今週の1本

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vol.132 『雨に唄えば』 by 浅野一郎


6月のテーマ:雨

おそらく、雨というテーマで、頭にこの映画を思い浮かべる人は6万人くらいいるのではなかろうか。それほど、傘をさした主人公が雨の中を踊るシーンが有名な映画だ。

無声映画のスターがトーキーの出現により苦戦を強いられる中で、ある女優と恋に落ち結ばれるという、他愛のない話と言われれば、そのとおりなのだが、一方では浮世の憂いなど一発で吹き飛ばしてくれるような、底抜けの明るさをもつミュージカル映画でもある。ビッグバンドにチャールストン、映画が一番輝いていた時代のミュージカル映画の傑作だ。

何より、主演のジーン・ケリーのダンスが圧巻。これが、およそ60年前の映画に出演している、"昔の人"とはとても信じられないほどの、身体能力の高さを見せつける。
そして、ウラにあるストーリーも実は興味深い。雨の中で唄って踊るだけの映画と思ってはならない。
今まで自分の声が出ることのなかった俳優が、無声映画の中で確立してきたイメージと、自分の肉声とのギャップを埋めるため、大慌てで発声訓練を受けたり、吹替えを用意したりするところから話が発展するのだが、そこが興味深い。トーキーが出たての頃に実際にあった話だそうだ。

話は変わるが、いま私は聴覚障害者用字幕(クローズド・キャプション=CC)、視覚障害者用音声ガイドの作成業務に関わっている。CS、BS、民放各局では特にCCの需要が高まっており、映像翻訳者の新たなキャリアとして注目されている分野だ。耳や目が不自由な方にも映像作品を楽しんでもらうために、映像をバリアフリー化(障壁をなくす)するという試みである。作品に込められたメッセージを正確に、文字や音声で補足説明するという作業には、音や映像というイメージと実像をシンクロさせるというスキルが必要とされる。
"日本語起こしだから、翻訳よりも楽でしょ?"などと聞かれるが、実は映像翻訳と同じく、しっかりと専門教育を受け、スキルを身に付けたプロしかできない仕事だ。
視聴者の対象となる視聴覚障害者がどんな情報を必要としていて、どんなアウトプットを提供すれは、作品のイメージと実像をシンクロできるのか、ということをセリフの一つ一つにおいて考える必要があるからだ。たとえば、(●●の音)という音声補助情報ひとつ取ってみても、そもそもこの情報が必要なのか否かから始まり、この情報がどんなイメージをもって視聴者に受け入れられ、そして頭の中に実像として定着するのかということを瞬時に判断するーソース言語と手法が違うだけで、まさに映像翻訳者にしかできない仕事であることが分かってもらえると思う。
Jスポーツ(BS)の多くの番組、そして最近の邦画にもクローズド・キャプションが入っているものも多くなってきたので、一度、観ていただきたい。

ところで、先日、あるスタッフに"浅野さんはアクション映画以外、観るんですか??"と無邪気に聞かれた。たしかに、ヘヴィメタルを愛するミリタリーオタクというイメージからは、「雨に唄えば」を観ているイメージは湧かないかもしれないが、私だって情緒に浸りたいこともあるし、深く心に染み入るヒューマンドラマも大好きだ。"原文"の表層だけをとらえてしまった"解釈間違い"のいい例だ。


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『雨に唄えば』
監督:ジーン・ケリー
出演:ジーン・ケリー、デビー・レイノルズ、ドナルド・オコナー 他
製作国:アメリカ
製作年:1952年
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