発見!今週のキラリ☆

vol.143 「ダイエットの秋」 by 野口博美


9月のテーマ:食

最近、生まれて初めてのダイエットに挑戦している。いくら食べても太らないことだけが取り柄だったのに、どういうわけか昨年の夏から数ヵ月の間に私の体重は10キロ近くも増えてしまった。あまりの暴飲暴食っぷりに私の新陳代謝もとうとう愛想を尽かしたのだろう。長い間がんばってくれた自分の代謝機能に、今までどうもありがとうと伝えたい。

昨年夏に富士山に登ったあとからこんなことになった気がすると以前同僚に話したところ「富士山で遭難して餓死してしまった人の霊を背負ってきちゃったんじゃない?」との答えが返ってきた。日頃の運動不足を解消しようと健康のために登ったのが裏目に出てしまったのか...。それとも前にこのブログに書いた禁煙(幸い、今も続いています)の代償なのかもしれない。何にしても"食欲の秋"などといったものは私には訪れないのだ。

手持ちの服を着るとサイズが合わず苦しくなる日がくるなんて、ものすごくショックだ。
ユニクロのスキニーパンツを美しく着こなすほっそりとしたモデルたちをCMで見かけるたびに、彼女たちをうらめしく眺める日々が続いている。

でも体重増加の一番の原因は私が愛してやまないビールなのだろう。
村上春樹氏の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にこんな一節が出てくる。
"好きなだけビールを飲むために、私はプールに通ったりランニングをしたりして腹の肉をそぎおとしているのだ"
まったくもってそのとおりだ。私も彼を見習って何か運動でも始めようと計画しているが、怠け者の私のこと、いつになるかはわからない。

というわけで、とりあえずは食事制限から始めようと思い、ここ数週間の私のランチはコンビニのサラダとおでんといった組み合わせのかなりさびしいものが続いている。禁煙と同じく近いうちにこの場でダイエット成功のお知らせをお伝えできたらいいのだけれど。

vol.142 「世界最古の記録」 by 浅野一郎


8月のテーマ:記録

"今年は記録的な猛暑"という言葉を聞かない日はないのではないか? と思う今日この頃。
さて、今月のテーマは、その「記録」。記録という言葉にもいろいろな使い方があるが、私は"世界最古の記録"という表現に猛烈に心を惹かれる。

特に「記録」ということになると、やはり仕事柄か"文字"で記録を残すということに思いを馳せてしまう。

史上最古の文字は紀元前3200年に発明された楔形文字だと言われている。言葉を記録するためのものだそうだが、後世に文化や知識を後世に伝えるという目的もあったのだろう。
しかし、言葉という音声をベースとした情報を文字で記録することには困難がつきまとったに違いない。伝達体系がまったく違う2つのものを具現化しようとするのは、一見、不可能に思える。文字を発明した人も同じような苦労を味わったことは想像に難くない。だから誰でも分かるような象形文字を使うなどの工夫をしたのだろう。

いま、約15名程度の修了生に10月1日に開局する某チャンネルの子供向けアニメ番組の聴覚障害者向けクローズド・キャプションのライティングとディレクションを手掛けてもらっている。登場人物の行動や思惑を、音を聴いて理解している視聴者と聴覚障害者が同じ理解度に達するよう文字で表現するという作業は、コーヒーを飲んでいる人と水を飲でいる人に、同じ味覚を提供しようとするようなものだ。

素材の種類は、英語の発音やスペルを分かりやすく教える番組から物事の成り立ちなどを実験などを交えて教えるものまで実にさまざまだ。特に発音を教える番組を文字だけで表現するという作業には大きな困難が伴う。

この仕事は、まさに文化や知識を後の世に伝える、という文化的な大プロジェクトに他ならない。いま修了生のチームが苦労をして作っているクローズド・キャプションで番組を観たことがきっかけで、将来、アニメクリエーターになる子どもがいるかもしれない。
物理学者やスポーツ選手になるきっかけを作るかもしれない。今年を「クローズド・キャプション元年」として、後世に恥じない仕事をしようと心に誓った。

vol.141 「誰のためでもないテープ」 by 桜井徹二


8月のテーマ:記録

10代前半のころ、僕は来る日も来る日もテープばかり作っていた。好きな曲ばかりを集めた、いわゆる「マイ・ベスト」テープだ(映画『ハイ・フィディリティ』で主人公が、気になる女性に渡すために曲をピックアップして作っていた、あれです)。

僕の「マイ・ベスト」テープは、ラジオ番組の曲を集めたものだった。番組をカセットに録音して、それを聴いてこれはと思う曲があれば、その曲をまた別のカセットにダビングしていく。そうやってこつこつと自分が好きな曲を集めたテープを作っていた。

と書くとわりと簡単そうだけど、実際はものすごく時間がかかる。ラジオ雑誌を買って曲名を調べる。無音の部分がなるべく少なくなるように曲の長さを計算しながらダビングする。手動で録音スタート・停止をするので、録音中はステレオの前でじっと待つ。おそろしく手間のかかる作業だった。しかもこの手間ひまかけたテープは、『ハイ・フィディリティ』のように女の子に渡すために作っていたわけでも何でもない。

当時の同級生の間ではBOOWYやブルーハーツなんかが人気だったけれど、僕の音楽的アイドルはペット・ショップ・ボーイズやスティングなんかだった。友達や女の子が氷室や光ゲンジなどの話をしているそばで、僕は下敷きにデペッシュ・モードのシールを貼ったりしていた。だから、トム・トム・クラブやウォズ・ノット・ウォズが入っているような僕の「マイ・ベスト」を聴かせるような相手なんて、友達を含めてどこにもいなかったのだ。

もし僕がアメリカかイギリスあたりの中学生だったら、『(500日の)サマー』のエレベーターの中のシーンのように、「へえ、そのアーティスト好きなの?」みたいなことになって、もう少し華やかな学校生活を送れていたかもしれない。でも残念なことに僕はアメリカに住んではいなかった。日本のまともな中学生なら誰だって、ノートに「PSB」なんて訳のわからない落書きをしてるような人に話しかけようとは思わないだろう。

それでも(あるいは、だからこそ)、僕は時間と情熱を傾けてテープを作っていた。そうやってかなりの時間を費やして記録した曲は、確実に僕の体に染み込み、僕の血肉となっている。それからあとも僕はずっと1人で勝手に好きな音楽を聴いてきたけれど、つねに音楽的な嗜好のベースにあるのは、あの頃好きだった音楽であり、あの頃ラジオから集めた曲だった。

だから誰のためでもないテープ作りに注いだあの膨大な時間も、けっして無駄ではなかったと思っている。もちろん1人くらい、「へえ、そのアーティスト好きなんだ?」みたいな子がいたらもっと言うことはなかったのだけれど、それはそれとして。


vol.140 「カバーソング≠替え歌≠映像翻訳(?)2」 by 石井清猛


7月のテーマ:変わらないもの

カバーソングが持つ不思議な魅力は、ポピュラーミュージックの歴史を通じて、洋の東西を問わず多くの音楽ファンを楽しませ続けてきたわけですが、ひと口にカバーと言ってもそのアプローチには実に多種多様なものがあります。

同じメロディと歌詞をオリジナルと違う歌手が歌うという一定のスタイルでカバーされた曲でも、アーティストの個性を反映したアレンジや歌い回しは完コピから原型をとどめないほどのカバーバージョンまでそれこそ千差万別ですし、その他にも自らのオリジナル曲を歌い直したセルフカバーや、歌詞を翻訳して歌う訳詞カバー、あるいはインストゥルメンタルカバーなど、独自のアイデアやコンセプトに基づいたカバーソングが星の数ほどあり、その豊饒ぶりは、どうやら人は歌をカバーするのもカバーされた歌を聴くのもかなり好きらしい、と私たちを納得させて余りあると言えるでしょう。

そうなってくるとなぜ好きなのか詮索したくなるのが人情というもの。
個人的に、人々を魅了し続けるカバーソングの背景として私が注目したいのは、例えば原曲に対する愛情やリスペクト、あるいは音楽的な好奇心やチャレンジ精神といった理由とは別に、そこには"模倣の快楽"または"コピーする喜び"とでもいうべきものがあるのではないかという点です。
非常に身近な例で言い換えれば"カラオケは楽しい"という話で終わってしまうかもしれないのですが(笑)、それが歴史的な名曲であれ個人的に愛着のある曲であれ、完コピであれ大幅にリアレンジされたものであれ、カバーの根幹には真似ること、つまり自分以外の誰か(の作品)に自分を重ね同化すること自体の快楽が深くかかわっているような気がしてなりません。

一般に模倣やコピーといった言葉はあまりいい意味では使われなかったりするものですが、カバーソングを聴き続けてきた私たちは、変わらないメロディと変わらない歌詞をオリジナルとは違う誰かが歌ったカバーソングが、かけがえのない"その歌そのもの"として迫ってくることがあることをよく知っているはずです。
思い出してみればそんな時、すでにオリジナルとコピーの区別は大した問題ではなくなっていて、ただその場で再現されている"誰かの歌心"を宿した音楽だけが、私たちの心を埋め尽くしていたのではないでしょうか。

既存のオリジナルが持つ歌心、つまりその歌独自の世界観や形式に身を委ねながら、かつて一度世に放たれた作品を再び生み直すこと。そんな行為をカバーと呼ぶとするならば、これってどこか少し、オリジナルの映像と音声が持つ"画心"を訳語に託していく映像翻訳に通じるものがあるように思えるのですが、いかがでしょうか。

ここ数年、同じ歌手が同じメロディとトラックでオリジナルとは違う歌詞を歌うカバーソングを聴く機会が爆発的に増えてきました。
K-Popブームを背景に韓国のアーティストが日本市場に向け日本語の訳詞で歌った歌を多数リリースしていることによるものですが、日本語で歌われた歌をK-Popと呼べるのか、マーケット戦略で本人が歌う別バージョンをカバーと呼べるのか、といった議論は別として、そんな"K-Popカバーソング"の中に、私たちは翻訳の観点から見ても驚きと示唆に満ち、底知れない魅力をたたえた曲を見つけることができます。

例えば少女時代による「Genie」と「Gee」。
私の"2010年心の年間ベストテン"第1位と2位を占めるこの2曲がもたらしたインパクトについてはまた別の機会に譲るとして(ちなみに私が最初に読み方を覚えたハングルは"소녀시대(ソニョシデ)"でした)、ここで触れておきたいのは中村彼方さんによる日本語訳詞についてです。

「Genie」と「Gee」の日本語詞がポップソングの歌詞として意味論的に、音韻的にいかに完成度の高いものであるかは、様々なメディアで語り尽くされている感がありますので、皆さんにも是非それらの記事やブログを参照していただければと思います。
では、仮に韓国語バージョンをオリジナルとして、映像翻訳的に「Genie」と「Gee」の日本語詞を見るとどうなるでしょう。
韓国語を解さない私が韓国語の訳詞について語る不躾を承知で続けると、私の考えでは「Genie」の日本語バージョンはオリジナルの歌心をより忠実に再現したカバーソングで、「Gee」は新たな物語が導入されたことにより成立した替え歌であるということになります。

「Genie」を初めて耳にした2010年の初夏から丸2年たった今でも私は、"소원을 말해봐(ソウォヌル マレバ)"と"好きになれば"と"Tell me your wish"の区別をつけることができないばかりか、そもそも本当に区別が必要なのかさえ判然としない有様です。

というわけでたった今、今年こそ韓国語の勉強を始めるぞ、と決意を新たにしました。
そう、今年こそきっと...。

vol.139 「変わってほしくないもの、変わっていいもの」 by 藤田奈緒


7月のテーマ:変わらないもの

このところ私の周囲はちょっとした同窓会ブームだ。この歳にもなると、仕事や結婚などさまざまな事情により、皆住んでいる場所もバラバラなわけだけど、SNSの力を借りると、物理的距離などまるでないかのように、かつての友人関係が復活する。今は小学校時代の仲間と繋がりつつある。

小学校時代、と書いたのには理由がある。実は私は小学校の6年間、毎日通う学校とは別に、もう1つ別の学校に通っていた。簡単に説明すると、それはボーイ&ガールスカウト的な野外教室と学習塾をミックスしたようなもので、学校の枠を超えて周辺の子どもたちが集まって、キャンプをしたり、体操を習ったり、たまに真面目に勉強したりするような場所だった。週に2~3回とはいえ、そこで得た体験は地元の小学校で得られるものとは質が違い、私はいろいろな学校からやって来た個性豊かな仲間たちと非常に濃厚な時間を過ごした。見たこともないイナゴの佃煮やすずめの丸焼きを食べさせられたり、真夜中の散歩でお墓を歩かされたり、何メートルもある崖から流れの速い川に飛び込まされたりした恐怖は今でも忘れられない。それらが今の私にどう影響しているかは正直よくわからないが、とにかく私の子ども時代はそこでの思い出なしには語れないのだ。

前置きが長くなってしまった。そんなわけで最近繋がったその頃の友人の1人とメールでやり取りしていた時のこと。彼女と最後に会ったのは中学校に入る前だったから、かれこれ20年近くのブランクがあることになる。久々のメールで彼女は言った。「写真を見て、奈緒ちゃんだってすぐわかりました。全然変わってないね!」。この手のことは昔からの友人は皆口を揃えて言うわけだけど、言われるたびに何だか少しだけ腑に落ちない。年齢が1ケタだった頃と大人になった今の顔が同じって、まさかそんなことがあるものか!と。だって、あれからあんなこともあったし、こんなことも経験したし、私はそれなりに成長したはずなのですよ、と。

その一方で、このところの失くし物の多さを思い出し、あの頃と自分がちっとも変わっていないことに愕然とする。前回のキラリでも書いたが、過去1年のうちに3回ほど携帯を失くし、あげ句の果てには手元に戻ってこなかった一連の事件は記憶に新しい。公表していない失くし物や忘れ物を挙げたら、とんでもなく長いリストが出来上がるだろう。それほど私の失くしグセ・忘れグセの歴史は長いのだ。小学生の宝とも言うべきランドセルを学校に忘れて、手ぶらで帰宅した時の母の顔は忘れられないし、あれはさすがに自分でも呆れ果てた。

どれだけ長い時を経ても変わらない何かは、時に人に安心感を与える。「ああ、やっぱり変わらないね」という一言は、ポジティブなニュアンスを持って発せられることも多い。実際、20年以上も前の小学生だった自分と今の自分の共通点を見つけた私は、少しホッとしたような気持ちにもなっている。恐らくこの失くしグセは、変わった方がいいもののはず。安心なんてしてる場合じゃないと思うのだけれど。

vol.138 「ダメージを最小限に食い止めたいので...。」 by 浅川奈美


6月のテーマ:雨

東京はただいま梅雨。春の終わりにやってきて、その後訪れる本格的な夏のプロローグであるこの季節、私は本気でカメハメハ大王がうらやましくなる。

♪ 風が吹いたら遅刻してぇ~
雨が降ったらお休みでぇ~
の世界だ。

どんよりと空を覆う灰色の雲。週間天気予報とにらめっこしながら決める洗濯日。通常の3倍ぐらいの重さで漂う湿気まんまんの空気。じっとり汗ばむ身体をいやおうなしに冷やす室内の冷房。はー。この季節特有のあらゆることが、これでもかというくらい私の心身にダメージを与える。ライフ回復はまだまだ先。なぜなら梅雨明けと同時に、この国は夏に突入していくのだ。容赦のないうだるような暑さが大体9月下旬まで続く。長い。「ちょっとタイム」とか、安らぎの「オアシスステージ」などといった選択はない。自然は甘くないのである。
日本人が、「しょうがない」という落としどころで怒りやイライラをうまく交わす術を知らずに身につけていたり、世界の人々が賞賛する辛抱強さを兼ね備えていたりするのもうなずける。

そんなわけでこのところずっと天候に比例し私の内側も暗雲が立ち込めっぱなしなわけで、選ぶ服、履く靴さえも、雨染みを懸念しディフェンスに染まる。
コレではいかんのではないか。いやいかん。数年前読んだ本のひとコマをふと思い出した。

「心をキレイなもので満たすということは、外見のキレイにも大いに影響がある」

エッセイ本『美人画報』(講談社)で安野モヨコはこんな感じのことを言っていた。
「キレイな人は美しいことで心が満たされている」面白いことばかり考えている自分はおのずと、面白い人、面白い外見になっているのではないか。
激しく開眼させられたのを覚えている。私の脳内もたいてい面白いことを探し、考え、楽しんでいる。それに加え、この季節、天気というものにめっきり左右されて、ネガティブがち。もはや「キレイ」とは無縁。そろそろ身体の表面にカビでも生えそうな勢い。もう女性としてというか「人」として救いようがない方向にまっしぐらなのである。

実に危険だ。探さなければ、ほら、「キレイ」なもの。鮮やかな柄のレインコートをまとって颯爽と歩く女性とか(他力本願な私)、子供たちがさすコレでもかというくらいのまぶしい原色傘とか...。

......。ダメだ。
ここは神田、三越前。スーツのジャケットを脱いだだけというおじさんたちがマジョリティを占めるクールビズ発展途上区域。まったく色がない。
そんなグレイな世界で一躍スターダムにのぼりつめた存在。それは、紫陽花。
は?アジサイ?
いやいや、これがどうして。本当にいい仕事をしてくれているのだ。鮮やかな青。濃淡のバリエーション豊富なピンク。無垢な黄緑がかった白(テッパンカラーだな)。無条件に「キレイ」で心をいっぱいに満たしてくれる。通勤途中、紫陽花を目で追い見つけては、しつこいくらいに愛でる、写メる、いろんな人に送りつける、英語では、hydrangea《植物》/Hydrangea macrophylla《植物》〔学名〕って言うんだよな、とか思い出す、などなど、毎日激しくお世話になっている。

すっかり忘れていたのだが、昨年は紫陽花に思いを馳せるあまり、有給休暇をとってまで鎌倉に行っていた。懐かしいなぁ。あの日は平日でしかも雨が降っていたのに、長谷寺は観光バスが乗り付けて、めちゃくちゃ混んでいたよなぁ。とか思いながら、「鎌倉★季節情報館」をネットで見ていたら衝撃的な文言が。

「今週末であじさいは見納めとなります」

え゛―――――。

鹿児島地方気象台は、本日29日、奄美地方が梅雨明けしたと発表した。東京の梅雨明けはまだまだ先。カビを生やさないように残りの梅雨を乗らなければ...。
ダメージを軽減する「キレイ」アイテム、絶賛募集中。

vol.137 「雨やどり」 by 藤田彩乃


6月のテーマ:雨

雨といえば思い出す曲がある。さだまさしの「雨やどり」だ。雨やどりをしている時に出会った男性に恋をしてしまった女性が、後に彼と再会しプロポーズに至るまでのストーリーを描いた曲だ。コメディタッチの歌詞が面白くしっかりオチもあって聞いてると心温まる。そもそも「雨やどり」という日本語も美しい響きで、不思議な魅力を持った言葉のように思う。

私は、世代は全く違うのだが、さだまさしが好きだ。新年は、NHKの「年の初めはさだまさし」で迎えると決めている。番組特有の手作り感あふれるまったりした雰囲気が好きで、毎年楽しみにしている。特にさださんの淡々としたトークが気に入っており、歌を歌わないで、ずっとしゃべっててほしいくらいだ(実際よくしゃべるのだが)。

さださんの奏でる曲は、あたたかい家族愛や小さな幸せを描いた歌詞が多い。ふざけた内容に見えても、実は深みがあって、どの曲にも素朴な魅力がある。「案山子」は、私の父がカラオケでよく歌うからか、聞いてると涙が出そうになる。

「関白宣言」と「関白失脚」に代表されるように、続編を作るのはさだまさしの定番だが、この歌にも同じメロディーで歌詞が違う「もうひとつの雨やどり」というバージョンもある。
本家「雨やどり」の歌詞とは少しトーンが違い、引っ込み思案で内気な女性の素直な気持ちが描かれていて、切なくてかわいい。

私自身は、いずれの歌詞に描かれているような愛らしい女性でもないし、正直共感する部分は少ないのだが、なんだかとても気に入っている。出逢いとは、無数の偶然が重なって生まれる奇跡だと実感する。その時その時の決断が今の自分につながっていて、今私の周りにいる人とをつないでいる。普段は忘れがちだけど、すべての出逢いに感謝して、そして大切にしていきたい。

vol.136 「雨男ですみません」 by 藤田庸司


6月のテーマ:雨

何か大きなイベントがあると、かなりの率で雨に遭遇する僕は、友人の間では"雨男"で通っている。「また雨降らせた~~~!」という非難めいた声に、かつては罪でも犯したような後ろめたさに苛まれ、イベント前日の天気予報で傘マークを見た日には、みんなの憂鬱な顔が目に浮かび気分が沈んだものだ。だからといって、自分ではどうこう出来るものでもなく、最近は開き直って「雨男ですみません」と率先して断りを入れるようにしている。
そんな雨男体質は、実は遺伝という見方もある。僕の父は親戚中でも一二を争う雨男で、若い頃通った飲み屋の女将には、お店を訪れると必ず雨が降るので"雨夫"というニックネームをつけられていたそうだ。
「雨男なんて迷信だよ」と思われるかもしれない。僕も昔はそう思っていたが、ある出来事をきっかけに「もしや...」と思い始めた。十年ほど前に友人とアメリカを自由旅行していたときの話だ。砂漠の中の街、ラスベガスから次の目的地へ飛ぼうとした際、過去にない記録的な大雨が降り空港が閉鎖、丸二日足止めを食らった。「砂漠に雨を降らせてしまった!」。これは偶然や迷信では片付けられないと感じ、事の重大さと込み上げる罪悪感から友人に「雨男って信じる?実は...」と告白したところ、「じゃあ、アフリカとか、雨を必要としている地域にいけば、神になれるじゃん。」とからかわれた。
たしかに雨乞いの儀式に参加すれば重宝がられるかもしれない。また傘メーカーに売り込めば"雨男長者"になれるかも。
嫌われ者の雨だが、基本的にインドア派の僕は、雨は嫌いではない。

vol.135 「東京ノイローゼ 2000」 by 杉田洋子


5月のテーマ:緑

普段いわゆる「緑」との関わりが薄い私は、今月のテーマが決まってからしばし
考えあぐねていた。本当は、今ハマりまくっている三国志のドラマのことを書き
たくて仕方ないのだが、どうにもこうにも接点が見出せず、こじつけることすらできそ
うにない。あきらめかけたその時、ふとカメの顔が心に浮かんだ。
私にとって緑といえばカメではないか!!

ちょうど2年前、私は「カメとプレステと私」と題し、愛するカメとの思い出を
このブログでつづった。
一時的にプレステにはまってしまったことにより、愛亀を失ったという苦い思い
出である。そして最後にこう締めくくった。

===

そして上京し、初めての一人暮らしをすることになった私は、
相棒のカメを飼うことにした。
しかし、このカメとの間にさらなる試練が待ち受けいていようとは、
その時はまだ知る由もなく...。

キリがないので、その話はまたいつか別の機会に。

===

と。

その機会がいよいよ巡ってきたのである。

前置きが長くなったが、とにかく私は上京してから早速ミドリガメを飼うことに
した。確かたまプラーザのペットショップだったと思う。

水槽の中にひしめく、小さくてあどけないカメの赤ちゃんたち...。
眺め始めて数分後、水槽の丸みを帯びた角にぴたりと鼻をくっつけて、目をとろ
んとさせたかわい子ちゃんが目に留まった。決まりだ。

ポリ袋に入れてもらい、上機嫌で家へ向かう途中、ふと、尻尾が少し切れたよう
になっていることに気づいた。ケンカでもしてかじられたのかもしれない。

家に着くと早速初めてのエサやりタイムだ。
シラスを1匹、ピンセットでつまんで顔の前に差し出す。
大好物のはずだが、カメはなかなか口を開けようとしない。
しかし私も、だてに7匹のカメを飼ってはいない。
中には慣れるまでなかなか食べない子もいた。
明日にはきっと食べてくれるだろう。

しかし、あくる日も、そのまたあくる日も、カメは口を開けようとしない。
水槽の中に入れておいても食べた形跡がない。
無理やり口をこじ開け、突っ込んでみたりもしたが、それも可哀想だ。
もっと活発な子を選べばよかったかな...などという思いがよぎった。

1週間ほどたったある日のこと。
カメが首を伸ばし、まるで威嚇でもするかのように不自然に口を開けている。
いや、威嚇と言うよりむしろ、気持ち悪くてウエッとなっているように見える。
しかし、栄養不足の方が気になっていた私は、
ここぞとばかりにすかさずシラスとピンセットを取り出し、
開いたカメの口の中にエイッと1匹突っ込んだ。
しかしカメは不本意そうに、ウエッ、ウエッとやっている。
一体どうしたことだろう...。これは本当に病気ではないか...。
私はいよいよ心配になってきた。

翌日、相変わらずカメは口を開けて、苦しそうにしていた。
私は心配で水槽に顔を近づけてみた。
すると何やら水中に細くて白い線のようなものがふよふよしている。
恐る恐る目を凝らしてみてみると...

!!! 

動いている...。
いくつもの白くてとても細い糸ミミズのようなものが浮遊していたのだ!
私は思わず後ずさりした。何なのだ、これは。
わりと小まめに水も替えていたというのに...。
そうか、きっと何らかの虫が水槽の中に卵を産みつけたのだ。そうに違いない。
私は水槽を熱湯消毒して、ピカピカにしてから水を張り再びカメを戻した。
これで一安心だ。

しかしさらに数日後、学校から戻って水槽をのぞいた私は愕然とした。
なんと、早くもあのふよふよが復活していたのだ!
熱湯消毒までしたのだから、さすがに先日の残党ではあるまい。
となると、こやつらはカメ本体から出てきているとしか考えられない。
私はどんよりとした気持ちになった。
ウソであって欲しいと思ったが、二度目の熱湯消毒の後もふよふよは復活した。
もう疑いの余地はない。

私は少しノイローゼ気味になっていた。帰ってきて水槽を確認するのが怖かった。
あまりのふよふよの気持ち悪さに、カメを取り出すのも勇気がいった。
カメは相変わらずエサも食べず、ウエッ、ウエッとやっている。
切れた尻尾から寄生虫でも入ったのか、はたまた口から入ったのか。
ウエッとしながら、寄生虫を吐き出しているのではないか...
さまざまな憶測が頭をよぎる。

一方で、カメがちっともシラスを食べないので、私の食生活はシラスに支配され
ていた。もはや私はシラスノイローゼにもかかりつつあった。

飼い初めて数週間がたったある日、帰宅して水槽に目をやると、
カメはついに動かなくなっていた。
まったく食べていないのだから、覚悟はしていた。
私は、悲しみと同時に、安堵を覚える自分に気づいた。
そしてそれはたちまち激しい罪悪感と自己嫌悪に変わった。
大好きなカメを亡くしてしまったというのに、
ふよふよから解放されたことに一瞬でもホッとした自分に絶望した。
そして、生き物を飼うことの責任の重さを改めて思い知った。

夕方、カメを埋める場所を探そうと近所をうろついたが、アスファルトばかりで
土のある場所が見当たらない。これが東京なのか...。
葬ってやれそうなのは目の前を流れる小さな川だけだ。
そこも周りはコンクリートで固められて掘り起こせるような場所はない。
川は数メートル下を流れていて、亡骸をそっと流すというより、
放り投げるような形になってしまう。
川面に映る無数の鯉の影...。
こんな小さなカメ、あっという間に食べられてしまうだろう。
1人では葬る決心がつかず、友達に相談して付き添ってもらうことにした。
水の中に帰れればカメも本望だよ、という友の言葉にようやく覚悟を決めた私は、
眼下の小川に亡骸を葬り手を合わせた。

それ以来、カメは自分では飼っていない。
実家のカメたちはまだ健在で、飼い始めてからかれこれ16年になる。
東京で飼ったあのカメは、命の重さと、愚かな心境の変化を学ばせてくれた。
とっておきの名前を付けようと考えているうちに、
結局名づけられぬまま死なせてしまった。
呼ぶときは、いつもカメと呼んでいた。
亡くなったのも、ちょうど新緑がまぶしい5月だった。
あの子は一瞬でも幸せだったのだろうか...。
来世や天国があるのなら、そこではおなかいっぱいシラスを食べていてほしい。

vol.134 「伝染する再生」 by 相原拓


4月のテーマ:再生

今さらながら、YouTubeはすごいと思う。単に、好きな動画を視聴したり共有したりできる「遊びの場」という次元を超えて、今や社会現象を巻き起こすほどの影響力を持つ凄まじいツールとなった。それもそのはず、サイト上の全動画の再生回数を合計すると1兆回にも上るという。なんと世界人口の140倍を超える計算になる。

YouTubeの生んだ社会現象といえば、ジャスティン・ビーバー。2008年、当時まだ14歳だったジャスティンが自分の歌っている姿を撮った動画をYouTubeに投稿したところ、話題が話題を呼び、後にマネージャーとなる人の目に留まり、瞬く間に超人気アイドルとなった。

この執筆に当たって、ジャスティン以外にどんな人気動画があるのか気になり、再生回数ランキングを検索してみたら下記のページにヒットした。

「Top 10 YouTube Videos of All Time」
http://www.readwriteweb.com/archives/top_10_youtube_videos_of_all_time.php

ご覧の通り、第1位はジャスティン・ビーバーの「Baby」。記事公開時での再生回数は731,822,454回。驚異的な数字だ。ただ、億単位にもなってくると、僕なんかは「やっぱりジャスティンか...なんかの陰謀?」とまで疑ってしまうが、個人的な意見はさて置き、社会現象であることは確かだ。

トップ10のほとんどがアーティストPVのなか、第6位にランクインしたのは、かの有名な「Charlie bit my finger」(450,016,181 回)。皆さんの中にも、この愛くるしすぎる動画を一度は見たことがあるという方は少なくないだろう。たかがホームビデオとはいえ、ジャスティンやエミネムといった大スターと肩を並べるわけだから、これもまた社会現象以外の何ものでもない。

上記2つの動画に共通しているのは、"ベイビー"ではなく、"バイラル"というキーワード。バイラル(=viral)とは、「ウイルスのように伝染する」という意味で、口コミを指すマーケティング用語である。口コミは、かつては文字通り人の口(言葉)によって話題が広まる現象だったが、インターネットが普及した現代においては、原理こそ同じだが、その広まり方の規模がまるで違う。しかも、テレビでいう視聴率と違って、再生回数は単に瞬間的な話題性を表す指数ではない。というのも、回数が多ければ多いほど(トップ10入りするような動画は特に)、その数字自体が更なる話題を呼び、まさに伝染病のごとく爆発的に急増していく。

もちろん、「Charlie」が莫大な経済効果を生んでいるかというと決してそうではない。(経済学者でもない僕がそう言い切るのもなんだけど...)。 一方で、「Baby」のPVがジャスティンの活動PRになっているように、エンタメ業界外でもビジネス拡大を狙ってバイラル動画を戦略的に活用している個人や企業は確実に増えているという。ヒットすれば、制作費をほとんどかけずに宣伝効果と利益を生み出せるのだから当然の流れと言えるだろう。

最後に、こんな記事も見つけたので紹介しておこう。

「ジャスティン・ビーバーの 「Baby」 がYouTube史上最も嫌われている映像に」
http://www.vibe-net.com/news/?news=2007819

詳しくは本文を読んでほしいが、なんとも皮肉ではないか。どちらかというと、こっちの方が僕好みのネタなので触れずにはいられなかった。ファンの方々、どうかお許しを。

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