"とか"おっさんの夢"とか"ファックミー"とか、どれも前野さんがいつも歌っている歌だ。このミスマッチの第一印象にも関わらず、私は最初から最後まで飽きることなく画面に見入ってしまった。そして不思議なことに、観終わった後にとても温かい気持ちに包まれた。一体、なぜなのだろうか。最初は分からなかったその理由が、上映後に行われた前野さんの挨拶で明らかになった。

映画の上映後の挨拶で、主演の前野さんはこう語ったのだ。

「撮影中は、きっと面白い映画になるだろうという予感はあったものの、正直言って具合も悪かったし、やりたくないという気持ちが強かった。雨でずぶ濡れになるし、すごくつらかったから。こんなことをやらせる、松江さんはなんてひどい人なんだと思っていたくらいです。でも、さっき映画を観ていたらやっぱりよかったんだなぁ、と思って思わず隣にいる松江さんに握手をしてしまいました(笑)。きっと、このスタッフ陣以外だとこんないい作品にならなかったと思うし、僕はこのメンバーじゃなければ映画には出なかったと思います」

前野さんがメンバーと呼ぶのは総勢7名のスタッフだ。共に「ライブテープ」を作り上げお互いに厚い信頼関係で結ばれた7人。恐らく私は、この7人の「絆」を映画の世界観の中に感じたのだろう。特にドラマのようなストーリー性のないドキュメンタリー作品においては、カメラを回す人間の息遣いや現場の空気感までもがもろに伝わってくる時がある。ましてや、セリフが1つもない『トーキョードリフター』では、言語を超えて心や体で感じ取れるものしか存在しない。そして私はそこに、「信頼のおける人同士の強い結びつき」を感じ取ったのだ。

震災後、多くの人が考えさせられたのは「人生における優先順位」だろう。あらゆるものを失った時、人にとって一番大事なものが見える。もちろん、この優先順位は人それぞれでいい。でも、震災後に私が人生で一番大事にしたいと思ったのは「家族や、身近にいる大切な人との繋がり」だった。それだけに、「信頼のおける仲間たちの絆」が垣間見える本作を観て、とても温かい気持ちに包まれたのだろう。

「信頼のおける仲間同士の絆」が描かれた『トーキョードリフター』は、12月10日より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開となる。震災発生時からしばらく時間が経って記憶が薄れつつある今こそ、ぜひ観てほしい映画だ。


『トーキョードリフター』の公式HPはコチラ
http://tokyo-drifter.com/


東京国際映画祭の公式HPはコチラ
http://2011.tiff-jp.net/ja/

『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』
トークショー潜入レポート&映画レビュー

                                                  text by 鈴木純一

『ドラゴン 怒りの鉄拳』にオマージュを捧げたカンフー・アクション大作
『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』!


ドニー表.jpg新宿武蔵野館で"香港アクション列伝BIG4"と称し、香港映画4本が連続上映されている。その第2弾として上映されている『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』を観てきました!『レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳』は、ブルース・リー主演の『ドラゴン 怒りの鉄拳』の続編だ。『怒りの鉄拳』のラスト、虹口道場で宿敵の日本人を倒したチェン・ジェン(ブルース・リー)は銃弾に倒れたが、『レジェンド』ではチェンは生きていて......という物語である。

『レジェンド』の舞台は、1925年に日本やイギリスなど各国が策略を進める上海。チェン(ドニー・イェン)は日本軍に対抗する運動を進めるが、日本軍は抵抗する人間たちを次々に処刑していく。EXILEのAKIRAが日本軍の暗殺隊長として出演しているが、この時代に髪型がポニー・テイルの軍人はいないだろ!というツッコミはやめましょう。これは映画ですから(笑)。しかし、日本軍が中国人に対して非道の限りをつくすシーンは日本人の自分から見ても「日本人って、ひどい......」と思わせるほどだ。

そしてチェンは黒い詰襟服とマスクをつけた仮面の戦士として、日本軍人たちを倒していく。この黒ずくめの衣装は、60年代のテレビドラマ『グリーン・ホーネット』でブルース・リーが演じたカトーの衣装にそっくりだ。今年になって映画版『グリーン・ホーネット』が公開されたが、ドニーが「カトーをやるなら、こうやれよ!」といわんばかりの大活躍である。でも、もしドニーがカトー役だったら、強すぎてグリーン・ホーネットは必要ないんですけれどね。映画の中盤、新聞社の室内でド派手に周りのモノを壊しながら繰り広げられるバトルは凄い迫力。ここで展開されるドニー対AKIRAの対決は見ものです。

そしてクライマックスでは、チェンは白い詰襟服を着て再び虹口道場へ向う。白い衣装は『怒りの鉄拳』の冒頭でリーが着ていた白い詰襟服と同じである。そして大勢の日本人たちを相手にただ1人、最後のバトルを繰り広げる。アクション映画好きとしては、このシーンで興奮が沸点に達しました。チェンが「アチョー!」というリーばりの怪鳥音と共に蹴りやパンチを繰り出す。そしてヌンチャクを振り回すのも『怒りの鉄拳』でリーがヌンチャクを使っていたことへのオマージュですね。自分は日本人なのに「ドニーがんばれ!日本人を倒せ!」と応援しました。そしてドニーが「中国人はアジアの病人ではない!」とオリジナル版でリーが言ったセリフを発する。そして戦う途中でジャケットを脱ぐが、48歳とは思えない筋肉!宇宙最強の48歳です。
『レジェンド』はドニーが敬愛するブルース・リーの『怒りの鉄拳』にオマージュを捧げた"怒りの続編"となった。そしてアクションだけではなく、『インファナル・アフェア』のアンソニー・ウォンやショーン・ユー、『トランスポーター』のスー・チーなど豪華な共演者たちが脇を固めて、歴史に翻弄される人間ドラマとしても見応えのある作品になった。香港映画ファンだけではなく、映画好きなら見逃す手はない。


EXILEのAKIRAは20歳のバンドマン!?
出演者によるトークショーは笑いが盛りだくさん

11-09-30_006.jpg上映後は、『レジェンド』で山崎中尉を演じた舟木壱輝さんと、武術指導を担当した谷垣健治さんが登場してトークショーが始まった。谷垣さんは1993年に香港に渡り、香港映画でアクション指導を担当してきた。日本でも数多くの映画で活躍しており、現在撮影中の実写版『るろうに剣心』でアクション監督を担当している。

谷垣さんは「ドニーは1995年に香港で放送された人気ドラマ『精武門』(『怒りの鉄拳』の原題)に主演し、それから再び『怒りの鉄拳』を作ろうとしていた。1999年に製作する話が出て、日本で製作の準備もしていた(共演者の候補は中山美穂だったそうだ)。しかしその話がなくなり、2009年に『レジェンド・オブ・フィスト』として製作されることになった」と、ドニーの本作にかける情熱を語った。舟木さんはドニーについて「ドニーさんはクライマックスで服を脱ぐので、このシーンのために撮影の合間に腕立て伏せをするなど、絶えず筋肉を鍛えていた」と、彼の俳優としてのプロフェッショナルぶりについて話した。

そしてEXILEのAKIRAが出演したことについて谷垣さんは「中国のスタッフから、日本人のバンドマンが出演することになった、年齢は20歳と言われていた。でも来たのはAKIRAさんだった。EXILEはバンドじゃないし、それに彼は20歳じゃないから(笑)!
でも、アクションシーンでのAKIRAのリアクションは予想外で面白いってドニーがほめていたよ」と撮影の様子について話した。

ドニー裏.jpgまた、ドニーはAKIRAと戦うシーンで、AKIRAに最後の一撃を打たずに終わるのだが、この理由としてドニーは「あまりAKIRAを殴ったら、日本のAKIRAファンに俺がひどいヤツだと思われるから」と話していたのだそうだ(谷垣さん談)。しかし映画が完成し、AKIRAの悪役キャラぶりが際立っているのを観ると、「もっと殴っとけばよかった」と思わず後悔の声を漏らしていたのだそうだ。

さらに『レジェンド』でドニーは黒い仮面と服を着た仮面の戦士となるが、谷垣さんは「当初はドニー演じるチェンはバットマンのようなヒーローで、彼の妹役のチョウ・ヤンがバット・ガールになって、ドニーと一緒に活躍する予定だった」と意外な裏話も教えてくれた。

このように、トークショーは現場の裏話が満載の中身の濃い時間となった。『レジェンド』以降も、武蔵野館では『アクシデント』『密告・者』が上映される。香港映画が連続して上映されるイベントは少ないので、この機会に観に行ってはいかがでしょうか。

第4回したまちコメディ映画祭クロージング作品
『モンスター上司』のジャパンプレミア上映は大盛況の内に終了!

                                     Text by 日本映像翻訳アカデミー編集部

IMG_0808.jpg9月19日(月・祝)、浅草公会堂にて第4回したまちコメディ映画祭のクロージングとして特別招待作品『モンスター上司』のジャパンプレミア上映が行われた。当日は、映画祭の最終日ということもあり、大勢の来客でにぎわった。映画の上映前には本映画祭のチーフディレクター大場しょう太氏ら関係者4名が登壇。『モンスター上司』という映画にちなんで、自分だったらどういう上司が嫌いか、という話に及んだ際には「ずっと仕切っていたくせに、事業がうまくいかなくなると、部下に責任を押し付ける上司」などと話して、会場を沸かせていた。


また、来場者プレゼントとして、ジェニファー・アニストンと部下役の主演3名のサイン入りポスターが提供され、じゃんけん大会が急遽行われることに。接戦の末、コリン・ファレルが好きだという女性が見事獲得し、歓喜の表情を見せていた。

IMG_0833.jpg映画の内容はまさにタイトル通り。ニック、カート、デイルの3人は、パワハラ、セクハラ、バカハラ上司と、それぞれ耐えがたい上司の下でうんざりする日々を送っていた。自ら会社を辞めるつもりはない3人は少しでも仕事をマシにするため、バーで知り合った見るからにムショ帰りの強面の助言を受け「上司殺害計画」を練る。ところが、いざ計画を実行に移そうとすると、そこには大きな落とし穴が待っていた......。


イメージ画像.JPG見所はなんと言ってもニック、カート、デイルのおバカ3人による連携の取れたコメディだが、同じくおバカな3人の上司も見逃してはならない。自身の権力を誇示したいがために、部下にめちゃくちゃな要求を浴びせるパワハラ上司に、毎日息をつかせぬほど部下にワイセツ行為を働くセクハラ女上司。そして、先代の社長の急死により社長の座につくことになった放蕩息子のバカハラ上司。それぞれ、絵にかいたようなとんでもない上司だ。

特に注目したいのは、ドラマ『フレンズ』のレイチェル役でもお馴染の人気女優ジェニファー・アニストン演じるセクハラ上司だ。歯科医師である彼女のセクハラぶりは、とにかくぶっ飛んでいる。突然、部下を呼び出し、裸にエプロンならぬ裸に白衣で迫ったり(しかも遠隔操作で部屋に鍵をかけて部下を逃げられなくする。一体、どんな病院だ・笑)、麻酔薬を悪用して悪戯したりと「ジェニファー、本当にそこまでやっちゃっていいの!?」と思わず心配してしまうが、コメディの女王の貫録を堂々と見せつけている。ある意味、ジェニファーファンにとっては嬉しい映画かもしれない。

作中に登場する3タイプのダメ上司は三者三様だが、その中にきっと誰もが「私の職場にもいる!こういう人」と、あなたの身近なダメ上司の姿を見つけられることだろう。

本作は10月29日(土)よりシネマート新宿、シネマート心斎橋ほかにて全国ロードショーになるため、ぜひ映画館に足を運んで自身の目で確かめてみてほしい。

『モンスター上司』公式HP

最強のアクション『導火線(FLASH PONT)』で
心の導火線に火をつけろ!

                                              Text by 鈴木 純一


B5チラシ-1-01.jpg中国では"宇宙最強"と呼ばれるほどの人気を博しているアクション俳優ドニー・イェン。しかし日本では2007年の『かちこみ! ドラゴン・タイガー・ゲート』以降、ドニーの映画が劇場で上映されていない。このままでは日本はドニー後進国になってしまう!と思っていたら、今年になって『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』『孫文の義士団』『処刑剣』とドニー映画が立て続けに日本で公開される。そしてDVD『導火線 FLASH PONT』が6月にリリースされる。この『導火線』をスクリーンで観たいというファンの声と、映画を上映したいという映画館の思いが実を結び、奇跡の上映が実現した。スクリーンで観る機会を逃してはならぬと、シネマート六本木に行ってきました!

映画はドニー演じるマー刑事が「悪党を捕まえるのが警官の任務」と言うシーンから始まる。マーは毎月40人の犯罪者に重傷を負わせるという、正義のためなら暴力もためらわない男だ。

このマー刑事が追っているのはベトナム人のアーチャー、トニー、タイガーの凶悪3兄弟。前半は、3兄弟の組織に潜入した刑事ウィルソン(ルイス・クー)のおとり捜査が描かれるが、ウィルソンが兄弟に瀕死の重傷を負わされ、ついにドニーの怒りの導火線に火がついた!中盤以降はドニーの怒りの鉄拳が炸裂して、一気に熱い展開になっていく。

3兄弟とのバトルは、食堂でのタイガーとの戦いで始まる。『導火線』では総合格闘技を取り入れたアクションが登場するが、柔道、関節技、寝技などを取り入れた映画は珍しいのではないだろうか。しかもマーとタイガーはビシバシと本気でパンチとキックの応酬、さらにマーが素早い動きでタイガーのバックを取って、アスファルトの上でバック・ドロップ!危険すぎてあり得ないですよ。タイガー役のシン・ユーは、この映画の撮影中に耳の鼓膜が破れたというが、それも納得できる激しさである。

B5チラシ-裏面カラー.jpgそして、クライマックスはドニー対トニー(コリン・チョウ)のバトルである。これは本当にすごいです。コリン・チョウは『マトリックス』シリーズなどに出演し、現在ハリウッドで活躍しているが、『導火線』で7年ぶりに香港映画に帰ってきた。ハリウッド映画と比べて『導火線』の撮影はかなり厳しかったので、コリンは「もう香港映画には出演したくない」と言ったほどだ。ドニーとコリンが力の限りを尽くして戦うシーンは、映画で表現できる肉体アクションの限界に到達したと言っても過言ではない。観ている自分も熱くなって、心の導火線に火がつきました。

シネマート六本木での上映は7月16日~22日(好評のため24日まで延長した)の期間限定だったが、でも大丈夫!『導火線』はDVDで観ることができる。ちなみに、このDVDは日本映像翻訳アカデミー(JVTA)の修了生が制作に携わっているので、その点も注目だ。そして『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』もDVDで観られます。ドニーの新作『レジェンド・オブ・フィスト -怒りの鉄拳-』も9月公開が決まったので、この機会にぜひドニーの最強アクションを堪能していただきたい。
            

『ザ・キング・オブ・ファイターズ』
トークショー潜入レポート&映画レビュー

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7月9日(土)、六本木ヒルズのTOHOシネマズにて映画『ザ・キング・オブ・ファイターズ』の上映会が開催された。当日は猛暑にも関わらず、大盛況。たくさんの観客がヒルズに訪れた。この日は映画の上映前に吹き替えを担当した声優の小清水亜美さん、杉田智和さん、手塚ヒロミチさんの3人が壇上に登場してのトークショーも行われた。このトークショー及び上映会にJVTAの修了生ライターの鈴木純一さんが参加。当日の様子をレポートする。
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                                        Reported by 鈴木純一

■モデル並みのスタイリッシュな声優陣による
トークショーは笑いが盛りだくさん

ko-1.JPGトークショーが始まると、3人の声優陣が順に登壇。すると、まずそのオシャレさに驚いた。「この人たちはモデルですか?」と思うほど、なんともスタイリッシュな3人なのだ。手塚さんは、オシャレ眼鏡をかけ、男性用ファッション雑誌に出てきそうなパーマのかかったアシンメトリーな髪形に原宿や代官山で見かけそうな服装に身を包んでいる。紅一点の小清水さんはスラリとのびた足を大胆に見せて、これから「パリコレ」に参加してきます、とでも言うような雰囲気。髪もアップにしていて、夏らしい。最後に杉田さんだが、ボーダーシャツに薄いデニム、リストバンドなど、同じく格好良さ満点なのだ。

最近の声優さんはこんなにオシャレなのかぁ、と驚きつつも、様子を見守っていると更に驚かされることに。この3人、オシャレなだけじゃなくトークが上手いのだ。ちょっとした会話の間で杉田さんが「(映画の主人公の)舞は陰のある男に惹かれる偏愛な役柄だから、(声を担当する)小清水さんにピッタリだよね」などと言うと、小清水さんはすかさず「なに~?」と突っ込む。絶妙な3人の掛け合いが、3人のスタイリッシュな感じを更に洗練された雰囲気に見せていた。

ko-2.JPG本作の見どころとして杉田さんは「テリーさんが浮浪者を殴って帽子を被るシーン」とコメント。テリーさんって誰ですか?と疑問が湧いたが、映画を観たら分かりました。テリーさんはCIA捜査官として登場する人ですが、このシーンについては映画を観てください。
手塚さんは「収録ではゲーム『ザ・キング・オブ・ファイターズ』が好きな出演者やスタッフたちがいたので、それで絆が深まった」とゲームでつながった現場の様子について話していた。小清水さんは「映画はゲームとは設定が異なっている。そしてギャグがちりばめられている。映画ではゲームのキャラ、アンディーが登場していないので、パート2が製作されると思う」と話していた。確かに笑えるシーンはあった。例えばゲームでは日本人の設定である草薙京が、映画では明らかにアメリカ人だろ!な俳優ショーン・ファリスが演じていたのはギャグなのか分からないが、笑えました。最後に手塚さんの「見どころがいっぱいある映画です。ぜひ多くの人たちに観てほしい」という締めのコメントでトークショーは終わった。


■3人の役者のアクションがキラリと光る
本格派の格闘映画!

ko-3.JPG『ザ・キング・オブ・ファイターズ』は有名な格闘ゲームの映画化だが、格闘といえばアクション。アクション映画好きから観た本作の見どころとして、3人の俳優に注目したい。まずは不知火舞(しらぬいまい)を演じたマギー・Q。彼女はモデルだったが、香港に渡って『ジェネックスコップ2』に出演する。この映画でジャッキー・チェンに見出されて『レディ・ウェポン』で主演し、その後はハリウッドでジャッキー主演の『ラッシュアワー2』『80デイズ』に出演。さらにトム・クルーズ主演の『Mi:Ⅲ』ではスパイメンバーの1人を演じ、さらにドラマ『ニキータ』では主役のニキータを演じている。ジャッキー仕込みのアクションとモデル出身の美貌を備えた俳優として注目の存在である。

そしてルガール役のレイ・パーク。彼は幼少時からカンフーを習い、スタントマンとしてキャリアをスタートした。本来なら顔が出ない裏方であるスタントマンだったレイが俳優として注目されたのは、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』で演じたダース・モールだ。以降は『X-メン』『G.I.ジョー』など数々の映画で活躍している。

そして最後に、八神庵(やがみいおり)に扮するウィル・ユン・リーだ。彼は『エレクトラ』で剣術アクションを披露していたが、父親がテコンドーの師範で、自身もテコンドーを学んでいるという武術の人である。

この3人に共通するのは"アクションができる人たち"である点だ。この映画のために俳優にアクションの特訓を積ませました!より、もともと動ける人たちを起用することでアクションに激しさとリアルさが増しているのである。

さらに監督は香港映画界の才人ゴードン・チャン。ゴードンはブルース・リー主演の傑作『ドラゴン 怒りの鉄拳』のリメイク『フィスト・オブ・レジェンド/怒りの鉄拳』を監督しているが、他にもジャッキー・チェン主演の『メダリオン』など、アクション映画を得意とする監督である。
『ザ・キング・オブ・ファイターズ』は香港のアクション映画監督と、香港映画でアクション修行した女優がハリウッドでコラボレーションを遂げたアクション映画となったのである。これだけでも十分観る価値はある。

もう1点、日本映像翻訳アカデミー的な見どころを指摘するなら、ウィル・ユン・リーはMTCのディレクター石井清猛さんに似ている......と個人的に思う。この点でも注目して観ていただきたい作品だ(笑)。

ゾンビ映画をこよなく愛する修了生ライターが潜入レポート!
第1回東京国際ゾンビ映画祭2011

                                            Reported by 鈴木純一
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45ポンド(約6000円)という超低予算で制作されたゾンビ映画『コリン LOVE OF THE DEAD』が3月5日から公開される。この映画の公開記念として2/26~3/4まで、第1回東京国際ゾンビ映画祭2011が開催中だ。日本初のゾンビ映画の祭典となる本映画祭では、古典的な名作から新作まで、16本のゾンビ映画が上映される。旧作のほとんどは既に観ているものの、スクリーンの大画面で観られるとあっては、大のゾンビ好きの自分も行かない選択肢はない。早速27日と28日に行って来たので、当日の様子をレポートする。
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■"ゾンビ肉ジャーキー"は即完売!
ゾンビを食らいながら『悪魔の墓場』を鑑賞!?

zonbi1.jpg映画祭の会場となった映画館はヒューマントラストシネマ渋谷。27日は、イタリア・スペイン合作の『悪魔の墓場』を観た。

会場は、ほぼ満席。ロビーでは『ゾンビ』を始めとする映画のDVDや『ゾンビランド』などのゾンビ映画のパンフレットが並び、ホラー好きの自分としては、沢山のゾンビに囲まれて思わず心が高揚してしまった(笑)。また、"ゾンビ肉ジャーキー"なるものが販売されると聞いていたので、買おうと思ったが探しても見つからない。スタッフの方に聞いたら、すでに売り切れたとのこと。残念!!!

本編上映前には映画祭のプロデューサーでもある映画評論家の江戸木純氏と、『ゾンビ映画大辞典』の著者にしてゾンビ映画ウォッチャー伊東美和氏のトークショーが行われた。トークショーでは江戸木氏が本作についてこう語っていた。

「この映画はジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を無断でリメイクした映画なんですが、ヨーロッパで制作されると不思議なことに全く異なるテイストになる。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は社会派ゾンビ映画ですが、『悪魔の墓場』は純粋に恐怖を追及した作品に仕上がっています。ゾンビ映画でも国によって違いが出るのが面白いですよね」


zonbi2.jpg『悪魔の墓場』は英国マンチェスターを舞台に、害虫駆除の超音波で死者が蘇り人間を襲うという物語。映画全体を覆う不気味さとリアルな特殊メイクが魅力の映画だが、前述のトークショーで話していたように『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』にはなかった、ゾンビが他の死体に自分の血を分けて仲間を増やすという、吸血鬼のような設定が加えられていたのも面白かった。レンタル屋にDVDがあるはずなので、純粋な恐怖を味わいたいという方にはオススメだ。


■思わず脱力する愛すべき作品
『アイランド・オブ・ザ・デッド』は広い心で鑑賞せよ!

翌28日にはイタリア映画『アイランド・オブ・ザ・デッド』を観た。上映前のトークショーには、前日の江戸木氏と伊東氏に加えて『イタリアン・ホラーの密かな愉しみ 血塗られたハッタリの美学』の著者である映画ライター山崎圭司氏の3人が登壇した。

山崎氏によれば本作は、甘いシビレがくる映画。観始めて3秒で"観るのをやめればよかった"と思うのだそうだ。山崎氏の意見に同調しながら、江戸木氏は本映画について「この作品は怖がるのではなく笑ってください。今回の映画祭でぜひ入れたかった映画で、内容的には東京国際ファンタスティック映画祭でも上映を断られる作品ですから、広い心で観てほしい」と愛のある言葉を述べていた。


zonbi3.jpg上映が始まると、トークショーの話の通り予想以上にすごい映画だと納得した。ある島に着いたトレジャーハンター(宝探し)たちが、その島にいるゾンビたちと戦うという物語なのだが、俳優のひどい演技やアクションの緊張感のなさはもはや脱力もの。しかも建物が炎上するようなお金のかかるシーンは、他の映画のフィルムを(間違いなく無許可で)使っていると思われる。(どうやら本作の監督ブルーノ・マッティ(2007年に没)は、他の映画のフィルムを勝手に使う人らしく、同監督の遺作『ゾンビ2009』でもハリウッド映画『クリムゾン・タイド』のフッテージが無許可で使われている。)更に、ゾンビ映画の傑作『サンゲリア』に出てくる眼球を突き刺すという場面の再現シーンに至っては、なんと刺さらずに終わるといった肩透かし。その他、ゾンビがフラメンコを踊るなど、観ている者がひきつった笑いと脱力感に襲われる作品で、心が広くなった...というよりダラリと伸びた気がした。

この「ま~たダメ映画を観ちゃったよ」感は、高校生の頃に『吐きだめの悪魔』や『トロル2 悪魔の森』などのトンデモ映画を観た頃を思い出した(両方とも好きだが)。本作を観ながら、高校生時代のような「やっちまった」感に浸って甘酸っぱいシビレに酔ったのだった。『アイランド~』は3月にDVDがリリースされるので、ホラー映画好きで心の広さに自信がある方は是非。

zonbi4.jpg今回は第1回目の映画祭ということで、ゾンビ映画の教科書ともいうべき作品を選んだと語っていた江戸木氏だったが、確かにこれだけの数のゾンビ映画が集まる機会はそうない。レポートした2作品の他にも『サンゲリア』『ゾンビ』『死霊のえじき』などの名作や、日本から世界に向けて放つ注目のゾンビ映画『ヘルドライバー』などの作品が勢ぞろいしていた。

映画祭そのものは4日で終わりだが、興味を持った人はぜひDVDなどでチェックしてほしい。そして3/5から公開される『コリン LOVE OF THE DEAD』にも注目!

『コリン』公式サイト「東京国際ゾンビ映画際2011」告知:
http://www.colinmovie.jp/zombiefes/index.html

豪華キャストに釘付け ノスタルジー溢れる
アメコミ・ヒーローの痛快アクションコメディ『グリーン・ホーネット』

                                                 Text by 水野弘子グリーンホーネット1.jpg

60年代のTVドラマとアメリカン・コミックスの人気ヒーロー「グリーン・ホーネット」がスクリーンによみがえった。今回のリメイク版は、鬼才ミシェル・ゴンドリー監督の手で、アクションコメディに仕上がった。ブルース・リーの出世作だったドラマ版を懐かしむ往年のファンにとっても、懐かしい仕掛け満載の作品だ。

主人公の放蕩息子ブリット・リードは父の急死により、急遽、大新聞社のトップとなる。LA社会の腐敗を目の当たりにし、憤ったブリットは、お抱え運転手カトーとともに緑マスクで変装し、ハイテクマシン「ブラック・ビューティー」を駆って、麻薬組織を大掃除する。

魅力はずばり多彩なキャスト陣だ。麻薬組織の黒幕クリストフ・ヴァルツは「イングロリアス・バスターズ」でランダ大佐を演じた、あの怖いヒト。背筋も凍る演技で、あまたの賞を総なめしたヴァルツだが、本作の悪党ぶりはややキュートな味付け。スーツをけなされると逆上するところが可笑しい。
主演・脚本のセス・ローゲンは北米で人気のコメディアン。今回、セレブな御曹司役に臨むために厳しくダイエットしただけあって、「恋するポルノグラフィティ」で演じたおデブでエッチなコーヒー店員とは別人のよう。本作では過激な下ネタは封印したが、毒舌満載のツッコミは健在。日本での知名度は低いが、ぜひブレイクしてほしい俳優である。

また台湾ポップ界のプリンス、ジェイ・チョウの相棒ぶりも頼もしい。ブルース・リーの当たり役というプレッシャーを跳ねのけ、アクションからピアノ、エンドロールのラップまで多才にこなしてみせた。最近はシリアスな役どころが目立つキャメロン・ディアスも、本作では美人秘書役でコメディエンヌの本領を発揮している。

さらにチョイ役でカメオ出演している「スパイダーマン」のジェームズ・フランコが素晴らしい。短いシーンながら、新興ギャング役のチンピラぶりがハマっており、存在感を示した。フランコの新境地を充分に予感させるシーンだった。また、「ターミネーター2」の美少年エドワード・ファーロングが麻薬売人役で顔を出しているが、こちらは見紛うほどの老け込みようだ。思わず過酷なショウビズ界の時の流れを実感・・・。

また、オリジナル版のドラマを意識した趣向が随所に散りばめられ、こちらも大きな見せどころとなっている。ブリットが悪党退治に出る際に毎回つぶやく"Let's roll Kato"(カトー、出かけるぞ)は、オリジナル版ファンお待ちかねの決めゼリフ。ダークでシリアスだったドラマ版ヒーローの名文句を、セス・ローゲンはややパロディ風な味付けでカバーしている。また、カトーが発明した愛車「ブラック・ビューティー」の登場シーンが実にレトロでいい感じだ。ガレージ床がくるりと反転し、普通車と表裏に現れる「ブラック・ビューティー」。この四谷怪談の「戸板返し」みたいな仕掛けは、ドラマ版で大きな話題を呼んだもの。オールドファンの郷愁をくすぐる旺盛なサービス精神を評価したい。偉大なスターへのオマージュとして、ブルース・リーの素描がカトーのスケッチに混じっているシーンもお見逃しなく。

ちなみにクールなカスタムマシン「ブラック・ビューティー」は、全米から掻き集めたクライスラー・インペリアルの1964~1966年ビンテージモデルを地元ロスで改造したもの。カスタム装備に注目すれば、敵の体当たりを撃退する「ベン・ハー」ドリルや、走行中にドアを半開きするだけでぶっ放せる、ドア装備のマシンガンは、いかにも便利なアイテム。その他にもフロントグリルに仕込んだ火炎放射器やミサイル発射装置など、装甲マシン好きにはたまらないスペックがてんこ盛りだ。このカスタムカーをシーン別に29台用意したらしいが、撮影終了後に「生き残った」のは僅か3台。パトカーなどの車両にいたっては100台近くが廃車送りとなったという。こんなハチャメチャなカーチェイスを3Dで楽しめるのだから見逃す手は、ない。

「グリーン・ホーネット」は、多くの作り手の思いがこもった贅沢な娯楽作品だ。キャストの多彩な顔ぶれやマニアックな演出を、ぜひ劇場で堪能してほしい。

LAを悪党から守るのはスキだらけの"ゆるキャラ"ヒーロー!?
映画『グリーン・ホーネット』

                                                 Text by M.Saito

グリーンホーネット2.jpg去る1月20日、都内で3D映画『グリーン・ホーネット』のジャパン・プレミアが行われた。寒風吹きすさぶ会場に集ったのは約1200人もの熱心なファン。映画の題名にちなみ、レッド・カーペットならぬ "グリーン"カーペットを通って監督のミシェル・ゴンドリー、続いて主演のセス・ローゲンとジェイ・チョウが登場。ステージでは日本でのヒットを祈願し、グリーン色をした餅つきが行われる。更には3D上映にあやかって配られたおもちゃのグリーンのメガネを身に付けた一同の前には、映画で活躍する"ブラック・ビューティー"号が壁を突き破り、白煙をあげて登場。その他、ゲストに女優の篠原涼子や昨年末のM1グランプリで準優勝となったスリムクラブが登場するなど、華やかなイベントとなった。

映画の主人公は新聞社の二代目社長、ブリット。創業者の父がハチに刺され急逝したことをきっかけに、自らを"グリーン・ホーネット(緑のハチ)"と名乗り、これまでの放蕩生活を改めロサンゼルスから悪を一掃する活動に乗り出す。父の運転手だったアジア人で武芸の達人、カトーを相棒に愛車ブラック・ビューティーを駆り夜ごとロスの街で暗躍する。

テンポよく進むストーリーの中で際立っていたのはブリットとカトーが織りなす絶妙なコンビネーションだ。セス・ローゲン演じるブリットは根がピュアだが、ボンボン育ちのワガママで何かとツメが甘い。グリーン・ホーネットの活躍も実の所すべてカトーのおかげなのだが、自らの手柄にしようとする。自分では何もできないダメダメ男だが、どこか憎めない。一方、そんなブリットをスマートにフォローするカトーはクールな切れ者。強くて、頭が良くて、優しい......と三拍子揃えば、マドンナ役で登場するキャメロン・ディアスも思わずなびくが、ブリットはそれがまた気にいらないのだった。

TVシリーズではかの有名なブルース・リーが演じていたカトー役。台湾出身のミュージシャン/俳優のジェイ・チョウにとっては当たり役とも言えるだろう。劇中、天才発明家でもあるカトーが自作のマシンで手際良くいれるカプチーノが何度か登場するが、このカプチーノの美味しそうなことといったら!3D効果も手伝ってか、スクリーンから香りがこぼれてきそうなほどだった。

個人的に笑ったのは、ブリットとカトーの口論から始まる大喧嘩のシーン。カトーに嫉妬するブリットが、自分こそがヒーローだと主張するのだが、ここでのブリットのセリフにも彼のヘナチョコぶりが絶妙に表現されている。


「俺とお前はそもそも格が違う。ヒーローと運転手だ!」
「インディとショーティー("兄弟"の意)だ!」
「サイモン&ガーファンクルだ!」
「スクーピー&ドゥ」


恐らく、ブリットが言いたかったのは最初のセリフだけ。あとは言葉の響きだけでちっとも脈絡がない。「スクーピー&ドゥ」なんて、ナンセンスな所がバカバカしくて笑える。ブリットの子供っぽいキャラやゆるさが全面に出ている。結局、ブリットはストリートで鍛えた武道の達人カトーにさりげなく手加減されながらも一方的にボコボコに殴られることになる。でもカトーには1つだけ、ブリットには到底かなわない弱点もあったのだ・・・。

最後は、どたばたアクションの末に分解寸前のブラック・ビューティー号から"脱出シート"で飛び出した2人。この"脱出シート"は、実はブリットのアイディアをカトーがこっそり実現したもの。子供っぽい"ゆる"キャラヒーローでも、こんな風に密かに役に立っていたりするのだ。こんな2人の関係性があるからこそ、ロスの夜空をパラシュートで降りてくるブリットとカトーの後姿も、まるで幼い子供たちがブランコに乗っているかのように見えてしまうのである(笑)。

現在、公開中の3D映画『グリーン・ホーネット』。絶妙なコンビネーションの中に見える2人の友情に注目して観てほしい。

ブンブン行くぜ!なりきりヒーローが
悪を討つアクション・コメディ超大作『グリーン・ホーネット』

グリーンホーネット1.jpg

             Text by 鈴木純一

新聞社デイリー・センチネル創始者の息子であるブリット・リード(セス・ローゲン)は、父の急死により新聞社の2代目社長になる。父の死をきっかけに正義に目覚めたブリットは、父親の運転手だったカトー(ジェイ・チョウ)と共に"グリーン・ホーネット"として悪と戦う決意をするのだった...。

「最近、ヒーロー映画って多いよね」と思う人もいるだろうが、グリーン・ホーネットはちょっと違います。ブリットはパーティーと女の子が大好きで、上海が日本にある街だと思っているボンクラ男。このブリットを演じるセス・ローゲンは『スーパーバッド 童貞ウォーズ』や『無ケーカクの命中男/ノックトアップ』などのコメディ映画に出演しており、何歳になってもモラトリアムな男を演じさせたら抜群に面白い俳優である。でも実際のセスは脚本も書く才人で、『グリーン・ホーネット』では脚本、製作総指揮も務めているのだ。プロデューサーとして、今までセス自身が演じてきたキャラを本作でも押し出した彼の目論見は成功したといえる。

ブリットが改造車ブラック・ビューティーを見て「すげーっ!」と興奮する姿は、精巧に作られたプラモデルを見て「すげーっ!」と喜ぶ中学生みたいだ。そしてヒーローとして初出動して街のチンピラを見つけるが、ブリットはカトーに「お前が先に行けよ」と煽るなど、全然ヒーローっぽくないのである。でもね、今まで遊びほうけていた男が急にヒーローになるというのは無理というもの。このダメでユルいけど、ヒーローになりきろうという気持ちだけは十分あるブリットに共感しました。

そして、注目はカトー役のジェイ・チョウ!ジェイは台湾出身のミュージシャンで、俳優としても活躍しているが、映画『言えない秘密』を監督するなど、セスと同じマルチな才能を持った人。『グリーン・ホーネット』ではピアノを弾くシーンもあるし、エンド・クレジットにはジェイが歌う「双截棍(ヌンチャク)」も流れます。
セスとジェイのズッコケ・ヒーローぶりは観ていて楽しく、かなり笑わせる。2人の相性はよく、『48時間』や『リーサル・ウェポン』のようなバディ・ムービー(登場人物がコンビを組む相棒映画)に仕上がった。

セスとジェイ以外でも、面白いキャスティングが揃っている。犯罪組織のリーダーであるチュドノフスキー(言いづらい名前)に扮するのは、『イングロリアス・バスターズ』でアカデミー助演男優賞を受賞したクリストフ・バルツ。本作でもバルツは饒舌な悪党を好演している。そしてキャメロン・ディアスはブリットとカトーに好かれる役で映画を盛り上げてくれます。他にも冒頭に登場するマフィアをノンクレジットで演じているのはジェームズ・フランコだ。彼はセスが主演した『スモーキング・ハイ』に出演していたので、その繋がりでセスに「出てくれない?」と頼まれたのではと思わず推測してしまう...(もちろん、勝手な推測だが)。また、ドラッグディーラー役にエドワード・ファーロングが扮している。『ターミネーター2』の時の姿とは別人のような汚れっぷりで、本物のドラッグディーラーかと思いました(←失礼)。

個人的にブリットとカトーのどちらが好きかといえば、ブリットでしょう。だって悪党と戦うのは大変だからカトーに任せて、カワイイ女の子(キャメロン・ディアス)と話してる方が楽しいし。あれ?でも、これってブリットのキャラそのままだ!この映画を観て、自分がダメ人間だと認識させられました(笑)。

ホーネットとカトーの活躍をユーモアとド派手なアクションを交えて描き、冒頭から最後まで観る者を飽きさせないアクション・コメディ『グリーン・ホーネット』。世界的なヒットで続編も作られると思うが、パート2もブンブン行ってください!

「シンデレラになる前の若き女」と「シンデレラになった後の成熟した女」
それぞれに足りないものを教えてくれる映画『バーレスク』

                                                Text by 野口みゆき

バーレスク大.jpgクリスティーナ・アギレラとシェールはともにグラミー賞受賞の経験があるアメリカの歌手。生粋のエンターテイナーだ。年齢もショウビズ界でのキャリアの長さも違う2人が、歌手としてのパフォーマンスさながら歌って踊る映画が誕生した ― 『バーレスク』だ。

田舎からスターを夢みてロサンゼルスに来た主人公のアリ(クリスティーナ・アギレラ)。そこで出会ったのは、セクシーな女性ダンサーたちが夜ごとショーを繰り広げている大人のためのクラブ"バーレスク"だった。アリはそのステージに魅せられ、舞台に上がることを夢みる。今も現役のダンサーであり、クラブの経営者でもあるテス(シェール)に自分をアピールするが、なかなか取り合ってもらえない。しかし、アリには、1つ強力な武器があった。類まれな歌唱力だ。やがて主役の座を射止め、スターへと上り詰めていくアリ。ところが、クラブの経営難や、引き抜きの誘いといった難題が押し寄せ、アリそしてテスも決断をせまられることになる ――。

主人公の若い女性が洗練されたゴージャスな女性に生まれ変わる映画はよくある人気のシンデレラ・ストーリーだ。例えば、『プラダを着た悪魔』、『プリティーウーマン』『マイ・フェア・レディー』など、時代や舞台が変わっても、永遠に人気のテーマと言えるだろう。

しかし、本作『バーレスク』がこれまでの作品と違うのは、単に女の子がシンデレラになるまでの道のりが描かれているのではないこと。本作では、「シンデレラになる前の女」と「シンデレラになった後の女」が同時に描かれているのだ。

「シンデレラになる前の女」とは、もちろんアリのこと。彼女は、若さゆえの純粋さと、時に無謀にも思えるひたむきさで夢への道を切り開いていく。しかし、彼女のように若く、夢を追い求める者が陥りやすい落とし穴に一時ハマってしまう。それは、自分にとって本当の味方は誰なのか? ということを見失いかけるのだ。類まれな歌唱力を持ち、スターの階段を駆け上る彼女には、当然たくさんの人間が寄ってくる。その中で本当に自分の幸せを願っている人間と、単に道具として自分を利用しようとする人間の区別がつかなくなってしまう。まさに、「夢を叶える前の若き女」が陥りやすいウィークポイントと言えるだろう。

一方、「シンデレラになった後の女」とは、かつてクラブの大スターを誇ったダンサーであり、現在は経営者でもあるテス(シェール)だ。若き日にダンサーとしての夢を叶え、経営者としてクラブそのものも手に入れたテス。彼女はまさに「アリのその後」つまり、若い女性が夢を叶えたその後の人生と言えるだろう。

この映画ではテスのウィークポイントもしっかりと描かれている。夢を実現させ地位を手にいれた者が陥りやすいウィークポイント、それは過去の栄光に捕らわれて、周囲の変化を受け入れられなくなることだ。

かつて全盛を誇ったクラブ『バーレスク』は、今や借金が膨れ上がり、どの銀行も出資してくれないという最悪の経営難に陥っていた。クラブの共同経営者である元夫は度々助言をするが、テスは一向に耳を貸さないのだ。

この作品では「夢を叶える前の若い女性」と「夢を叶えた後の成熟した女性」のそれぞれの生き方が描かれている。若い女性の夢物語だけでもなければ、成熟した女性だけの話でもない。そして、それぞれの年代に足りないものを教えてくれる。あらゆる年代の女性に、ぜひとも観てほしい。

セクシーでカッコイイ"バーレスク"の魅力を
臨場感とともに体感できる映画

                                                 Text by 落合佑介

バーレスク裏.jpgバーレスクとは、ダンスと歌、寸劇を組み合わせた女性たちによるセクシーなショーのこと。アメリカでは1920年代に広まった「大人の社交場」である。ダンサーたちはキラキラした宝石を身につけ、ランジェリーやコルセットなどの衣装に身を包み、歌やダンスを披露する。

映画の主人公は、歌手になる夢を追いかけて地方からロサンゼルスにやって来たアリ(クリスティーナ・アギレラ)。引退した歌手のテス(シェール)が経営する「バーレスク・クラブ」で働き始めたことをきっかけに、バ―レスクショーへの情熱を胸に卓越した歌唱力で成功をつかんでいくという話だ。

この作品を観て一番感じたのは、作品の要所、要所で登場する「バーレスク」の舞台のシーンの臨場感のすごさだ。まるで、自分が本当にその場に行って舞台を見ているのでは、と錯覚するほど、迫りくる勢いと立体感があった。

この迫りくる臨場感は何なのだろうか? 思えば、「シカゴ」や「ムーランルージュ」など過去の作品でも、バーレスクという世界は登場していた。しかし、いずれの作品も、バーレスクの世界を部分的に切り取ってストーリーに挿入したように感じたのに対し、本作品はバーレスクの魅力を全面に押し出している。

この「差」を生み出しているものの1つは、キャスティングだろう。これまでの作品でバーレスクで歌って踊っていた人たちは、あくまで役者だった。つまり、歌も踊りもプロではなく、作品のために役者が訓練してパフォーマンスを見せていた。しかし、今回はクリスティーナ・アギレラやシェールといった本物のプロのシンガー、なかでもグラミー賞 受賞経験のある「プロ中のプロ」が演じている。実際、映画の中でアギレラは、細く綺麗なプロポーションからは想像もつかないほどパワフルな歌声と激しいダンスを披露している。また、シェールもアギレラとは違うショービズ界の第一線で長く活躍する王者ならではの貫録を見せつけていた。この2大スターを持ってして、歌や踊りのシーンに臨場感が生まれないわけはないのだ。

もう1つは、監督のこだわりだろう。本作の監督、スティーブン・アンティンは、かつてバーレスクで働いていたことがある。バーレスクについて、「すごく特殊だけど、魅力的な世界」と描写したアンティン監督は、映画の記者会見で映画を制作した目的を「バーレスクという素晴らしい世界を世の中に紹介すること」と話していた。その監督のこだわりが、衣装、小物、メイクの全てに生かされ、「生のバーレスク」の雰囲気を創り出しているのだ。

僕自身、バーレスクという世界のことはあまり知らず、セクシーな女性の舞台ならば、ストリップのようなものかと思っていた。ところが、本作を見てバーレスクはストリップやヌードとは全く違うことをはっきりと知らされた。衣装は脱いでも、羽で出来た扇子などを使って局部や胸を巧みに隠す。下品ではなく、スタイリッシュでカッコいい。「いやらしさ」ではなく「カッコよさ」を感じる、あくまで女性のセクシーな魅力を芸術的に表現したショーなのだ。

観る者をこんな気持ちにさせるくらいなのだから、「バーレスクという素晴らしい世界を世の中に紹介したい」という監督のもくろみは見事成功した、と言えるだろう。

女性のみならず男性にも、是非ともお勧めしたい作品だ。

野太い歌声と可憐な素顔でクリスティーナ・アギレラが放つ
シズル感あふれる映画『バーレスク』

                                                  Text by 綾部歩

バーレスク大.jpg「シズル感」という言葉になじみがない人も多いだろう。「シズル(sizzel)」という英語が語源となっている広告業界用語で、従来は食品がとてもおいしそうに映っている様を表現する言葉だ。今では物事がリアルでビビッドである様子を表す言葉としても使われる。この言葉がふと頭をよぎるほど、映画バーレスクはシズル感が溢れる作品だった。

物語はクリスティーナ・アギレラ演じる田舎娘のアリがロサンゼルスにあるクラブ、バーレスクでいじめや恋に悩みながらも前向きに歌手への夢に向かい突き進むサクセスストーリー。話自体はよくあるシンプルなものだ。映画を見慣れた人ならすぐ次の展開が想像できてしまうだろう。

つまり、この作品に期待するべきはストーリーではない、というのが私のはっきりとした見解だ。では私の感じた「シズル感」の正体は一体何なのだろうか。

1つはクリスティーナの力強い歌声だ。特に最初のナンバー"Something`s Got A Hold On Me"の歌声は、156センチほどの華奢で小柄な姿からはイメージできないほど野太く力強い。その歌声からは「自分はプロのシンガーである」というプライドと、本映画にかける彼女の想いを強く感じた。ふと自分の腕に鳥肌が立つのをみて、心で感じる圧倒感は本物だと実感したほどだ。劇中で歌われる8曲のうち、3曲はクリスティーナ本人が作詞しているという事実からも、いかに彼女が本作に入れ込んでいるかを伺い知ることができる。

そして、もう1つ注目してもらいたいのが純粋な役柄を演じるクリスティーナの新たな一面だ。クリスティーナ・アギレラといえば、普段アーティストとしてテレビや雑誌で見せる顔は破天荒なイメージが強く、真っ赤な口紅につけまつ毛というビビッドなメイクやファッションに身を包んでいる印象がある。しかしこの作品中のクリスティーナは、ステージ以外のシーンでは純粋でかわいらしい役柄に徹している。実はプライベートはこんな感じなのかな、と思いを巡らせてしまうほど、その役柄がピタリとハマり、普段の姿とギャップがあって魅力的なのだ。特にナチュラルメイクの力強いまなざしが心に残る。男性ならきっと皆ノックアウトされてしまうだろう。

クリスティーナの圧倒的な歌唱力とあどけない役柄に徹した演技力、この二つが絶妙に相乗効果を成し「シズル感」を生み出しているのがこの作品、「バーレスク」なのだ。

実は、恥ずかしながらクリスティーナについて何も知らずにこの作品を鑑賞した私。ところが、いまや完全に彼女の魅力にメロメロだ。彼女をよく知るファンだけでなく、まだ彼女を知らない人々にクリスティーナ・アギレラという多才なアーティストの魅力を伝える作品として、是非お勧めしたい。

ネット・ビジネスに翻弄される
人間の"心の闇"を描く『ソーシャル・ネットワーク』

                                                Text by 鈴木純一

ソーシャル表.jpgFacebookは全世界で5億人が登録している世界最大のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)である。Facebookの創設者であるマーク・ザッカーバーグの物語をデヴィッド・フィンチャーが監督すると聞いて違和感があった。フィンチャーといえば、絶望的なラストを迎える『セブン』、実在の連続殺人犯を追う『ゾディアック』など、独自の映像美とダークな世界観を持つ監督である。『ソーシャル・ネットワーク』を観る前は、正直に言って「SNSってよく分からないし、ネットビジネスで億万長者になった学生の話を映画化して面白いの?」と思い込んでいた。でも映画を観たら面白かったのである。フィンチャーごめんなさい。

ハーバード大学に通うマーク・ザッカーバーグは、大学の学生たちがお互いに情報交換できるサイト、Facebookを完成させる。やがて、 Facebookは大学という枠を超え、更には大陸を超えて、世界中に浸透していく。ところが、ある学生たちに「ザッカーバーグは俺たちのアイディアを盗んだ」と言われ、訴訟へと発展する。

メインの登場人物は3人。主人公であるザッカーバーグは「俺は特別な人間」だと他人を見下し、女友達から「最低(asshole)」と呼ばれている。そんな最低の男ザッカーバーグを、友情のためと資金面で支える真面目なエドゥアルド・サベリン。そしてもう1人、Facebookに目をつけたナップスター(音楽データの交換をするアプリケーション)の創設者ショーン・パーカー。このパーカーの存在が、ザッカーバーグとエドゥアルドに思わぬ影響を与えていく。

この映画を観ていて、フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』を思い出した。『ファイト・クラブ』は殴り合って痛みを感じることで、「自分は生きている」と実感できる男たちの物語。殴り合う仲間たちの"ファイト・クラブ"がアメリカ中に広がっていったように、インターネットを通じて仲間を増やす" ネット・クラブ"Facebookはハーバード大学の寮から、大学を超え、更には大陸を超えて、世界中に浸透していくのだ。

『ファイト・クラブ』との共通点で本作に"フィンチャーらしさ"を感じた自分だが、他にも"フィンチャーらしい"と感じる部分は随所に散りばめられている。まずは、独自の映像スタイルについてである。ザッカーバーグを訴える学生の中心にいるのがスポーツ万能、エリートで金持ちという双子の学生なのだが、実はこの双子は1人の俳優が演じている。双子の俳優を使って撮影したように見せかけて、CGで合成して双子にしているのだ。

こうした映像スタイルは、監督の過去の作品でも見られる。『ベンジャミン・バトン ~数奇な人生~』ではブラッド・ピットの顔を子供の体に合成したり、さらにブラッド・ピットを10代まで若返らせていた。また、『ゾディアック』でも70年代のサンフランシスコの街並みをCGで再現している。もともとジョージ・ルーカスの特撮工房ILMで働いていたフィンチャーは、特殊効果に並々ならぬこだわりを持っているのだろう。

次に注目したいのが音楽だ。この映画でアクセントを効かせている音楽を担当したのは、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーである。思えば、『セブン』の不気味なオープニング・タイトルで流れていたのもナイン・インチ・ネイルズの「Closer」だった。フィンチャーとレズナーのコラボレーションが再び実現した音楽にも注目(注聴)だ。また、ストーリーの中で、キーマン的な役割を担うパーカー役に、グラミー賞を受賞したミュージシャンのジャスティン・ティンバーレイクを振ったのも、音楽つながりで面白い。ティンバーレイクは軽薄だが話術が巧みなカリスマ性のあるパーカーを好演している。

最後に"フィンチャーらしさ"として特筆したいのが、"人間の心の闇"だ。『セブン』では殺人犯を捜そうと奔走する刑事たち、そして『ファイト・クラブ』は暴力に魅せられた男たち。両作とも登場人物が殺人と暴力という暗闇に引きずり込まれていく物語だった。『ソーシャル・ネットワーク』では、ネット時代のビジネスに翻弄される若者たちが名声に酔い、お互いを疑い、傷つけ合っていく様が鮮やかに描かれている。Facebookの栄光に魅せられ、闇に飲みこまれていく男たちがどのような結末を迎えるのか。ぜひ映画館で見届けてほしい。

鶏が偉いか? 卵が偉いか?
フェイスブックの立ち上げ秘話に迫る『ソーシャル・ネットワーク』

                                             Text by Kenji Shimizu

ソーシャル裏.jpg現在では全世界に5億人のユーザーを抱えるSNS(ソーシャルネットワークサービス)フェイスブックは、ハーバード大学寮の一室で作られたものだった。創ったのは、ハーバードの学生である19歳のマーク・ザッカーバーグ。しかし、その過程の裏で、様々なトラブルを抱えていた。

映画はザッカーバーグが女の子にフラれた腹いせに「カワイイ女の子比較サイト」を驚異的なスピードで立ち上げるところから始まる。そのサイトの評判は瞬く間に学内に広まり、ザッカーバーグは一躍有名人となる。そんな折、その噂を聞きつけた双子の金持ち学生から新しいSNSの制作を依頼される。寝る間を惜しんでサイトのプログラムを書いたザッカーバーグだったが、それは双子の学生とは無縁の自身のSNS、フェイスブックのためだった...。



映画「ソーシャル・ネットワーク」の中で描かれる「フェイスブックを創ったのは誰か?」を巡る論争は、知的財産の所有権に関するスタンスの取り方で見え方が全く異なってくる。

例えば、インターネット検索エンジンで有名なグーグル社では、アイデアを思いついただけでは評価されない。つくって実現させて初めて評価を得る。それがまだ創立12年に満たないグーグル社の社風だ。「新興」ゆえ、まだ一般的とは言えない考え方だが、グーグル的視点に立つとザッカーバーグはヒントをもらっただけ、つまり、フェイスブックの創始者は間違いなくザッカーバーグなのだ。

一方で、アイデアが無くては何も生まれないこともまた事実。現代社会では、知的財産の所有権は特に尊重される。一般的な常識に照らし合わせれば、ザッカーバーグが双子の上級生からアイデアを「盗んだ」と言える。

さて、どちらの見方が正しいのか? 個人的にはザッカーバーグだと思うが、こうした考えは恐らくはまだ少数派だろう。「人のアイデアをパクっておいて何が正しいんだ?」と反発されるかもしれない。しかし、価値観の変容が著しい現在、多数派だから正しいとも限らない。特にIT、デジタルの世界ではそれが顕著だ。あまり頑なな態度を取ると、置いてけぼりを食らいかねない。何故かそんな危機感を感じた映画だった。


哲学者ニーチェへ捧ぐオマージュ
映画『ベストセラー』

                                                     by 樋口孝一

bestseller1.jpg盗作疑惑をかけられた女流作家ペク・ヒスは、再起をかけて娘と2人、人里離れた洋館にこもって執筆活動に専念する。村の人々は親切に迎え入れてくれたものの、どこか違和感を感じていた。そんな中、娘が村で出会った"お姉さん"に聞いたという話を元に、ヒスは新作『深淵』を書き上げる。この作品で、再びベストセラー作家に返り咲いたヒス。ところが、この作品までもが盗作だと疑われてしまう。

周囲に狂気を疑われながらも、無実を晴らすために村に戻って調査を始めたヒスは、村に隠されたある秘密に気付き始める。そして調査を進める内に、次第にその秘密に巻き込まれ、自らがその当事者となっていく......。

この映画、実はドイツの哲学者ニーチェへのオマージュなのではないだろうか。私にはそう思えて仕方ない。そう感じさせるポイントは、2つある。


まず1つ目。それは、ヒスが書きあげた小説のタイトル『深淵』だ。
ニーチェの言葉に、次のようなものがある。

怪物と戦う者は、その際に自分が怪物にならないように、注意するがいい。また、君が長いこと深淵をのぞきこむならば、深淵もまた君をのぞきこむ。

                                         〔白水社『ニーチェ全集』より〕

正義を貫くために悪を追及するあまり、自分が悪に染まってしまうという人間の弱さに警鐘を鳴らした内容だ。これはまさに、ヒスが村に隠された秘密の真相を探るうちに自らもその秘密に巻き込まれ、次第にその当事者になっていくことを暗示しているかのようである。

そして、もう1つは「狂気」だ。作品の中で、常に「狂気」を疑われ続けていたヒス。果たして彼女は本当に気が違っていたのだろうか? あるいは、「狂気」は他にあったのか?

ニーチェは「ツァラトゥストラの序説」の中で、最も望ましくない人間の姿を表すものとして「最後の人間」という言葉を繰り返し使っている。ここで言う「最後の人間」を、彼は「民主主義的な価値観にまい進し、他人と競争することを嫌い、気概を失った人間」と定義している。これは噛み砕いて言えば、「多数決で数が多い方=正義」とする「集団主義的な考え方をする人間」のことを指している。

作品中に出てくる村は、まさにこの集団主義を重視する共同体の象徴に他ならない。そしてこの映画では、個人主義よりも集団主義を重要視するその共同体の中に見え隠れする「狂気」を浮き彫りにしている。

狂気は個人の場合には滅多にないことである、――しかし集団、党派、民族、時代の場合には定例である

                                               〔『ニーチェ全集』より〕

ニーチェのこの言葉に、村に隠された秘密の真相に迫るカギがありそうだ。

緻密な構成の中に "仕掛け"がキラリと光る
韓国映画『ベストセラー』

                                                    bestseller2.jpgby岩屋圭典

恐らく自分以外にもいると思うが、映画を見ていると時折、途中でだらけてしまって内容が入ってこなくなる時がある。ソワソワしたり、時間をやたらと気にしてしまったり......。

どんなにストーリーが良くても、なるときはなる。プツンと糸が切れるかのように、ふいに集中力が切れてしまうのだ。問題は、ストーリーではなく構成にある。構成が平板だと、"中だるみ"してしまうのだ。

しかし、今回の韓国映画、『ベストセラー』はそんな"中だるみ"を一切許さない。緻密に計算され、作りこまれた構成になっているのだ。

2年前に盗作疑惑をかけられて以来、スランプに陥ってしまったベストセラー作家ペク・ヒス(オム・ジョンファ)。再起をかけ、彼女は執筆活動に専念するため1人娘のヨニ(パク・サラン)と共に、小さな村のとある別荘にこもることにする。

しかし、その別荘は、家全体に奇妙な音が響いたり、2階の奥に固く閉ざされた部屋があったりと、異様な雰囲気に包まれていた。村の人たちも、親切だがどこかよそよそしく不自然。ある日、娘のヨニが"お姉さん"と呼ぶ、謎の人物との会話の内容をヒスに話す。ヨニの話に魅入られたヒスは、その話を題材に新作を書き上げる。しかし、その作品に、またしても盗作疑惑がかけられてしまうのだ。無実を主張するヒスは、再び村に戻って調査を開始する......。

前半で描かれているのは、ぺクが怪奇現象を元に小説を書き上げるまで。ここまでは、いわばホラー映画の要素が強い。娘が話している"お姉さん"とは一体誰なのか? ペクが屋敷で見た怪奇現象とは何だったのか? 様々な謎が秘められ、非常に難解なストーリーになっている。能動的な姿勢で必死に謎ときを強いられ、セリフの1つ1つに集中して観なければすぐに展開についていけなくなってしまう。

一方 後半では、ペクが盗作の疑いを晴らすために調査を開始し、村の秘密が明らかになっていく。こちらはいわば、サスペンスの要素が強い。スピード感があり、グイグイと視聴者を引っ張っていってくれる。話が2転3転する意表を突く展開の連続だが、謎が次々とひも解かれていくため、受け身の姿勢で見られるようになっている。

そして特筆すべきは、前半と後半の境目に埋め込まれたちょっとした"仕掛け"だ。この仕掛けによって、前半を見ていた時に感じた違和感の正体が、明らかになる。ここで前半の流れが覆り、あっと言う間に後半に突入する。本来なら、ホラー映画がサスペンスに変わるなど、違和感を感じる所だろう。ところが、この映画では、前半のホラー部分と後半のサスペンス部分の間に粋な仕掛けを盛り込むことで、視聴者にその違和感を一切感じさせることなく、一気に結末まで展開させている。

恐らく、前半のホラーの要素だけで最後まで行く映画だったら、中だるみして飽きていただろう。逆に、後半のサスペンスの中に見られる激しいシーンばかりだったら、間違いなく疲れてしまっていただろう。しかし、この映画は、ホラーの要素の強い前半とサスペンス色の強い後半、そしてその両者の間に緻密に計算され、植え込まれた "仕掛け"の3つが揃うことにより、絶妙なバランスを生み出し、誰もが最後まで集中力を切らさずに見れる映画になっているのだ。

それにしてもこんなにも思い切った構成にしてしまうとは、実はイ・ジョンホ監督も映画の途中でソワソワし始める1人なのではないだろうか? しかもこの大胆さから察するに、その症状は案外深刻なのかもしれない...。

東京国際映画祭出展の『ベストセラー』、集中力がある人も無い人も、ぜひとも映画館へ足を運んでほしい。

ホラー? サスペンス? アクション?
盛りだくさんで満足度100%のコリアンシネマ

                                                    by松澤友子 

bestseller1.jpg韓国のベストセラー作家として脚光を浴びるぺク・ヒス(オム・ジョンファ)は、盗作疑惑をかけられ、スランプに陥ってしまう。その後、彼女は再起をかけて執筆活動に専念するため、娘を連れてソウルを離れ、ある静かな村の別荘に滞在することにする。そこは、かつてアメリカ人宣教師が住んでいたという古い洋館。村の住人は彼女を歓迎するが、どことなく奇妙な雰囲気が漂っていた。

別荘での生活が始まっても、なかなか筆が進まないぺクだったが、娘がその洋館で出会った"お姉さん"から聞いたという話を元に、見事な作品を書きあげる。しかし、何とこの作品が再度盗作疑惑をかけられてしまう。果たして彼女は本当に盗作をしたのか? 娘のヨニが村の洋館で出会った "お姉さん"とは一体誰だったのか? 真実を知るために行動を起こすぺクを悲惨な運命が待ち受ける......。


映画は冒頭から、ぺク・ヒスが盗作疑惑をかけられて泣き叫ぶシーンが続き、波乱に満ちた展開を想像させる。更に、彼女が執筆活動のために滞在することになった洋館は、薄暗い森に囲まれて、何とも言えない不気味な雰囲気を醸し出していた。ここまで観ただけでも、いかにも「何か起こりそう」な予感。もちろん、その期待は裏切られることなく、洋館や村では奇妙な出来事が続く。特に物語の前半部分は、先の展開が全く読めず、驚きの連続だ。

加えて、ぺク・ヒスを演じるオム・ジョンファの演技が一級だ。目の周りを黒く縁取ったメイクに猫背、更にぼさぼさパーマの髪の毛がダラリと顔の上に垂れ落ちている。この外見を見ただけでも、まるで何かに取り憑かれているかのようだが、この不気味な外見に更に拍車をかけるのが、彼女の演技だ。執筆活動が思うように進まないシーンでノートパソコンを破壊したり、娘にどなり散らしたりする演技は迫真に迫り、思わず一緒に叫んでしまいそうになった。

ホラー映画の雰囲気で始まった本作品だが、後半は一転して、激しいアクションの連続。2度目の盗作疑惑をかけられて、真実を確かめるために調査を始めたヒスは、思いもよらぬ事件に巻き込まれていく。真実を明らかにしようとするヒスと、それを隠そうとする者たち。両者が文字通り、激しい死闘を繰り広げる。物語の前半では、背筋が凍るような恐怖を感じて手に汗を握りっぱなしだったが、後半では激しいアクションに、やはり手に汗を握りっぱなしだった。

作品の所要時間は約2時間。その中にホラー、サスペンス、アクション等、様々な要素が盛り込まれている。加えて、謎に満ちた物語の展開からは片時も目が離せず、気づいたらエンドロールが流れていた。

アクションの迫力とゾンビの恐怖を3Dで体感せよ!
『バイオハザードⅣ アフターライフ』

                                                 Text by 鈴木純一

ちらしバイオハザード.jpg人間とアンデッド(ゾンビ)が戦う『バイオハザード』の最新作は、シリーズ初の3D映画だ。近年は3Dがブームになっているが、『バイオハザードⅣ』は3Dカメラで撮影された、"本物の3D映画"である。

本物の3D映画とは何か? それにはまず、最近の映画産業の3D事情から説明する必要があるだろう。例えば、3D映画として公開された『タイタンの戦い』。これは1台のカメラで通常通り撮影した映像をコンピューターで3Dに変換した、いわば"3D化映画"である。

一方、本作品は撮影の段階から3Dだ。2台のカメラを人間の目と同じように横に並べて撮影するフュージョン・カメラという機材を使うことで、撮影の段階から立体的な映像を撮ることが可能になったのだ。こうして撮影された"真の3D映画"は、"3D化映画"と比べると、立体感と奥行きに歴然とした差が出る。


実はこれは、ジェームズ・キャメロン監督が『アバター』を制作する際に使用したもの。本作の監督であるポール・W・Sアンダーソンがキャメロンにアドバイスを求めたことで、『バイオハザード』シリーズで初めての "本物の3D映画"が実現したのである。


ところで、近年の3D映画の中には「わざわざ3Dにする必要はないのでは?」 と思うような作品も多い。特に字幕版で観る場合、字幕までが浮き上がって見えて読みづらいという経験をした人もいるだろう。また、長時間に及ぶ映画の上映中ずっと3D眼鏡をかけて大画面を見ていると、しまいには頭がクラクラすることすらある。

ところが、『バイオハザードⅣ』は違う。約1時間半という適度な上映時間に加え、3Dで観ることにより、一種のアトラクション(ゲーム)感覚が味わえるのだ。それも当然、元はと言えばこのシリーズは人気ゲームを映画化した作品。ゲームセンターで、迫りくるゾンビたちを次々と銃で撃ち落としていくリアル・ガンシューティング・ゲームのような、アトラクション(ゲーム)感覚のシーンが盛りだくさんなのだ。ゾンビ(アンデッド)やアクションといったキーワードから考えてみても、これこそ3Dで見るべき映画と言えるだろう。

実際、本作には、渋谷を舞台にした銃撃戦と大爆発のオープニングに加え、手裏剣、斧、銃弾や割れたガラスなどが観客めがけて飛んでくる3D映画のお約束な演出もある。特に中盤の刑務所でアンデッドとアリス(ミラ・ジョボヴィッチ)が戦うアクションシーンは、本作屈指の緊迫感ある見せ場だ。逃げるアリスの背後に迫るアンデッドの大群に、思わず「アリス、後ろ!後ろ!」と言いたくなる。

アンダーソンは『モータル・コンバット』『エイリアン VS プレデター』などアクションを得意とする監督だが、本作で3D映画に新たな表現方法があると確信したのか、現在ミラ・ジョヴォビッチ主演で『三銃士』を3Dで撮影中だ。ちなみにご存じの方も多いだろうが、アンダーソンとジョボヴィッチは夫婦である。


そして、もう一つ注目したいのはキャスティングだ。本作では、ドラマ『プリズン・ブレイク』で人気を得たウェントワース・ミラーが登場するが、ミラーが演じるクリスは最初、刑務所に閉じ込められているという設定だ。『プリズン・ブレイク』で刑務所から脱走する囚人を演じたミラーを再び刑務所に入れるというシナリオは、ドラマファンへの目配せか。

さらに、前作から引き続きクレアを演じるのは、ドラマ『HEROES/ヒーローズ』でもお馴染のアリ・ラーター。他にも少女Kマートに扮したスペンサー・ロックも再び登場する。さらに『Ⅱ』で活躍したジル・バレンタイン役のシエンナ・ギロリーも復活! 一体、どこで彼女に会えるのかは......観てのお楽しみである(笑)。


前作までの登場人物が新たな役割を担ってお目見えする本作は、シリーズの集大成にして新しいステージの始まりともいえる。そして3D技術によってアクションとスリルが満載のアトラクション映画となった『バイオハザードⅣ アフターライフ』、ぜひ映画館で体感してほしい。

ジュリア・ロバーツ主演『食べて、祈って、恋をして』
"程よくスピリチュアル"な、ニュー・ライフスタイル・ムービー

                                                  Text by naiamao

8月19日、この9月に公開される、ジュリア・ロバーツ主演の最新作『食べて、祈って、恋をして』のジャパンプレミア試写会に行って来た。


この試写会には初来日のジュリアとプロデューサーのライアン・マーフィーが登場。今までスクリーンで観る分にはほとんど意識していなかったが、ジュリアはモデルさながらの長身で、客席からも「(以前よりもっと)きれいになったね」と感嘆の声が洩れていたほど美しかった。プロデューサーも女性で原作はエリザベス・ギルバートの自伝的小説とのこと、いかにもガールズシネマなのではと想像していた。その予想は、ある意味大当たり(笑)。

ただ、人間の根源的な欲求である「食べる」、「祈る」、「恋をする」という3つのテーマの中で、ウィットに富んだ言葉のスパイスが効いていて、男性が観ても楽しめる内容になっている。


あらすじは、非常にわかりやすい。ニューヨークでジャーナリストをしていたアラフォー女性エリザベス(ジュリア・ロバーツ)は、ある占い師に出会い人生の予言をされる。その後、予言通り離婚をした彼女は、失った何かを取り戻すべく1年をかけて「自分探しの旅」に出ることを決意。そして、イタリアで「食」を堪能し、インドで瞑想に励んで「祈り」、最終的にバリで運命の人と出会い「恋をする」のである。これだけ聞くと「自分探し?もしや単なる傷心旅行記→ハッピーエンドものなのでは...」という、他人の日記を見せられるかような一抹の気まずさを感じて、私などは引いてしまう。しかし、本作は違っていた。


あらすじは単なる設定であり、伝えたいメッセージは全て、旅で出会った人々との会話や、一つ一つの出来事の中での「気づき」として語られるのだ。


例えば、人間の三大欲求である食欲を取り戻すべく訪れたイタリア。このイタリアで、リズはある時友人から「あなたはどんな人なの?」と聞かれる。これに対して、彼女は上手く答えることができない。ここで初めて、彼女は気づく。自分が何者(どういう人間)で、本当は何を望んでいるのか。この根本的なことが、自分自身で分からなくなっていたのだ。

その後、リズはむさぼるように貪欲にイタリアの食を求め、同時に自分を形容する言葉を探し始める。自分の心や体が喜ぶ美味しい食べものを貪欲に追い求めること(=どこで、何を、誰と、どんな風に食べたいかを追求すること)は、誰でもない「自分」を知ることに他ならないからだ。


また、2国目に訪れたインドではメディテーションや祈りといったスピリチュアルな要素が登場し、物語の核になっているのも時代を反映していて興味深い。極端なオカルトではなく、あくまで叡智のエッセンスの一つとしてスピリチュアルな要素を生活に取り入れる。その「ゆるい」感覚が、バランスが取れていてとても新しい。また全編を通して、自然と調和したライフスタイルの提案がさり気なくされているのにも好感が持てる。

最近、特に都会で生活していると「個人レベルで心の平和を手にしたい」と考える人が増えていることを実感する。日本でのスピリチュアルブームもその現れで、戦前の日本人が日常持っていた精神への回帰なのかもしれない。そして、まさに本作は、今私たちがどうすれば心の平和を得られるのか、そのヒントをいくつも与えてくれる。


エンディングのバリは、「天国と地が出会う」場所というだけあり、選りすぐりのロケ映像が最高だ。どこまでもなだらかに広がる棚田(日本より緑が濃い)や、夕陽に照らされた海が金色に輝く断崖の風景に心洗われる。そのBGMにはべべウ・ジルベルトやジョアン・ジルベルトなどのブラジル音楽が絶妙なタイミングでかかり、新鮮かつしっくりと耳に響く。


何気ない台詞の中に散りばめられた、心の琴線に触れることばを見つけるのが楽しい本作は、いわば、ことばと旅の風景が織りなす一遍のタペストリー。観終わっても、心に残ったその美しく繊細な織物のイメージが、豊かな気持ちにさせてくれる。

この映画は、ありがちな「自分探し」というストーリーを追っていたのでは、決して堪能しきれない。観る側も、スピリチュアルに"感じ" "味わう"ための作品なのだ。


肩の力を抜いて自分の人生を考えてみるもよし、バーチャルの世界旅行を楽しむもよし。"程よいスピリチュアル感"で心の平安を得たいと考える人は、ぜひ本作を観に映画館に足を運んでほしい。

ジャッキー ファンは必見!
最強の師弟愛が織りなす 新『ベストキッド』

                                                Text by 鈴木純一

id221-1.jpg『ベスト・キッド』は1984年に製作された同名作品のリメイクだ。オリジナル版をリアルタイムで体験した者としては、最近流行のリメイクの1本かと思って観たのだが、結果は予想を上回る面白さだった。基本的なストーリーはオリジナル版とほぼ同じ。違うのは舞台がカルフォルニアから北京になり、主人公が習うのが空手からカンフーへと変更された点だ。


主人公のドレ(ジェイデン・スミス)は、父親を亡くし、新生活を求めて北京に移り住む。新しく始まった北京の生活で、彼はカンフーを習う乱暴な少年チョンのいじめにあう。いじめに苦しむドレは、カンフーの達人であるアパートの管理人ハン(ジャッキー・チェン)にカンフーを教えてくれと頼むのだった。その後、ハンの特訓を受けたドレとチョンは、カンフーのトーナメントで対決することなる......。


ハンから特訓を受けられることになったものの、ドレはいつまで経っても訓練させてもらえず、ひたすら上着を脱いで棒にかけ、それを取って着る動作を繰り返させられる。この場面は、オリジナル版で主人公がひたすら車のワックスがけをさせられるシーンの再現だ。やがて、上着を脱いで棒にかける何気ない動作がカンフーの技につながると分かる。この展開はオリジナル版と同じなのだが、観ていて思わず心が高揚する名場面だ。実は、ワックスがけから、上着の着脱に変更したのは、ジャッキー本人からの提案によるものだという。


30年以上アクション映画に出演してきたジャッキー・チェンだが、今回は師範役ということで得意のカンフーを封印し、俳優として新たな一面を見せている。悲しい過去を持つハンはドレと出会い、人生に希望を持とうとする。一方、父親のいないドレはハンと出会い、大切なことを教えてくれる師範を得る。映画の中で、この擬似的な親子関係が、より顕著に表れるシーンがある。


id221-2.jpgトーナメントを順調に上り詰めていくドレ。ところが因縁のチョンとの決勝戦を目前に、卑劣な選手の反則行為により、大怪我を負わされてしまう。急遽医師の診察を受けるドレ。そこで医師に棄権するよう勧告される。それでも闘うことを主張するドレ。そんなドレに対し、ジャッキー演じるハンが反対し、こう言うのだ。

「もうこれ以上、君が傷つく姿を見たくない ――」

まさに、師匠ではなく、父親としての顔が現れた瞬間だ。しかし、これに対しドレは、なおも闘いの続行を主張する。そこでハンは問う。

「もう十分、君の強さは見せられたはずだ。なぜ、そんなに闘いたいのか」この問いに対するドレの答えはこうだ。


「まだ僕の中に、彼(チョン)を怖いと思う気持ちがあるからだよ。」



これまでの特訓を通して、闘っていたのはドレだけではない。ハンもまた、人生に立ち向かい、己に打ち勝つべく闘っていた。このシーンは、これまで教える立場にあったハンが、初めてドレから「闘いの本質」を教えられた場面だ。

「真の強さとは何か?」本作は、観る者に強烈なメッセージを訴えかけている。


オリジナル版へのリスペクトも忘れず、新たなアイディアを加えて生まれ変わった『ベスト・キッド』。親子で観ても楽しいし、友人同士で観ても面白い。誰が観ても満足できる映画だ。オリジナル版を観たという人も、観ていないという人も、ぜひとも劇場に足を運んでほしい。

アンジェリーナ・ジョリー主演映画『ソルト』
一流のクリエイター陣が生み出したアクション大作を見逃すな!

                                                   Text by 鈴木純一

ソルト1.jpgCIA職員であるイヴリン・ソルト(アンジェリーナ・ジョリー)は、突如現れた謎の男の密告でロシアのスパイだと疑われてしまう。追跡を逃れるため、ソルトは知力と体力を駆使し、トラックの屋根に飛び乗り、ビルの壁をよじ登って窮地を切り抜けようとする...。

ここから物語はハイスピードで展開していくが、ソルトの目的は終盤まで明かされないため、最後まで緊張感が持続する映画になっている。

撃たれても立ち上がり、爆発に吹き飛ばされても戦い続ける主人公の姿は、観る者にも痛みが伝わってくる。また実際、激しいアクションのためにアンジェリーナ・ジョリーは負傷しながら撮影を続けていたそうだ。

しかし『ソルト』の魅力は、アンジェリーナ・ジョリーの熱演だけではない。本作品は、優秀なクリエイター陣が周囲を固めているのだ。

監督のフィリップ・ノイスは『パトリオット・ゲーム』などの作品をはじめ、アクションを得意としている人物なので、『ソルト』の演出には適任だ。また、脚本を書いたカート・ウィマーは監督もこなす才人で、これまでにも『リベリオン』(隠れたアクション映画の傑作)や『ウルトラヴァイオレット』といった作品において、たった1人で巨大な組織と戦う主人公の姿を描いてきた。これは、孤独に戦う設定の主人公『ソルト』と共通している。

さらに本作品の息もつかせぬ展開に貢献した人物として、編集のスチュアート・ベアードの存在も大きい。ベアードは『リーサル・ウェポン』、『ダイ・ハード2』の編集を手がけたベテラン編集者で、ハイジャック・サスペンスの秀作『エグゼクティブ・デシジョン』の監督も務めている。

『ソルト』はアンジェリーナ・ジョリーの体当たりの演技と、数々のアクション映画を手がけてきたクリエイターたちが結集し、生み出した秀作なのだ。これで面白くないわけがない。優れたアクション大作は、大画面で観なくては作品に対して失礼にあたる。『ソルト』は、ぜひとも劇場で観ることをお勧めする。

アンジェリーナ・ジョリー主演映画『ソルト』
冷酷無比なスパイか? ただの哀れな女か? イヴリン・ソルトの正体に迫る!    

  
                                                   Text by 松澤友子

ソルト_チラシ裏.jpg7月27日(火)、アンジェリーナ・ジョリー主演のアクション・サスペンス「ソルト」のジャパンプレミア試写会に行ってきた。

このジャパンプレミアでは、本編の上映前に、レッドカーペットにアンジェリーナ・ジョリーが登場。同日昼間に行われた記者会見では黒のパンツスーツだった彼女だが、レッドカーペットでは黒のドレス姿で登場。背中が大きく開き、太ももの付け根から深いスリットが入った黒いドレスは、彼女のスタイルの良さを際立たせていた。

また装いのみならず、ドレスに身を包んだアンジーの立ち振る舞いは、女性らしい優しさと、気品に満ち溢れていた。彼女を直接見るのは初めてだったが、そのキラキラしたオーラに、思わずうっとりとしてしまった。


レッドカーペット上でのファンサービスが終了すると、いよいよ舞台挨拶だ。アンジーが登場するやいなや、会場からは黄色い歓声が上がった。舞台上でのインタビューでは、「今回の作品は、これまでのファンタジー色の強いアクション映画とは異なり、現実世界でのストーリーだったので、よりタフで激しい作品に仕上がっている」とコメントし、今回の役柄を演じるにあたり、実際に女性スパイに会って話を聞いた、というエピソードも話した。

本編はアクション・サスペンスと言うだけあり、謎めいたストーリーの中に、激しいアクションシーンが満載。ソルトは本当にロシアのスパイなのか? 彼女の真の目的は一体何なのか? 物語が進むにつれ、この謎が少しずつ明らかになっていく。が、二転三転するストーリーは、驚きの連続で、観る者に息をつく暇すら与えてくれない。そしてもちろん、アクションも見どころの1つ。1時間40分という本編では終始、体当たりのアクションシーンが続く。特に、逃亡を試みるソルト(アンジェリーナ・ジョリー)が高層マンションを壁伝いに移動するシーンでは、手に汗を握りつつも、彼女のしなやかな動きに魅了された。

激しいアクションが続く一方で、女性スパイの内面の描写も印象的だ。冷徹なスパイではあるが、そこにいるのは生身の女性。過酷な訓練に耐え、強靭な肉体と精神を手に入れても、繊細な心は失っていない。相手に危険が及ぶことを承知の上で、人を愛してしまうこともある。自分の任務を全うするために、必死に感情を押し殺すソルトの姿からは、強さと同時に「ただの1人の女である」という儚さを感じた。

複雑なストーリー展開やアクションに加えてアンジーの美しさに魅了され、あっと言う間に過ぎ去り充足感に包まれた1時間40分だった。

『サブウェイ123 激突』
 by 鈴木純一(2005年4月期実践クラス修了生)


『サブウェイ123 激突』
デンゼル・ワシントンとジョン・トラボルタが"激突"!!
作品に見え隠れする、タランティーノのエッセンス

by 鈴木純一(2005年4月期実践クラス修了生、翻訳者、映画コラムニスト)


最近、ハリウッド大作にリメイク版が目立つ。リメイクは「知名度」という点でアドバンテージがある。しかし、実はハンデもあるのだ。それは、これまでの少なからずの作品が(オリジナルの方がよかったよ)とネット上などで評価され、ファンの中には期待感以上に懐疑心を抱く人も少なくないからだ。

トニー・スコット監督の最新作、『サブウェイ123 激突』を観た。1974年に「サスペンス映画の傑作!」と絶賛された、『サブウェイ・パニック』のリメイクである。『サブウェイ・パニック』で犯罪者グループがお互いを「ブルー」「グリーン」と色で呼び合う設定は、この映画をこよなく愛するクエンティン・タランティーノ監督の『レザボア・ドッグス』にも登場する。宝石店を襲撃する男たちが同じように色でお互いを呼び合うのだ。そんな逸話からも、『サブウェイ・パニック」が優れた作品であったことがわかる。

スコットとタランティーノの関係は興味深い。スコットの監督作品、『トゥルー・ロマンス』の脚本を書いたのがタランティーノである。また、先に紹介した『レザボア・ドッグス』のエンド・クレジットでは、タランティーノはスコットに謝辞を贈っている。つまり、タランティーノの『レザボア・ドッグス』には、将来スコットが『サブウェイ・パニック』を再現するという"予兆"が記されていたのである。

主演のデンゼル・ワシントンはスコット作品の"常連"スターだ。『クリムゾン・タイド』(実は、タランティーノがノークレジットで脚本に参加)、『マイ・ボディガード』、『デジャヴ』に続き、今回が4度目になる。一方、キレた犯人を演じるもう一人の主役、ジョン・トラボルタは、ご存知、タランティーノの代表作「パルプ・フィクション」で同じように危険な男を演じている。さらに、『トゥルー・ロマンス』で印象的な殺し屋を演じたジェームズ・ガンドルフィーニが、『サブウェイ123 激突』ではニューヨーク市長役を好演している点も見逃せない。

もうおわかりだろう。『サブウェイ123 激突』には、スコットとタランティーノというハリウッドの強力ラインによる、類い稀な"娯楽作品の遺伝子"が組み込まれているのだ。

『サブウェイ123 激突』でもスコットの作風は健在だ。細かいカット割り、早回し、スローモーション、テロップ、ストップモーション、過剰演出ギリギリの音楽も相変わらずで、冒頭から観客は地下鉄ジャック事件のスリルと心地よい不安感に引き込まれていく。
オリジナルの『サブウェイ・パニック』との違いも鮮やかに際立つ。警察と犯人グループとの追跡劇が印象的だった旧作に対し、本作は地下鉄ジャックのリーダー、ライダー(ジョン・トラボルタ)と、実直な地下鉄職員ガーバー(デンゼル・ワシントン)の心理戦に重点が置かれている。

ガーバーはある"罪"を背負いつつ、この事件では、もう一度まっとうな人間として立ち直ろうとライダーと戦う。人間が持つ善と悪を象徴する2人が"激突"する展開は、最後まで緊張感が張りつめている。

主役の2人以外にも、犯人と交渉する警部補役にジョン・タートゥーロ、緊張の合間で絶妙なユーモアを醸し出すガンドルフィーニ、そして私の大好きな名脇役、ルイス・ガスマンが犯人グループの一員を演じ、それぞれがいい味を出している。(ガスマンが活躍する場面が少なかったのは残念だったが)

映画ファンにとってお気に入りの作品がリメイクされるのは、複雑な心境だ。でも今回の『サブウェイ123 激突』は、スコット監督の強烈な映像スタイルと出演者たちの演技から、別の新たな作品と見なしても楽しめるはずだ。オリジナルを未見の方は、ぜひ見比べてほしい。

『2012』 by 鈴木純一(2005年4月期実践クラス修了生)


日本で皆既日食(東京では部分日食)が見られた2009年7月22日、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント様より、2009年12月公開予定の映画「2012」の先行映像お披露目イベントにご招待いただきました。
当日は、六本木ヒルズスカイラウンジでのパーティや宇宙学者によるセミナー、さらには本作のテーマに関連するマヤ文明研究家の講演、世界のメディアが注目する記者会見で大いに盛り上がりました。
このイベントに同席したプロ翻訳者でもあり、映画コラムニストでもある当校修了生、鈴木純一さんに鑑賞後の感想をいただきました。


「2012」、世界の終わりがやってくる!?
 ローランド・エメリッヒ監督のパニック超大作再び!


         
by 鈴木純一(2005年4月期実践クラス修了生、翻訳者、映画コラムニスト)

"実際にあったら大変だけど、エンターテイメントとして観る分には面白い映画"はたくさんある。サメが人を襲う映画、恐竜が現代に甦って暴れる映画などだ。このジャンルではスティーヴン・スピルバーグが代表的な監督だろう。そしてもう1人、人類が遭遇する試練をエンターテイメント大作に作り上げる監督がいる。それがローランド・エメリッヒだ。

エメリッヒ監督は、エイリアンによる地球総攻撃を描いた「インデペンデンス・デイ」、それから地球が異常気象に襲われる「デイ・アフター・トゥモロー」など、特殊効果をふんだんに使ったスペクタクル映画を得意としている。「ゴジラ」のハリウッド版「GODZILLA/ゴジラ」は、最初はスピルバーグに監督のオファーがあった。しかし最終的にはエメリッヒが「GODZILLA」を、スピルバーグが「ジュラシックパーク」を撮っている。お互いに怪獣と恐竜の映画を作っていたことも面白い共通点だ。

エメリッヒ監督が新作「2012」を撮影しているというニュースは聞いていた。今度も地球が大変な目に遭うらしいというウワサも。「2012」とは、古代マヤ文明の暦をヒントに、2012年に起こる世界の滅亡を描いたパニック超大作だ。

先日、エメリッヒ監督が来日して、12月に公開される「2012」の9分間のフッテージが"世界初上映"されるイベントが行われた。アカデミーからのお誘いで、イベントに出席してフッテージを観ることができた。最近のCGが多く使われている映画を見慣れたせいもあり、たぶん「デイ・アフター・トゥモロー」みたいな作品なのではと思っていたのだが...

すごい。本当にすごい映像で圧倒された。観終わった時にはグッタリするぐらいの体験だった。地面が割れ、高層ビルが倒れてくる。隕石が空から大量に落ちてきて、空母が大波にのまれて転覆する。世界が崩壊する圧倒的な描写がこれでもかとスクリーンから観る者に迫ってくるのだ。大きなスクリーンで観ると、これはもう"映画アトラクション"である。

フッテージ上映後に行われた記者会見では、監督が「さまざまな特殊効果を組み合わせて、考えうるすべての技術を使った」と語っていた。その言葉にウソはない。エメリッヒは最高レベルの撮影技術を駆使して、誰も見たことのない究極の映像世界を創造した。9分間の映像でこれだけの迫力なら、本編に期待するなというほうが無理だろう。しかも、見所は映像だけではない。家族を守ろうとする作家を演じるのはジョン・キューザック、それからアメリカ大統領にはダニー・グローヴァーと、実力派の俳優がキャスティングされている。人間ドラマにも力が注がれているようなので、さらに期待は高まるのだ。

世界の終わりは実際には起きてほしくないが、世界の終わりを描いた映画が公開されるのを今から楽しみにしている。

『天使と悪魔』
 by 鈴木純一(2005年4月期実践クラス修了生)


先日、アカデミー修了生も勤務する、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント様より、5月15日から公開の「天使と悪魔」のプレミアム試写会にご招待いただきました。早速、同席したプロ翻訳者でもあり、映画コラムニストでもある当校修了生、鈴木純一さんに、鑑賞後の感想をいただきました。


「天使と悪魔」ラングドン・シリーズ第2弾。

 原作をリスペクトし、原作を超えたタイムリミット・サスペンス

「ダ・ヴィンチ・コード」から3年、いよいよ続編の「天使と悪魔」が公開される。主役のラングドン教授を演じるのは前作同様トム・ハンクス。監督も引き続きロン・ハワードだ。

ロン・ハワードはファンタジー作品の「スプラッシュ」から、実録ドラマ「フロスト×ニクソン」まで幅広く手掛けているが、意外なことにシリーズモノを監督するのは今回が初めてとなる。

原作「天使と悪魔」は「ダ・ヴィンチ・コード」以前に書かれた小説だ。しかし映画版では「天使と悪魔」は続編の設定となっている。第1作目と2作目を入れ替えての映画化となったが、その変更は成功したといえる。なぜかというと、「天使と悪魔」の方が見どころの多い、続編にふさわしい要素を含んでいるからだ。

成功する続編に共通する要素とは何か?第1作目がヒットすると、続編には前作以上の期待が寄せられる。ハードルが上がるわけだ。よって、多くの続編がアクションや見せ場を増やし、キャスティングを豪華にするなど、スケールそのものを拡大する傾向にある。

「ダ・ヴィンチ・コード」では容疑者にされたトム・ハンンクス演じるラングドン教授が逃亡を図りながらも謎を解いていくという、比較的シンプルな構成だった。しかし「天使と悪魔」はいくつものプロットが折り重なった構成になっている。バチカンの頂上部に立つ枢機卿たちの誘拐、秘密結社イルミナティの陰謀、暗号解読、そして恐ろしい予告殺人。

極めつけは、1時間ごとに謎を解決しなければならないタイムリミット・サスペンスの要素だ。これだけのアイディアを惜しみなく注ぎ込み、先が読めないハラハラドキドキのシーンが連続する。究極のジェットコースター・ムービーだ。それもそのはず、ロン・ハワードはあの「24 TWENTY FOUR」の仕掛け人のひとりなのだ。

「天使と悪魔」は原作を読んでいない人が観ても十分にわかりやすく面白いし、原作を読んだ人でも新たな楽しみを発見できる作りとなっている。原作は長編小説なので、そのまま映画にすることはできない。設定を変えるか、登場人物を減らすなど工夫を凝らすことが必要となる。映画版では、原作と比較すると、アレンジを加えた箇所が多く見つかる。文庫本で900ページ以上ある物語を、実にうまくまとめ、2時間18分の引き締まった映像作品に仕上げたことに感動する。

ベストセラーにはファンが多く、原作と比較しての厳しい声は避けられない。世界的ベストセラー「ダ・ヴィンチ・コード」の姉妹作ともなればなおさらだろう。それでもロン・ハワードは、迷うことなく「娯楽サスペンス映画であること」を選んだ。その挑戦は成功したのか?ぜひ映画館で確かめてほしい。

『おもちゃの国』 by 鈴木純一(2005年4月期実践クラス修了生)

字幕をつけた作品がアカデミー賞で快挙達成!


先月の米アカデミー賞授賞式では日本の作品「おくりびと」が外国語映画賞、「つみきのいえ」が短編アニメーション賞を受賞しました。さらに今回のアカデミー賞でもう1つ嬉しかったのは、短編実写部門を 「Toyland(おもちゃの国)」というドイツの作品が受賞したことです。

この作品は、2008年に東京で開催された「ショートショートフィルムフェスティバル」で上映された際に私が字幕を担当させていただいた作品でもあります。 自分が字幕という形で関わった作品が評価を受けたことは、本当に嬉しいことでした。

「おもちゃの国」は第二次世界大戦中のドイツ人とユダヤ人の絆を描いた作品です。上映時間は約14分ですが、人と人のつながりや、なぜ同じ人間なのに差別があるのかなどを考えさせられ、観終わったあとも余韻が深く残る作品となっています。


短編映画というと新人監督が作る習作というイメージがありますが、必ずしもそうではありません。例えば短編作品として有名な「10ミニッツ・オールダー」ではヴィム・ヴェンダースやスパイク・リー、「それでも生きる子供たちへ」ではリドリー・スコットやジョン・ウーなどベテラン監督たちが参加し、1つのテーマに基づいたオムニバス作品を作り上げています。また他にもジム・ジャームッシュ監督の「コーヒー&シガレッツ」も味わいのある短編を集めた作品で、おすすめです。

短編映画は、長編と比べると監督のメッセージが強く出ます。また、最後にひねったオチを加えてニヤリとさせる作品もあります。監督の「これを伝えたい」という思いが凝縮されているので、長編にも負けない力強さを持った作品も数多くあるのです。

こうした短編映画をスクリーンで観られる機会は、それほど多くはないでしょう。そんな中、「ショートショートフィルムフェスティバル」は、たくさんの短編映画と出会える貴重な機会です。この映画祭では大勢の監督がゲストとして会場を訪れますので、上映後、ロビーで監督たちと直接話すチャンスもあります。

2年前の映画祭では、自分が字幕を担当させていただいた作品の監督とお話しすることができました。"観る人と作る人の距離が近い映画祭"である「ショートショートフィルムフェスティバル」、まだ行ったことがなければぜひ一度訪れてみてはいかかでしょうか。

『ブーリン家の姉妹』
 by 小野寺壮(2008年10月期基礎コースI 水曜昼クラス)

英国ゴールデンエイジ前夜


一体、誰が主人公なのだろう?
激情を隠さず、持てる力全てを使って誰しもを手玉にとり、遂には王までも手中におさめた"光の悪女"アン・ブーリン。
思いやりに溢れ、ささやかな生活を望みながらも王と愛を交わすことになった"陰の淑女、愛の人"メアリー・ブーリン。
信仰の擁護者の称号を授けられつつも"王のアイデンティティー"のために自分の王国内外をねじまげたヘンリー8世。
ひたすらに、一途に。三者三様、己の信じる道を貫きとおす姿が圧倒的だ。
全編通してHDカメラで撮影された映像は中世の美しい自然や衣装、そして表情を克明に映し出している。
表情といえばヨハンソンとポートマンの文字通りの競演が見所の1つ。息遣いひとつから何気ない目線の投げ方までもプライドのぶつけあいをしている。
ヘンリー8世のエリック・バナも2人の引き立て役に留まらず威風堂々たる王様っぷりから歴史を産む狂気までを好演。
鬼気迫る主役陣と周りを固める舞台上がりの演技巧者たちがこの作品に息を吹き込んでいる。
テレビシリーズで名を馳せた監督らしくテンポの良さと巧みな引き込み方で観客を飽きさせることなくエンディングまで運んでいってくれる。その後には少し重たく、しかし後悔のない余韻が残るはずだ。

『ブーリン家の姉妹』 by 荒川仁志(2008年10月期実践コース火曜日クラス )

王室のあるべき姿とは


イギリスの王室と聞くと、クイーンズ・イングリッシュを話し、優雅で気品のある人々を思い浮かべる。ノーブレス・オブリージュという考え方があるように、社会的地位の高い人々には社会に対する義務が生じるわけであり、ましてや王室レベルともなると、非常に大きな責任感を抱いていると信じられている。
王室の役割の1つは、国の伝統を守り、国民の規範となることであり、憧れと同時に見習うべき対象なのである。

しかし本作品を観ると、王室の内部での人間模様はそのイメージとは反対に、血生臭く、自己中心的であらゆる欲望にまみれており、そんな人たちが国を動かしてきたのだと知ると、驚きと同時に落胆を感じないわけにはいかない。
当時は議院内閣制が成立しておらず、国王が政治を動かしていた。まさに国王とその周りの人々によってイングランドは振り回されていたのだ。
英国王室は、もともと覇王であり権力闘争で勝ち抜いてきたのだから、ある意味、やりたい放題であっても彼らの力がある限り文句は言えないのかもしれない。しかし、果たしてそれでいいのだろうか。単なる覇王ではなく特別な存在として、彼らは王室の存在意義をまっとうしているだろうか。

この映画を観て日本の皇室を思い浮かべない人はいないだろう。英国の王室と日本の皇室はまったく性格の違うものだが、似通っている部分もあり、やはり両者を重ねて考えてしまう。
制度上は彼らのような公人に人権はないとはいえ、我々と同じ生身の人間である。ロボットのように制度の中に組み込まれて生きていくことに息苦しさを感じるのは当然だ。だからといって、好き勝手されては王室や皇室が機能しなくなる。王室・皇室の人々自身はもちろん、国民にとってもジレンマがあるのだ。
これは、王室・皇室のあるべき姿について考えさせられる作品である。


『ブーリン家の姉妹』 by バートン四宮恵子(2005年4月期実践コース修了 )

真摯なCostume Playを堪能


悪名高きヘンリー8世に愛された姉妹の対象的な生き方が、時代考証の安定した舞台装置の中で、それぞれの人物が生き生きと躍動し、大変満足度の高い観賞となりました。
ヘンリー8世でさえもそれなりに人間として理解できるのは、チャドウィック監督の脚本選びと撮影が素晴らしい為でしょうか。また、どの俳優も持ち場を生かし、人物描写に無理がなく、権力欲の権化のようなテューダー王朝の現実が今の時代でもありえないことではないと思わせられました。
個人的にはスカーレット・ヨハンセンのメアリーがより画面にしっくりくる印象を受けました。ナタリー・ポートマンはどうしてもアメリカの現代っ子という感じが拭えず、最後まで違和感が消えませんでした。
ただどの場面をとっても絵になっていて、衣装も豪華絢爛、イギリスの古城、自然がただただ美しく目を楽しませてくれたことはいくら強調しても足りないほど。
アンの処刑後、メアリーがアンの女の子エリザベスを育て、田舎で彼女を愛した若者と暮らした結末にはほっとしました。そしてその若者が私が『美しすぎる母』で惚れ込んだ若手舞台俳優出のエディ・レッドメインとは嬉しい配役でした。
以前に『エリザベス:ゴールデンエイジ』を観ていたので、で、エリザベス1世が一生独身だったのも納得という感じです。歴史がとても身近に、人間の今も変わらぬ「性(さが)」がぐっと胸にこたえる映画でした。
また、こういう映画で世界の歴史を身近に学びたいです。

『ブーリン家の姉妹』by 林忠昌(2007年10月期実践コース修了生)

愛が歴史を作った?


『ブーリン家の姉妹』この映画を紹介しようとすると、『ブーリン家の姉妹』は...、と思わず口ごもってしまう。それほど語り難く、一筋縄ではいかない作品である。
16世紀のイングランドの宮廷を舞台に繰り広げられる王(ヘンリー8世)と新興貴族ブーリン家の2人の姉妹、そして周りの人物たちによる愛憎劇がストーリーの1つのテーマだが、背景として、イングランドのローマ教会との断絶や他の欧州諸国(スペイン、フランス)との関係などにも触れており、歴史物としても十分に楽しめる。
公式ホームページを見ると「世界を変えた華麗で激しい愛の物語」とあるが、そこで繰り広げられる人間模様は目まぐるしくも生々しい。
新興貴族であるブーリン家が台頭していくための戦略として、宮廷に愛人として送り込まれた同家姉妹のアンとメアリー。最初に妹のメアリーがイングランド王ヘンリー8世の寵愛を受ける一方、姉のアンは許婚者がいる男性との"不適切な関係"(当時は重大な罪とされた)の表面化を避けるため、フランスへ極秘追放される。
メアリーは王の子を身ごもり、男子を出産するも妊娠を機に王の彼女への訪問回数は減りがちに。そんな折、アンが帰国し、王の気持ちは彼女に傾く。そして姉妹間の確執が始まり、アンは王の寵愛を妹から勝ち取ったのをいいことに王妃の座につくという野心を抱く。
野心の実現のためには、その当時王妃だったキャサリン(ヘンリー8世の最初の妻でスペインから嫁いだ)を排除しなければならない。この目的を達成するためアンは邁進するのだが、彼女の根本にある行動原理は"王から真の愛を得たい"という想いではなかっただろうか。
彼女は「権力や地位の伴わない愛など無意味である」というセリフによって、妹メアリーの王への純愛との違いを鮮明にしてはいるものの、これも彼女なりの真剣な愛し方であった、と捉えることもできる。
こうしたアンの"愛"が結果的にイングランドのローマ・カトリック教会との決別、そして王のイングランド国教会のトップ就任(すなわち政教一致)という歴史の大波をもたらすのである。
この映画は鑑賞後に深い余韻を残すことは言うまでもなく、"イングランドの歴史"というさらに広大な、奥の深い、興味深い世界への道案内の役を果たしてくれる。

『ブーリン家の姉妹』 by 鈴木純一(2005年4月期実践クラス修了生)

何が姉妹に起こったか


『ブーリン家の姉妹』の原題は"The Other Boleyn Girl"。これは作中でナタリー・ポートマン演じるアン・ブーリンが、"ブーリン家の姉妹のひとり"という意味で言うセリフである、「私は、もうひとりのブーリン家の女」から来ている。

16世紀のイングランド。ヘンリー8世と王妃には世継ぎの男児がいなかった。貴族のブーリン家は娘のアンをヘンリー8世の愛人に差し出そうとする。もしアンがヘンリーの男児を産めば、宮廷で権力を得られるからだ。しかし、ヘンリーが選んだのはアンの妹のメアリーだった...。

この作品の面白さは姉妹を演じた女優のキャスティングにある。ヘンリーを純粋に愛そうとするメアリーにスカーレット・ヨハンソン。王妃という地位を得るために手段を選ばないアンにナタリー・ポートマン。普通なら2人のキャスティングは反対になるはずだが、あえて逆の役に配置することで観る側に新鮮な印象を与える。
ここでは、スカーレット・ヨハンソンは姉思いの優しいメアリーを、ナタリー・ポートマンは自由奔放で勝気なアンを見事に演じている。
さらに興味深いのは、アンとメアリーを善と悪とに単純には分けずに描いた点だ。姉妹は光と影のように一対の存在で、姉妹のどちらかに光が当たると"もうひとりのブーリン家の女"が影のように現れる。2人は時にはお互いを嫉妬して憎み合うが、ある時には助け合おうと必死になる。
結婚と世継ぎを産むことが権力を得るための手段だった時代。逆らうことのできない運命に翻弄される姉妹の物語は最後まで緊張感にあふれていて、見る者は息を呑むほかない。

蛇足だが、アンの娘エリザベスは後のエリザベス1世である。エリザベス1世について描かれた映画では、1998年に作られた『エリザベス』が有名である。
『ブーリン家の姉妹』を『エリザベス』を観ると、2本の作品の世界をより深く味わうことができるのではないだろうか。

「ブーリン家の姉妹」 by 野村ゆみ子(2006年10月期実践コース修了生)

地位か幸せか、欲しいものを手に入れた姉妹の話


私がこの作品のヒロインの1人、アン・ブーリンを知ったきっかけは、ある1枚の絵でした。題名は「ロンドン塔のアン・ブーリン」。
その絶望に満ちた虚ろな目が印象に残っています。確か、王に疎まれ、斬首されたと解説が添えられていました。
今回、この作品の公開を知って、あの虚ろな目が頭をよぎりました。あのアン・ブーリンの映画。斬首されるまでに疎まれた王妃。そこまで疎まれるなんて、一体、どんな女性だったのだろう。今回の作品はアンの物語だと思っていました。
しかし見るにつれ、アンの妹メアリーの深い愛に引き込まれるのです。アンのために王妃の座を追われたキャサリン王妃の気高さに感動するのです。そしてまた、国王ヘンリー8世とブーリン家の男どもの情けなさにある意味泣けるのです。
愛情深い妹メアリーは最終的に幸せを手にいれ、姉のアンは処刑台で人生を終えます。
国王を意のままに動かし、王妃の地位に上り詰めたアン・ブーリン。駆け引きだけで手に入れたものは失うのも早いということでしょうか。
国民から愛されたキャサリン王妃を追いやったことから国民に嫌われ、魔女と呼ばれ、夫の命令により処刑された悲劇の王妃、アン・ブーリン。しかし現在のイギリスでは彼女の人気が高いというのが興味深いところです。
娘が出世の道具だった時代、自らの才覚だけを武器に、一国の王妃にまでのし上がったアンのその手腕と度胸が、現代の女性たちの心に訴えかけるのかも知れません。
勝気で自信たっぷりなナタリー・ポートマン演じるアンに、女の強さと同時に哀れみを感じる作品です。

『ブーリン家の姉妹』 by 湯原史子(2005年4月期実践コース修了生)

美しい姉妹の宿命


西洋史に造詣の深い方ならタイトルからピンと来るかもしれませんが、後にイギリス王朝の継承者となったエリザベス1世を生み出した姉妹の物語です。
邦題では姉妹となっていますが、原題"The Other Boleyn Girl(もう1人のブーリン家の娘)"の通り、今では歴史の陰に埋もれてしまった存在を掘り起こして描いています。
英国の曇天のような暗く重々しい雰囲気の中、ヘンリー8世をめぐる姉妹の愛憎劇が描かれていきます。
注目はやはり2人の若手女優の競演でしょう。
後にエリザベス1世の母となるアン・ブーリン役のナタリー・ポートマンは高貴な美しさで魅了します。
周囲の期待や自らの勝気な性質により追い詰められていくアンの姿は気高くも痛々しく、後半、弟妹らと対峙する場面は息をのんで見つめてしまいました。

そして妹のメアリー役のスカーレット・ヨハンソンも、次子として抑圧され続けた存在の情感をうまく表現しています。姉と違って装飾品も少なく地味ないでたちながら役柄の芯の強い美しさがにじみ出ており、普段の彼女とは違った魅力を見せてくれています。

近頃は生まれ順による占いや解説本などがよく出ていますが、この作品からも長子に生まれた子にかかる期待や本人のそれに応えようとする野心、次子として生まれた子への関心・期待の薄さやそれを受け入れる諦観の念など、さまざまな思いが込められていたのだと思います。それらの思いはスクリーンからあふれるように、じわじわと漂ってきました。

歴史物ゆえ、史実に照らした際の論争は多々あるかもしれませんが、まとまりのあるエピソードがコンパクトにまとめられており、退屈さを感じさせません。ラストシーンはこれから来るであろうイギリス王朝の最盛期を感じさせ、高揚感を覚えました。
時間をかけて作られたお酒などをお供にゆったりと鑑賞し、歴史の雄大さを感じたい一作です。

「ブーリン家の姉妹」 by 大出浩子(2008年10月期実践コース火曜日クラス)

宮廷という名の戦場で~権力を愛した姉、人を愛した妹~


ヘンリー8世統治下のイングランド。それは女が男の"道具"として扱われていた時代。男の世継ぎを望めない王を見て、ある貴族がここぞとばかりに、自分の娘を差し出して地位を得ようともくろむ。
賢く気丈な未婚の姉アンをみそめてもらうつもりが、王は優しく従順な既婚の妹メアリーにひかれる。始めはためらうものの、王の素顔に触れ、彼を愛し始めるメアリーは、愛人として懐妊、出産する。だが王は、元々父親から王を誘惑する任務を託されていたアンの手玉にとられ、子供共々メアリーを見捨ててしまう。
妹の王への愛を踏みにじってまで王妃の座を手に入れたアンだが、男の世継ぎはどうしても産めなかった。"このまま産めないでいると無用の妃として殺される"という恐怖からパニックになり、自分の弟に関係を迫るまでに。
この頃には既にアンへの執着がさめていた王は、アンを姦通の罪で処刑してしまうのだった...。

この映画で描かれたような"貴族"や"宮廷での生活"といえば大抵、きらびやかに着飾り、庶民は口にすることのできないぜいたくな食事をして、優雅に悩みなく暮らしているイメージがある。しかしこの作品では、実はそんな悠長なことなど言っていられなかった内情が描かれている。
世継ぎ(それも男の)を絶やさず、王の地位と権力を引き継いでいかなければならない。そこではもちろん、ただ機械的に子孫を作っているわけではない。夫婦間以外での愛や、世継ぎの親族であることの思惑が入り混じる。
更にこの王は、移り気たっぷりだった。そうなると宮廷は、もはやほとんど"戦場"だったといえるかもしれない。
そんな中で、メアリーは王の愛を信じ、彼の子までもうけた揚げ句、よりによって姉に王を奪われた。アンはアンで、野望のため口説き落とした王との愛など長続きするべくもなく、短い栄華を終える。ヘンリー8世は結局、アンを含めた6人の女性と結婚した。アンやメアリー以外の妻や愛人たち、また他の国王に寵愛を受けた女たちにとって宮廷は、庶民のあこがれる場所ではなく、やはり"戦場"だったのだろう。
映画を観終わった今、改めてテーマ曲(公式HPで流れる曲)を聴くと、そんな女たちの流す苦しみの血が滴っているように感じられる。

華やかなイメージを覆す、どんよりと暗い宮廷での、アンのぎらぎらした野心的な目(そこに王への愛は読み取れない)、そして流産したことを王に告げられず、なんとか妊娠せねばと追い詰められた時の絶望的な目が印象的だ。それとは対照的に、"戦場"を離れたメアリーの目は、その後結婚した愛する男性と我が子(と引き取った姉の娘)をやさしく捉え、どこまでも穏やかであった。


「ブーリン家の姉妹」 by 増田清香(2008年10月期実践コース修了生)

幸せへの疑問


ナタリー・ポートマンが今回は珍しく悪役的な役柄だったので、いつもと違う彼女の演技は新鮮だった。あの強い目と彼女独特の雰囲気が、賢く野心的なアンにぴったりで、王妃という立場に執着していく演技はうなるほどに上手い。
対する妹役のスカーレット・ヨハンソンは抑えた演技でコントラストも鮮やか。お互いの長所を絶妙に引き出していて、メリハリの加減が非常に良かった。

アンとメアリーの姉妹を見ていると、現代を生きる女性の姿を投影してしまう。アンは賢く、意志の強い策略家であり、自分の望むものは何としても手に入れる外面的美人タイプ。一方メアリーは控えめで女性の愛らしさがあるが、意志と根性を両方合わせ持っている内面的美人。現代で働く女性は、この2人のどちらかのタイプに分かれるのではないだろうか。
仕事か結婚か、という二者択一の考え方は今ではもう古いとされながらも、やはり女性はどこかで「結婚」の2文字は意識しているものである。結婚だけが幸せではない、というのは頭で分かっていても、感情で納得し難い。
では、結婚すれば必ず幸せになれるのか、というと決してそうではない。それを分かっているからこそ、現代女性もアンも"仕事"や"立場"という不確定なものに執着するのだろう。

「幸せ」に何を求めるかで、その人の人生は変わってくる。見方を変えれば、アンの行動の底には、ある種の純粋さがあるのではないか。
しかしアンの姿を見ていて、何事においても感情に支配されてはいけないのだと感じた。感情ではなく、きちんと頭で物事を考えて、心で感じていればこの悲劇は起きなかったのではないだろうか。
映画が終わった後、自分の望む幸せが、どの方向を向いているのか、という疑問を投げかけられたような気持ちになった。
権力という目に見えない力を求めるのか、ただ1人の愛を求めるのか、人間の心理や欲望を、あらゆる角度から描いた作品である。

『ブーリン家の姉妹』 by 西澤歩知(2007年10月期実践コース修了生)

愛か野心か、幸せはどちらに


「私の姉だから...」。メアリーは、自らの身の危険も顧みず、王に対してアンの命乞いをする。メアリーを裏切り、酷い仕打ちを与え、彼女の心をずたずたに傷つけた姉のアン。しかしメアリーは、「自分の分身」であるアンを、助けずにはいられなかった。アンとメアリーが送った人生は、まさに陰日向の繰り返しだったと言える。

王の愛をめぐって運命に翻弄された人生を送った姉妹2人の、この熾烈な勝負、軍配は結局どちらにあがったと言えるのだろうか。
メアリーは、一族繁栄のための道具として王に差し出される。しかし彼女は、純粋な気持ちで王に愛を捧げた。一方アンが王に捧げたのは、野心に満ちた愛だった。
メアリーは、王に優しく愛され、愛人としては見放された後も、王の信頼は失っていなかった。そして宮廷から追放された後は、予ねてから望んでいたとおり、「自分を愛してくれる夫」と田舎での穏やかな生活を送ることができたのだ。
一方、策略で王を拒み続けたアンは、メアリーから王を奪うことには成功するものの、王の真心までは奪えなかった。
王は、アンに拒絶され続けたがゆえに彼女を求めた。つまり愛情によってアンを求めたのではなく、自分のプライドを満たすために彼女を手に入れることに固執したのだ。
しかし、そのようにして手に入れたものに対し気持ちが冷めるのは必至のことである。そしてアンは、最終的には断頭台へ送られることになる。

姉妹の勝負は、メアリーに軍配が上がったかのように見える。平穏な結婚生活を手に入れた彼女に、共感を寄せる人も多いことだろう。しかし、英国国教会を設立する足がかりを作り、後のエリザベス1世をこの世に誕生させ、歴史に名を刻むこととなったのはアンである。
穏やかな結婚生活だけが女の幸せではないはず。そう考えると、アンの生き方には、何か惹かれるものを感じざるを得ない。特に、王の愛を奪うためにアンが遂行した作戦。どうしても欲しいもの(人)がある女性にとっては、学ぶところが多いのでは?

『ブーリン家の姉妹』 by 西田洋平(2008年4月期実践コース修了生)

『ブーリン家の姉妹』に見るストイックさの魅力


"ストイックさ"。それが『ブーリン家の姉妹』最大な魅力だ。
本作はエリザベス1世の両親であるヘンリー8世とアン・ブーリンと、アンの妹メアリーを中心とした歴史絵巻。主演の姉妹役には今をときめくナタリー・ポートマンとスカーレット・ヨハンセンを迎えている。となると、人気スターをかき集めた豪華絢爛、無駄な贅肉たっぷりの"歴史大作"ではないかと思わず懐疑的になってしまう。
ところが、どうやら本作の製作陣は徹底した減量を決行したようだ。

例えば画面に出てくる場所はブーリン家周辺と王宮周辺がほとんどで、数年にわたる物語でありながら、映画の中の季節は常に秋か冬だ。
さらに主要登場人物は、ほぼ王家とブーリン家の係累のみで占められている。
この題材なら、王の離婚問題に激怒するローマ法王や、王妃の実家であるスペイン王などを絡めたエピソードを描くことによって大作感を出し、観客に「まあ損はしなかったな」とういう気にさせるのは簡単だっただろう。
だが、製作陣はそうしなかった。この映画にそういった空虚な大作感が必要かどうか、徹底的に考え抜いたのだろう。
同様のことが語り口についても指摘でき、通常だったらこれ見よがしの大仰な演出が施されがちな瞬間がストイックな表現によって描写されている。例えばヘンリー8世の落馬は、窓越しに担架に載せられて帰ってくることで示され、ある男の処刑は処刑人の仕草によって示唆されるのみだ。
このストイックさは物語が終盤に差し掛かる頃に弛緩を見せる。ある人物の裁判が始まった後、この人物に死刑を言い渡す裁判官達は、執拗なまでに緊迫感が充満する画面に収められていた。
こうしてストイックさが物語の終末への流れに圧され、ほころびを見せ始める。そして処刑シーンでは、処刑後の光景がはっきりと俯瞰で撮影された画面の中で、ストイックさは決定的に行き場を失うことになる。
ここに来てストイックさと入れ替わりに得られるものは開放感だ。
この感覚は王宮を立ち去る2人を捉えた映像が流れる中高まり続け、次代を担う人物の大写しに切り替わった瞬間に最高潮に達する。
そしてその時、映画も終わるのだ。

『ブーリン家の姉妹』 by 新津香(2008年10月期基礎コースII 火曜日クラス)

運命と歴史が交差する時間


『ブーリン家の姉妹』は、16世紀イギリスの国家を背負っていた者たちの愛と策略をめぐる作品。そうくれば、どうしても気品漂うイギリス英語を期待してしまう。
アメリカ映画であり、キャストがハリウッドスターであることを考慮すれば、言葉にもイギリスらしさを醸し出そうとする努力は充分に感じられた。しかし、なかんずく作品に品格を加えていた存在はといえば、何といってもブーリン姉妹の母を演じるイギリス人女優のクリスティン・スコット・トーマスだ。

言われるがままに、ひたすら一家の名声を上げることに腐心して行動する不甲斐ない夫。その妻として娘たちの幸せを訴える毅然とした態度にイギリス英語の高貴さが響き、映画を引き締めていた。
一方、キャサリン王妃のスペイン語訛りで語気の強い英語は、英国人ではないことと、どんな状況でも王妃としての強さを貫く姿にぴたりとはまっていた。
このような原音のニュアンスを、英語にさほど興味をもたない人にも少しでも伝えられたらという思いが、今こうして学校に通う理由に繋がるのだろうとつくづく思う。
この作品では他にも女性の秘める強さが光っていた。
一族繁栄のための"道具"として扱われながら、自らの望みとは相反する運命に激しく翻弄される女性たち。その中でそれぞれが自分の道を切り開いていく強さが描かれている。
野望をつかむ才能に長けたアンが、国王を虜にしながらも人生の天と地の間を激しく揺れ動く様は凄まじいものがある。
姉との鮮やかな対照を生きる妹のメアリーは、王が待望する男児を生むも、姉に裏切られ、歴史に名を残すことはない。しかし最後は自分が望んだ通り、田舎で平凡な家庭を持つという幸せを掴み取るのだ。
そして、他でもない姉のアンが王との間に唯一もうけた女児は、後に女王として英国に長年君臨することになるエリザベスだ。

冒頭で子供たちが戯れていたシーンが最後に繰り返される。安堵感を与えてくれると同時に、アンの気質を引き継ぐエリザベスを中心にさらなるドラマが繰り返される予感を感じさせる。正に「事実は小説より奇なり」である。
映画として、また史実としても実に興味深い作品だった。

『ブーリン家の姉妹』 by 松崎裕美子(2004年10月期実践コース修了)

時代を超える"女のしあわせ"探し


舞台は16世紀のイギリス。それは、嫁ぐことと世継ぎを生むことだけにしか"女のしあわせ"はないとされていた時代である。
男勝りに社会的成功を求めた姉アンと、平凡で温かい家庭を築くことを求めた妹メアリー。一見するとこの姉妹の生き様はひどく対照的なようだが、実はどちらも、結婚&出産を通して、ただ純粋に"しあわせ"になることを夢見ていた女であったという点は同じなのだ。
むしろ、己が信じる道をひたすらに歩み続けた2人のたくましい姿を振り返れば、さすが姉妹!とうなずかされる。
劇中のメアリーのセリフにもあるように、2人はまさに"1人の人間(女)が2つに分かれたよう"なものなのだ。
そして、時は流れて21世紀の日本。社会的成功も、あたたかな家庭もどちらも欲しい! という欲張りなわたし達は、この姉妹のどちらに対しても感情移入しないわけにはいかず、2人の姿を追いかけて物語に引き込まれてしまう。
はてさて、このラストに"女のしあわせ"をどう考える?

『ブーリン家の姉妹』 by 長谷川梓(2008年10月期基礎コースII 金曜夜クラス)

イギリス史の作者達~対照的なブーリン姉妹~


イングランドの歴史家から"歴史の作者"と呼ばれているイングランド王・ヘンリー8世の第2王妃アン・ブーリンという女性。
男児に恵まれなかった国王は彼女に魅了され、再婚する決心を固めるも、当時離婚を認めなかったカトリック教徒と断絶する事態に。この再婚は国を揺るがす大スキャンダルとなった。
一気に王妃の座に駆け上ったアンだったが、女児を出産し国王を落胆させる。そしてすでに次の女性に心変わりをしていたためか、国王は様々な罪を着せて彼女を処刑してしまうのだ。しかし皮肉にも、後のイギリスに45年間の繁栄をもたらしたのは、伝説的な人気を誇る王女・エリザベス1世。すなわちアンの1人娘だった。
36歳の短い生涯だが"イングランド国教会の樹立の原因"となり"黄金期を築いた女王を出産した実母"として、アン・ブーリンが歴史に与えた衝撃は計り知れない。

映画『ブーリン家の姉妹』は、アンとメアリーのブーリン姉妹とヘンリー8世が織り成す愛と陰謀の歴史小説が原作だ。
これまでアン・ブーリンの物語は数多くあるが、今作は歴史の表舞台に名が残っていない姉のメアリーも描かれている。華やかで意志の強いアンとは対照的に従順な田舎娘のメアリーは日陰にいる目立たない人物。陰の存在として強調するために、作中では意図的に設定を変え、メアリーを妹として描いたという。
陰謀渦巻く宮廷内で、アンとメアリーは愛憎や嫉妬など様々な生々しい感情の渦に巻き込まれる。そしてそんな中でも、時折見せる2人の強い姉妹の絆が物語を劇的に盛り上げていく。

16世紀のテューダー朝はイギリスの確立したモダンデザインが発展した時代だ。当時をしのばせる歴史的建築物の数々は一見の価値がある。
制作スタッフは、それらの建築物を現代に蘇らせるため研究に研究を重ね、近代が始まりつつあった、生き生きとした時代をスクリーンに復活させたのだ。
また、衣装を手がけたのは『恋におちたシェークスピア』などでアカデミー賞にノミネートされたサンディ・パウエル。歴史に即しながらも、創造性に富んだおしゃれな衣装をデザインし、誰もが憧れるイギリス貴族の華やかな生活を画面いっぱいに表現している。

『プラネット・テラー in グラインドハウス』by 鈴木純一(2006年4月期実践コース修了生)

炎の映画監督、ロバート・ロドリゲス


ロバート・ロドリゲスは器用な監督だ。犯罪映画がホラー的な展開を見せる「フロム・ダスク・ティル・ドーン」、そして「スパイキッズ」みたいなファミリー向け映画まで、様々なジャンルの作品を撮っている。それはロドリゲスが実にたくさんの映画を観てきて、好きな映画も多種多様な時代やジャンルに渡っていたためだろう。だから映画監督になってからも、常に異なったスタイルの作品を撮り続けているのではないかと思う。そんな彼の最新作「プラネット・テラー」は、ホラー映画への情熱のありったけを注ぎ込んだ作品である。
物語の舞台はテキサス。化学兵器で人間がゾンビに変身し、生き残った人々を襲い始める。次第に追い詰められた主人公たちが取った行動とは...。
「28日後...」「ドーン・オブ・ザ・デッド」以降、ホラー映画には動きの素早いゾンビが登場するようになった。しかし本作では、ゆっくり歩く昔ながらのゾンビが登場する。おそらくロドリゲスは、ジョージ・A・ロメロ監督作「ゾンビ」に出てくるような古典的なゾンビ映画を再現しようとしたのだろう。しかもゾンビが銃で撃たれる場面は必要以上にやたらと血しぶきの量が多い。明らかにこれは、ホラーマニアへの"大出血サービス"だ。
「プラネット・テラー」にはクェンテイン・タランティーノ演じる変態兵士や、ある"モノ"を収集する科学者など、常軌を逸した特異なキャラが登場する。しかし何と言っても極めつけは"片脚マシンガン・レディー"だろう。「死霊のはらわた2」のように、失った腕に武器を装着するキャラは過去の映画にもいたが、脚に銃を装着させたケースはほとんど前例がない。美女が脚に装着したマシンガンを撃ちまくる場面は壮快で、文句なくカッコいいのである。オープニングのノリのいい音楽から始まり、美女、ゾンビ、血しぶき、爆発、そしてマシンガン!荒唐無稽でくだらないが、ホラー映画ファンには大満足なエンターテイメントである。ロドリゲスには、これからも映画への情熱の炎を燃やし続けてほしい。こんな"マジメにふざけてる映画"を撮れるのはロドリゲスしかいないのだから。

『プラネット・テラー in グラインドハウス』by 湯原史子(2006年4月期実践コース修了生

"本気の遊び心″満載、ロドリゲスワールド!


「デス・プルーフ」に続き、「グラインドハウス」に欠くべからざるもう1本の"片割れ"映画が公開されました。その名も「プラネット・テラー」。
ロバート・ロドリゲス監督が、B級映画に対する生真面目なまでの思いを惜しみなく注ぎ込んだ作品となっています。存在しない映画の予告である「ニセ予告編 ( fake trailer)」で始まったり、映画の途中で画面が突然暗転し「この場面のフィルムを一巻分紛失」と人を食ったテロップを出したり、当時を知らない人でも70年代アメリカ映画のいかがわしい雰囲気を味わえる作品になっています。
劇場で見る予告編は本編鑑賞前の心のウォームアップに必要不可欠なものですが、ニセ予告編で70年代アメリカの安劇場的雰囲気を作り出すという粋な計らいには嬉しくなりました。ロドリゲス映画の常連ダニー・トレホを主演に据えた「マチェーテ」というアクション映画の予告編は、思わず公開日を調べてしまいそうなくらい"いかにもありそう"なリアルさで、出色の出来栄え。
主人公カップルも、"まっとうな"B級映画の香りが漂うツボを突いたキャスティングでした。先日ロドリゲス監督がヒロインを演じた女優と婚約したことを知った時も、監督がこの映画へ抱く気持ちの深さと愛情を改めて感じたものです。内容はといえば、デス・プルーフをはるかに上回る過激な映像が満載。ギターケース仕込みのマシンガンを世に出したロドリゲス監督の面目躍如とも言うべき、脚に装着されたマシンガンによる乱射シーン壮観のひと言です。予想通りのありがちな展開も、予想を超えた仰天シーンもすべて観客を楽しませようというサービス精神に溢れていて最後まで目が離せません。
「グラインドハウス」は夢の競作です。願わくは池袋の新文芸座や上野のスタームービーといったような老舗の名画座のシートに身を沈め二本立てで鑑賞できれば、タランティーノ、ロドリゲス両監督ファンにとって至福の時となるのではないでしょうか。

『プラネット・テラー in グラインドハウス』by 山田裕子(2007年4月期基礎Iコース修了)

最も過激で最もやさしい女性映画


ロバート・ロドリゲスが実は「女性にやさしい映画」を作る監督だったことに、この映画を観て初めて気がついた。血と内臓がこれでもかと画面を飛び交う中、ひとクセもふたクセもあるキャラクターが繰り広げる荒唐無稽なこのアクション劇を見て、世の映画評論家たちは、間違ってもこの映画を女性にはオススメしないだろう。しかし私はこの映画で不覚にも涙してしまった。あまりのバカバカしさにお腹がよじれるほど笑って出た"笑い涙"であると同時に、ロドリゲスに対する、女性としての"感謝の涙"でもあったのである。そういえばロドリゲス監督作品で、同じく人が死にまくるおバカアクション&スプラッター満載映画「フロム・ダスク・ティル・ドーン」でも、ジュリエット・ルイスがいい味出してたなぁ...。
「プラネット・テラー」のヒロインであるゴーゴーダンサーのチェリーは、恋人と別れたばかり。毎夜のショーで得意のダンスを披露しても、劇場の支配人にはちっとも気に入ってもらえない。ゾンビとの死闘が始まるその日まで、惨めでちっぽけな自分の存在を嘆く日々を送っていたのである。シチュエーションこそ違え、この種の焦燥感は女性なら誰もが一度は味わったことがあるのではないだろうか。やがてゾンビに片脚を食いちぎられながらも絶望することなく、義足代わりにマシンガンを装着して戦い続けるチェリー。そんなあり得ない状況の中で命をかけて奮闘するヒロインを、私たちはいつしか心の底から応援するようになる。ロドリゲスはそういう私たちの思いに、最高にハチャメチャな、そして最高に爽快なエンディングで応えてくれるのである。そんなわけで私は、恋に仕事に悩みつつ、愛されメイクと可愛い巻き髪でがんばっている女性たちにこの映画をオススメしたい(ただし、スプラッター系ホラーもケラケラ笑って見られるたくましい女性に限る!)。理想どおりにいかないことばかりの日ごろの鬱憤を、チェリーがマンガンでブッ放してくれるに違いない。

『デス・プルーフ in グラインドハウス』by 山田裕子(2007年4月期基礎Iコース修了)

刺激的な退屈を味わおう!


「グラインドハウス」とは、1960~80年代、アメリカの至るところに存在していたという場末の映画館のこと。そこではバイオレンスとお色気が売りの安っぽいB級映画が2本立てや3本立て上映されていました。当時はきっと、映画のサウンドトラックを子守唄がわりに、多くの観客が毎夜のように大イビキをかいていたのでしょう...。そんな"「グラインドハウス」ムービー"の魅力をたっぷり教えてくれるのが、クエンティン・タランティーノ監督の「デス・プルーフinグラインドハウス」。タランティーノがスクリーンの裏でニヤけているのが目に浮かぶ、痛快な"おバカ映画"です。
バーで夜遊び中の女の子たちが、「耐死仕様(デス・プルーフ)」のスポーツカーを駆る男(カート・ラッセル)に出会い、彼女らのうちの一人が男の車に乗り込んだ時、彼の恐ろしい素顔が明らかになる...。これが物語の「はじまり」ですが、コトが起きるのは開始から1時間後!それまでは、極めてどうでもいい内容のガールズトークが延々続きます。しかし、全体のうちかなりの割合を占めている、一見ムダに見えるシーンこそが、この映画の醍醐味。そこで噛み殺したアクビの数だけ、その後に続く悲惨なショック映像、CGなしの迫力のカースタント、そして空いた口の塞がらない衝撃のラストまでを、お腹いっぱい楽しめるのです。"The End"のテロップが出るその瞬間をお楽しみに!在りし日の「グラインドハウス」にいる気分で床じゅうにポップコーンを撒き散らし、前の席をドカドカ蹴って大はしゃぎしても、誰も怒らないはずですよ(保証はしませんが)。

『デス・プルーフ in グラインドハウス』by 湯原史子(2006年4月期実践コース修了)

カート・ラッセル VS スタントガール


なんとも嬉しい"「B級」温故知新映画"が公開されました。
デス・プルーフ(耐死仕様)を施した愛車で無差別殺人を繰り返す男と、その標的となってしまった女性たちの攻防が描かれた作品です。前半では主人公の1人であるスタントマン・マイクの極悪非道ぶりや、愛車のデス・プルーフたる由縁が執拗にかつ無情に描かれます。後半に入ってスタントマン・マイクは新たな標的を見つけて目的を果たそうと試みますが、今度は相手が一筋縄ではいかない女性たちだった...という展開。ストーリーも見事なまでに「B級」的な荒唐無稽さを踏襲していて、観る前からワクワクしてしまいます。
「B級」とは言っても、娯楽映画としての質は低いどころか第一級品。何といっても主演は『ポセイドン』のカート・ラッセルです。過去の栄光にすがって生きるスタントマンを、衝撃の結末にも同情の余地を残さないほど気持ち悪く演じきっています。後半の女性陣には、「キル・ビル」でユマ・サーマンのスタントを担当したゾーイ・ベル、「レント」のトレイシー・トムズが出演。アクションシーンでは惚れ惚れするようなカッコ良さを見せてくれています。最大の見所といえば、カート・ラッセルと彼女たちのカー・チェイスに尽きるのではないでしょうか。
監督カラー満載で大満足の一作となりました。ただし若干ながら残酷描写もありますのでホラー系が苦手な方には不向きかもしれません。タランティーノファンならずとも「B級」調がお好きな方ならビール片手にぜひ楽しんでもらいたい作品です。

『デス・プルーフ in グラインドハウス』by 鈴木純一(2005年4月期実践コース修了)

B級映画復活プロジェクト~リアル・アクション再び


[ B級映画復活プロジェクト「グラインドハウス」 ]
クェンティン・タランティーノが脚本を書いた「トゥルー・ロマンス」にこんな場面がある。クリスチャン・スレイターが、観客の少ない寂しい映画館で千葉真一のカンフー映画3本立てを観ているシーンだ。このような映画館はアメリカでは"グラインドハウスと"呼ばれていた。"グラインドハウス"とは1960~80年代にアメリカの場末に多く存在していた映画館で、そこではアクションやホラー、カンフー映画など、猥雑でパワフルなB級映画が2本~3本立てで上映されていた。「デス・プルーフ」「プラネット・テラー」は、グラインドハウスで上映されるような映画を再現したプロジェクトである。

[ GOGO タランティーノ! お楽しみはこれからだ ]
「デス・プルーフ」は、タランティーノ作品の特徴である本筋と関係ないおしゃべりや、監督自身が好きな映画への愛情が爆発している。まずは女の子3人組が登場し、ドライブしながら会話をする。次にバーで飲みながら、彼女たちはさらに会話を続ける。物語とは関係ない会話が延々と続くのだ。そろそろ聞き飽きたと思ったところで、カート・ラッセル扮するスタントマン・マイクが現れ、恐ろしい展開に急変する。
場面は変わり、別な女の子4人組が登場する。そこでまたガールズトークが始まるのであるのだ。「またか!」と思うが、会話の中で過去の映画についてこんなセリフがある。「今の映画だとカーチェイスはCGで撮影しているが、昔はスタントマンが体を張って危険なアクションに挑戦していた」、「『バニシングIN60』は傑作だった。アンジー(アンジェリーナ・ジョリーのこと)が出ていた、つまらないリメイク版(「60セカンズ」のこと)じゃなくてね」。最近のCGまみれのアクションに不満のある映画ファンにとって、溜飲が下がる言葉だ。
そして再びスタントマン・マイクが現れ、激しいカーチェイスが始まる。ここでのカーチェイスは、先の会話にあった"CG抜きの本物のアクション"が繰り広げられるのだ。そして物語は衝撃的な"The End"を迎える。
グラインドハウス映画はタランティーノにとって格好のジャンルだったと思う。それは今まで彼が撮った作品は常に「猥雑でパワフル」だったからだ。「デス・プルーフ」はタランティーノでなければ撮れない傑作である。タランティーノには、このまま突っ走ってほしい。予定調和で終わらない過激な映画を作り続けてほしい。タランティーノがいる限り、お楽しみは終わらない!

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