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vol.140 「カバーソング≠替え歌≠映像翻訳(?)2」 by 石井清猛


7月のテーマ:変わらないもの

カバーソングが持つ不思議な魅力は、ポピュラーミュージックの歴史を通じて、洋の東西を問わず多くの音楽ファンを楽しませ続けてきたわけですが、ひと口にカバーと言ってもそのアプローチには実に多種多様なものがあります。

同じメロディと歌詞をオリジナルと違う歌手が歌うという一定のスタイルでカバーされた曲でも、アーティストの個性を反映したアレンジや歌い回しは完コピから原型をとどめないほどのカバーバージョンまでそれこそ千差万別ですし、その他にも自らのオリジナル曲を歌い直したセルフカバーや、歌詞を翻訳して歌う訳詞カバー、あるいはインストゥルメンタルカバーなど、独自のアイデアやコンセプトに基づいたカバーソングが星の数ほどあり、その豊饒ぶりは、どうやら人は歌をカバーするのもカバーされた歌を聴くのもかなり好きらしい、と私たちを納得させて余りあると言えるでしょう。

そうなってくるとなぜ好きなのか詮索したくなるのが人情というもの。
個人的に、人々を魅了し続けるカバーソングの背景として私が注目したいのは、例えば原曲に対する愛情やリスペクト、あるいは音楽的な好奇心やチャレンジ精神といった理由とは別に、そこには"模倣の快楽"または"コピーする喜び"とでもいうべきものがあるのではないかという点です。
非常に身近な例で言い換えれば"カラオケは楽しい"という話で終わってしまうかもしれないのですが(笑)、それが歴史的な名曲であれ個人的に愛着のある曲であれ、完コピであれ大幅にリアレンジされたものであれ、カバーの根幹には真似ること、つまり自分以外の誰か(の作品)に自分を重ね同化すること自体の快楽が深くかかわっているような気がしてなりません。

一般に模倣やコピーといった言葉はあまりいい意味では使われなかったりするものですが、カバーソングを聴き続けてきた私たちは、変わらないメロディと変わらない歌詞をオリジナルとは違う誰かが歌ったカバーソングが、かけがえのない"その歌そのもの"として迫ってくることがあることをよく知っているはずです。
思い出してみればそんな時、すでにオリジナルとコピーの区別は大した問題ではなくなっていて、ただその場で再現されている"誰かの歌心"を宿した音楽だけが、私たちの心を埋め尽くしていたのではないでしょうか。

既存のオリジナルが持つ歌心、つまりその歌独自の世界観や形式に身を委ねながら、かつて一度世に放たれた作品を再び生み直すこと。そんな行為をカバーと呼ぶとするならば、これってどこか少し、オリジナルの映像と音声が持つ"画心"を訳語に託していく映像翻訳に通じるものがあるように思えるのですが、いかがでしょうか。

ここ数年、同じ歌手が同じメロディとトラックでオリジナルとは違う歌詞を歌うカバーソングを聴く機会が爆発的に増えてきました。
K-Popブームを背景に韓国のアーティストが日本市場に向け日本語の訳詞で歌った歌を多数リリースしていることによるものですが、日本語で歌われた歌をK-Popと呼べるのか、マーケット戦略で本人が歌う別バージョンをカバーと呼べるのか、といった議論は別として、そんな"K-Popカバーソング"の中に、私たちは翻訳の観点から見ても驚きと示唆に満ち、底知れない魅力をたたえた曲を見つけることができます。

例えば少女時代による「Genie」と「Gee」。
私の"2010年心の年間ベストテン"第1位と2位を占めるこの2曲がもたらしたインパクトについてはまた別の機会に譲るとして(ちなみに私が最初に読み方を覚えたハングルは"소녀시대(ソニョシデ)"でした)、ここで触れておきたいのは中村彼方さんによる日本語訳詞についてです。

「Genie」と「Gee」の日本語詞がポップソングの歌詞として意味論的に、音韻的にいかに完成度の高いものであるかは、様々なメディアで語り尽くされている感がありますので、皆さんにも是非それらの記事やブログを参照していただければと思います。
では、仮に韓国語バージョンをオリジナルとして、映像翻訳的に「Genie」と「Gee」の日本語詞を見るとどうなるでしょう。
韓国語を解さない私が韓国語の訳詞について語る不躾を承知で続けると、私の考えでは「Genie」の日本語バージョンはオリジナルの歌心をより忠実に再現したカバーソングで、「Gee」は新たな物語が導入されたことにより成立した替え歌であるということになります。

「Genie」を初めて耳にした2010年の初夏から丸2年たった今でも私は、"소원을 말해봐(ソウォヌル マレバ)"と"好きになれば"と"Tell me your wish"の区別をつけることができないばかりか、そもそも本当に区別が必要なのかさえ判然としない有様です。

というわけでたった今、今年こそ韓国語の勉強を始めるぞ、と決意を新たにしました。
そう、今年こそきっと...。